久元 喜造ブログ

2014年12月12日
から 久元喜造

家庭画報「横浜&神戸」港町物語

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家庭画報」  12月号に、「「横浜&神戸」港町物語」と題された特集が組まれました。
二大港町の建築物、レストラン、クルーズ、アートシーンなどが、美しい写真とともに紹介されており、見ていて楽しい内容になっています。
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興味深かったのは、横浜&神戸の共通点として、
タワー、ミッションスクール、ガス灯、教会、坂道、ファッション、赤レンガ、喫茶店、洋食、並木道、老舗ホテル、中華街
の12の項目が挙げられていたことです。
これらをさらに魅力アップしていくことは、神戸への誘客にもつながると思います。
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同時に、神戸には横浜にない魅力があります。海と山、そして市街地が近いことです。
六甲山、摩耶山は、横浜にはない存在で、横浜との差別化戦略としても重視していかなければなりません。

これからも有名雑誌に神戸の記事がどんどん掲載されるよう取り組み、神戸からの発信力を強化していきたいと思います。


2014年12月10日
から 久元喜造

いきいきとした論戦を。

12月7日のブログ で書きましたように、国政選挙も、地方選挙も、投票率は、趨勢としては低下傾向にあります。
戦後に日本国民が手にした民主化への熱気が消え去った今、改めて、多くの国民、住民に、国政選挙、地方選挙に参画していただく方途を考えなければなりません。

選挙が意味あるものであるためには、やはり、活発な論戦が大事なのではないでしょうか。
論戦を聞く機会が限られる一方で、顔写真と名前、政党、簡単なスローガンしか書いていないポスターばかりが貼られています。
ひたすら候補者の名前を連呼する街宣車が走り回っています。
このような選挙戦では、いったい何が争われているのかが、有権者にわかりやすく伝わりません。

これは、個々の候補者が悪いわけではなく、選挙運動に関する制度の問題です。
政策のありよう、そして、候補者の資質を見極める機会として、候補者同士の討論会を、もっとひんぱんに開くことが考えられても良いと思います。
かつて、公職選挙法には立会演説会の制度が規定されていましたが、1980年代前半に廃止されました。
その理由は、それぞれ候補者を支持する人々が会場に詰めかけ、支持している候補者の演説に拍手喝采を送り、終わればぞろぞろ退場する、といった光景が繰り返され、意味のある討論ができにくかったからだとされています。

かつてそのような状況があったとしても、立会演説会の廃止によって、候補者同士の論戦の機会が奪われてしまったのは疑問です。
改めて、候補者同士のいきいきとした論戦を聞くことができる公開討論会を、現代的なありようで、真正面から制度化すべきだと考えます。


2014年12月7日
から 久元喜造

地方選挙の低投票率①

12月14日投票の衆議院議員選挙は、投票率がどうなるのかが注目されますが、きょう取り上げるのは、地方選挙の投票率です。

尼崎市長選挙 25.69%、
福岡市長選挙 38.73%
新潟市長選挙 40.57%
和歌山県知事選挙 39.65%

最近行われた首長選挙の投票率は、高くはありません。福岡市長選挙には6人が立候補し、また、新潟市長選挙は激戦になりましたが、それでも40%前後の低い投票率でした。
私の 昨年の選挙 もやはり接戦でしたが、投票率は36.55%でした。

来年は統一地方選挙の年ですが、全国市区町村議会議員選挙で過去の推移を見ると、第1回(1947年)の81.17%、1959年が82.37%、その後は、1971年が77.65%、1983年が72.78%、1995年が59.61%、2007年が54.60%、直近の2011年が49.86%と、回を重ねるにつれ、低下を続けています。

国政選挙はどうでしょうか。
衆議院議員選挙は、前回(2012.12.16)は、59.32%で、戦後最低でした。また、前回の参議院選挙(2013.7.21)も、52.61%で、過去3番目の低さでした。
しかし、衆議院選挙で見ると、第43回(2003.11.9)は59.86%でしたが、次の第44回(2005.9.11)は67.51%、第45回(2009.8.30)は69.28%と、回復しており、参議院選挙を見ても、下がり続けているとは言えません。

