矢田立郎前神戸市長が、ご著書 『道を切り拓く』 (神戸新聞総合出版センター)を出版され、ご恵与いただきましたので、さっそく読ませていただきました。
苦労を重ねられた半生が綴られていました。
矢田市長が幼年時代を送られたのは、戦争がいよいよ終末を迎えようとしていた時期でした。
昭和20年、神戸が大空襲を受けたときの記述は鮮明で、私が母から聞いた記憶と重なります。
戦後の苦難の中で成長していかれるのですが、優秀な成績を収められる一方、学級委員長などを務め、リーダーシップを発揮されたようです。
そして、神戸市役所に奉職。
厳しくも温かな先輩にたすけられながら、次第に組織の中で信頼される存在になっていかれる様子が、抑制の効いた文章の行間から読み取れます。
印象に残ったのは、民生局庶務課長をされていたときのことです。
とんでもない事件が起き、市長をはじめ組織を挙げての対応がなされるのですが、矢田市長は、ポストを離れても、13年間、被害者の方への訪問を続けられたのでした。
誠実なお人柄が窺えます。
空港の責任者として対応されたときの記述も、印象深いものでした。
今日、空港に反対するのは、共産党などごく一部のみなさんですが、矢田市長が空港の責任者をされていたときは、議論が伯仲していました。
そのような中で、理不尽な反応にも冷静かつ毅然と対応された矢田市長の存在があったからこそ、今の神戸空港があるのだということを、改めて認識しました。
今年は、神戸空港にとり、大事な年になります。
矢田市長のご努力を汚すことのないよう、市役所のみなさんの助けを受けながら、全力で取り組んでいきます。