1972年(昭和47年)、高校を卒業して上京すると、ほとんど地震がなかった神戸に比べ、かなりの頻度で地震があるのには驚きました。
大学に入学して入ったのが、兵庫県育才会が運営する兵庫県学生寮「尚志館」でした。
兵庫県育才会は、旧篠山藩主直系の青山家が社団法人篠山育才会を創業し、郷土出身の有為な人材を育成しようとしたのが始まりです。
しばらくは兵庫県立篠山鳳鳴高校の卒業生が対象でしたが、その後、県内の他の高校卒業生にも門戸が広がりました。
尚志館は、小田急線・参宮橋駅から歩いて5分くらいの閑静な住宅街にありました。
学園紛争は下火になっていましたが、多くの大学でストが続き、授業もなかなか始まりませんでした。
新宿駅周辺ではときどきデモや騒乱が起きていました。
ニクソン大統領が訪中し、世界中を驚かせたと思うと、ほどなくウォーターゲート疑惑が発覚し、泥沼の様相を見せていきました。
田中角栄内閣が発足し、日本列島改造ブームが国中を席巻しました。
激動の時代の中で、尚志館の寮生たちは青春の日々を過ごしました。
寮には、県立篠山鳳鳴高校のほか八鹿高校、柏原高校、社高校、姫路西高校、加古川東高校など県内各地の高校の卒業生がいました。
お互いの部屋を行き来して政治談議を戦わせる一方、それぞれの郷里の話を聞くのは楽しいひとときでした。
篠山鳳鳴高校の卒業生は、デカンショ節を教えてくれました。
「デカンショ、デカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす」
ときには、何人かで替え歌をつくって歌い継ぎました。
篠山でお盆の時期に行われるデカンショ祭りにも呼んでくれました。
会場には、浴衣姿の坂井時忠知事の姿もありました。