久元 喜造ブログ

2023年6月6日
から 久元喜造

テッソン『シベリアの森のなかで』


帯にはこう記されています。
「冒険家で作家のテッソンがバイカル湖畔の小屋で半年を過ごした日記。孤独と内省のなかで人生の豊かさを見つめ直す、現代版『森の生活』」
著者は、本書の中でひたすら自身との哲学的問答を繰り返す訳ではありません。
日記の中でかなりの部分を占めているのが、読書の記録と感想です。
冒頭「シベリアの森での半年間の滞在に備えてパリでじっくり選んだ理想の本リスト」が示されます。
D・H・ロレンス、キルケゴール、カミュなどのほか三島由紀夫の『金閣寺』もあります。
「鋼の冷たさを感じたいなら三島由紀夫を読めばいい」。

日記ではバイカル湖畔や森の自然の佇まい、生き物たちとの出会いが生き生きと描かれます。
シジュウカラが窓ガラスをコツコツと叩き、夜になると小屋の周りには、狐やミンク、オオカミ、オオヤマネコがうろつきます。
「動物の足跡は森の言葉だ」。
テッソンは、湖で仕掛けをつくってアメマスを獲り、渓流でイワナを釣ります。

森林官や漁師などとの交流も記されます。
テッソンは、彼らの家や小屋を訪れ、また彼らもテッソンの家を訪れ、ウォッカに興じます。
湖で獲れた魚が料理されて供されます。
ヘラジカは内臓も料理されて、愛犬たちに与えられます。
イルクーツクの実業家は、法令の抜け穴を利用して巨大なアウトドアパーティー用の建物を建築します。
この辺で「将軍」と呼ばれている彼は、自然保護区の森林官たちに贈り物をばらまいています。

「孤独は思考を生み出してくれる。というのも、ここでは自分自身としか会話できないから」
「孤独はあらゆるお喋りを洗い流してくれ、自分自身を探索することを可能にしてくれる」
含蓄のある言葉です。


2023年5月13日
から 久元喜造

牧原出編著『「2030年日本』のストーリー


「手が届きそうな近い将来」がどんな時代になるのか、議論が展開されます。
政治学者の牧原出先生を中心に、安田洋祐、西田亮介、稲泉連、村井良太、饗庭伸の各氏が論陣を張ります。
政治、経済、メディア、社会学、都市計画など分野横断的な考察が行われ、コメントが記されます。
「ヒストリー」という切り口の第Ⅱ部は、東京パラリンピックと佐藤栄作政権が取り上げられます。
語り手は、政治史家の村井良太氏です。
当時を思い出しながら読みました。
「共通の歴史」が「人々の協働と共感を支える基盤となる」という指摘には共感を覚えます。

実際の街づくりと格闘している自分にとり、現実感を伴って読んだのが饗庭伸氏の「退場する都市空間と「国土の身体化」」でした。
明治維新からの長い間、増えた人口がつねに都市に押し寄せ、都市の側は追い立てられるようにその空間を増やしていきました。
つまり人口が先にあり、空間がそれを追いかけるという歴史でした。
ところが、人口が減り始めると人口と空間の関係が反転します。
人口が先に減少して空間が残されていきます。
大半の未来都市では、現在の都市の空間のあちこちから少しずつ人が退場し、空いた空間があちこちに散在するようになります。
小さな穴があいていくように都市が縮小する「スポンジ化」です。
饗庭氏はこのような退場が起きている空間を「前自然」と呼び、はっきりとした意志を持って臨めば、豊かな資源を獲得することができると指摘します。
大事なことは、「経験の檻」に囚われないことだと。
空き家の活用策として提示されるのが決まってシェアハウスとカフェだという指摘は、いささか耳が痛いところです。
斬新な発想が求められています。


2023年5月6日
から 久元喜造

SNSとの訣別


Twitter
FacebookInstagramを始めたのは、情報発信が弱いと言われて久しい神戸市に、トップとして少しでも役に立ちたいと思ったからでした。
また、双方向のコミュニケーションにも関心がありました。
結果として、自分には合わないということがよくわかりました。
先月、Instagramのアカウントも削除し、SNSからは撤退することにしました。

