久元 喜造ブログ

2016年2月28日
から 久元喜造

待鳥聡志『代議制民主主義』(中公新書)

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本書の中で、対となって頻繁に登場する用語が、自由主義民主主義です。
自由主義とは、多様な考え方や利害関心を持つ人々の代表者が相互に競争し、過剰な権力行使を抑制しあうことを重視します。
これに対し、民主主義は、有権者の意思(民意)が政策決定に反映されることをまずもって追求しようとします。

自由主義のために存在していた議会が民主主義と結びつき、20世紀に入って代議制民主主義が成立しました。
しかし、両者が理想とする政策決定のあり方は大きく異なっており、原理的な緊張関係が存在していると、筆者は考えます。
この相克を出発点として、歴史的な考察、現代政治の課題の分析、制度的な考察を通じて、代議制民主主義の改革の方向性が語られます。

最近の論調では、代議制民主主義に限界を感じ、熟議型民主主義、国民投票や住民投票、ネットでの意思決定など代議制民主主義以外の方策により政治不信を乗り越えようとする方向性が目立ちますが、筆者は、代議制民主主義になお希望を託します。
代議制民主主義は、「しなやかかでしたたかである」からです。
つまり「偶然に合流したはずの自由主義的要素と民主主義的要素がせめぎ合い、それぞれが過剰に意味を持ちすぎることを防ぐ」からです。
この二つの要素をどのようにバランスさせるのかについての考察も、具体的になされており、結論に説得力を与えています。

しかしそれでもなお、米国の政治のゆきづまりはかなり深刻であることを、本書を読んで改めて感じました。
政治権力が分割されている統治構造の下で、極端な民意の「分極化」が進めば、政治は漂流する危険を孕みます。
代議制民主主義は、つねに試練にさらされ、その克服への葛藤を刻み続ける運命を課されていると感じました。


2016年2月25日
から 久元喜造

教員の多忙化対策にささやかな一歩か。

先日、あるパーティーで、市立小学校の校長先生からこう話しかけられました。
「市役所からの資料の配布がものすごく減り、助かっています。市役所内に徹底していただいたおかげです」

私は、小中学校の先生方の多忙化の原因のひとつに、学校現場に膨大な事務仕事を持ち込んでいることがあるのではないかと想像してきました。
ある校長先生から、こんな実態も聞かされました。
市役所のある課から資料を児童に配布するようメールが送られてきたのですが、そのメールには、資料のダウンロード元の url が記されてあり、ここからダウンロードして印刷するようにとの指示だったそうです。
しかしその url が不正確で、資料にたどり着くのに30分もかかったとのことでした。
そして資料をダウンロードし、印刷して、各学級ごとに分け、担任の先生に配布してもらったのだそうです。

市役所の各組織がこんな馬鹿げたことを競うようにやっていたのでは、学校現場はたまったものではありません。
そこで、昨年の10月9日付けで、学校園への配布物の送付を原則禁止する通知を出しました。
また、児童生徒本人に直接連絡する必要があるものなど、例外的に送付する資料についても、仕分けしやすいよう40部ごとに仕切紙等の目印を入れることにしました。

先ほどの校長先生のお話からは、この通知が効果を挙げているように感じました。
もちろん、現場の実態はさまざまですから決して安心はできませんが、まずは一歩前進のようです。

多忙化の背景にはさまざまな要因があり(2016年1月13日のブログ)、それらをひとつずつ取り除いていく努力が求められます。


2016年2月22日
から 久元喜造

文書管理改革には覚悟が要る。

文書管理は、行政の基本です。
2014年8月4日のブログ でも書きましたが、文書は、適正に作成され、保存年限に従って正しく保存され、情報公開条例に従って適正に公開される必要があります。

