久元 喜造ブログ

2024年1月19日
から 久元喜造

神戸ルミナリエが開幕


1月19日、神戸ルミナリエが開幕しました。
1月28日まで10日間、開催されます。
新型コロナの感染期間中は代替行事のみが行われましたので、4年ぶりに本格開催となります。
三井住友銀行神戸本部ビル前広場で点灯式が行われ、黙禱が捧げられた後、小学生のみなさんが「しあわせ運べるように」を合唱しました。
私も一緒に歌いました。
午後6時に鐘が鳴らされ、点灯されると、会場は柔らかな光に包まれました。

私からは、鎮魂のメッセージというルミナリエの原点を考えると、慌ただしい師走ではなく、1月17日に引き続く形での開催が望ましいのではないか、また、回遊性を高める見地から、市内中心部での分散開催を試みる価値があるのではないか、という観点から議論が行われ、今回の開催につながった経緯をお話しました。

今年の会場は、旧居留地や東遊園地のほか、新たにメリケンパークも加わりました。
例年のように、順路を指定せず、自由に歩いて作品を楽しむことができます。
東遊園地の芝生広場南西には、光の壁掛け「スパッリエーラ」を、また、南側園地には光の聖堂「カッサアルモニカ」を設置し、音楽のステージとして生演奏などのプログラムを実施します。
メリケンパーク内には、長さ70mの光の回廊「ガレリア」、入口には玄関作品「フロントーネ」が設置されます。
ガレリアとフロントーネは有料エリアとなり、入場にはチケットの購入が必要です。
ルミナリエに有料のエリアが設けられるのは、初めてです。

来年は、震災から30年の年となります。
今年の開催時期の変更と分散開催は、ある意味で実験です。
今回の開催状況を検証し、今後の継続開催につなげていきたいと考えています。


2024年1月13日
から 久元喜造

能登半島被災地への支援を続けます。


能登半島地震の被災地では、日を追うごとに深刻な実態が明らかになっています。
神戸市は、国などとの調整により、珠洲市の支援を担当しています。
1 月8日より、兵庫県とともに、避難所運営支援を行う職員を派遣しています。
このたび、現地のニーズを踏まえ、新たに避難者の健康管理を行う職員(保健師)を派遣することにしました。
避難所運営支援を行う職員は、交代しながら避難所運営の支援を続けます。
珠洲市では、インフラが大きな被害を受けていますが、被害の調査のための職員も不足しています。
このため、1月12日から、道路・橋梁・法面・トンネル・港湾施設等の被害状況調査及び復旧に向けた事前調査を行うため、建設局の課長をリーダーとする同局、都市局、港湾局の職員4名を派遣しました。

珠洲市以外では、穴水町には水道局が継続的な支援活動を行っています。
給水活動から、水道施設の災害復旧にシフトしています。
甚大な被害を受けた輪島市門前町には、厚生労働省からの要請により、職員5名(保健師3名、その他2名)を派遣しました。
当面、2月中までを予定し、避難所における住民の健康支援、在宅における要支援者の健康管理などの業務に従事します。

神戸市の全体としての被災地支援の状況は、神戸市ホームページ からご覧いただけます。

被災地の住宅被害の割合は高く、仮設住宅の建設にも一定の時間を要すると見込まれるため、各自治体は、被災者への住宅の提供が求められています。
このため、神戸市では、当面50戸程度の市営住宅に入居していただくことができるよう受付を始めました。
入居期間は、原則1年以内とし、家賃は無料とします。
敷金・保証人は、不要です。


2024年1月7日
から 久元喜造

能登半島地震被災地への支援


元日の地震発生からすぐに情報収集を行い、神戸市、また指定都市市長会としての対応について、メールなどで関係者と協議を開始しました。
時間が経過するにつれ、被災地の被害の深刻な状況が明らかになっていきました。
4日の御用始めも、震災対応に追われました。
5日には、恒例の神戸市・兵庫県・神戸商工会議所による合同年始会が開かれ、私からは、内外の支援を受けて発災時の対応を行い、街を蘇らせてきた神戸市として、組織の中に培われてきた知識、経験、ノウハウを最大限に活用し、被災地への支援に全力を挙げる方針を申し述べました。