このように、地方選挙の投票率は、総じて国政選挙よりも低い水準にあり、国政選挙が上下する傾向にあるのに対し、総じて低下して来ている傾向が読み取れます。
このブログでも、その要因や背景について、少しずつ取り上げてみたいと思います。


2014年12月4日
から 久元喜造

神戸ルミナリエ2014点灯式

今日から「神戸ルミナリエ」が始まり、三井住友銀行前で点灯式が行われました。
17時46分、黙祷の後、組織委員会会長として、挨拶させていただきました。
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神戸ルミナリエ」が最初に開催されたのは、阪神・淡路大震災の年の12月のことでした。犠牲者の方々への慰霊と鎮魂の意を込め、また、神戸の復興・再生への夢と希望を託して行われました。
光の芸術が創り出す耀きが、未だ震災の傷跡が残る神戸の街を照らしだし、復興のために格闘していた神戸市民に大きな感動と勇気を与えました。
今回で20回目を迎える神戸ルミナリエ。

あの震災からもうすぐ20年の歳月が流れます。 当時、第一線で苦労された方々が少しずつ退かれ、それぞれの分野において新しい世代を迎えています。
きょうの点灯式には、毎年、最前列で静かに見守っておられた前兵庫県知事、貝原俊民さんのお姿はありません。
私たちは、改めて、想像を絶する困難と闘い、神戸の街の再生に尽力された先人の業績とご苦労に思いを馳せ、震災の記憶をしっかりと継承していかなければならないと思います。
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作品のタイトルは、第1回と同じ「神戸 夢と光」です。
たくさんのみなさんに、光の芸術を楽しんでいただき、何かを感じていただければと願っています。


2014年12月1日
から 久元喜造

JR新三田駅前広場にて。

見知らぬ駅で降り、辺りを散策するのは楽しいひとときです。
ある週末、JR福知山線新三田駅で降り、駅前広場をぶらぶらしました。
雨が静かに降っていました。

駅前広場は、路線バスの停留所、タクシー乗り場、自動車の乗降場所などになっていましたが、ご覧のとおり、ぐるっと屋根がかけられ、雨に濡れずに移動できるようになっています。
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神姫バスの停留所の前にも屋根があり、雨に濡れずに、乗り降りすることできます。
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また、駅前広場の向こう側に、かなり大きな屋内の自転車駐輪場がありましたが、この建物に渡る横断歩道まで屋根は続いていました。

鉄道の駅を降りてから、スムーズに、また快適にバスやタクシー、駐輪場などに移動できるようにすることは、公共交通を利用していただく上で大事な課題です。新三田駅前の様子は、なかなか参考になりました。

少し残念だったのは、ベンチや椅子など、腰を下ろす場所がたいへん少なかったことです。
これから、高齢者が増え、お年寄りのみなさんに元気に街の中を歩いていただくためには、ちょっと腰を下ろすベンチなどをもっとたくさんつくっていく必要があるのではないでしょうか。

いろいろ観察しながら歩き回った、新三田駅前でした。


2014年11月27日
から 久元喜造

ホテルオークラ「語るつどい」御礼

お礼が遅くなりましたが、昨日の夜、 ホテルオークラ神戸 で、「久元きぞうと語るつどい」を開催させていただきました。
師走が迫るお忙しい中、2100人を超えるみなさまに出席いただきました。本当にありがとうございました。

当日は、後援会の西河紀男会長のご挨拶に続き、神戸市会の安達和彦議長、井戸敏三兵庫県知事から、心温まるご祝辞をいただきました。
私からは、昨年10月27日の選挙の一日を想起し、改めて、神戸と神戸市民のみなさんの幸せのために全力を尽くす決意を述べました。人口減少時代を迎える中にあって、どのような都市づくりをしていくべきかについて、日頃考えていることの一端を、紹介させていただきました。

