久元 喜造ブログ

2023年3月12日
から 久元喜造

佐藤 優『よみがえる戦略的思考』


ウクライナ情勢は、日々刻々と変化しています。
本書が刊行されたのは、昨年(2022年)10月ですが、ロシアのウクライナ侵攻から1年余りが経った今日において、終戦の気配が見えないという状況は変わっていません。
本書は、我が国の対ロシア外交、ウクライナが置かれてきた歴史的な立ち位置に触れた上で、解決に向けた視座を提供しようとします。

著者が冒頭に取り上げるのは、「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」という三つの要素です。
そして、我が国においては「価値の体系」が肥大化しており、そのためか日本のマスメディアのほとんどが欧米メディアからの二次情報を報じていると指摘します。
そのような問題意識から、著者がかなりの紙幅を費やして紹介するのが、ロシアの政府系の番組「第1チャンネル」が放映している「グレート・ゲーム」です。
この番組には、ロシアの学者、対外諜報庁中将のほか、米共和党系シンクタンクの所長でソ連からの移住者、米国籍のドミトリー・サイムズ氏も参加しています。
ロシアの専門家二人は米国の政治、経済、世論の動向をそれぞれの立場から把握し、サイムズ氏と活発な議論を繰り広げます。。
この番組は、ロシアの対外宣伝工作の任務を帯びているとともに、「クレムリン(大統領府)が諸外国にシグナルを送る機能を果たしている」とされます。
米国籍の専門家も参加した議論からどのようなメッセージが発せられるかについては、注目する価値があるように思えます。
ロシアのウクライナ侵攻が理不尽なものであることは、明白です。
その上で、ウクライナ情勢に関する幅広い議論に接したうえで、多角的な視点に立った分析が求められるように感じました。


2023年2月26日
から 久元喜造

宮内 悠介『かくして彼女は宴で語る』


本書について、著者自身はこう記しています。
「本作は、アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』の形式を、明治期に実在した会に当てはめた」
「したがってアシモフにならい、覚え書きを附すことにした」
こうして、明治時代の終わり頃に実在した芸術家サロン〈牧神(パン)の会〉が、想像豊かに再現され、各章に覚え書きが記されます。
木下杢太郎、北原白秋、石井柏亭、吉井勇など若き芸術家たちが集いました。
彼らは隅田川沿いの料理店「第一やまと」で、自らの体験や側聞した事件を語り、その語り自身がミステリーとして展開されます。

不思議な読書体験でした。
当時の東京の雰囲気が、香りや光景、音たちとともに蘇って来るように感じられたのです。
勧業博覧会が開催された上野公園、事件の舞台となる、お茶の水のニコライ堂の風景、会に運ばれてくる料理の香しい香り、当時の音風景などが巧みに描かれ、まるでタイムスリップしたかのように物語の世界に引き込まれました。
常連のほかに、石川啄木、森鷗外、長田幹彦、栗山茂などが登場します。
詩人の栗山茂は、第3回の事件が解決した後、こう語ります。
「ぼくは外交官になろうと思ってる」
「なんといっても、この国はまだ危うい。それを、ぼくは陰から支えるつもりだ」
栗山は、後に外交官、最高裁判事として困難な時代を生き抜いていきます。
本書では記されていませんが、栗山茂のご子息は、外務事務次官、駐米大使を務めた栗山尚一です。

事件の解決に常に的確な指摘をする女中、あやのが、女性運動家、平塚らいていであることが、最後に明かされます。
実在の人物たちの架空の姿が、逞しい想像力で生き生きと描かれていました。(文中敬称略)


2023年2月13日
から 久元喜造

瀧井一博『大久保利通』


大久保利通と西郷隆盛が幼少期から近所同士で、竹馬の交わりを結んだことは知られています。
西南戦争で非業の死を遂げた西郷に比べ、大久保利通に対する人びとの視線は冷たく、冷酷な独裁者とのイメージが定着しました。
著者は、出店・注釈を入れれば520頁を超える本書において、大久保日記、手紙、文書などを丹念に読み込み、大久保の実像に迫っていきます。

明治維新は世界史の中で最も成功した革命と言われますが、どうしてこの偉業がなぜ成し遂げられたのか ― それは大久保利通がいたからだと、本書を読んで改めて確信しました。
幕末から新政府の樹立までの過程は、一歩間違えば外国勢力の介入を招きかねない内戦の危機を孕んでいました。
大久保は、常に事態の収拾に動き、危機の回避に成功します。
急進的な改革を求めず、現実的な対応を随所で示します。
廃藩置県にも常に慎重な態度をとりますが、断行を主張する木戸孝允に最終的には妥協する過程も克明に描かれます。
大久保の問題解決能力は、外交面でも発揮されます。
台湾で琉球の住民が多数殺害され、台湾出兵論が噴出する中、大久保は北京に赴き、清国政府との困難な外交交渉を成功させたのでした。

