久元 喜造ブログ

2020年11月23日
から 久元喜造

井上岳一『日本列島回復論』


著者の井上岳一さんは、農林水産省出身で、現在㈱日本総研ご勤務。
先日、東遊園地で開催された “FARM to FORK”で、対談させていただきました。
本書で井上さんは、「山水郷」という言葉を使われます。
「日本国・日本人のアイデンティティを語る上で、山水郷を抜きにはできない」と。
里山に代表される「山水郷」がそれぞれの地域の財産であるという次元を超えて、グローバル社会の中でも大きな価値を持つことが説得力を持って語られます。

残念ながらその「山水郷」の荒廃が進んでいます。
里山は「野生の王国」になりました。
本書が刊行されたのは昨年の10月ですが、クマの被害に関する記述は、今年相次いでいるクマの異常な出没と人的被害を予言していたかのようです。(11月12日のブログ
次は八王子、厚木、秦野のような都市がクマの出没地になる可能性が高い、という専門家の見解も示されます。
もはや人間が野生生物のコントロールをすることができず、予測不能な事態に陥っているという現実は衝撃的です。
このような「山水郷」の荒廃は、日本の魅力の衰退につながる、と著者は指摘します。
コロナ禍が始まる前、インバウンド観光客の多くが日本らしい風景に魅力を感じていたことを想起すれば、著者の指摘は決して大げさではありません。

どうすればよいのか。
各地で進むさまざまな再生への取り組みが紹介されます。
山水郷の復権に向けた試みです。
もちろん本書では触れられていませんが、「山水郷」での暮らしの価値は、with コロナの時代に適合する形で高まり、ポスト・コロナの時代には確固たるものになるのではないかという予感のようなものを感じました。


2020年11月12日
から 久元喜造

クマの襲撃は他人ごとではない。


全国でツキノワグマの被害が相次いでいます。
11月3日の毎日新聞に興味深い記事が出ていました。
人間を恐れない「新世代クマ」が出現しているというのです。
これまでの定説では、ツキノワグマは用心深い性質で、鈴などを鳴らし人がいることを知らせると、人との遭遇を避けるとされてきました。
記事によれば、最近のクマは車などの人間社会の音にすっかり慣れていて人を恐れないといいます。
人を恐れず、襲うようになっているのです。
その原因は、もともと人が暮らしていた里山から人が離れて荒廃し、ここが「若いクマの生息域になり、人の生活圏に暮らすようになった」からだそうです。

神戸にはツキノワグマはいませんが、神戸でも里山が荒廃し、動物たちの生息域が変わってきていることは確かです。
神戸近辺では見かけなかったニホンジカが県北部から南下し、市内でも確認情報が相次いでいます。
ニホンジカは、植生に被害を与え、ヤマビルなどを運ぶ有害な動物で、市内侵入を食い止める必要があります。
近年は、定点観測を行い、警戒態勢を強化しています。
ニホンジカに続いて、ツキノワグマが南下し、市内で被害が出るような事態は食い止めなければなりません。
有馬の温泉街にツキノワグマが現れ、パニックになるような事態は悪夢です。
ニホンジカ、ツキノワグマといった有害鳥獣が広がる背景の一因は里山の荒廃にあります。
里山の再生は、生態系の維持からも重要な課題です。
里山は、白神山地のような原生林とは異なり、人の手が入ることで創り上げられてきました。
里山は神戸の貴重な財産です。
たくさんのみなさんの参画をいただき、神戸の豊かな里山の再生を図っていきましょう。


2020年11月8日
から 久元喜造

吉村 昭 『破船』


昨日の朝日新聞読書欄に本書が紹介されていました。
パンデミックの今、世界で読まれているのだそうです。
私が読んだのは20年以上も前ですが、その衝撃は鮮やかに覚えています。
ちょうど先日、神戸大学から図書の推薦を依頼され、本書を挙げておきました。

恐らく江戸時代後期、岬にある閉ざされた村が舞台です。
村は貧しく、家族を飢えから守るため身売りが行われていました。
そんな村の絶対に漏らしてはならない秘密。
それは、夜遅く塩焼きの火を燃やし、灯りに引き寄せられて岩礁で難破する船の積み荷を奪う風習でした。
船乗りたちは村人により全員が殺され、積み荷は村人にささやかな富をもたらします。
村人たちが座礁船を「お船様」と呼ぶ所以です。
「お船様」がやってきた年は、身売りをしなくてもすむのです。

