久元 喜造ブログ

2014年10月16日
から 久元喜造

高層タワーマンションと大都市の未来

7月16日のブログ でも取り上げましたように、福岡との人口の逆転も見込まれる中、神戸の人口を増やす方策を考えていくことは必要です。
ニュータウンや農村地域の人口減が続く一方、人口増をもたらしている要因のひとつが、中央区などで増えている高層タワーマンションです。
そこで、庁内には、神戸の人口増を図っていくためにも高層タワーマンションの建設を歓迎する向きもありますが、このような方向は正しいのでしょうか。

マンションの中にはファミリータイプのものも多く、おおむね20階以下のマンションにはこのタイプも多いようです。しかし、20階を超える高層タワーマンションの住人は、一人暮らし、あるいは夫婦だけの世帯が多いのが特徴です。
各住戸は遮蔽性、密閉性が高く、互いの交流も少ない上、PTAなどを通じて地域と関わることも少ないと言われます。区役所の担当者からは、地域活動への参加も低調という傾向も、指摘されています。東遊園地のイベントに対しても、「うるさい!」との苦情が寄せられるとのことです。

とくに中央区では、高層タワーマンションが商業地域で数多く建設されていますが、本来、商業業務施設の立地が想定されている地域で、巨大な閉鎖的居住空間が広がっていることが、商業活動や人々の交流、回遊性にどのような影響を与えているのかについては、検証が必要かもしれません。
また、マンションに限らず高層建築物が増えていることが神戸の景観にどのような変化をもたらしているのかについても、さまざまな見方があることでしょう。

高層タワーマンションが聳え立つ街が30年、40年後にどのような姿になっているのか、想像をめぐらしていく必要がありそうです。
都市の活力、都心におけるまちづくり、「顔の見える地域社会」の観点などを含め、都市の未来像をしっかりと描きながら議論していくことが求められます。


2014年10月13日
から 久元喜造

書店復活への険しい道のり

台風19号が接近しています。
さきほど、市役所の危機管理センターに赴き、広瀬危機管理監をはじめ幹部のみなさんから対応状況の説明を受けました。万全の態勢で臨むことにしています。

さて、昨日、10月12日(日)神戸新聞朝刊「正平調」は、書店のことを取り上げていました。

兵庫県内で指折りの老舗書店、来年で操業130年になる洲本市の成錦堂が、シャッターを下ろしたままで、破産申請の準備に入ったのだそうです。
「淡路島に縁があった一人として、紙面に載ったシャッターの写真を悲しい思いで見つめた」とあり、こう続けます。

「地域文化の担い手といえば、神戸・元町の海文堂書店も創業99年で幕を閉じた。総合書店が6店もあった元町で、最後の店として踏ん張っていた。活字離れと言えばそれまでだが、神戸であれ淡路であれ、書店が消えていけば街の風格までなくなるように思えてしまう。」
そして、熊本市の長崎次郎書店が復活したことにふれ、次のように結ばれていました。
「街中に活字文化の灯がよみがえる。そんな話題が兵庫でも・・・と夢見る」

複雑な想いで読みました。
4月5日のブログ で触れましたように、何とか元町に書店を復活させたいと願い、行動を開始しましたが、必ずしも順調ではありません。地元の反応も冷ややかです。
力不足を痛感します。

回りのお店の儲けには関係ないかも知れませんが、「正平調」で触れられているように、街中の書店が次々に消えていくことは、神戸の街の風格に関わります。
近いうちに人口で福岡に抜かれることになる神戸は、人口規模にばかりこだわるのではなく、風格とブランドをより大事にしていかなければならないと思います。

書店が次々に消えているという現実を前に、手をこまねいているわけにはいきません。
険しい道のりで、少し時間がかかるかもしれません。一歩後退二歩前進するつもりで、活字文化の灯がよみがえる夢をあきらめることなく進んでいきたいと思います。


2014年10月11日
から 久元喜造

防犯カメラだけでは犯罪は防げない、されど・・・

長田区女子児童の痛ましい事件などを踏まえ、昨日、臨時記者会見を行い、防犯カメラ防犯ブザーに関する5300万円の補正予算について発表しました。

防犯カメラについては、今年度当初予算では、63カ所分、945万円(1カ所当たり上限15万円)を計上しています。
すでに申し込みを締め切っていますが、今回の事件を受けて、各地域から設置要望が相次いでおり、長田区内だけでも100カ所以上に上っています。
そこで、今回、約250カ所分に当たる4000万円を追加計上することにしたものです。
これで平成25年度に比べ、十数倍の予算が確保されることになります。