厳しい批判があることは知っています。
ネットが全盛の時代に背を向けるのかと。
それでもやめることにした理由は、時間がとられることです。
軽い気持ちで投稿したところ、予期せぬ反発や反応があり、自分なりに考えた短い文章を練り上げる必要が出てきました。
また、人間ですから反応も気になるところで、注意力が散漫になっていくように感じることが増えました。
人間の時間は一日24時間しかなく、市長も同じです。
最終的に自分の判断で決めなければならないとき、思索の時間も必要です。
思索の時間が浸食され、集中力が減退していると感じられるようになっていったのです。

これからは、ネットの世界にも注意を払いながら、現実の世界を大事にしたいと思います。
今まで以上に自分で街を歩き、街で起きていることを自分の目で確かめ、仕事に活かしていきます。
幸い、商店街などでは話しかけられることも多く、街の中で直接聞く市民のみなさんの声には現実感があります。
地域社会や地方自治体は、現実の生活や街のありようと深く関わります。
それ自体、リアルな存在です。
私は、ネット空間で存在感を求めるよりも、リアルな世界と真正面から向き合い、そこに自分の力を発揮できる場をつくっていきたいと思います。


2023年5月1日
から 久元喜造

牧原出『田中耕太郎』


10年を超えて最高裁判所長官を務めた田中耕太郎の経歴は、実に多彩です。
東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省しますが、すぐに大学に戻り、助教授・教授として学部、大学全体の運営にも関わりました。
1930年代になると、大学は嵐の時代を迎えます。
京大で起きた滝川事件の後、東大にも軍部、文部省などからの圧力が強まり、天皇機関説事件が起きます。
美濃部達吉はすでに退官していましたが、後継の憲法学者・宮沢俊義にも糾弾の声が上がります。
長与又郎総長など東大の当局は、粘り強く政府と交渉し、内閣も「学府の自治」を尊重しつつ、事態の鎮静化を図りました。
法学部長となった田中は、荒木貞夫文相との対峙、平賀粛学問題の収拾などに当たりました。
当時の法学部・経済学部の教授間の対立、人間関係も描かれます。
戦争末期、法学部と徐々に距離を取るようになる田中は、学外で異分野の知識人と戦後を見据えた会合を重ねるようになっていきます。

終戦後、田中は活動の場を学外に移します。
1945年9月、田中は文部省学校教育局長に就任、翌年の第1次吉田茂内閣で文相に就き、教育基本法の制定、6・3制の導入の陣頭指揮を執りました。
貴族院議員から議院議員全国区に立候補して当選、既成政党とは一線を画し緑風会に属して活動しました。
1950年3月、田中は第2代最高裁判所長官に就任、裁判制度の確立と司法権の独立に尽力しました。
田中の思想についても、多角的に触れられていきます。
大学、政治・行政、裁判所、国際司法という幅広い分野で活躍した田中の足跡から、戦争の時代と戦後混乱期を生きた巨人の苦悩と矜持が伝わってきて、言い知れぬ感動を覚えました。


2023年4月23日
から 久元喜造

神戸高専の未来

神戸市立工業高等専門学校の前身、神戸市立六甲工業高等専門学校が設立されたのは、1963 (昭和38年)のことでした。
1966(昭和41年)に現在の神戸高専となり、1990年(平成2年)に垂水区舞子台から研究学園都市に移転し、今日に至っています。
神戸高専は、都市自治体が設置する我が国で唯一の高専です。
本科(5年)と専攻科(2年)に、約1300名が学んでいます。
これまで、産業界、行政、学界に多数の優れた専門人材を送り出してきました。
しかし、テクノロジーの急速な進歩や経済社会のグローバル化が進む中で、現在の高専のあり方で良いのかどうかについては以前から問題意識を持っていました。
そこで、有識者から構成される検討委員会を設置し、議論していただいた結果、独立行政法人化の道を選択することにしました。
所要の手続きを経て、この4月から神戸市公立大学法人が神戸市外国語大学と神戸高専を運営することとなりました。
法人の理事長には、前神戸大学学長の武田廣先生が就任されました。

神戸高専はこれまでも英語教育に力を入れてきましたが、神戸外大の先生方の参画により、語学教育などがさらに充実し、グローバル社会で活躍できる人材の育成が進むことが期待されます。
学生間の交流や合同行事の開催を通じた国際性の醸成も進むことでしょう。
残念ながら、高専の施設や設備・機器は老朽化・陳腐化しており、経済界や学界の知識・経験もいただきながら、教育課程、施設、設備機器の充実を進めていかなければなりません。
神戸市は、神戸市公立大学法人の設立自治体として、神戸高専と神戸外大の教育・研究環境の充実・改善に全力で取り組んでいきます。


