久元 喜造ブログ

2022年9月19日
から 久元喜造

伊藤亜聖『デジタル化する新興国』


新興国で急速に進むデジタル化。
「この地殻変動から目をそらすな!」という本書の警告は的を射ており、我が国におけるデジタル化の遅れを改めて痛感する、ほろ苦い読後感が残りました。

本書では、OECDに加盟する38か国以外の国をすべて「新興国」として考察の対象とします。
最初に紹介されるのは、インドの「コネクティド・3輪バイク」、中国の遠隔医療、南アフリカの女性エンジニアです。
2010年代以降「デジタル化の時代」が本格的に到来したという認識に立ち、本論の前半では、新興国がデジタルの力を活用して課題を解決し、新たなサービスを育てている現状と今後の可能性について言及されます。
まず急速に進んでいるのが、プラットフォーム企業の登場によるリスク管理と信用の創出です。
中国やインドのみらず、アフリカでもケニアのM-PESAを筆頭に、銀行口座を持たないが携帯電話を持つ人々が、通信会社の口座内にお金を預ける形でモバイル・マネーが広がっています。
プラットフォームが介在することで、個人レベルで海外に仕事を発注することができるようになり、とりわけ南アジアではフリーランス経済が急速に広がっています。
ベンチャー企業による「下から」の課題解決も進んでいます。
エチオピアの医療産業向けサービス企業、南アフリカで精密農業とスマート漁業を進めるベンチャー企業など社会の課題解決に積極的な役割を果たしている事例が紹介されます。

デジタル化に伴うリスクについても詳しく触れられ、著者はこの点も踏まえながら、今後我が国は、新興国のデジタル社会にアンテナを張り、関わっていくべきだと提言します。
全くそのとおりだと感じました。


2022年9月14日
から 久元喜造

『マインド・コントロール』再読


6年前に読んだ、岡田尊司『マインドコントロール』(文春新書)(2016年9月3日のブログ)を読み直しました。
本書でまず紹介されるのは、1970年代から80年代にかけて頻発した宗教団体による「霊感商法」です。
真面目な学生や会社勤めのOLが突然姿を消し、教団の寮で共同生活を営み、高額の高麗大理石壺や高麗人参茶、印章の販売に従事したのでした。
なぜこのような「霊感商法」に付け込まれるのか、その手法が鮮やかに提示されていました。

改めて興味深かったのは、近代的なマインドコントロール技術がロシア革命から始まったという指摘です。
「パブロフの犬」で知られる生理学者のイワン・パブロフ。
彼の400頁にも及ぶ研究報告書を、レーニンはたった1日で読み終えたそうです。
レーニンは、条件付けに関するパブロフの研究を洗脳に利用する可能性を見出したのでした。
当局にとって都合の良い自白や情報提供を引き出す技術は、ソ連において開発、発展され、スターリンは政敵の抹殺のために徹底的に活用しました。
北朝鮮やハンガリーの公安当局によってどのように使われたのかも、詳しく記されます。

本書が最初に刊行されたのは2012年のことで、私が読んだのは、2016年の増補改訂版です。
「付記」で著者は、「状況は何一つ変わらないどころか、いっそう深刻化しているように思える」と記しています。
本書では、マインドコントロールが働きやすい環境とは、個人が周りとの接触を断ち、孤立化した状況であることが繰り返し指摘されます。
さらに6年が経過した今日、ネット社会の進化がそのような状況をどう変化させているかについて、改めて考える必要があると感じました。


2022年9月3日
から 久元喜造

松村淳『建築家の解体』


著者は、労働社会学、文化社会学専攻の社会学者です。
建築設計の実務経験があり、二級建築士の資格もお持ちで、従来から建築家を研究対象にして来られました。
前著「職業としての建築家の社会学 建築家として生きる」(晃洋書房;2021年)と併せて読むと、著者の一貫した関心は、「建築家が社会のためにどのような役割を果たすことができるのか」にあると感じました。

本書では建築家をめぐる状況の変化を「建築家の解体」と捉え、かつてのサクセスストーリーの変容を、具体的な建築家に即して振り返ります。
議論の前提として、建築家とはどのような存在なのかについて、プルデューの<ハビトゥス><界>の理論が応用され、建築家を育成する大学教育によって「支配的ハビトゥス」を体得していく過程が鮮やかに描かれます。

