大手前大学メディア交流文化研究所主催のシンポジウムをもとに、論集として再構成されました。
「太平洋戦争終結直後の米軍を主体とした連合国軍の占領という特殊な時期に着目し、住宅接収を始め、占領下日本の都市空間で生起したさまざまな出来事について、その記憶をいかに検証し、また継承していくか」という問題意識の下に研究は行われました。
村上しほり氏の「神戸・阪神間における占領と都市空間」では、神戸と芦屋・西宮における占領と接収の状況が詳しく記されています。
終戦から1か月余りが過ぎた1945年9月25日、米軍の和歌山港への上陸によって関西地方への進駐が始まりました。
2週間で、1万1000人の兵員が、神戸をはじめとする兵庫県下に展開しました。
現在の東灘区岡本、住吉・御影山手、長峰山などの高級住宅が次々に接収されました。
現在の中央区では、三宮から元町を中心に焼け残った近代建築が接収され、神港ビルディングに神戸基地司令部が置かれました。
三宮南には、複数部隊が駐留したイースト・キャンプが置かれ、百貨店、山手のホテル(旧トアホテル、富士ホテルなど)や個人住宅、公共施設などの接収物件が集中しました。
兵庫区東部の新開地では、黒人兵が駐留したキャンプ・カーバーが設営され、繁華街の象徴であった聚楽館も接収されました。
神戸市の中心市街地の二つのキャンプ設置による接収は、最長1956年2月まで続き、村上氏は、神戸市民の生活再建を妨げたと指摘されます。
垂水区のジェームス山建築群の状況については、玉田浩之氏が「神戸ジェームス山外国人住宅地の接収事情」として報告されています。
当時の写真も多数掲載されています。