もちろん大久保の手腕は、内政面で発揮されます。
近代国家の体制がつくられていく複雑な過程が克明に描かれ、大久保が抱いていた国家理念は、妥協を余儀なくされながらも実現していきました。
大久保の功績は、殖産興業において顕著です。
優秀な民間人材を多数登用し、東北地方の開拓を進め、内国勧業博覧会を成功させます。
自身の暗殺によって体制が動揺しなかったのは、大久保が築き上げた制度が安定的に機能したからだと感じました。


2023年2月5日
から 久元喜造

明治維新では農業が重視された。


明治維新は、世界史的に見て「最も成功した革命」と言われます。
確かに戦乱はありましたが、フランス革命の血生臭さから比べるとその違いは歴然としています。
その背景として、前の時代との連続性があるのではないかということを、いま読んでいる 大久保利通 の評伝から感じました。
フランス革命、ロシア革命の指導者は、革命前の政治、社会を徹底的に否定しました。
前の体制の支配者層の多くは粛清されました。

明治維新は違っていました。
大久保利通など政治維新の指導者は、旧幕府の幕臣を新政府の中に招き入れ、有能な人物は重用しました。
もうひとつの重要な視点は、農業の重視です。
1874年(明治7年)12月、内務省が設置されますが、その重要な使命は農業などの産業振興でした。
内務省職制及事務章程の冒頭に掲げられたのが「農工商ノ業ヲ勧ムル法則ヲ施行スル事」でした。
江戸時代は農業を主産業とする農耕社会でしたが、明治政府は農業を重視し、西洋の技術を取り入れ、その振興を図ろうとしました。
大久保利通は、1876年(明治9年)5月から約2か月間、東北の各地方を視察しています。
その目的は東北地方における農業など産業の実態を把握し、内務省の勧業施策に反映することでした。

ここで対比されるのが、ロシア革命政府の対応です。
フレヴニューク『スターリン』(2022年2月27日のブログ)が記しているように、革命政府によって穀物を没収される農民の怒りは内戦の勃発をもららし、内戦と飢饉は、何百万人もの人々の命を奪いました。
実権を握ったスターリンは実態を無視した急激な工業化を推し進め、ウクライナなどではさらに大きな悲劇に見舞われたのでした。


2023年1月28日
から 久元喜造

川本三郎『荷風の昭和』


だいぶ前に知り合いからもらった雑誌のコピー『荷風の昭和』を、夜遅くときどき読んでいます。
今回のテーマは「市川左團次との親交」。
親しい友人をつくろうとしなかった永井荷風にとり、数少ない友人が歌舞伎俳優の二世市川左團次でした。
荷風の日記『断腸亭日乗』(2013年12月9日のブログ)には、大正の中頃から左團次の俳号「松莚」の名が頻繁に登場します。
市川左團次は、演劇の改革を志向し、盟友の小山内薫らとともに、自由劇場の立ち上げに奔走しました。
演劇好きの荷風は、帝国劇場での自由劇場の公演に感激し、「われは愛す自由劇場」で始まる詩を創っています。

市川左團次の行動力は、群を抜いていたようです。
1928年(昭和3年)12月、ソ連を訪れて歌舞伎の興行を打ち、大成功させたのです。
訪問団は、松竹の副社長を団長に、左團次などの歌舞伎役者、義太夫、囃子連中、衣裳など総勢約50名。
一行は当初、下関から釜山に渡り、ハルピン経由の予定でしたが、6月に関東軍による張作霖爆殺事件が起き、敦賀からウラジオストクに渡る行程に変更しています。
この難しい時代に、日本とソ連の芸術文化交流に尽力したのが、後藤新平でした。
本号では後藤が、後に宮本顕治の妻となる中條百合子のソ連遊学を助けたことが紹介されています。
後藤はソ連との国交樹立に尽力し、左團次らが訪ソした同じ年の1月、モスクワでスターリンと会談しています。
後藤新平は、翌1929年4月、旅先の京都で死去。
一方、ソ連ではスターリンが独裁体制を確立し、演劇の世界も統制が強められていきます。
左團次らが交友した劇作家のメイエルホリドなど芸術家たちの多くも粛清されていったのでした。