ある晩、村に一艘の船がやってきます。
その船には20人ほどが乗っていて、いずれも赤いものを身に着け、死に絶えていました。
着物が赤、帯、足袋も赤、そして柱に赤い猿のお面がかけてありました。
そしてどの骸にも吹き出物のようなものが無数にありました。
赤い着物は贅沢品で貴重です。
村おさは、逡巡しながらも赤い着物を骸からはがさせ、幼い女児と女たちに与えるよう命じます。
それは村人たちがたどることになる過酷な運命の始まりでした。
村落共同体を率いる村おさが下した究極の決断とは・・・

四季折々の季節の移ろい、そして季節ごとに訪れる海の幸の様子が柔らかな筆致で描かれます。
「茅の尾花が穂をのばし、その頃、磯に寄ってくる小さい尾花蛸もとれはじめている」
美しい自然の光景描写が、最果ての村を襲った悲劇をより一層際立たせているように感じます。


2020年11月3日
から 久元喜造

福田和也『岸信介と未完の日本』


物心がついた頃は、ちょうどテレビが茶の間に入ってきた時期でした。
祖父母と一緒によくテレビのニュースを見ていたように記憶しています。
偉い政治家が首相官邸や国会などに出入りしていた様子を何となく覚えています。
最初に覚えている総理大臣は、岸信介でした。
あの頃「アンポハンタイ」を叫ぶデモの様子もよく放映されていました。

岸信介がどのような政治家だったのかは、いろいろな文献に出てくるのである程度は知っていましたが、生い立ちから逝去までを記した評伝を読んだのは、本書が初めてでした。
養子に行くことになる幼年期や疾風怒濤の学生時代の話も興味深かったですが、商工省に入ってからの仕事ぶり、上司や周囲との確執などはとても緊迫感がありました。
とりわけ近衛文麿内閣において商工大臣で入閣した小林一三との対立、攻防からは、当時の官僚の政治的な立ち位置が読み取れました。
日本は国家総動員体制へと突き進み、「革新官僚」としての岸信介の行動も綴られていきます。

岸信介の世界観、政策が戦前、戦中、戦後の激動の時代にあって、一貫していたのか、状況の激変の中でどのように変遷していったのかについては、本書からは伺い知ることはできませんでした。
戦後巣鴨プリズンに収監され、釈放されると政治活動を開始、内閣総理大臣にまで上り詰めていく過程が綴られ、そこからは現在の永田町とはまた違ったドロドロした政治ドラマが垣間見えます。
池田勇人内閣の所得倍増政策により日本が経済的な安定・成長に向かうようになるまでの20世紀の日本政治史は、誠に興味が尽きず、その歩みを辿ることは、いろいろな意味で意味があるように感じます。(文中敬称略)

 


2020年10月29日
から 久元喜造

市庁舎2号館、63年の歴史に幕。


神戸市役所庁舎2号館が再整備のために解体されることになり、今日10月29日に「お別れ式典」が行われました。
振り返れば今の2号館は、1957年(昭和32年)、神戸市役所の4代目の庁舎として建設されました。
前年には、神戸市が五大市の一つとして政令指定都市となり、人口は100万を突破して神戸は成長の途上にありました。
当時の風景を思い起こすと、モダンなデザインの市役所が威容を誇り、すぐ隣には花時計が置かれ、傍には姉妹都市のシアトル市から贈られたトーテムポールが建っていました。
周りにはあまり高い建物はなく、当時の神戸を代表するスポットとして人気を集めていたように記憶しています。

1989年(平成元年)には、今の1号館が建設され、2号館となりましたが、神戸市政の中枢としての役割を果たし、神戸の発展を見守り続けました。
1995年(平成7年)1月17日の震災では壊滅的な被害を受け、6階部分は完全に押し潰されて、机や椅子などが外の敷地に散乱したと言います。
余震が続く中、懐中電灯を片手に、危険を冒して書類やデータを取りに行った職員のみなさんもいたと聞いています。
式典で矢田立郎前市長は、「この庁舎は、国際会館、新聞会館とともに、戦災復興の象徴でした」と挨拶されました。
2号館の建物は、63年の間、戦災、震災の苦難を乗り越えてきた神戸市政とともにありました。
改めてこれまでの市政の歩みをしっかり受け継ぎ、先人の苦労を思い起こしながら、新型コロナウイルスとの闘いという試練に立ち向かっていく決意を新たにします。
2号館解体・撤去後には、庁舎のほか、音楽ホール、賑わい施設などが入る新しい施設が建設されます。