2023年4月15日
から 久元喜造

加藤隆久『神戸・生田の杜から日本を考える』


加藤隆久生田神社名誉宮司の近著です。
「まえがき」で記されているように、近年、宗教に対する関心の高まりが見られます。
きょう日曜日は各紙とも書評を掲載しますが、宗教への関心に関する特集を編んだ新聞もありました。
加藤名誉宮司は、人間と神との関わりを神道の見地から説かれます。
そして神社が「ご縁や支え合いの絆の回復」という役割を担ってきたことを指摘されます。
自然環境の保護からの神道の意義について、「自然は征服するものではなく、共生するものだという伝統的な自然観が見直されてい」ると記しておられます。
鎮守の杜が市民に憩いの場所を提供し、多様な生き物たちを育んでいることは、日頃から感じているところです。

加藤名誉宮司は、神戸の歴史について幅広く、深いご見識をお持ちで、本書でも古代から現代に至る神戸の歴史についても語られます。
とりわけ強調されるのが神戸が「国際宗教都市」であるという視点です。
明治2年にカトリックの教会堂が居留地に献堂され、ロシア正教会、聖公会の教会が建てられました。
プロテスタントでは、明治4年に神戸ユニオン教会が、続いて栄光教会が建てられ、関西学院が創立されました。
中国人は関帝廟を、インド人はジャイナ教寺院、ヒンズー教寺院、シク教寺院を、トルコ人は現存する日本最古のモスクである神戸モスクを、ユダヤ人はシナゴーグを、と多くの宗教施設が創設されました。
これらを中心に宗教コミュニティが形成され、まさに国際宗教都市の様相を呈するようになったと言います。
異なる民族、宗教、文化的背景を持つ人々がともに暮らしてきた神戸の国際都市としての性格は、今日に至るまで脈々と受け継がれていると感じます。


2023年4月2日
から 久元喜造

高校生との意見交換


ここのところ、高校生のみなさんとの意見交換の機会が増えています。
昨年の12月、県立兵庫高校で講演し、ディスカッションを行いました。
このときは、講演に先立ち、海洋プラスチックごみによって死に絶えていく海鳥の動画を流し、SDGsに関連する政策について話しましたが、生徒のみなさんからの質問は子育て支援策に集中しました。
有意義な意見交換でした。

そこで、3月15日に県立長田高校での講演では、子育て支援に関する神戸市政の基本的考え方と政策の内容について説明しました。
1年生、約320名のみなさんが熱心に耳を傾けてくれました。
子育て政策に関する質問もありましたが、「自分は将来市長になりたいと思っています。市長になるにはどんなことをすれば良いですか?」という質問があったのはうれしかったです。
変化が求められる時代に、若い世代のみなさんが社会のためにどんなことができるかを考え、行動に移してほしいと願います。
壇上に登場した生徒のみなさんからは、さまざまなテーマで提言をいただきました。
身近な公園の整備、空き家の活用、LRTの導入など、なるほどと思うこともたくさんありました。

3月20日には、香川県立高松高校のみなさんが市役所に訪ねてくれました。
神戸市が戦時中にユダヤ人難民に手を差し伸べた経緯を知り、関心を持ってくれたとのことでした。
高校生のみなさんが歴史を含め、社会のありように関心を持ってくれていることは、とてもありがたいことです。
忙しいとは思いますが、地域活動などにも参加し、地域社会に貢献していただきたいと願っています。
ネットモニター の要件も、18歳から15歳に引き下げることにしました。


2023年3月12日
から 久元喜造

佐藤 優『よみがえる戦略的思考』


ウクライナ情勢は、日々刻々と変化しています。
本書が刊行されたのは、昨年(2022年)10月ですが、ロシアのウクライナ侵攻から1年余りが経った今日において、終戦の気配が見えないという状況は変わっていません。
本書は、我が国の対ロシア外交、ウクライナが置かれてきた歴史的な立ち位置に触れた上で、解決に向けた視座を提供しようとします。

