久元 喜造ブログ

2015年1月13日
から 久元喜造

華やかに、厳粛に-神戸の成人式。

昨日、ノエビアスタジアムで、神戸市の成人式が行われました。
9800人の新成人のみなさんが参加されました。1994年4月2日から1995年4月1日までに生まれたみなさんです。
この間の1995年1月17日、阪神・淡路大震災がありました。
新成人の多くは、あの地震が起きたとき、生まれたばかり、あるいは、まだお母さんのお腹にいたみなさんです。 余震が続き、想像を絶する環境の中で育ち、神戸の復興の槌音を聞きながら成長して来られたことでしょう。

成人式では、最初に黙祷が捧げられ、「幸せ運べるように」を会場のみんなで合唱しました。
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決して静まりかえっていたというわけではありませんが、多くのみなさんが、私と安達市会議長の祝辞にも耳を傾けてくれました。
8人の新成人の代表が、誓いの言葉を述べ、拍手が送られました。

その後の報道によれば、横浜などほかの自治体では、参加者の一部が荒れ、混乱も見られたようですが、神戸の成人式は、そのような兆候すらなく、華やかな雰囲気の中にも、厳粛に行われました。
神戸は、突然の災害を前にして立ちすくみ、それでも苦境と立ち向かい、試練を乗り越えてきました。市民が助けあい、励まし合いながら、街を甦らせてきました。
そのような神戸の経験は、新成人たちに間違いなく受け継がれていると確信することが出来、言いしれぬ感動を覚えました。


2015年1月11日
から 久元喜造

震災の記憶と向き合う。

昨日は、神戸国際会議場で開かれた「日本公衆衛生看護学会学術集会」に出席。その後、保健師のみなさんが制作した展示を見せていただきました。
震災のときの記録の一部です。
震災から2週間が経っても、避難所のトイレには水が流れず、便器には汚物がたまりました。そのときの注意事項が書かれた掲示です。今では正視しづらい内容ですが、目をそらすことがあってはならないと感じました。
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その後、旧二葉小学校で開かれた「大学生 阪神・淡路大震災を語る」にお邪魔し、大学生のみなさんの発表の一部を聞き、簡単なコメントを申し上げました。
いずれも、素晴らしい内容でした。
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旧二葉小学校内には、震災当時の記録が展示されていました。

東灘下水処理場は壊滅。隣の「魚崎運河」を使って下水の処理を行うことにしました。下の図面は、当時の下水道担当職員が、この処理方法を編み出すためにつくった手書きの図面です。
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職員のみなさんの悪戦苦闘と試行錯誤のあとが偲ばれ、しばらく見入りました。


2015年1月8日
から 久元喜造

「里山資本主義」 ― 真庭市の挑戦

ベストセラー、『里山資本主義』(藻谷浩介、NHK広島取材班) に、岡山県真庭市の取り組みが紹介されています。
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真庭市は、2009年に9つの町村が合併して出来た市です。人口は約5万人。広大な面積の8割が山林が占め、林業が盛んです。
この真庭市では、山の木を利用することで、エネルギーの自立を促す取り組みが行われています。
その柱が、製材所から出る豊富な木くず ― 木質バイオマスを使った発電です。すでに地元企業が発電施設を建設し、2000世帯分の発電を行っています。
また、木質バイオマスからペレットをつくり、専用のボイラーストーブの燃料として使われています。

真庭市の太田昇市長とは、1990年代、京都府庁で一緒に仕事をしたことがあり、その後もお世話になってきました。
そんなご縁もあり、昨年暮れ、環境局環境貢献都市室の職員二人に真庭市を視察してもらい、詳しい報告を受けました。

神戸市でも、管理が十分でないため環境上、防災上の課題を抱える山林が広がっています。山林の適正管理を進める一環として、間伐材や剪定枝を木質バイオマスとして活用することは意義のあることではないかと考えられます。
神戸市では、林業がほとんど存在しないため、真庭のような民間の製材所や森林組合が主体となって発電などの事業を行うことは困難です。
しかし、北区、西区では農業が盛んですから、間伐材などからペレットを生産し、農業用ボイラーに活用することなどが考えられるのではないでしょうか。
真庭市の取り組みを参考にしながら、神戸の里山の再生とクリーンエネルギーへの活用に踏み出していきたいと思います。


