久元 喜造ブログ

松原隆一郎『荘直温伝』


岡山県高梁市で900年続く荘家。
30代目の荘芳枝さんの代で、その歴史を閉じることになります。
頼介伝』の著者、松原隆一郎さんは、ふとしたきっかけで荘芳枝さんを知り、以降何度も高梁を訪れて本書を上梓されました。
物語は源平の合戦から始まるのですが、紙幅が割かれているのは、28代の荘直温(しょうなおはる)(1857 – 1928)です。

明治維新の後、我が国が近代国家として発展する上で重視されたのが地方自治でした。
頻繁に制度が改正され、市町村、府県の制度が整備されていくわけですが、本書からは、地域においてその実情がどのようなものであったのかが、荘直温の人生を通して理解することができました。

由緒ある庄屋の家に生まれた直温は、1880年(明治13年)、上房郡役所に奉職したのを皮切りに、高梁町長を経て、隣接する松山村の村長に選出され、20年間務めました。
この間、学校の校舎建設、道路改修、農事改善、家畜市場の株式会社化、桜並木の整備などが事績として挙げられます。
松山村長を辞職した後は、上房郡会議員、高梁町有給助役を経て、1923年(大正12年)、高梁町長に選出されました。
この頃、山陽本線と山陰本線をつなぐ「陰陽連結」を実現するための伯備線の建設が大きな問題となっていました。
このルートが高梁を通るのかどうかで猛烈な陳情合戦が起き、直温は高梁ルート実現に貢献しました。
高梁ルート決定の直後、岡山県は、郡役所を通じ、高梁町と松山村の合併を提案、直温は合併実現に尽力しますが、体調の悪化などを理由に辞任し、直後に逝去しました。
地方自治に命を賭けたその生きざまから、いろいろなことを考えさせられました。