今日のほとんどの各紙朝刊に記事が載っていましたが、同時に、記者会見では、次のようなこともお話ししました。

・防犯カメラや防犯ブザーだけでは凶悪犯罪は防げない。しかしだからといって、これらの対策を講じるべきではないということにはならない。行政の立場から、犯罪抑止につながると考えられることは、速やかに実施に移していく必要がある、今回の措置は、その一環だ。
・凶悪犯罪が発生する社会的背景にも目を向けていく必要がある。そのひとつの要因として、都市の中の孤独、孤立があるのではないか。
・都市は匿名性の社会であり、放っておいてほしい、と考える人も多い。しかし、社会に背を向けながら、つながりを求め、助けを待っている人もいる。そのような緊張関係を意識しながら、「顔の見える地域社会」をどうつくっていくのか、いろいろなレベルで考えていきたい。
・とりわけ、子ども、高齢者などへの見守りは大切だ。いわば、「地域の眼」だ。これら人の眼に防犯カメラも加え、「地域の眼」を充実させていくという考え方はとれないだろうか。
・プライバシー保護の観点からは、自治会などに対し、記録媒体の提供などについてのルールを定めた規程の作成とその遵守を求めていきたい。

凶悪犯罪の抑止のために、行政としてやるべきことは、しっかりやっていきます。
同時に、さまざまな角度から建設的な議論が行われ、市民レベルでの行動につながっていくことを期待したいと思います。


2014年10月7日
から 久元喜造

坂本義和先生のご逝去

きょうの各紙は、坂本義和 先生のご逝去を報じていました。
国際政治学者として、戦後の論壇をリードして来られた先生の訃報に接し、深い悲しみを覚えます。

私は、1974年、坂本先生の国際政治の授業を受けました。何と、理論的・体系的で、知的刺激に満ちた講義だったことでしょう。
坂本先生は、教科書はお使いにならず、板書で説明されながらの講義でしたので、必死にノートをとったのを想い出します。

戦後の代表的な進歩的知識人と見なされることが多かったようですが、戦争、国際紛争に関する理論的枠組みについての考察には説得力があり、学生をうならせました。
“The game of chik’n” の理論、その実際的応用としてのナチス・ドイツがとった行動に関する考察などは、鮮やかに想い起こされます。
1970年代半ばの国際政治は、冷戦構造からの脱却が世間の主たる関心事でしたが、先生の視線は、もっと先に注がれているように思えました。
坂本先生は、発展途上国における社会矛盾を、単に国内問題としてではなく、もっと大きな視点、”center – periphery”  的な視点から捉えておられました。
また、19世紀に確立された “Nation- State System” は、1970年代にはすでに揺らぎ始めており、international なレベルと、local なレベルに分解していくだろう、と指摘されていましたが、とりわけヨーロッパ世界はそのような方向に向かいました。「グローカル」を、すでに予言されていたことになります。

坂本先生の講義に感激した私は、翌年度、先生のゼミを受講しました。チューダー王朝から米国の統治構造に至る政体論に関する英文の輪読で、積極的に議論に参加しました。

一昨年、神戸に戻った頃、朝日新聞に紹介されていた『人間と国家 上・下』の感想をお送りしたところ、坂本先生からお手紙をいただきましたが、先生は、その中で、コミュニティとしての自治体の使命を強調されていました。
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一度、坂本先生に、現代における国際社会と地域社会の関わり、その未来図についてお話をお伺いしたいと思っておりましたが、永遠に叶うことはなくなりました。


2014年10月7日
から 久元喜造

稲葉真弓さんのご逝去

新聞記事を読み落としたのでしょうか。
作家の 稲葉真弓 さんが8月30日に亡くなられていたことを、最近知りました。
『風変りな魚たちへの挽歌』 は、私の愛読書です。神戸に帰って来てからは読んでいませんが、東京にいたときは、深夜、この小説を適当に開き、ウィスキーのロックを呷りながらよく読んだものでした。
少し、ボロボロになっています。
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「風変りな魚たちへの挽歌」は、主人公が二十歳を過ぎて上京するまで住んでいた故郷の回想です。
二つの大きな河に挟まれた町。その町にあるのは、「真っ黒に変色して黒光りする格子戸、男湯と女湯の仕切りの木の壁が、半ば腐りかけている銭湯・・・・、藻屑や藻で年中澱んでいる運河の水」です。
川の汚染が進む中で、タナゴに耽溺していたモンとの不思議な出会いと別れ、喫茶店<かるかや>を舞台にした友だちとの関わりが回想されます。
このほか、「水の祭り」「青に佇つ」「帰郷」の4編が収められています。

稲葉さんは「あとがき」の中で、
「二十年にもわたって、私はひとつの物語を書いていたらしい。・・・・それぞれが独立した物語になっているが、自分の中に流れていた一本の「道筋」だけははっきり見える。河や魚など、私は自分の故郷の近辺をこれらの物語の中で漂流してきたのだ」
と記しておられます。