著者が冒頭に取り上げるのは、「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」という三つの要素です。
そして、我が国においては「価値の体系」が肥大化しており、そのためか日本のマスメディアのほとんどが欧米メディアからの二次情報を報じていると指摘します。
そのような問題意識から、著者がかなりの紙幅を費やして紹介するのが、ロシアの政府系の番組「第1チャンネル」が放映している「グレート・ゲーム」です。
この番組には、ロシアの学者、対外諜報庁中将のほか、米共和党系シンクタンクの所長でソ連からの移住者、米国籍のドミトリー・サイムズ氏も参加しています。
ロシアの専門家二人は米国の政治、経済、世論の動向をそれぞれの立場から把握し、サイムズ氏と活発な議論を繰り広げます。。
この番組は、ロシアの対外宣伝工作の任務を帯びているとともに、「クレムリン(大統領府)が諸外国にシグナルを送る機能を果たしている」とされます。
米国籍の専門家も参加した議論からどのようなメッセージが発せられるかについては、注目する価値があるように思えます。
ロシアのウクライナ侵攻が理不尽なものであることは、明白です。
その上で、ウクライナ情勢に関する幅広い議論に接したうえで、多角的な視点に立った分析が求められるように感じました。


2023年2月26日
から 久元喜造

宮内 悠介『かくして彼女は宴で語る』


本書について、著者自身はこう記しています。
「本作は、アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』の形式を、明治期に実在した会に当てはめた」
「したがってアシモフにならい、覚え書きを附すことにした」
こうして、明治時代の終わり頃に実在した芸術家サロン〈牧神(パン)の会〉が、想像豊かに再現され、各章に覚え書きが記されます。
木下杢太郎、北原白秋、石井柏亭、吉井勇など若き芸術家たちが集いました。
彼らは隅田川沿いの料理店「第一やまと」で、自らの体験や側聞した事件を語り、その語り自身がミステリーとして展開されます。

不思議な読書体験でした。
当時の東京の雰囲気が、香りや光景、音たちとともに蘇って来るように感じられたのです。
勧業博覧会が開催された上野公園、事件の舞台となる、お茶の水のニコライ堂の風景、会に運ばれてくる料理の香しい香り、当時の音風景などが巧みに描かれ、まるでタイムスリップしたかのように物語の世界に引き込まれました。
常連のほかに、石川啄木、森鷗外、長田幹彦、栗山茂などが登場します。
詩人の栗山茂は、第3回の事件が解決した後、こう語ります。
「ぼくは外交官になろうと思ってる」
「なんといっても、この国はまだ危うい。それを、ぼくは陰から支えるつもりだ」
栗山は、後に外交官、最高裁判事として困難な時代を生き抜いていきます。
本書では記されていませんが、栗山茂のご子息は、外務事務次官、駐米大使を務めた栗山尚一です。

事件の解決に常に的確な指摘をする女中、あやのが、女性運動家、平塚らいていであることが、最後に明かされます。
実在の人物たちの架空の姿が、逞しい想像力で生き生きと描かれていました。(文中敬称略)


2023年2月13日
から 久元喜造

瀧井一博『大久保利通』


大久保利通と西郷隆盛が幼少期から近所同士で、竹馬の交わりを結んだことは知られています。
西南戦争で非業の死を遂げた西郷に比べ、大久保利通に対する人びとの視線は冷たく、冷酷な独裁者とのイメージが定着しました。
著者は、出店・注釈を入れれば520頁を超える本書において、大久保日記、手紙、文書などを丹念に読み込み、大久保の実像に迫っていきます。

明治維新は世界史の中で最も成功した革命と言われますが、どうしてこの偉業がなぜ成し遂げられたのか ― それは大久保利通がいたからだと、本書を読んで改めて確信しました。
幕末から新政府の樹立までの過程は、一歩間違えば外国勢力の介入を招きかねない内戦の危機を孕んでいました。
大久保は、常に事態の収拾に動き、危機の回避に成功します。
急進的な改革を求めず、現実的な対応を随所で示します。
廃藩置県にも常に慎重な態度をとりますが、断行を主張する木戸孝允に最終的には妥協する過程も克明に描かれます。
大久保の問題解決能力は、外交面でも発揮されます。
台湾で琉球の住民が多数殺害され、台湾出兵論が噴出する中、大久保は北京に赴き、清国政府との困難な外交交渉を成功させたのでした。

もちろん大久保の手腕は、内政面で発揮されます。
近代国家の体制がつくられていく複雑な過程が克明に描かれ、大久保が抱いていた国家理念は、妥協を余儀なくされながらも実現していきました。
大久保の功績は、殖産興業において顕著です。
優秀な民間人材を多数登用し、東北地方の開拓を進め、内国勧業博覧会を成功させます。
自身の暗殺によって体制が動揺しなかったのは、大久保が築き上げた制度が安定的に機能したからだと感じました。