7日の日曜日、午前10時から予定されていた消防出初式は中止し、同じ時刻に、能登半島地震被災地を支援する会議を開催しました。
会議では、「令和6年能登半島地震 神戸市被災地支援対策本部」を設置し、現時点で判明している情報をもとに、今後の支援方針を決定しました。
国の調整の下、指定都市市長会や関西広域連合の広域支援の枠組みに参加し、兵庫県との県市協調により、神戸市独自の観点を踏まえた支援を行います。
対口支援(カウンターパート支援)先の石川県珠洲市を中心に支援を実施しますが、珠洲市以外の地域においても、現地の支援ニーズに応じて柔軟かつ速やかに対応していきます。
本部の設置は、当面1年間とし、状況の変化に応じて、息の長い、切れ目のない支援を行います。
29年前の阪神・淡路大震災を経験した幹部のみなさんからは、当時を振り返りながら、今後の局面の変化に応じた対応について活発な意見が出されました。
震災対応の経験を有する市役所職員OBのみなさんの参画もいただきながら、神戸市として支援活動を実施します。


2023年12月28日
から 久元喜造

雨宮寛二『世界のDXはどこまで進んでいるか』


「基礎編」「戦略編」「事例編」の三編で構成されています。
「基礎編」では、単純にアナログをデジタルに置き換える「デジタイゼーション」、特定の業務プロセスをデジタル化する「デジタライゼーション」、企業組織全体をデジタル化する「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という流れで進化してきた経緯が説明されます。
そして、デジタル化がもたらす効果を最大限に引き出すためには、「開発プロセスの敏捷性を伴うアジャイルなアプローチを組織的に展開できることや、完成度を高めるためにプロトタイプの作成や実験を何度も繰り返すことを歓迎する文化を全社的に醸成すること」などの重要性が指摘されます。

DXを進める上でデータが極めて重要な役割を果たしますが、蓄積されたデータを活用するためには「データ統合」が必要になります。
企業内でテータ統合が進まなければ、収集されたビッグデータはサイロ化されて部分最適に留まることになるため、全体最適に基づく戦略能力の発揮や業務能力の遂行が閉ざされることになるからです。

「戦略編」では、企業がDXを推進して全体最適化を図るための戦略が語られます。
とりわけ、データとロジックに基づく意思決定を進める「データドリブン戦略」、社員のスキルと能力の最適化を図る「ヒューマンスキル戦略」が重要であるように感じました。

「事例編」では、先進的なDXの取組みが紹介されます。
例えば、ウーバーが構築した独自の機械学習プラットフォームの「ミケランジェロ」では、配車アプリを組み込んだサージプライシングなどさまざまなツールが開発されてきており、誰もが簡単に利用できるようにしていることが印象的でした。

 


2023年12月22日
から 久元喜造

日経・神戸の子育てが関西一。


日本経済新聞社と日経BPの情報サイト「日経xwoman」が全国主要自治体の子育て政策について調査した結果が、12月16日に発表されました。
この調査は「自治体の子育て支援制度に関する調査」で、2023年版「共働き子育てしやすい街ランキング」としてまとめられました。
首都圏、中京圏、関西圏の主要市区と全国の政令指定都市、道府県庁所在地、人口20万人以上の都市など180自治体を対象に実施され、157自治体からの回答を基に発表されました。
2015年から毎年実施され、今回で9回目だそうです。
評価項目は44で、今年は、共働き世帯にとって子育てしやすいかの実態を把握するため、認可保育所の待機児童にカウントされない「隠れ待機児童」の数や、自治体の未就学児数の増減などが加わりました。
自治体のダイバーシティ推進の取り組みにも注目し、「自治体の首長部局に勤務する正規職員における女性割合」や「議会における女性議員割合」が評価項目に加えられました。

神戸市は、全国で4位、関西ではトップとなりました。
2位は京都市、3位が堺市、4位が姫路市です。
ランキングに一喜一憂する必要はないのかもしれませんが、我が国を代表する報道機関からこのような調査結果が出されたことを率直に喜んでいます。
記事では、和田岬にオープンした3階建ての大型児童施設「こべっこランド」(写真)が紹介され、市外在住者も無料で遊べること、コワーキング「あすてっぷコワーキング」に無料の一時保育サービスを設け、希望者にキャリア相談などを行っていることも紹介されています。
神戸市は、これからも単なるバラマキに終わることがない子育て支援策を進めていきます。