「建築家の解体」が進行した後に、現代の建築家の職能として登場するのが「街場の建築家」です。
空き家の増加は大きな社会課題ですが、それを資源として積極的に活用し、空き家をリノベーションして新しい「場所」をつくる人びとが増えてきました。
そのような「プレイヤー」と二人三脚で「場所」をつくっていくのが、「街場の建築家」です。
「クライアントと一緒に施工をしたり、企画を考えたり、自ら物件を購入し「場所」づくりを主導する」建築家も現れています。
街場の建築家は、「顔の見える専門家」として「場所」の再生に関わります。
ありがたいことに、神戸では、近年「街場の建築家」の活動が急速に活発化し、荒廃していた地域が次々に生まれ変わろうとしています。
このような動きがさらに広がることが、神戸の街の再生につながっていくと確信します。


2022年8月27日
から 久元喜造

本多静六博士の講演(1939年)


本多静六博士の講演録のコピーをいただきました。
タイトルは、「治水の根本策と神戸市背山に就て」。
神戸市が1938年(昭和13年)10月27日に主催した講演会の記録で、翌年1月に経済部山地課によって刊行されました。

1938年7月の阪神大水害は、神戸市を含む阪神地域に甚大な被害をもたらしました。
当時の神戸市は、我が国を代表する森林学者の本多博士に大水害の背景や原因について調査を依頼し、その成果を職員や専門家の間で共有しようとしたと思われます。
前にも触れましたが、本多博士は、明治期、荒廃した六甲山の植林・再生に貢献しました。(2014年8月26日のブログ
この講演の中でも、当時73歳の博士は、坪野平太郎市長から治山治水の調査設計を委嘱され、「明治35年度より43年度の9年間に650町歩の造林を完成させた」と振り返ります。
もともとは応急手段として最も造林しやすい黒松林を仕立て、次いでその間に広葉樹を仕立て、漸次第1期の広葉樹林に導く方針であったのに、「一度黒松林が成立するや忽ち安心してその一部には早くも乱伐行われ、一部には開墾が許可され、その他六甲山の大部分には連年山火事が入って焼野となり、加えるに至るところに観光道路等が開鑿されて民衆の林内を踏み荒らすことが多くなったために・・・ついに今回の惨害を来したものであります」と指摘しています。
「何ら人工の加わらなかった松林内にはほとんど山津波らしきものは認めなかった」という指摘は、乱開発に対する警鐘と感じます。

すでに日中戦争が泥沼化していた戦時下の神戸市政は、災害から市民を守るために懸命に取り組んだことが、この講演録からも窺えます。


2022年8月17日
から 久元喜造

中北浩爾『日本共産党』


日本共産党は、戦前、戦後を通じ、同じ名称で活動してきた政党です。
日本の近代史を立体的に理解したいという思いから拝読しました。

日本共産党は、1922年7月15日、東京・渋谷の高瀬清の部屋に、堺利彦、山川均ら8名が集まり、秘密裏に結成されました。
人事では、総務幹事に荒畑寒村、副総務幹事に山川と高津、国際幹事に堺が就任しました。
同年11月5日に始まったコミンテルン第4回大会に高瀬らが出席して正式結成を報告し、日本支部として承認を受けました。
本書では、結党以降の日本共産党の活動と外部環境について、コミンテルンなど国際共産主義運動との関わり、政府からの弾圧、学界、労働運動との関係などの観点から語られていきます。
著者は、日本共産党が非合法活動を強いられ、組織的な弱点も持っていたと指摘します。
それにも関わらず「不釣り合いなほどに大きな影響力を持った」のは、「知的権威を身にまとっていた」からでした。
共産党の主張は、プロレタリア文学などを通じて学生や知識人に浸透していきました。

1945年、戦争の終結により、府中刑務所内の予防拘禁所に囚われていた徳田球一、志賀義雄ら12名の共産主義者が釈放され、網走刑務所の宮本顕治、仙台刑務所の袴田里見、豊多摩刑務所の神山茂夫らが合流し、党の再建が進められます。
1945年12月1日から二日間、19年ぶりの党大会が約500名が参加して初めて公然と開催され、新たな綱領が決定されたほか、指導部の人事も決まりました。
翌年には、中国・延安から野坂参三が帰国します。
今日に至る日本共産党の綱領、活動方針、憲法への対応の変遷も、興味深いものでした。(文中敬称略)