大橋忠晴神戸商工会議所会頭に乾杯のご発声をいただいた後、懇談に入り、会場内を回らせていただきました。
「語る会」と銘打ちながら、ゆっくりお話しすることができなかったことは、本当に申し訳ございませんでしたが、私と家内に対してたくさんのお励ましをいただき、大いに元気づけられたひとときでした。
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昨年の11月20日に、矢田立郎市長から第16代神戸市長の仕事を受け継ぎ、1年が過ぎました。まだまだ目に見える成果を出すことができておらず、本当に申し訳なく思っておりますが、できるだけ早く政策の具体化を図っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくご支援をお願い申し上げます。


2014年11月25日
から 久元喜造

伊吹衆院議長の解散詔書読み上げ。

11月21日、衆議院解散の日、椿事がありました。
午後1時すぎ、国会で伊吹文明衆院議長が壇上から「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と解散詔書を読み上げたとき、一部の国会議員が「万歳!」と叫び始めたのです。
これは、慣例に従った行動だったようです。
ところが、この光景を見た伊吹議長は、臆することなく、「御名御璽。平成26年11月21日 内閣総理大臣 安倍晋三。以上です」と述べ、「万歳はここでやってください!」と一喝したのです。
議場に戸惑った雰囲気が漂いながらも、一斉に万歳三唱が行われたそうです。

極めて的確な、そして見事な判断だったと思います。
憲法第7条によれば、衆議院の解散は、内閣の助言と承認により、天皇が国民のために行う国事行為です。
解散詔書は、この憲法の規定を体現しており、この中の「内閣総理大臣」は、内閣を代表する立場の内閣総理大臣であることは明らかです。
マスメディアの論調を含め、衆議院の解散は「総理の専権」であることが常識になっており、政治的にはそうかもしれませんが、制度的には、内閣総理大臣の独断で行うことができるわけではなく、内閣の助言と承認により、天皇が行います。
国政は憲法の規定に則って運営されなければならず、その重要な場面である衆議院の解散が憲法の規定に従って行われるためには、解散詔書が議場で最後まで読み上げられなければならないことは自明です。
これまでの悪しき慣行を踏襲せず、本来の姿を現出させた伊吹衆議院議長は、見事にその職責を果たされたと申せましょう。

総務省自治行政局にいたとき、道州制や大都市制度などについて何度かご説明に上がったことがありますが、実に的を射たご下問とご指摘をいただいたことを想い起こします。


2014年11月23日
から 久元喜造

第4回神戸マラソン「感謝と友情」

雲一つない青空の下、第4回神戸マラソンが開催されました。
来年1月17日で、阪神・淡路大震災から20年を迎える神戸。
手を差し伸べていただいたみなさまへ感謝の気持ちを伝える大会です。
そこで、復興の象徴の花である「ひまわり」をイメージした「黄色」のメモリアルグローブを用意しました。スタートセレモニーでは、黄色のグローブを着用した2万人のランナーのみなさんが一斉に手を掲げ、市役所前のフラワーロードに、ひまわりの花が咲きました。とても感動的な光景でした。

私は、9時ちょうど、フルマラソンスタートの号砲を鳴らす役を仰せつかりました。ピストルを手にするのは生まれて初めてで、緊張しましたが、このような名誉な役を仰せつかり、感謝しています。
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神戸ルマラソン実行委員会の植月正章会長、井戸敏三兵庫県知事、家次恒シスメックス㈱代表取締役会長兼社長、有森裕子さんほかのみなさんと、次々にスタートするランナーのみなさんを見送りました。

ランナーのみなさんは、神戸の中心街を抜けて、須磨海岸を走り、明石海峡大橋で折り返し、ポートアイランドのゴールを目指します。
女子は斎藤公美選手(京セラ)が2時間38分24秒で初優勝し、私から賞状をお渡ししました。
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たくさんの市民のみなさんがボランティアとして参加し、受付、給水、救護などに当たるほか、沿道で声援を送りました。
「20年目のありがとう」の気持ちを、神戸市民と神戸の街は、神戸マラソンを通じて伝えることができたのではないかと思います。
参加されたランナーのみなさん、大会に貢献していただいたすべてのみなさん、本当にありがとうございました。


