久元 喜造ブログ

寺田寅彦『政治と科学』

寺田寅彦随筆選」に収められていた「政治と科学」。
このように始まります。
「日本では政事を「まつりごと」と云う。政治と祭祀とが密接に結合していたから」だと。
祭祀には天文や気象に関する学問の胚芽のようなものがすでに存在していたと、寺田は指摘します。
そして、「古代では国君ならびにその輔佐の任に当たる大官たちみずからこれらの科学的な事柄にも深い思慮を費やしたのではないか」と想像を馳せます。

ところが、1930年代の日本ではどうだったのか。
寺田が問題視するのは、科学的知識の軽視です。
戦前、官界では、いつしか文官優位の時代になりました。
大正デモクラシーがこの傾向に拍車をかけます。
「科学的知識など一つも持ち合わせていなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にもなりうるという時代が到来し」ました。
寺田は、この頃に置かれた技術官僚の立ち位置をこう記します。
「技術官は一国の政治の本筋に対して主導的に参与することはほどんどなくて、多くの場合には技術に疎く理解のない政治家的ないし政治屋的為政者の命令にもとに受動的に働く「機関」としての存在を享受しているだけである」と。
さらにこう付け加えます。
科学に関する理解が薄い上司から無理な注文が出ても、「技師技手は、それは出来ないなどと」は言えず、「出来ないものを出来そうとすれば何かしら無理をするとか誤魔かすとかするよりほかに途はない」と。

このような矛盾が現代の府省、自治体、あるいは企業にも存在しているとしたら、それは悲劇です。
技術陣を代表して経営陣に物を申すことができる人材に経営陣の中に入っていただき、発言していただくことが肝要です。(文中敬称略)