久元 喜造ブログ

日本が主権を回復した日


きょう、4月29日は、昭和の日です。
昨日の4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国が主権を回復した日に当たります。
27日の産経新聞コラム「産経抄」は、終戦間もない頃の昭和天皇の御製<ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ>を引用し、「御製に詠まれた「松」には、主権回復の春を待つという悲願が込められていたのかもしれない」と記しています。
コラムにあるように、多くの困難を乗り越えた先人の苦労に思いを馳せたいと思います。

1945年8月から1952年4月まで、7年近くに及んだ連合国による占領期は、主権回復のために奮闘した人々の努力とともに、決して忘れてはならない時代だと思います。
それは、だいぶ前に読んだ福永文夫『日本占領史』(2016年10月9日のブログ)の冒頭で述べられているように、「現代日本の法的、政治的基盤は、この時期に創られたと言っても過言ではない」からです。
連合国による日本の占領統治は、敗戦国に対して戦勝国が行った占領統治の中では比較的穏やかなものであったという指摘もしばしばなされますが、さまざまな理不尽な行為が行われたことも忘れるわけにはいきません。
とくに神戸では、米軍の広大なキャンプが設置され、数多くの住宅、商業施設などが接収されました。
それがどのようなものであったのかについては、村上しほりさんの「神戸・阪神間における占領と都市空間」(2023年8月11日のブログ)、そして近著『神戸』(2025年4月25日のブログ)でも詳述されているとおりです。
独立した主権国家であることの意味を、昭和の日の今日、改めて噛みしめたいと思います。