連作集になっていて、別々の物語なのですが、いずれも著者の故郷と思われる街を巡って回想と現実が交錯し、不思議につながり、ひとつの物語になっています。
どのページを開いて読み始めても、そこからは、懐かしく、いとおしく、甘酸っぱく、ほろ苦い空気が立ちのぼってきて、適度な酔いともあいまって、愉楽の時間を送ることができたのでした。

長い漂流に終止符を打ち、ふたつの河に挟まれた故郷にお帰りになられたのでしょうか。


2014年10月5日
から 久元喜造

尾崎翠の東京往還

先週の日曜日、 9月28日のブログ で、久坂葉子(1931 – 52)のことを取り上げました。そのとき、神戸文学館 で連想したのは、尾崎翠 のことでした。半年前くらいにも、新聞の書評に取り上げられていました。

尾崎翠(1896-1971)は、鳥取市出身の女流作家です。教科書に出てくるような有名作家ではありませんが、隠れた、熱烈なファンは多いことでしょう。
池内紀氏は、『出ふるさと記』の中で「彷徨」と題する章を設け、尾崎翠を取り上げています。
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尾崎翠の小説は、大正デモクラシーの頃の東京を舞台にしていますが、今読んでも驚くほど新鮮です。とてもいきいきとしていて、同時に切なく、科学的実証、あるいは非科学的な想像にあふれています。
個人的には、ねじれたファンタジーが感じられる『こおろぎ嬢』『地下室アントンの夜』が好きです。

早くから文学の道を志していた尾崎翠がはじめて上京したのは、1919年のことでした。
尾崎は、鳥取と東京との往復を繰り返します。代表作『第七官界彷徨』を発表したのは、1927年、7度目の上京を果たした後でした。尾崎の作家活動は、この後の5年間に集中します。

予想されたこととはいえ、文学への道は平坦ではありませんでした。
苦しかった生活の一端は、小説『木犀』の次の一節からも窺えます。

「お母さん、私のような娘をお持ちになったことはあなたの生涯中の駄作です。チャップリンに恋をして二杯の珈琲で耳鳴りを呼び、そしてまた金の無心です。しかし明日電報が舞い込んでも病気だと思わないで下さい。いつもの貧乏です、私が毎夜作る紙反古はお金にはなりません。私は枯れかかった貧乏な苔です」

「久坂葉子の誕生は悲劇名詞です」という一節に通じるものがあります。

1932年、鳥取に戻った後は、姪の世話をしたり、手製の雑巾を売り歩いたりしながら暮らしました。
長い忘却の後、尾崎の作品が見直され、東京の出版社が作品集の話を持って行ったとき、彼女は全身不随で、病院にいました。
翌年、ひっそりとこの世を去りました。

 


2014年10月3日
から 久元喜造

地震の予知は本当にできるのか。

私は、公務員になって3年目に、旧自治省消防庁防災課に配属され、防災の仕事を担当しました。
ちょうど、 大規模地震対策特別措置法 が制定されたばかりでした。
この法律は、当時、発生の可能性が高いとされていた 東海地震 を想定して、観測体制を強化し、地震の前兆現象が察知された場合には、気象庁長官が地震予知情報を出し、これを受けて内閣総理大臣はただちに「警戒宣言」を発令して、電車の停止、道路の通行規制など必要な事前対応をとることを主な内容としていました。

私は、まだ駆け出しの役人でしたが、この法律には素朴な疑問を持ちました。
それは、本当に地震の予知ができるのか、ということでした。
何人かの先輩に疑問を投げかけましたが、
「専門家が出来ると言うのだから出来るんだろう」
という返事が大半でした。
確かにそうかもしれませんが、地震の予知ができなければ、いくらその後の対応について緻密な制度設計をしても、それらは絵に描いた餅になります。

その後、現実に起きた大地震災害は、東海地震ではなく、1995年の阪神・淡路大震災、そして、2011年の東日本大震災でした。当時から今日まで、この両地震の発生を予知できた専門家はいなかったと言えます。
政府は、国民に対して「次に起こる大規模地震は東海地震だ」というメッセージを与えることになったと思われますが、結果は異なったものでした。

火山噴火予知の困難性については、今回の御嶽山の噴火で改めて明らかになりました。
東海地震、そして、南海トラフを震源域とする大規模地震については、しっかりとした対策を講じる必要があります。その上で、地震や火山の噴火に関しては、なお未知の世界が広がっているという意識で対応していくことが必要ではないでしょうか。
地震の予知に対して、現段階で、過剰な期待を抱くべきではないと考えます。

 