2020年10月19日
から 久元喜造

故中内功氏「明りをつけろ」


ダイエーの 故中内功氏 が、震災の後、次のようにおっしゃっていたことを、 Facebook で知りました。
営業をできなくてもいいから、明りをつけろ。
暗いと物騒だし、神戸自体が沈んでしまう。
営業できなくとも、明るいだけで安心感がわくものだ

8年前に神戸市役所に来たとき、節電と経費節減のため、エレベーターホールは消灯していて暗く、正午の合図ですべての部屋は灯りが消えていました。
金がないのだから仕方がないと思っていましたが、やはり余りに暗くては雰囲気も暗くなるのではないか、昼休みに暗がりの中で弁当を食べていては職員のみなさんも元気が出ないのではないかと思い始めました。
市長副市長会議で議論し、庁内のエレベーターホール、廊下などの明りはつけるようにしました。
正午に職場の明りが自動的に消えるのもやめ、多くの職員が出払っているときには消灯することにしました。

中内氏が仰っていたように、「暗いと物騒だし、神戸自体が沈んでしま」います。
残念ながら、神戸の夜の駅前や通りが暗い、というご指摘を何度かいただいたので、駅前や街なかの街灯を増やす取り組みをしています。
兵庫、六甲道(トップの写真)、伊川谷などの駅前がだいぶ明るくなりました。

西神中央、名谷、垂水、灘(上の写真)、甲南山手などの駅前は、単に街灯を増やすだけではなく、それぞれの駅によって規模、内容な異なりますが、より本格的な再整備を行っていきます。
街なかの街灯も、すでにLEDへの付け替えを進めるとともに、暗い道には新しく街灯を設置しています。
中内氏がかつてこのように仰っていたことに意を強くし、スピード感を持って進めていきます。


2020年10月13日
から 久元喜造

『地方自治制度 ”再編論議”の深層』


本棚にあった本書を何気なく手に取り、懐かしくなって読み始めました。
旧知のジャーナリストお二人が、2011年、2012年頃の地方自治制度改革の「深層」を分析されています。
私は、2008年7月から2012年9月まで総務省自治行政局長として、本書で取り上げられている二つのテーマと深く関わりました。

青山彰久さん(当時、読売新聞編集委員)は、大阪都構想 について取り上げています。
2011年11月の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙直後の熱気が伝わってきます。
ここでも取り上げられている2012年2月16日の地方制度調査会ヒアリングの模様は、今でも懐かしく想い起します。
西尾勝会長と橋下徹大阪市長とのやりとりは、緊迫感を孕んだものでした。
あれから8 年余りの歳月が流れ、大阪都構想の是非はいよいよ住民投票で決着が図られます。
長く地方自治に携わってきた者として、その結果と今後の動きに注目していきます。

国分高史さん(朝日新聞論説委員)は、野田内閣の「地域主権改革」を取り上げています。
私は、「地域主権」という概念は憲法上問題があり、「地域主権改革」で統一していただくよう掛け合ったことを思い出します。
地域主権改革を進める観点から、国と地方の協議の場が設置されたことは意義があったと思います。
一方、この観点から出先機関改革について盛んに議論が行われましたが、政権内部の政務三役からも反対論が噴出し、前に進みませんでした。
議論はもっぱら民主党内の政治家同士で行われ、実務担当者がこの問題に関わることはほとんどありませんでした。
さらに言えば、国民的議論の広がりを欠いていたとも、今から思えば改めて感じます。


2020年10月5日
から 久元喜造

中央公論:公務員「少国」ニッポン


今月号の中央公論は、タイトルにあるように、公務員の数が少なすぎる、行政のスリム化が行き過ぎているというトーンで特集が編まれています。
たとえば、大阪大学の北村亘教授は、「日本の歳出額と職員数の時系列比較と、行政規模に関する日本と他の主要先進諸国との国家間比較」などに照らすと、「人間で言えば「ダイエットしすぎて拒食症ではないか」という状態」と指摘しておられます。
霞が関、特に厚生労働省の過酷な勤務の実態も取り上げられています。
地方自治体においても、保健所をはじめコロナへの対応を担当した職員の苦労には大きなものがありました。
確かに、公務員数は減り続けており、一部の職場で課題が生じていることは確かだと思います。
しかし、公務員を増やすことは現実的ではないし、適切でもありません。
今後現役世代人口が減り続けるという状況を踏まえれば、国・地方を通じて引き続き職員の削減を図っていく必要があると思います。

