2007年に開催された 東京都江戸東京博物館 の企画展の展示録です。
以前にも読んでいましたが、関東大震災100年の今年、震災復興の陣頭指揮を執った後藤新平(1857 – 1929)の事績に改めて触れたいと思いました。
編集は、当時の財団法人東京市政調査会です。
冒頭に、理事長を務められた故西尾勝先生の「ごあいさつ」が掲載されています。
1920年(大正9年)に東京市長に就任した後藤新平は、米国のニューヨーク市政調査会を範とする東京市政調査会の設立構想を発表しました。
後藤が目指していたのは、「行政の科学化」でした。
安田財閥の総帥、初代安田善次郎はこの構想に深く共感し、多額の寄付を約束、この寄付金を基に、1922年(大正11年)、後藤新平を初代会長とする財団法人東京市政調査会が創設されました。
そして東京市によって市政会館の建設計画が立てられ、関東大震災後の1929年(昭和4年)、日比谷公園内に、市政会館・日比谷公会堂が完成しました。
全国20の指定都市の市長で構成する 指定都市市長会 は、市政会館 の中にあります。
後藤新平は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道株式会社総裁、内務・外務大臣などを歴任した後、東京市長となり、関東大震災直後に内務大臣・復興院総裁として帝都の復興計画を立案しました。(越澤明『後藤新平ー大震災と帝都復興』)
本展示録では、後藤新平ゆかりの品々や、近年発見された復興計画図など最先端の研究成果を交えて後藤新平の生涯が回顧されます。
東京市政調査会は、2012年、公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所 に移行し、設立理念を継承しつつ、調査研究活動が行われています。