2023年1月15日
から 久元喜造

揖斐高『江戸漢詩の情景』


帯に、「江戸の人びとの感情や思考のあり方を広く掬い上げ、江戸文学の奥深い魅力へと迫る詩話集」とあります。
文学に造詣の深い方には、文学の観点からの発見や気づきがたくさんあることと想像します。
そうでない私にとり、江戸時代を生きたさまざまな身分、職業の人々の日常、経済事情、娯楽などの情景が、それぞれのシーンに込められた想いとともに蘇って来るようで、たいへん興味深かったです。
本書には、たくさんの人物が登場します。
儒者、漢学書生、歌人、幕府の役人、僧侶、遊女、医師など。

「虫めづる殿様」の章に登場する人びとは、大名です。
「大名のなかには和漢・硬軟の学藝に興味を持つディレッタントが少なからず存在」しました。
そのような一人が、伊勢長島藩主・増山雪斎でした。
雪斎が虫を相手にする日は、交友関係を謝絶して独り静かに部屋に籠り、側仕えの子供に庭の蝶や蜂を捕えさせ、それらを写生させたと言います。
雪斎は、写生し終わると、虫の死骸を小箱に収蔵させました。
雪斎の事績を読んだ石碑「蟲塚」は、上野の勧善寺に建てられ、その後寛永寺境内に移されて、今もひっそりと佇んでいるそうです。

漢詩に親しんだのは、主として漢学者などの知識階級でしたが、彼らは庶民と交わり、自由な交友を楽しんだようです。。
江戸の遊里・吉原を素材に七言絶句30首の連作詩集が編まれました。
この「北里歌」を編んだのは、玄味居士という匿名作家ですが、この人物は、幕府の教学を司る林家門下の儒者・市河寛齋であったと言います。
ほかにも林家門下の儒者が「北里歌」に関わったことが分かっています。
江戸の漢詩の世界は、誠に多彩で豊かなものであったことが窺えます。

 


2023年1月3日
から 久元喜造

片山杜秀『音盤考現学』


近年論壇に頻繁に登場する著者は、慶應義塾大学に学び、現在、慶應義塾大学法学部教授。
専攻は政治思想史のようですが、学生時代は三田レコード鑑賞会に所属し、ピアノ調律師で音楽プロデューサーの原田力男が主宰していた「零の会」の同人でもあったようです。
私も家内に誘われて、一度だけ「零の会」に出席したことがありました。
著者のことは音楽評論家と紹介されることも多いようですが、氏の評論は音楽評論のジャンルを遥かに超越しており、本書でも、内外の作曲家と作品、演奏、録音などが縦横無尽に語られます。

たいへん面白かったです。
結構聴きこんできた作品、聴いたことがある程度の作品、そしてまだ知らない作品が次々に登場し、興味が尽きませんでした。
ブーレーズのピアノ・ソナタ第2番はよく聴きますが、「暴力的に驀進する奔流のごとき音楽をめざしていた」と言われると、ストンと落ちます。
戦後我が国を代表する作曲家に捧げられたタイトルは、『武満徹の嘘』。
武満は、言葉で「嘘」をつき、「自分の音楽への相手のイメージをはぐらかし、さまざまなレヴェルで相反する無数の自画像を作り出した」と。
「よって武満を論じる者は、しばしば彼の正体をつかみあぐね、「嘘」の谷間をさまよってきた」のだと。
演奏家も「嘘」に絡めとられ、あるいはそこから外へ飛び出していこうとしたのだと。

本書の特徴は、戦前戦後に活躍した日本の作曲家、演奏家を取り巻く時代背景が、独自の視点を交えながら取り上げられていることです。
山田 耕筰、團伊玖磨、芥川也寸志、黛敏郎、山田一雄、柴田南雄、伊福部昭などの音楽家の生きた時代が、鮮やかに浮かび上がってきました。(文中敬称略)


2022年12月29日
から 久元喜造

田村秀『自治体と大学』


大学は、国策や民間の篤志家などによって設立されたきたという経緯がある一方、地方、すなわち自治体が精力的に国立大学や私立大学を誘致し、自らも積極的に公立大学を設立してきたという側面があります。
本書では、まず、我が国に大学が誕生して以来、地方、とくに自治体が大学とどのように関わり、施策を展開してきたのかについて、時代を区切って説明されます。
そして、自治体と大学がどのような関係を築くことが求められるのかについて、具体的な事例に即して語られます。
本書からは多くの示唆を得ることができましたが、特に印象に残った点を二点挙げておきたいと思います。