このたび策定した神戸市の「行財政改革方針2025」においては、向こう5年間に毎年1%ずつ、合計750人の職員を削減することにしています。(水道局、交通局、教員を除く)
大事なことは、職員の削減が職員の疲弊や士気の低下につながってはならないことです。
公務職場は、忙しい組織とそうでない組織との繁閑の差が大きいことが特徴です。
業務分析をしっかり行い、人員の適切な配置を行っていくことが求められます。
やめる勇気」を持って、効果が上がっていない施策や事業は思い切って廃止すること、DX(デジタル・トランスフォーメーション)を進め、テクノロジーを積極的に導入して仕事のやり方を根本的に改革することも必要です。


2020年9月30日
から 久元喜造

夜の闇の価値について


神戸の夜の道が暗い、というご指摘を何度も受けたこともあり、街灯を増やす作業を進めています。
112の市内の駅前周辺に、約2000基の街灯を増設します。
駅の特性を個々に考えながら、ベンチを増やしたり、植栽を工夫したりして、明るく快適な駅前になるよう、鉄道事業者と相談しながら進めています。
ときどき駅前を訪れますが、建設局などの職員のみなさんの努力により、少しずつ神戸の駅前も変わってきているように感じます。
街なかの街灯についても、現在の設置数の5割程度を増やし、夜の帰宅時などに少しでも安心して歩いていただけるようにしていきます。
既設の街灯は、LEDに取り換えています。
明るさに対する感覚は人それぞれ異なり、各建設事務所で、地域のみなさんのご意見をお聞きしながら作業を進めています。

駅前や通りを明るくすることは大事ですが、とにかく明るくすれば良いというものでもないと思います。
夜の暗闇と静寂には敬意を払う必要があると思います。
夜は、睡眠と休息の時間です。
睡眠と休息には、暗がりが必要です。
もちろん現代の都市は眠ることはなく、24時間活動し続け、眩い光が暗がりを侵食してきました。
明るい光が街を覆い尽くすことになれば、それは、人間にとり必要な安らぎを奪うことになるでしょう。
夜は、瞑想の時間も与えてくれます。
夜半静思。
夜の闇は、魂を孤独しますが、昼の世界では見出しがたい何かに、自分が繋留されていることを感じさせてくれます。
夜の闇の価値と尊厳を尊重しながら、公共空間のおける危険と不安を減らす。
矛盾を孕んだ難しい課題ですが、この矛盾を意識しながら公共空間と向き合うことには意味があると感じます。


2020年9月25日
から 久元喜造

保育枠の拡大を粘り強く進めます。


すでに公表されているところですが、神戸市の令和2年4月1日現在の待機児童数は、52人 で、昨年と比べ、165人の大幅な減少 となりました。
関西2府4県の待機児童数ワースト5はすべて兵庫県内の市となっている一方、神戸市は、逆に減少数がトップです。(日経新聞9月4日記事
令和元年度に、公園を活用した保育所、パーク&ライド型保育所などの新たな取り組みを実施し、約1,400人分の保育所利用定員を拡大した成果が出ていると考えられます。
市役所の各局も、縦割り行政を排し、保育所用地の提供に全面的に協力してくれました。
石屋川公園(東灘区)、王子南公園(中央区)、生田川公園(中央区)などには、新しい保育所などが続々とつくられました。
公園を利用されているみなさんのご理解とご協力に感謝申し上げます。

神戸市はできる限り早期の待機児童解消のため、今年度、さらにはその後もにらんだ保育枠の拡大を進めます。(神戸市は待機児童ゼロへ!
すでに、令和4年4月1日に開所させることができる保育所・幼保連携型認定こども園の新設について、設置運営事業者の募集を開始しています。(保育所・幼保連携型認定こども園の新設
神戸市は、これからも保育枠の拡大を粘り強く進めていきます。
保育士・幼稚園教諭のみなさんへのさまざまなサポートも充実しています。(6つのいいね!
保育士さんの負担を軽減し、子どもたちに向き合える時間をしっかりと取ることができるようにしていきます。
登降園管理や保育記録、保護者との連絡などにICTシステムを活用することができるようにすることとし、令和3年度中に市内すべての施設に導入できるよう進めていきます。