2015年1月5日
から 久元喜造

新しい成長軌道へ。

明けまして、おめでとうございます。
振り返れば、震災20年の神戸は、試練を克服してきた歩みだったと思います。
想像を絶する震災への対応、困難を極めた復興に神戸は立ち向かい、今日の再生を図ることができました。

もうひとつの大きな試練は、財政再建団体への転落を何としても回避することでした。 神戸市財政は、徹底した行財政改革と経費の節減によって、財政危機を克服することが出来ました。

震災20年後の神戸を展望するとき、これまでとは異なる手法で、都市の発展を図る時期を迎えていると思います。
神戸を新しい成長軌道に乗せ、成長から生み出される財源をさらに将来への投資につなげ、その投資がさらなる成長を呼び込むという好循環をいかに創り出していくかが問われています。

新しい成長への道筋のひとつは、神戸がここまで発展してきた原点 ― 交通の要衝であるという神戸の地位を高め、発展させていくことにあると思います。
神戸港の港勢を高め、神戸空港の利活用を図り、行き止まりになっている湾岸道路の西方への延伸を進めていくことは、不可欠です。

さらに、成長軌道への道筋は、優れた人材、成長力のある企業を神戸に呼び込んでいくことにあります。そのための方策は、産業振興やインフラ整備に限られるものではなく、学力、人間力の面でもトップクラスの教育、子ども、子育てができる環境を含め、トータルな市民生活、非日常性に満ちた都市の魅力を創造していくことだと思います。
新しい知恵や発想がクロスし、火花を散らし、そして、新しい何かが生まれていく ― ここにこそ、都市としての新しい成長軌道を紡ぎ出していくダイナミズムがあるのではないでしょうか。


2014年12月31日
から 久元喜造

寝台列車で迎えた新年の想い出。

あれは、1982年の大晦日だったと思います。
当時、私は、青森県庁の企画部で、国家予算要望の担当をしていました。
この年は国の予算編成が延び、大晦日に作業が終わって、上野発の寝台特急「ゆうづる」に飛び乗りました。

寝台は、3段ずつの2列が向かい合わせになっていました。私は、一番下の寝台でしたが、まわりは、同じグループの女の子たちのようでした。
彼女たちが小声で話している様子からは、自分たちで飲みながら話したいのに、私がいるので戸惑っているようでした。
私は、思い切って、「ぼくのことは気にせずに、みなさんで楽しんで下さい」と声をかけました。
女の子たちは少し迷っているようでしたが、「ご迷惑でなければ、いっしょにどうぞ」と誘ってくれました。

寝台列車の中で、酒盛りが始まりました。
彼女たちは、青森出身で、同じ銀行に勤める銀行員でした。さっきまで仕事をしていて、いっしょに帰省するのだそうです。
それぞれが持ち込んだビールや酒がすすみ、声が高くなったのでしょう、車掌が回ってきて、
「静かにしてください」と、注意されましたが、一瞬、声を潜め、また、酒盛りを再開しました。

どのあたりを走っている頃だったでしょうか、時計の針が午前零時を回り、私たちは、寝台列車の中で新年を迎えました。
「新年おめでとう!」「かんぱーい!」
紙コップを上げて、新年のお祝いをしました。
車掌がまた近くを通ったような気がしましたが、何も言いませんでした。

元旦の朝、寝台列車は、青森の雪原を走っていました。
八戸で、そして野辺地で、女の子たちは、降りていきました。
「また東京でね」「○○さんによろしく」と手を振りながら。
終点の青森駅で、最後の女の子と別れました。

あの女の子たち、今頃どうしているだろう、と、毎年大晦日になると想い出します。


2014年12月27日
から 久元喜造

江上剛さんが見た「ひとだま」

書店で、江上剛さんの小説を見つけたので買って読みました。
江上剛さんのことは、昨年7月11日のブログ でも触れましたが、2,3年前に毎日新聞に連載されていた「わたしだけのふるさと」で知りました。
「白いひとだま 生も死も身近に」と題されたインタビュー(毎日新聞2012年4月26日夕刊)を保存してあります。
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江上剛さんは、私と同じ1954年生まれ。ふるさとは、兵庫県山南町、合併して今は丹波市です。
わらぶき屋根の農家がぽつぽつ建っている60件くらいの集落だったそうです。