一つは、大学生を持つ家庭の年間収入が、時代の変遷の中で大きく変わってきたということです。
1960年代は、私立>公立>国立だったのが、1980年代以降は、私立>公立≒国立となり、21世紀に入ると、国立は公立を引き離し、私立における年間収入に近づいていきました。
今では、国立≒私立>公立という状況になっていると言います。
著者は「地域社会を支えるセーフティネットの役割の一端を、公立大学が一定程度果たしていると評価できるだろう」と指摘されています。

二点目は、地方がいかに大学を待望してきたかということです。
地方圏の自治体が心血を注ぎ、大学を誘致しようとしてきたのかが、具体的な事例に沿って明らかにされます。
域外に転出しようとする私立大学を公立大学化したり、100億を超える公的資金を投じて大学を誘致しようとした事例などが紹介されます。

大学の存在は、地域を豊かにします。
他地域における成功・失敗事例に学びながら、神戸市としての大学関連施策を進めていきたいと思います。


2022年12月24日
から 久元喜造

クリスマスイブに。

クリスマスイブ。
夜更け、Youtube でクリスマスソングを聴いていました。

O HOLY NIGT
ANGELS WE HAVE HEARD ON HIGH
SILENT NIGHT
O COME, ALL YE FAITHFUL
FAIREST LORD JESUS
IT CAME UPON A MIDNIGHT CLEAR
IN THE BLEAK MIDWINTER

それぞれの曲が心に染み入ります。
クリスマスイブ。
子供の頃、両親が元町の不二家や、父が好きだった高架下の鮨屋に連れて行ってくれたことなどを思い起こします。

きょうは、自宅でメールのチェックや返信、ほかの作業に追われ、繁華街に行くことはできませんでしたが、三宮などはきっと賑わっていたことでしょう。
”街にジングルベル 遠くにひびくよ”
加藤登紀子さんの「燃えろジングルベル」の一節を口ずさんだりしていました。

街の賑わいの一方で、ひっそりとクリスマスイブを迎えた方も多くいらっしゃると思います。
独り暮らしの世帯が増えてきました。
ひとり親世帯の中には、クリスマスケーキを口にすることができない子供たちがいるだろうと思います。
この一年、コロナと物価高にどう対応したらよいか、対応を重ねてきました。
所得格差が厳然とある中で、限られた財源のことを考えれば、一律に何千円かを配るような方策が良いとは到底思えません。
神戸には、厳しい状況に置かれている方々を支援するNPO,地域団体、ボランティアのみなさんがたくさんおられます。
これらの方々と連携しながら、必要な支援を必要な方々に届ける施策を行ってきました。
厳しい状況の中で、これからも模索が続きます。


2022年12月5日
から 久元喜造

永濱利廣『日本病』


著者は「日本病」を、「低所得・低物価・低金利・低成長」と定義します。
「日本病」は、今や海外の国々から日本化(Japanification)と呼ばれ、世界の経済学の研究テーマになっているそうです。
その本質は「デフレスパイラル」。
デフレとは、IMF(国際通貨基金)の定義によれば、2年以上にわたって物価が下がり続ける状況ですが、そうなると、人々は必要なぎりぎりまでお金を使わなくなります。
モノやサービスが売れないので、企業は値下げによって対応し、そうなると企業や店舗は売り上げが減り、働く人の給料は下がる。
家計はお金を使わなくなり、モノやサービスはさらに売れなくなる、という悪の循環=デフレスパイラルに陥ります。
そして、日本の「低所得」「低物価」「低金利」「低成長」の状況と背景が分かりやすく語られます。

このようなデフレスパイラルが長く続いている中で、いま世界中で猛威を振るっているのが「スクリューフレーション」です。
「締め付け」(Screwing)と「物価上昇」(Inflation)を合わせた造語で、生活必需品の価格上昇により、中低所得層を締め付けるインフレです。
このような説明は、既知の事実が数字を用いて具体的に語られているという印象です。

どうすれば良いのか。
著者が主張するのは、積極的な財政出動です。
少なくともインフレ率が安定的に2%を上回る程度には、政府債務残高を積極的に増やして効果的な財政政策を実行する必要があると。
「将来世代にツケを残すな」というフレーズは無意味。
それは、「将来世代に民間資産を残している」ことにもなるのだから。
巷に溢れている「処方箋」に到達しただけの読後感でした。