2014年11月21日
から 久元喜造

空家特措法案成立を喜ぶ。

空家等対策の推進に関する特別措置法案が、11月19日に成立しました。解散直前、ギリギリ間に合いました。
神戸市でも、空家の総数は10万8千件を超え、13.05%にも及んでいます。老朽化し、危険な状態になり、周辺の住宅環境に悪影響を及ぼしているものも増えており、立法措置が待たれていたところです。

この法案は、危険な状態にあるなど不適切な管理状態にある空家を「特定空家等」と位置づけ、市町村長は、特定空家等に対して、除却、修繕、立木竹の伐採等の措置を執るよう、指導、助言、勧告、命令をすることができることとするとともに、行政代執行の要件を緩和しています。
また、空家の所有者を把握するために、固定資産税に関する情報を市町村が利用できるようにしています。

私は、法案成立を推進する立場から、関係する国会議員各位に強く働きかけてきましたので、今回の法案成立をたいへん喜んでいます。
法律に盛り込まれた規定を有効に活用し、自治体としての独自の対応も含め、老朽空家対策を強力に進めていきたいと考えています。

この法案の立案、成立に中心的な役割を果たしてこられたのが、空家対策推進議員連盟会長の宮路和明衆議院議員でした。これまで長くご指導をいただいてきました。
先日も、宮路代議士に法案成立をお願いしてきましたが、30分以上も時間をとっていただき、熱心に神戸の事情をお聞きくださいました。

宮路代議士は、12月14日の衆議院議員選挙には出馬されず、次男の宮路拓馬さんが出馬を表明されました。
私は宮路拓馬さんといっしょに仕事をしたことがありますが、総務省、広島市などで活躍された、優秀で明るく、誠実な人物です。
突然の選挙で大変でしょうが、ぜひ頑張っていただき、日本のために、鹿児島のために活躍していただきたいと願っています。


2014年11月18日
から 久元喜造

タカハシノブオ展

神戸市灘区の BBプラザ美術館 で、9月23日から11月24日まで「タカハシノブオ」展が開催されています。先日、お邪魔し、鑑賞しました。
「あるがままに生きた画家」「叫ぶ原色・ものがたる黒」というサブタイトルが付けられています。
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高橋信夫(1914-94)は、戦後の神戸で活動した、たいへん個性的な画家です。
徳島県鳴門市の生まれ。神戸で絵を学びます。中国などに出征し、神戸に戻ってきますが、妻が亡くなり、貧困の中で娘さんとも生き別れになります。
新開地のアパートに住み、港湾労働者として働きながら、創作活動を行いました。酒浸りの日々の中で、次々に作品が生まれていきました。
BBプラザ顧問の坂上義太郎さんによれば、「酒を必要とする時は、拾った板切れや洋服箱、あり合わせの厚紙などに描いて売った」そうです。
「描いては売り、売ってはまた描く。けれどそうして手にした金は、すぐに酒へ化けてしまった」・・・

展示されていた作品の題材は、神戸の街の風景、皿に盛られた魚、日々接していた女性、花などですが、私にはとりわけ、新開地など神戸の夜の街を描いた作品が印象的でした。
黒を基調にして、さまざまなネオンサインの文字が多彩に描きこまれています。確かに荒々しいタッチなのですが、たいへん完成度の高い作品のように感じられました。
私には、評価が確立している「大家」の域を突き抜けた、最高峰の作品群であるように思われました。単なる素人の感想に過ぎませんが・・・

ひととおり鑑賞した後、もういちど、夜の街を描いた作品群を見ていますと、かつて新開地近辺にあった、喫茶「名の無い茶房」「一休」、劇場「国際ミュージック」、クラブ(?)「曲線」「大$」、バー「オアシス」といった名前と光景が甦ってきました。
とても不思議な時間でした。(敬称略)