久元 喜造ブログ

2015年2月11日
から 久元喜造

皇后陛下「本とふ文の林ありて」

少し前のことになりますが、1月14日に「歌会始の儀」が皇居で行われました。
今年のお題は、「本」。
美智子皇后は、次のように読まれました。

来(こ)し方(かた)に本とふ文(ふみ)の林ありてその下陰に幾度(いくど)いこひし

本を文の林に喩えられ、幾度となく本で憩われた想いが表現されています。
美智子皇后が少女時代から本を友として成長されたことは、知られています。

想い起こすのは、1998年、NHK教育テレビで放映されたご講演です。インドで開催された会議に寄せられたビデオによる講演で、英語で行われました。
タイトルは、「子供の本を通しての平和-子供時代の読書の思い出-」。
美智子皇后が、少女時代に読まれ、心に刻まれた読書の記憶を語られたものでした。
子供時代の本の感想といった域を超えた高度な内容で、優しく、しみじみとした、高貴な語り口とともに、鮮明に覚えています。

美智子皇后は、自らの来し方と重ね合わせ、多感な少年・少女時代における読書の大切さを、一貫して訴えてこられたのではないでしょうか。

子供たちが読書の習慣を身につける上で、保護者の役割は大きいと思います。幼い子供に、童話などを読んで聴かせてあげることは、素晴らしいことだと思います。
また、学校でも、子供たちが本に親しむことができるような環境を整えることが必要です。読書に親しむことで豊かな感性を育むとともに、本で調べる習慣を身につけ、自発的な学習意欲に結びつけて行ければと思います。

子供たちに読書の習慣を身につけてもらう上で、 学校図書館における学校司書の役割は重要です。
神戸市では、平成26年度に初めて小学校20校、中学校10校にモデル的に学校司書を配置しました。
来年度は、引き続き、予算措置を講じ、最終的には全ての小学校・中学校に配置していきたいと考えています。


2015年2月8日
から 久元喜造

デトロイトの債務調整計画

日経新聞「経済教室」(2015年1月26日)に、「デトロイト市再建計画の教訓」と題する論文が掲載されていました。
執筆者は、小西砂千夫氏(関西学院大学教授)と犬丸淳氏(自治体国際協会ニューヨーク事務所上席調査役)です。

2013年7月23日のブログ 同年10月17日のブログ でも取り上げましたが、かつて自動車王国の名声をほしいままにしたデトロイト市の破産(2013年7月18日)は、内外に大きな衝撃を与えました。

米国自治体の破産では、債務の削減、すなわち債権放棄が行われるのが普通です。
小西・犬丸論文によれば、今回の事案では、債券の元金カットの大半は、債務保証をしていた地方債保証会社が蒙ったようです。デトロイト市の財政悪化は相当前から周知の事実であり、「それを承知で債務保証した地方債保証会社に厳しい結果となるのは妥当」です。
一方、職員も痛みを甘受しなければなりません。
退職職員の年金債務のカットは40%にとどまりましたが、退職者医療保険債務は90%がカットされることになりました。

我が国においては、自治体が財政危機に陥っても債務の調整はなされず、自治体は、金利も含めて全額を返済しなければなりません。
このため、小西・犬丸論文が指摘するように、返済が可能な範囲で財政悪化を食い止める必要があります。
制度としては、自治体健全化法が、共通の財政指標による財政状況の公表を自治体に義務づけ、指標が一定以上悪化すると、段階に応じて健全化への措置が発動されます。
これはこれで合理的な制度だと思います。

我が国では、財政健全化のための計画作成・承認にはほとんどコストがかかりませんが、信じられないことに、デトロイトでは1.8億ドルもの弁護士費用などの経費が発生したそうです。


2015年2月5日
から 久元喜造

係長試験の改善方策

2月1日のブログ で24年前の神戸市係長試験のことを書きましたが、2月3日に、今年度の試験による選考結果が発表になりました。
神戸市の係長試験には、次の対象区分があります。
A選考:30代の若手職員
B選考:40代の中堅職員
C選考:50代の中堅職員

現時点での合格倍率は、全体で、2.6倍。
受験資格を持つ職員のうち受験した人の割合を示す受験率は、次のとおりでした。
          
A選考:合計 30.3% 男性 65.2%  女性 8.6%
B選考:合計 8.3%  男性  10.0% 女性 6.2%
C選考:合計 2.7%  男性 4.0%  女性 1.0%