残念ながら、国や地方自治体の文書管理には問題がある場合が多いのが実情です。
その背景として、役所で作成される文書は多岐にわたり、膨大で、担当者が頻繁に異動するため、文書管理という地味な仕事はどうしても後回しになるという事情が挙げられます。
また、文書管理なんか担当に任せておけばよいという傾向は、国の府省や自治体の幹部職員の間に広く見られます。
しかしながら、ずさんな文書管理は、公務能率の低下を招き、またときには致命傷になりかねないことも、薬害エイズ事件など過去の事案が教えるところです。
こういう風潮の中では、文書管理改革には、相当の覚悟が要ります。

私はどのような行政組織に属しているときでも、文書管理に注意を払ってきました。
総務省に勤務していた時は、しばしば局内、部内の全職員に宛てて、 適正な文書管理を求めるメールを送り、書庫などにも出向いて改善状況を点検していました。
(たとえば、選挙部長在任中の  2007年7月23日付のメール

神戸市役所においても、 市長就任直後に行った職員アンケートでは、たくさんの職員から文書管理の問題点が指摘されていました。
正直、問題を指摘するだけで、自分たちで改善しようという動きが見られないのは残念です。
そこで、さらに思い切った文書管理の改善を実施することとし、市内に新たな文書庫の設置も行い、先日、搬入状況を副市長とともに見に行きました。
地味だけれども当たり前の仕事をなおざりにしてはなりません。


2016年2月18日
から 久元喜造

ウィーン放送交響楽団コンサート

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昨晩は、神戸文化ホールで開催されたウィーン放送交響楽団のコンサートにお越しくださいましたみなさま、本当にありがとうございました。
家内ともども心より御礼を申し上げます。

とにかく素晴らしいオーケストラでした。
『フィガロの結婚』序曲で始まり、久元祐子のソロで、モーツァルトのイ長調KV488のコンチェルト。
オーケストラとピアノは、ともに比較的ノンレガート気味のフレージングで、軽やかで伸びやかなモーツァルトを聴かせてくれました。
テンポや息も合っていましたが、音楽の基本的指向では、指揮者はより前進性を、ソリストはじっくりした響きを重視しているようで、異なる個性のコラボレーションがコンチェルトの面白さかもしれません。

後半のブラームスの交響曲第1番は、冒頭のティンパニの連打からマイスターさんのアプローチが窺えました。
この曲は、重厚な響きを重視し、じっくりと聴かせる演奏が多いのですが、軽快に進んでいきます。
響きは明るく、よく鳴っているのですが、深みのある上品さを湛え、名門オケの醍醐味をじっくりと味わうことができました。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートでは、コンサートミストレス、Maighread McCrannさんの美音に酔いしれました。
終楽章は、ホルンが高みから地上に舞い降りた後、有名なテーマが始まるのですが、かなり速いテンポで開始され、要所要所でアッチェレをかけていきます。
さわやかで軽やか、それでいて充実したブラームスでした。

アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、ビゼーのカルメンから前奏曲、そして、シュトラウス兄弟のピチカートポルカの3曲が演奏されました。


2016年2月16日
から 久元喜造

開港10年の神戸空港

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神戸空港は、きょう、2006年2月16日の開港から10年を迎えました。
もともと海と陸の交通の要衝として発展してきた神戸は、さらに空への玄関口を手にすることができたのでした。
昨日も、神戸空港から東京へ日帰り出張をしてきましたが、神戸空港はたいへん賑わっていました。
搭乗手続きをしていると、関西テレビの取材陣と遭遇し、突然のインタビューを受けたのが想定外でしたが。

地方自治体が管理している空港の中で、旅客数は神戸空港がトップです。
国や民間管理空港を含めた国内97の空港の中でも15番目です。
紆余曲折はありましたが、延べ2500万人を超える方々に利用していただいてきました。

神戸ポートアイランド第2期で進めている神戸医療産業都市への医療関連企業の進出は、開港した2006年2月時点の84社から313社と大きく伸びており、空港がすぐ近くにある立地条件が大きなアピールポイントとなっています。