2022年8月11日
から 久元喜造

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』


劇作家・演出家、平田オリザさんの著書です。
まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている」という刺激的な一文で始まります。
違和感をつ持つ方もおられると思いますが、我が国が置かれている状況に幻想を抱くことなく、現実を真正面から見つめ、解決の糸口を見出そうとする真摯な姿勢が感じられます。

平田オリザさんの真骨頂は、ご自身の考え、姿勢を分かりやすく説くだけではなく、多くの人々を巻き込み、動きをつくり、実践して来られたことです。
本書では、瀬戸内・小豆島、但馬・豊岡、讃岐・善通寺、東北・女川などでの実践事例が紹介されます。
小豆島町の取り組みでは、世界的に知られる瀬戸内国際芸術祭と地域との関わりが紹介されます。
小豆島町ではIターンの移住者が増えているそうですが、その多くは、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに小豆島を訪れ、縁が出来たといいます。

豊岡で紹介されるのは、「コウノトリの郷」づくり。
豊岡市は、コウノトリの復活とともに、農家と交渉を続け、無農薬・減農薬の田んぼを広げていきました。
コンクリートで固められた用水路を土に戻し、小動物が行き来しやすい環境もつくりました。
このような田んぼでつくられたお米は、「コウノトリ育むお米」としてブランド化に成功します。
さらに豊岡での画期的な取り組みが、城崎国際アートセンター です。
千人規模のコンベンションセンターが兵庫県から豊岡市に払い下げられました。
お荷物だった施設は、当時の中貝宗治市長の方針の下、平田オリザさんが加わる形で、滞在型アートセンターとして生まれ変わります。
我が国では試みられることがなかったアートインレジデンスが、ここに誕生したのでした。


2022年8月6日
から 久元喜造

楠木新『定年後の居場所』


著者の楠木新さんは、これまでも『定年後』(2018年4月18日のブログ)などの著書を著され、定年後の人生の過ごし方について数多くの提言をされてきました。
今回の著書は「中高年以降に居場所を確保するにはどうすればよいのか」がテーマです。
細かなデータに基づく分析が提示されるわけではありませんし、決め手になるような処方箋が示されるわけでもありません。
さまざまな話題が登場し、その話題の登場舞台も全国各地に及びます。
そのような中にあって、繰り返し語られるのが、著者が生まれ育った神戸のことです。

著者は、1954年、神戸市兵庫区の新開地界隈で生まれ、この地で成長されました。
ペンネームの「楠木」は、卒業された楠木中学から、「新」は、新開地の「新」だそうです。
ご実家の薬局は、新開地本通りから三本ほど東の通りで、「当時は酒屋や鮨屋、喫茶店、八百屋、貸本屋などの小さい商店が立ち並んだ場所で、周囲には商売人、職人アウトローの人たち多くてサラリーマンや公務員はいなかった」と振り返られます。
私も同じ年に、すぐ近くで生まれ、小学校5年まで過ごしましたので、著者が語る想い出は興味深いものでした。
こうして著者は、生まれ育った兵庫区の街を歩き、人の話に耳を傾けます。
「奇跡の画家」石井一男さんとの出会いもこうして生まれました。
このように振り返りながら、「生まれ育った土地は定年後の居場所として十分ありうる」との思いを吐露されます。
居場所とは、単に時間を過ごすことができる空間的な場所ではなく、過去の自分のシーンを参照しながら、今の自分と重ね合わせることができる場所なのかもしれないと、本書を読んで感じました。


2022年7月30日
から 久元喜造

太田和彦『町を歩いて、縄のれん』


「居酒屋の達人」太田和彦さんのエッセイ集です。
2018年2月から12月まで「サンデー毎日」に連載された「浮草双紙」から編まれました。
だいぶ前から本棚にあり、改めて読み直しました。
居酒屋、旨いもの、旅、町、出会った人々、ジャズ、映画、建築など多彩な話題が登場します。
4年ほど前の情報と思われ、登場するお店の多くもコロナ禍で苦労されたと思いますが、これからも頑張っていただきたいと願いながら読み進めました。

神戸のお店もたくさん登場します。
「神戸三宮飲み歩き」でまず登場するのは、センタービル地下の居酒屋「まめだ」。
お昼に何回かお邪魔し、おでん定食をいただきましたが、夜はまだ行ったことがありません。
そして、向かいのカレー「SAVOY」。
「夜に足が向く」のは、三宮北の焼鳥「八栄亭」です。
「皆さん注文の<わさび和え>は、湯通しした鶏肉を山葵と和え、ちぎり海苔をまぶした簡単な品だが、うまいのなんの」。
バーで登場するのは、「ローハイド」でした。