全体としての受験率は高いとは言えず、とりわけ、女性の受験率は極めて低い水準にとどまっています。
職員の中の女性の割合は年々高まっており、平成26年度の神戸市職員試験の合格者のうち女性が占める割合は、全区分で、49.0%、このうち、大卒一般行政で、58.8% となっています。
このような状況を考えると、女性職員の係長試験受験率の低迷は、組織としてきわめて深刻に受け止めなければなりません。

そこで、人事委員会では、平成27年度から、次のような改善を行うことにしました。
まず、若年層の結婚、出産、育児などのライフサイクルに配慮し、A選考の受験開始時期を2年早めます。
また、日頃の勤務ぶりから係長としてふさわしいと評価できる職員を係長に登用することとし、40歳以上でA選考の受験資格を満たす職員を対象に、試験によらない選考区分を導入します。
このほか、B選考とC選考の統合、出産・育児を理由とした受験延期制度の拡充などを行います。

まずは、この成果に注目したいと思いますが、あわせて、係長の職務と責任、処遇のあり方、女性職員の勤務環境などについても、検討を進める必要があると感じています。


2015年2月3日
から 久元喜造

神戸イチゴ輸出への取り組み

神戸では、イチゴの栽培が盛んです。
その歴史は古く、1920年代に、今の神戸市北区有野町の二郎(にろう)で始まったと言われています。
現在、北区と西区で153戸の生産者があり、約30haの栽培面積があります。

神戸の生産地は、大消費地に近いという強みがあり、ぎりぎりまで「完熟」させて、採れたての新鮮なイチゴを消費者に届けることができます。
神戸では、気候や消費者ニーズを考慮して、多彩な品種が栽培されています。
生食のほか、神戸が誇るスイーツにも使われます。
「章姫(あきひめ)」「さがほのか」「紅ほっぺ」「やよいひめ」「さちのか」「おいCベリー」など、12月から6月まで、多くの品種を楽しむことができます。

神戸市では、神戸イチゴを海外に輸出する取り組みを進めています。
輸出先として選んだのは、まず香港です。
berry1
12月に、農政部の幹部や関係者が香港に出向き、香港のバイヤーに、神戸イチゴが世界に通用するかどうかの品質確認をしましたが、高い評価をいただきました。
現地の新聞にも掲載されました.
berry2
まずは航空輸送でスタートし、今後は、コストの低減も見込まれる海上輸送に挑戦します。
試験的に海上輸送を行い、2月10日には、香港シティスーパーか香港そごうで販売し、プロモーション活動を行います。

香港での販売価格は、国内よりもはるかに高く、輸出が軌道に乗れば、生産者には大きなメリットがあります。新規就農にも結びつけることができると考えられます。
今後の展開が楽しみです。


2015年2月1日
から 久元喜造

KK神戸市時代の係長試験

金曜日、少し書類に目を通す時間があったので、改めて昨年寄せられた職員アンケートの一部を読み返していたところ、ある職員が昔の新聞記事のコピーを添付してくれていました。
「KK神戸市」「し烈な係長試験制」という見出しの記事で、平成3年11月25日の日付があり、全国の地方紙に掲載されたもののようです。

「神戸市では、どんなに有名な大学を出ていようと、どれほど能力があろうと、「係長試験」にパスしない限り係長以上には昇進できない。一生ヒラで終わる」
という書き出しで、係長試験が8-10倍の難関であること、そして、係長試験に何度も失敗して市役所を退職し、司法試験や公認会計士試験に合格した人がいるほど厳しかったことが記されています。

合格するために必死で勉強する職員たち。
夜10時ごろ帰宅して、午前2時まで勉強、通勤電車の中でもテープ学習、昼休みも弁当食べながら勉強、日曜は朝から夕方まで図書館で勉強・・・
記事は、勉強、勉強で埋め尽くされています。
まさに株式会社神戸市を支えた職員のみなさんの熱気が、この記事からいきいきと伝わってきました。

この記事から24年の歳月が流れ、この間、震災があり、時代は大きく変わりました。
残念ながら、係長試験を受けようとしない職員が増えており、活躍が期待される女性職員の受験率は、6%台に低迷しています。
より大きな責任を持った仕事ができるポストに就こうという意欲が凋んでしまった組織に未来はありません。