就航先の地域とは新たな結びつきも生まれています。
例えば、旧制神戸二中(現兵庫高)出身で沖縄県最後の官選知事、島田叡氏の顕彰碑除幕式が昨年6月、那覇市内で行われましたが、兵庫県代表団も参加し、沖縄でも大きく報道されるなど沖縄と神戸の交流が深まっています。

神戸空港がこれから進む道は、今後見込まれる関西全体の航空需要の増加に貢献していくことです。
そのためには、関西国際空港、大阪国際空港(伊丹)、神戸空港の三空港を一体運用することが求められます。
関係方面のご理解をいただく努力を丁寧に行い、法令の規定に基づく適正な手続きを経て、実現を目指します。


2016年2月13日
から 久元喜造

對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』(中公新書)

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映画『杉原千畝』に触発されて読みました。
ナチスドイツ支配下でヒトラーに抵抗した人々の闘い、そして人々がたどった運命について綴られます。

映画『ワルキューレ』でとり上げられたヒトラー暗殺計画の実行者、シュタウフェンベルク大佐。
映画『白バラは死なず』で描かれた《白バラ》のグループ。
ベルリンを中心に ユダヤ人たちを匿った《ローテ・カペレ》、《エミールおじさん》などのグループ。
たった独りでヒトラーを暗殺寸前まで追い込んだゲオルク・エルザー。
モルトケなど軍部の幹部、行政官などが加わった《クライザウ・サークル》・・・

通読して感じたのは、これらの人々が、底知れない孤独感を味わいながら救国の信念を貫き通した姿です。
ヒトラーには大多数の国民の支持が集まり、敬愛の対象とされていました。
多くの国民は、ユダヤ人に何が行われているかついてうすうす感じていました。
ユダヤ人からナチスが略奪した金品に殺到する国民の写真は、この時期のドイツ人の一面をとらえています。
ヒトラーに抵抗した人々は、客観的にも、心理的にも、決定的に孤立した状況の中で、自らの信念に殉じたのでした。

残された家族を待ち受けていた過酷な措置、そして戦後たどった道筋も描かれます。
遺族たちはひっそりと世を避けるように身を寄せ、長く固い結束を保ちました。
事件に身を投じた軍幹部の未亡人の多くは、亡夫を誇りにし、再婚することなく、長寿を全うしました。
ヒトラーに抵抗した人々の行動に光が当てられるのに、かなりの歳月を要したことも、本書で初めて知りました。


2016年2月9日
から 久元喜造

杉原千畝氏は国の方針に反したのか?

杉原千畝氏が「日本政府の指示に反し日本通過ビザを発給し続け」た、と書いたところ(2月5日のブログ)、フェイスブックに、日本はユダヤ人対策要綱を定めていて、杉原氏は日本政府の方針に従ってユダヤ人を助けたのであり、政府の指示に反して助けたわけではない、という趣旨のコメントをいただきました。

この点について、わかる範囲での情報を追加したいと思います。

政府は、昭和13年2月6日、「猶太人対策要綱」を定めました。
この要綱では、「独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキ」としたうえで、「之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナル」という事情にかんがみ、来日するユダヤ人に対しては、「一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス」という方針を決定しています。

こうした当時の方針を踏まえ、外務省は、質問主意書(平成18年3月24日)において、「杉原副領事に対しては、「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」との外務本省からの指示があった」としたうえで、「杉原副領事は、この指示に係る要件を満たしていない者に対しても通過査証を発給したと承知している」と回答しています。

この主意書を前提にすると、杉原氏は、本国の指示に反してビザを発給したと考えて差し支えないように思われます。


2016年2月6日
から 久元喜造

東北被災地への職員派遣

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昨日、2月5日(金)の読売新聞夕刊に、「被災地 応援職員が不足」「派遣元 余裕なく」という見出しの記事が掲載されていました。