江上少年は、ある日、ひとだまを見ます。
夏の夜、何人かで縁側に座って夕涼みをしていた時、杉の木の間に見えるわらぶき屋根の上に、ぽん、と火の玉があがったのだそうです。
誰かが、「あそこのおばあちゃん、死んだんやなあ」とつぶやいたそうですが、次の日には、そのおばあちゃんが本当に亡くなっていたと知らされたと言いますから、不思議な話です。

私が子どもの頃、鈴蘭台で見たひとだまは、オレンジ色で、3つ、4つ、尾を引きながら、ゆっくり雑木林の麓から上がっていきましたが、江上さんが見たそれは、「白くて丸い光」で、「ぽわっと浮かんだ」のだそうです。
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さて、書店で買って読んだ江上さんの小説は、『リベンジ・ホテル』。
就職氷河期、「ゆとり世代」の主人公が、破綻寸前の地方都市の老舗ホテルに就職し、悪戦苦闘しながらホテルの再建に挑戦する物語です。しくじりながらも、少しずつ味方を増やし、最後は、貸し剥がしに狂奔していた東大卒の銀行員までをも応援団に巻き込み、ホテルは再建に向かいます。
私も、この新人のように頑張らなければいけないと思いました。
とても励まされ、温かい気分をいただきました。


2014年12月24日
から 久元喜造

歩行者に優しい街へ。

クリスマス・イヴ。
街を少し歩きました。
思えば、歩行者優先の街づくりは、昔からの課題であり続けてきました。
都心への自動車の乗り入れを制限する課徴金制度など、クルマから公共交通への転換が論議されてきましたが、なかなか進んでいません。
クルマが多くの家庭にいきわたり、高齢者がクルマで移動する必要性が高まっており、大胆なクルマの利用規制には困難を伴うと思われます。
もちろん、公共交通を重視したまちづくりを進めていく必要があり、先般も大丸前の鯉川筋で社会実験を行ったように、車道を歩道に転換していく取り組みは、これからも行っていきたいと思います。

同時に、歩行者に優しい街にしていくためには、きめ細かな方策をていねいに講じていくことも重要です。
たとえば、 12月1日のブログ でも少し触れましたが、公共空間には、ベンチなど腰を下ろす場所や荷物を置けるスポットなどがほしいところです。
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歩道にたくさんベンチを置くことができればよいのですが、歩道の幅員などを考えますと、駅前広場、公園、バス停、公共施設の空地などに置いていくことが現実的かと思われます。

そのような取り組みの一つとして、神戸市交通局では、「ハートフルベンチ」をこの10月1日から募集することにしました。交通局が計画的に設置を進めているベンチに加え、地域のみなさんからの寄附によりベンチを増やしていこうという試みです。
バス停に設置するベンチ代の寄付(1基につき50,760円)と希望場所を申し出ていただき、交通局がベンチを設置します。ベンチには、寄贈者のお名前を表示します。

公共交通を便利に使いながら、安心して街を歩くことができるような取り組みを、いろいろと工夫しながら進めていきたいと思います。


2014年12月20日
から 久元喜造

STAP細胞騒動の結末

総務省の頃、自分が担当している仕事について国民への広報・PRが求められることがよくあり、ポスター、チラシ、テレビCMなどを制作する機会も多くありましたが、タレントの活用はしませんでした。

理由のひとつは、守りです。
以前から、政府や大企業が広報・広告に起用したタレントが、その後、年金保険料未納、公然わいせつ、暴行、未成年飲酒・喫煙、著しく不適切な言動、選挙への出馬などで降板したり、CMの中止や印刷物の回収など事後処理に追われるケースが多々あったからです。

また、選挙は、国民の厳粛な審判を仰ぐ機会です。投票率の向上のためには、投票環境の改善や選挙運動に関する制度の改革が不可欠であり、これらをなおざりにしたまま、安易にタレントに頼ることには躊躇を覚えました。

さて、STAP細胞について、結論が出されたようです。
今年の1月の、STAP細胞発見の大々的報道が想い起こされます。
理研による記者会見は、研究内容とともに、小保方さんの個人的な魅力、タレント性を強調する形で行われ、STAP細胞は、小保方晴子さんとともに一躍、脚光を浴びました。理研の広報戦略は、「成功」したのです。