2023年12月10日
から 久元喜造

『街とその不確かな壁』


村上春樹さんの作品を久しぶりに読みました。
読み始めて思い起こしたのが、チェコの作家、アイヴァスの『もうひとつの街』でした。(2019年11月24日のブログ
いま住んでいる街とは別の街が存在しており、図書館が重要な役割を果たすという点で共通しています。
しかし『もうひとつの街』では、色彩的、幻惑的な世界が繰り広げられるのに対し、『街とその不確かな壁』に登場する「もうひとつの街」は、ひたすらモノクロームの世界です。
煉瓦で高く作られた壁で囲まれた街。
そこには「川柳の茂った美しい中州があり、いくつかの小高い丘があり、単角を持つ獣たちがいたるところにいる」。
「獣たちは雪の積もる長い冬にはその多くが、寒さと飢えのために命を落とすことになる」。
「人々は古い共同住宅に住み、簡素だが不自由のない生活を送っている」。

この街をことを教えてくれとき「僕」が17歳、「君」はひとつ年下でした。
彼女は、その街の図書館に勤めています。
仕事の時間は、夕方の5時頃から夜の10時頃まで。

彼女は、長文の手紙を残して姿を消します。
そして僕の物語が始まります。
上京し、大学に入り、彼女へ手紙を書き続けます。
返事はありません。
僕の人生に大きな転機が訪れるのは、10年以上暮らし続けた東京のアパートを引き払い、Z**町に引っ越してからでした。
この町も、周りを高い山に囲まれた盆地にありました。
図書館に勤め始め、館長と語り合い、イエローサブマリンのパーカーを着た少年が現れ、物語は静かに進行していきます。

650頁を超える大著。
「あとがき」の中で作者は、コロナ禍の中「日々この小説をこつこつと書き続けていた」と記しています。


2023年12月2日
から 久元喜造

モーツァルト・協奏曲「ジュナミ」私が好きな曲⑫

モーツァルトのピアノ協奏曲は、好きなジャンルです。
珠玉の名曲群の中でも、20歳のときに創られた第9番 変ホ長調 K271 《ジュナミ》は、燦然と輝く名曲です。
高校生のときから、この曲が大好きでした。

当時の協奏曲の様式としては、かなり独創的な箇所が随所に見られます。
冒頭では、オーケストラがテーマの前半を奏すると、意表を突き、後半部分をピアノが受け継ぎます。
このときオーケストラは沈黙し、ソロのピアノが際立ちます。
見事な対比です。
そしてオーケストラが提示部を奏し、ピアノが入るとき、通常はオーケストラのテーマをなぞることが多いのですが、この曲では、オーケストラがまだ提示部を奏している間にピアノがトリルで侵入し、華やかな雰囲気が広がります。
その後の流れの中でも、ピアノはオーケストラには出てこないモティーフを弾き、緊張感をはらみながら、変化に富んだ、生き生きとした音楽が流れていきます。

ハ短調の第2楽章は、バイオリンが低音で悲しみを湛えたテーマを奏で、やはりピアノはこのテーマをなぞるのではなく、異なる旋律を歌います。
対立の構図なのですが、このテーマの原型は実はオーケストラのテーマの中にあり、見事な対立と融合を醸し出しています。
第3楽章は自在な運動性をはらんだロンドで、かなり大規模に創られており、二つのカデンツァを挟んで、中間部にはメヌエットが挿入されています。
後年の名曲、変ホ長調 K482を想起させます。

家内の久元祐子が、エンリコ・オノフリ指揮ハイドン・フィルハーモニーと協演したコンサート(2023年7月2日 紀尾井ホール)の動画がアップされていますので、お聴きいただければ幸いです。


2023年11月23日
から 久元喜造

『生誕150周年記念 後藤新平 展図録』


2007年に開催された 東京都江戸東京博物館 の企画展の展示録です。
以前にも読んでいましたが、関東大震災100年の今年、震災復興の陣頭指揮を執った後藤新平(1857 – 1929)の事績に改めて触れたいと思いました。
編集は、当時の財団法人東京市政調査会です。
冒頭に、理事長を務められた故西尾勝先生の「ごあいさつ」が掲載されています。

1920年(大正9年)に東京市長に就任した後藤新平は、米国のニューヨーク市政調査会を範とする東京市政調査会の設立構想を発表しました。
後藤が目指していたのは、「行政の科学化」でした。
安田財閥の総帥、初代安田善次郎はこの構想に深く共感し、多額の寄付を約束、この寄付金を基に、1922年(大正11年)、後藤新平を初代会長とする財団法人東京市政調査会が創設されました。
そして東京市によって市政会館の建設計画が立てられ、関東大震災後の1929年(昭和4年)、日比谷公園内に、市政会館・日比谷公会堂が完成しました。
全国20の指定都市の市長で構成する 指定都市市長会 は、市政会館 の中にあります。