続いて「ジャズの街、神戸」では、老舗のジャズバー「ヘンリー」、そして「ソネ」へと太田さんの足は向かいます。
「舞子の浜と孫文」では、「孫文記念館」(移情閣)、「旧武藤山治邸」が登場します。
「舞子公園に保存される明治・大正・昭和の建物は洋風、中国風、和風といずれも関西実業人の文化的余裕が見えた」との感想が記されています。
都心に戻り、東門街上の居酒屋「すぎなか」へ。
生ホタルイカの炙りをアテに、新潟「加茂錦」を楽しまれたようでした。

コロナが落ち着いたら、行ったことがないお店、ご無沙汰しているお店を覗き、至福のひとときを過ごすことができればと願っています。


2022年7月16日
から 久元喜造

筒井清忠編『大正史講義』


大正時代(1912年7月30日 – 1926年12月25日)は、僅か15年足らずですが、ロシア革命、第一次世界大戦など海外情勢が激変する中、日本の国力は増大し、国際的地位が向上していった時代でした。
軍縮を含めた積極的な外交が展開されるとともに、政党の活動は新たな段階を迎えます。
政党政治が軍部、元老、貴族院などとの緊張関係の下に展開され、1925年(大正14年)には普通選挙が実現しました。
一方、関東大震災の発生、スペイン風邪の席巻という制御不能な危機に政治・行政が翻弄され、混乱に立ち向かっていった時代でもありました。

本書は、激動の大正時代を、内閣の交代と政党の興亡、対米国、ソ連、中国、英国などとの外交、朝鮮統治、社会運動、皇室など多角的な視点から、20名を超える研究者により執筆された労作です。
以前読んだ、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2019年9月22日ブログ)で把握できた大きな時代の流れが、本書によってより立体的に理解できたように感じました。

多方面にわたる論考の中で、とりわけ興味深かったのは、「第19講 関東大震災後の政治と後藤新平」でした。
後藤新平については、越澤明『後藤新平ー大震災と帝都復興』2018年7月1日ブログ)などでその事績に触れ、スケールの大きな仕事ぶりに感銘を覚えていましたが、本書で筒井清忠は「関東大震災後の政治においては、後藤は最大の失敗を犯し」たと厳しく指摘します。
震災後の混乱の中で政友会、憲政会などの政治家たちによる政治ドラマが生々しく描かれます。
後藤の震災復興計画は、新党計画とともに挫折していったのでした。(文中敬称略)


2022年7月3日
から 久元喜造

西村友作『数字中国』


著者は、中国で経済金融系トップの国家重点大学・対外経済貿易大学の教授。
中国在住は、通算20年を超えます。
中国政府が国を挙げて進める「数字中国」(デジタル・チャイナ)の姿がリアルに語られます。

冒頭、コロナ対応の初期の段階からデジタル技術が広範に活用された事例が紹介されます。
例えば、AIがCT画像を読み取り、コロナに起因すると思われる肺炎の特徴を警告します。
配送業者の入場が制限された都市部のオフィスやマンションには、無人配送ロボットが入り、商品を部屋の前まで届けてくれます。
5Gを利用したオンライン診療は、武漢市の臨時病院で最初に使われ、広がっていきました。
著者ご自身が利用した体験も記されています。

以下、デジタル技術をベースとする最新の動きが紹介されます。
スマートフォンにインストールされた決済アプリをプラットフォームにして、新しいタイプのビジネスが次々に生まれ、それらが互いに結びついた巨大ビジネス・エコシステムが社会の隅々にまで広がっています。
これが「中国新経済」です。

「新経済」のプラットフォームであるアリペイは、日常生活に関することはほぼすべて何でもできる中国最大のスーパーアプリです。
そのアリババ傘下のフィンテック企業、アント・グループが計画していた新規株式公開(IPO)が延期されました。
背景には何があったのか。
アントは、10億人もの圧倒的なユーザー数を有する「デジタル決済」事業をベースに、多様なサービスでユーザーの囲い込みを行い、融資・投資・保険という三本柱から成る「デジタル金融」事業で稼いできました。
そこにある「光と影」。
中国政府とのせめぎあいも興味深いものでした。