過去に回帰するのではなく、今の時代にふさわしい、新しいありようでの管理職登用が問われています。
人事委員会から、係長昇任制度の見直しについて報告を受けており、その成果に注目していきたいと思います。


2015年1月28日
から 久元喜造

東京事務所を県・市で一体的に運営

すべての都道府県・指定都市、規模の大きな市の多くは、東京に事務所を置いています。
東京事務所の使命は、各府省、国会、地元選出を中心とする国会議員、政党、地方六団体などの関係団体などの動きをウォッチし、情報収集を行い、シティセールスや企業誘致などの分野で、本庁と緊密に連携を取りながら、必要な働きかけを各方面に行うことです。

兵庫県の東京事務所は、都道府県会館の中にあり、神戸市の東京事務所は、全国都市会館の中にあります。
両事務所は、ともに千代田区平河町にあり、数十メートルしか離れていません。

それぞれの事務所は、これまで連絡をとりつつも、別々の活動を行ってきました。
しかし、サミットの誘致、大阪湾岸道路の西方への延伸、神戸医療産業都市構想の推進など、神戸市と兵庫県が一体になって行動しなければならないテーマも多く、これまで以上に、両事務所の緊密な連携が求められるようになってきました。
また、各府省が東京事務所の職員を集めて開催する会議などには、それぞれの事務所の職員が出席して、県・市の関係部局に別々に報告してきましたが、これなどは無駄そのものです。
県・市の二重行政は、極力、減らしていかなければなりません。

こうしたことから、今年の4月1日から、神戸市東京事務所を兵庫県東京事務所内に移転し、同じオフィスの中に同居することにしました。
大阪府・市に続く、政令都市では、二番目の事例となります。
神戸市の職員は削減します。
それぞれの事務所は独立して存在しますが、一体的に運営されることになります。
県・市の職員がこれまで以上に緊密に連携をとり、テーマに応じて一体的に行動し、効率的に事務を処理していくことが期待されます。


2015年1月23日
から 久元喜造

矢田前市長の半生記

矢田立郎前神戸市長が、ご著書 『道を切り拓く』 (神戸新聞総合出版センター)を出版され、ご恵与いただきましたので、さっそく読ませていただきました。
150123-2150123-1
苦労を重ねられた半生が綴られていました。

矢田市長が幼年時代を送られたのは、戦争がいよいよ終末を迎えようとしていた時期でした。
昭和20年、神戸が大空襲を受けたときの記述は鮮明で、私が母から聞いた記憶と重なります。
戦後の苦難の中で成長していかれるのですが、優秀な成績を収められる一方、学級委員長などを務め、リーダーシップを発揮されたようです。

そして、神戸市役所に奉職。
厳しくも温かな先輩にたすけられながら、次第に組織の中で信頼される存在になっていかれる様子が、抑制の効いた文章の行間から読み取れます。
印象に残ったのは、民生局庶務課長をされていたときのことです。
とんでもない事件が起き、市長をはじめ組織を挙げての対応がなされるのですが、矢田市長は、ポストを離れても、13年間、被害者の方への訪問を続けられたのでした。
誠実なお人柄が窺えます。

空港の責任者として対応されたときの記述も、印象深いものでした。
今日、空港に反対するのは、共産党などごく一部のみなさんですが、矢田市長が空港の責任者をされていたときは、議論が伯仲していました。
そのような中で、理不尽な反応にも冷静かつ毅然と対応された矢田市長の存在があったからこそ、今の神戸空港があるのだということを、改めて認識しました。

今年は、神戸空港にとり、大事な年になります。
矢田市長のご努力を汚すことのないよう、市役所のみなさんの助けを受けながら、全力で取り組んでいきます。


2015年1月20日
から 久元喜造

岩田健太郎氏の批判に答えます。

岩田健太郎氏という医師の方から、ご著書が送られてきました。
興味深く読み進めたところ、私の名前が出てきたので、驚きました。
iwata
昨年8月に台風11号が接近してきたとき、「危険と知りながらキャンプを強行した」NPO法人があり、増水のためにキャンプ場に取り残された子ども、大人を、消防が救助しました。
このNPOの行動について、私が「非常識だ」と批判(『神戸新聞』8月12日)したことについて、 岩田氏は、次のように書いておられます。