後藤新平は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道株式会社総裁、内務・外務大臣などを歴任した後、東京市長となり、関東大震災直後に内務大臣・復興院総裁として帝都の復興計画を立案しました。(越澤明『後藤新平ー大震災と帝都復興』
本展示録では、後藤新平ゆかりの品々や、近年発見された復興計画図など最先端の研究成果を交えて後藤新平の生涯が回顧されます。
東京市政調査会は、2012年、公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所 に移行し、設立理念を継承しつつ、調査研究活動が行われています。


2023年11月11日
から 久元喜造

書評『暗闇の効用』


10月14日(土)の朝日新聞書評欄を開くと、文字と背景の色が入れ替わった欄に目が行きました。
背景が黒で、文字が白なので、当然ながらとても目立ちます。
取り上げられていたのは、ヨハン・エクレフ著『暗闇の効用』。
評者は、神戸ゆかりの美術家、横尾忠則さんです。
書評の見出しは、「光害を批判  21世紀の陰翳礼讃」。

横尾さんは、ご自身の子供の頃の体験をこう振り返ります。
「子供時代の夜を回想する時、家の中の明かりは60ワットで物の存在は朦朧としていた」
「一歩外に出ると吸いこまれそうな深い闇の底」
「頭上では固唾を吞む満天の星が、ミルクを流したような天の川から滴る」
そしてこう呟きます。
「あの光の滝は今はない」と。
「今は地上の光害が、あの昔の夜空から星の光を奪ってしまった」から。

横尾さんによれば、本書で著者は、暗闇という「自然の偉大な宝を、私たちは失いつつある」と哀惜を込めて語り、「人工の光が、生物の体内時計をいかに乱しているかを明らかに」します。
横尾さんの書評は「本書は文明批評とも読めるが、21世紀のもうひとつの「陰翳礼讃」の書でもあると思えた」と閉じられます。

夜の闇の存在は、とても大事なのではないかと、以前から感じてきました。
睡眠と休息には、暗がりが必要です。
夜の闇の価値について」(2020年9月30日のブログ)で記したように、夜は、瞑想の時間を与えてくれます。
夜の闇は、魂を孤独しますが、昼の世界では見出しがたい何かに、自分が繋留されていることを感じさせてくれます。
夜の闇の価値と尊厳を尊重しながら、公共空間における危険と不安を減らし、夜も美しい神戸の街づくりを模索していきたいと思います。


2023年11月5日
から 久元喜造

新幹線・ワゴン販売の終了


つい先日の10月31日、東京での用務を終え、夕方の新幹線に乗りました。
ちょうど夕食どきで、「駅弁屋 祭」で弁当を買い込み、車内でワゴン販売を利用しました。
車内放送は、ワゴン販売がきょうで終了すると案内していました。
一抹の寂しさを覚えますが、これも時代の流れで致し方ありません。
最近の人手不足も影響していることでしょう。

思い起こせば、新幹線の中での食事のとり方は、変遷を重ねてきたように記憶します。
だいぶ前は、東京での弁当のメニューがあまり充実しておらず、それぞれの駅で個性ある弁当が売られていました。
浜松駅のホームでは、うなぎ弁当が売られていて、たぶん停車時間が今よりも長く、急いで購入し、発車に間に合いました。

新幹線には、食堂車もありました。
1987年か88年のことだったと思いますが、当時、京都府庁に勤務していて、東京出張のとき、東京駅を発車するとすぐに食堂車に並びました。
発車して食堂が開くと、テーブルに座り、ビールとアテを注文、次に日本酒の熱燗を頼んで、一人飲みを楽しみました。
向かいの席には、会社勤めらしい男性がやはり熱燗をチビチビ飲っていました。
30分ほどお互いに無言で飲んでいたのですが、どちらともなく話が始まり、熱燗はどんどん進み、すっかり意気投合してしまいました。
お互いの仕事のこと、京都の街のことなどが話題になりました。
お嬢さんは、京都工芸繊維大学で学んでいるとのことで、大学の様子なども聞くことができました。
気が付くと、京都駅到着の予告アナウンスが流れました。
こんな客がいるから、食堂車の採算は上手く取れず、しばらくして廃止になってしまったのかと、改めて反省します。