私は、東日本大震災が発生したとき、総務省の自治行政局長でしたが、当時の片山善博総務大臣に、総務省が介在して全国市長会、全国町村会と連携し、被災自治体に全国の市町村から職員を派遣する仕組みの構築を献言しました。
記事では、この仕組みによる総務省からの要請にも関わらず、被災自治体からの要望に派遣が追い付いていない現状が紹介されていました。
行革を求める声は、議会や市民から根強く、各自治体とも職員数の削減に取り組んでいるところであり、なかなか頭が痛いところです。
そんな中にあって、神戸市の対応について、記事では次のように記されていました。

「1995年の阪神大震災で被災地となった神戸市は「職員減などで厳しい状況だが、当時の経験を生かして恩返しをしたい」(危機管理室)として、2013,2014年度は13人、15年度には12人を派遣。16年度も同程度の派遣を検討している」

これまで被災地に派遣された神戸市職員と東北のみなさんとの交流は、任務が終わった後も続いています。
発災直後、神戸市水道局の職員が岩手県の大槌町で給水活動に当たった模様がNHKスペシャルでも紹介されていましたが(2015年8月9日のブログ)、このとき活動に当たった幹部職員は、ときどき大槌町を訪れ、町長さんほかと意見交換をしているとのことでした。
これからも息の長い支援と交流を続けていければと考えています。


2016年2月5日
から 久元喜造

杉原千畝「命のビザ」と神戸

先日、現在上映中の映画『杉原千畝』を観ました。
リトアニア領事代理の杉原千畝氏が、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民に対して、日本政府の指示に反し日本通過ビザを発給し続け、約6,000人もの命を救ったことが描かれています。
ユダヤ難民は、この「命のビザ」を携え、欧州からシベリア鉄道でウラジオストクに向い、福井県の敦賀にたどり着いたのでした。
映画には出てきませんが、このときのユダヤ難民と神戸との関わりについて、昨年、朝日新聞が報じていました。

「ユダヤ難民の多くは敦賀から神戸をめざした。・・・北野地区に拠点を構えていた神戸猶太(ユダヤ)協会が宿舎や滞在費を提供。戦前からユダヤ人コミュニティーがあった神戸で市民も協力した」(平成27年9月25日)
「福井・敦賀にたどり着いたユダヤ難民のうち、米国などへ渡航前に約4,600人が神戸に滞在し、今の神戸市長田区にあった教会の牧師らがリンゴを配るなどの支援をしたとされる」(同11月21日)

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上の写真は、当時リンゴを配られた牧師さんのお孫さんの斉藤真人さんから提供いただいたものです。
神戸新聞(2月1日夕刊)にも報じられていました。

当時の記録はほとんど残されておらず、神戸市が発行している「神戸市史」にも記載がありません。
私は、神戸が当時ユダヤ難民とどのように関わり、どう支援をしたのかを調べ、記録として残すべきではないかと考え、情報の提供を呼び掛けています(神戸市ホームページ)。
どのような資料・情報でも結構ですので、お知らせいただきますようお願いいたします。
すでに何件かの情報提供をいただいています。
ご協力に感謝申し上げます。


2016年2月2日
から 久元喜造

「まちなか防災空地」

少し前のことになりますが、1月13日の神戸新聞夕刊に、神戸市が取り組んでいる「まちなか防災空地」が取り上げられていました。
「まちなか防災空地」は、従来からある空地を活用したり、古い建物を取り壊して整備する空地です。
ふだんは、花壇や住民の憩いの場として利用されますが、災害時には、火災の延焼を防いだり、一時避難場所や避難経路として使われます。

「まちづくり協議会」など地域の団体、土地所有者、神戸市の三者で協定を締結し、土地所有者は無償で神戸市に土地を貸与する一方、固定資産税は非課税になります。
日頃の管理は、地域団体が行います。

この事業は、平成24年度に始まり、これまで27か所が整備されてきました。
私も、何カ所か見に行きましたが、地元のみなさんの手によって大切に管理されていました。

神戸市内には、古い木造家屋が密集している地域があり、また、老朽空家が増えています。
「まちなか防災空地」は、災害対策の面からも、また、市街地における居住環境を向上させる上からも、有効な事業です。
これからも住民のみなさんの協力を得て、増やしていきたいと思います。