私は、このような報道のありように、終始、違和感を抱いていました。
「過熱した報道」への違和感は、 7月11日のブログ でも書きましたように、記者会見でも率直に申し上げました。
神戸市は、STAP細胞騒動に振り回されることはありませんでしたが、一連の経過を振り返れば、一種のむなしさを覚えます。

生命科学を含め研究分野においては、研究の論理的・実証的真正性が、芸術作品においては、作品の芸術的価値が、選挙においては、政策や社会のありように関する論点が、何よりも重視されるべきです。
これら以外の、雰囲気や話題性といった要素は、しょせん二次的なものです。


2014年12月18日
から 久元喜造

淡河の民話「降りが淵の河童」

「北区の魅力」中学生ショートムービー発表会に行った時、市立神港高校の先生から 『淡河の民話』 をいただきました。
この本は、北区淡河町で語り継がれる民話を題材にして、神港高校情報処理科3年生のみなさんが制作した絵本です。
神港高校情報処理科の先生と生徒たちは、中学生がつくったショートムービーの制作にもいろいろと指導をいただいています。
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題字は、神港高校校長の古溝茂先生です。

タイトルは、 「降りが淵の河童」。
むかしむかし、淡河に働きものの「だんな」がいて、朝から晩まで たんぼを耕し、お米をつくっていました。
ある日、「くだりがふち」からのぼってきた男が立っていて、「草取りをするから家にとめてくれんかのう」というのです。
男に草取りをさせると、その仕事のはやいこと。
「だんな」は、男をやとって働かせることにします。
男は、おひさまが出るまえからはねおき、夜おそくまで働きました。自分の仕事が終わると、近所の仕事もてつだいました。
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3年がたったころ、むらではおかしなうわさがたつようになります。
「あのおとこは どうも にんげんではないぜ。きっと『かっぱの かわたろう』だぜ。
かわいそうに あのだんな おしりから ちをすわれて あのおとこに ころされてしまうだよ」

「だんな」は男を疑いはじめ、かっぱが『おがら』でできた箸でめしを食うと死んでしまうという話を聞き、そうすることにします。
次の日、男は起きてきませんでした。かわいそうに、つめたくなっていました。

「だんな」は嘆き悲しみ、盛大な葬式をあげ、「くだりがふち」に石碑をたてました。
「だんな」の家族は、毎年、おぼんになると、『おがら』の箸で食事をし、天国のかっぱのしあわせを願ったそうです。
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淡河の人々の、やさしい心が伝わってくるお話です。


2014年12月15日
から 久元喜造

未来志向の人事政策を。

かつて地方自治法には、事務吏員と技術吏員の区別がありました。そして、神戸のような指定都市の区長には事務吏員しかなることができないなどの差異がありました。
私は、このような吏員の制度は過去の沿革をひきずるだけのもので、一刻も早い廃止が必要であると考えていました。そこで、地方自治制度担当の課長のときに問題を提起し、第28次地方制度調査会の議論を経て、地方自治法改正案を国会に提出、吏員制度は、2007年4月から廃止されました。

このようにして、吏員の制度は廃止されましたが、多くの自治体では、事務職員と技術職員の区分が残っています。
事務職員であれ技術職員であれ、大事なことは、職員のみなさんが職業人としての自画像をどう描き、何に仕事のやりがいを見いだしていこうとしているのか、そして、組織がその思いにどう応えていくかだと思います。
自らの専門分野を究め、その専門分野の仕事に関わり続けていきたいと思っている職員もおられるでしょう。
あるいは、自らの専門分野を大切にしながらも、そこを足がかりにして、幅広い行政分野に関わっていきたいと思っている職員もおられるでしょう。

自治体においても世代交代が進み、技術や経験の継承がますます重要になっています。専門的な知識と経験を有する職員は、自治体にとって大切な財産です。
同時に、各分野における専門家集団に支えられながら、組織全体の総合力をどう最大限に発揮していくのかという視点も大切です。
「最強の仕事人集団」を目標に、職員ひとりひとりの思いを大切にながら、最高の市民サービスを提供できるよう、未来志向の人事政策を確立していくことが課題です。