2014年9月30日
から 久元喜造

NHK『巨大災害』火山特集の先見性と問題点

御嶽山の突然の噴火により、かなりの方が亡くなられ、負傷されているとの報道には胸が塞がります。
専門家も含め、だれも予想もしていなかった事態だったと思います。

そのような中にあって、NHKが、9月21日、NHKスペシャル『巨大災害・火山大噴火』を放映し、火山の危険性について指摘していた事実は、特筆されると思います。
この番組では、米国イエローストンやイタリアのヴェスヴィオス火山など巨大噴火がメインテーマでしたので、今回の御嶽山の噴火を予見していたわけではありませんが、専門家は、水蒸気爆発など御岳山の噴火とも関連する内容を指摘しており、番組の先見性には驚かされました。
NHKスペシャル制作・取材陣の問題意識、科学的知見、取材力と番組構成力は、高く評価されるべきだと思います。

しかし、たいへん残念なやりとりがありました。タモリ氏と女性アナウンサーとの次のような会話です。

タモリ氏「なるべく早く予測ができるようになるのと、その少し平穏な間に、火山性の観光地に行って楽しむしかないんじゃないですかね」
女性アナウンサー「そうですね」

番組では、観光地化されている火山のありようについても警鐘を鳴らすことは十分出来たはずです。
「楽しむしかない」というコメントは理解できません。
著名タレントを起用し、内容がよく理解出来ていない女性アナウンサーと組み合わたことにより、すぐれた番組の価値が損なわれてしまったのは残念でした。
巨大噴火が来る前に火山を楽しむしかない、と国民を煽り、危険に陥れているという自覚はなかったのでしょうか。
NHKは、まだ 佐村河内問題 の失敗に学んでいないと思います。
視聴率ばかりを重視した安易な番組づくりを見直し、社内の優れた人材の良識や知見をもっと大切にすべきだと感じます。


2014年9月28日
から 久元喜造

「久坂葉子がいた神戸」

神戸文学館 の企画展に行ってきました。
お恥ずかしいのですが、久坂葉子という女流作家の存在は、まったく知りませんでした。
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1931年、川崎重工の創業者の川崎家に生まれ、ピアノ科に入学しますが、文学を志します。19歳のときの作品『ドミノのお告げ』」が芥川賞候補となり、次々に小説、戯曲などを発表していきました。
1952年の大晦日、阪急六甲駅で、阪急の特急電車に飛び込み、21歳の短い生涯を終えました。

ノートには、「浪漫、孤独、虚無、退廃」といった言葉が並びます。
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存在感のある魅力的な容貌です。
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仲間たちと打ち解けた、楽しげな写真もありました。
意識的に、コメディアンを演じていたのでしょうか。
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自作『されこうべの恋』の中の、「私はコメディヤンです」から始まる一節が紹介されていました。

「久坂葉子は喜劇名詞です」
「久坂葉子の死は喜劇名詞です」
「しかし、久坂葉子の誕生は悲劇名詞です」

いつか、作品を読んでみたいと思います。(文中敬称略)


2014年9月25日
から 久元喜造

最悪の結末を迎えて。

長田区女子児童行方不明事件は、最悪の結末を迎えました。
ご家族の悲しみ、憤りは、いかばかりかと存じます。
昼夜、行方不明児童の発見、登下校の見守り、児童のケア、対外的な対応などに当たられた学校長はじめ教職員のみなさんの衝撃は大きいことでしょう。
今回の行方不明事件の発生から、市民のみなさんが、ビラを配ったり、ポスターを貼ったりして、警察への情報提供を呼び掛けてくださいました。地域の不安が強まる中、子どもたちの見守りや地域パトロールにも、たくさんのみなさんが参加されました。
女子児童の無事発見を信じ、懸命の努力を続けてこられたみなさんの落胆は大きいことと拝察します。

私たちは、この事態を乗り越えていかなければなりません。
昨日、午後2時半から、臨時の局長・区長会議を開き、教育委員会をはじめとした今回の神戸市としての対応について検証するとともに、各区長から、地域住民のみなさんの不安感や行政に対する要望などについて報告してもらい、今後の対応について議論を行いました。

犯人が逮捕されたことにより、地域社会が底知れぬ恐怖におびえ続けなければならない事態は回避されました。捜査当局関係各位に、敬意と感謝を表したいと存じます。
しかし、地域住民のみなさんの不安がこれで解消されるわけではありません。

私たちは、今回の事件を起こすような犯罪者が存在することを前提として、子どもに危害を加える犯罪を抑止するために、全力を尽くしていくことが求められます。
緊急に対応しなければならない事項については、早急に方針を出したいと思います。同時に、市民的な議論が必要な対応が出てくるかもしれません。
衆知を尽くし、卑劣な犯罪から子どもたちを守ることが出来る、安全な地域社会のために闘っていきましょう。