「個々の振る舞いに対して、「それは他人に迷惑をかける」といういかにも分かりやすい根拠で他者の行動をいちいち非難されるのは、ちょっとえげつないです。みんな、大なり小なり人様に迷惑をかけながら、「おかげさまで」生きているのですから」(140ページ)

岩田氏が私を批判している事案とは、北区の「柏尾谷リバーパーク」で、河川の増水により、大人10人、子供41人が下山困難となって取り残され、消防から3隊13人が出動して救助に当たった事件です。
8月12日の記者会見 で申し上げたところですが、このとき、北区では大雨により、河川の氾濫、土砂災害の危険が高まっていました。
幸い、大きな災害はありませんでしたが、もし、そのような事態になれば、このNPOによって災害救助活動に大きな支障が生じた可能性があります。
私は、単に「非常識」と批判したのではなく、「このようなことは慎んでいただきたい」と具体的な呼びかけをしたのでした。
このNPOの行為が、単なる迷惑行為なのではなく、ほかの市民の生命を危険に晒すことになったからです。

このような危険な行為を未然に防ぐことは、私の責務だと思います。


2015年1月17日
から 久元喜造

震災から20年・1.17のつどい

東遊園地で開催された「神戸市震災20年追悼のつどい」に参列しました。
これまでと同じように、蝋燭の灯を前にして人々が集っていますが、20年ということもあり、昨年の2倍以上のみなさんが、会場にお越しいただきました。
ひとつひとつの灯りに込められた想いと向き合いました。

黙祷の後、モニュメントの前で、式典が開始されました。
被災者でもある森祐理さんの歌で、「しあわせ運べるように」が歌われ、ご遺族の代表の銘田奈津紀さん、新成人の小川和昭さんがあいさつをされました。
しっかりと参列者の耳に届く言葉で語ってくださいました。

私から、追悼の言葉を述べました。
150117-1

市役所まで歩き、神戸市危機管理推進会議に出席した後、職員のみなさんに挨拶をしました。
神戸市でも、職員の46%が、震災を知らない世代が占めるようになっています。
ベテラン・若い世代のチームが一体となった、東日本大震災被災地への支援も続いています。
私たち神戸市民は、あの阪神・淡路大震災のときにいただいた国内外からの支援を忘れることなく、国内外をとわず、防災・減災・安全・健康などの分野で、常に貢献し続ける都市でありたい ― そのような神戸の姿に、神戸市民が誇りを持って語り合えるような都市を目指していきたいと念じます。


2015年1月16日
から 久元喜造

山田洋次監督・竹下景子さんとの対談

昨日は、神戸文化ホールで、「次世代へ“歌い継ぐ・語り継ぐ市民のつどい~山田洋次監督、竹下景子さんを迎えて~」が行われました。
まず、「しあわせ運べるように」の作詞・作曲者の臼井真先生と西灘小学校「しあわせ運ぶ合唱団」により合唱が行われ、神戸市などに寄せられたメッセージが紹介されました。

後半は、映画監督の山田洋次さん、女優の竹下景子さんを迎えて、対談が行われました。
山田洋次監督の「寅さんシリーズ」第48作「紅の花」では、震災の年の1995年、まだ地震の傷跡が残る長田区でロケが行われました。
また、竹下景子さんは、毎年1月17日前後に、神戸や阪神地区で詩の朗読をしておられます。
対談では、私がインタビュアーになり、お二人に、これまでの神戸との関わりや、復興していく神戸の姿をどうご覧になっておられたのかなどについて、お伺いしました。

山田監督からは、結果的に「寅さんシリーズ」の最終作になった「紅の花」にまつわる、当時のエピソードをお聞きしました。
震災の年の4月、長田の住民のみなさんからロケの要望がありましたが、まだ被災地の様子が生々しく、ロケをするのは失礼と、いったんは断られたそうです。
しかし、改めて住民のみなさんが署名を集めて、再度の要望があったのを受け、思い直してロケを行ったとのことでした。

150115-1

対談終了後、山田監督と懇談させていただく時間を持つことができました。
山田監督は、私が青春時代を過ごした大学の寮の先輩に当たります。
当時の寮やあたりの佇まいのこと、映画のことなどいろいろとお話をお伺いすることが出来、楽しいひとときでした。