久元 喜造ブログ

2016年6月19日
から 久元喜造

都知事への不信任が可決されていたら・・・

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舛添知事が辞職を決意されたのは、都議会が不信任議決に動いたからだと報じられています。
不信任議決に対しては、知事は都議会を解散できますが、これは、不信任議決が知事と議会の深刻な対立を解消する最終手段だからです。
不信任議決は、住民の信頼を失った知事を住民に代わって辞めさせる制度ではありません。
知事は住民から直接選ばれており、民主的正統性の根拠が議会の信任にあるわけではないからです。

今回、不信任議決が想定しているような事態は生じていたのでしょうか。
マスコミ報道の洪水を前にして慌てふためき、とにかく知事を早く辞めさせたかったというのであれば、政治的には意味があったとしても、制度の本質からは外れています。
都議会は、知事に対する監視という本来の役割をまともに果たさなかった言われても仕方がありません。

一方、自発的に辞めない知事を都民が辞めさせる方法としては、いわゆるリコールがあります。
住民が一定数の署名を集めて解職の請求を行い、投票で決します。
必要署名数は、原則、全有権者数の3分の1以上ですが、40万を超える部分は6分の1、さらに80万を超える部分は8分の1と定められています。
規模の大きな自治体での署名収集のハードルを下げているわけです。
このうち、80万人を超える部分は、第30次地方制度調査会の意見も踏まえた地方自治法改正により追加され、私は、総務省自治行政局長のときにこの改正を担当しました。
大都市などでのリコールを、少しでもやりやすくするための改正でした。

しかしながら、現行法での署名の要件、手続きはきわめて厳格で古臭く、多数の署名収集にはなお困難を伴います。
さらなる改善策の検討が求められます。


2016年6月17日
から 久元喜造

朝日新聞、青山佾元都副知事の珍説

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舛添知事の辞職に関する、朝日新聞の「耕論」(6月16日)を読みました。
この中で、青山佾元都副知事は、「都知事の権限は大統領なみ」ではない、なぜなら、都庁には「競争試験をくぐり抜けて採用された」と職員がおり、「知事と議会と職員はそれぞれ独立した存在」なのだと仰います。
そして「舛添さんはそうした都政の仕組みを理解せず、大統領のように何でもできると思っていた」と批判されます。

まことに珍奇な議論です。
我が国の地方自治体は、議会と知事・市町村長の二元代表制をとっていますが、これに職員を加えた、知事、議会、職員の三元鼎立制のような議論は聞いたことがありません。
職員は、知事の補助機関であり、知事を補佐し、一体となって行動すべき存在です。
議会とも、知事とも独立して存在する職員集団なるものが存在するなら、それは超然主義に立つ官僚制であり、代表民主制とも地方自治の理念とも相容れません。
これが都庁の実態だとすれば、次の知事は、相当多数のブレーンを引き連れて都庁に乗り込み、この不可解な構造に切りまないと民意の貫徹は不可能です。

また青山氏は、東京都は「23区では政令指定都市と同様の基礎自治体の役割も担っている。知事のではなく、都政の権限は非常に大きい」と指摘されますが、知事と独立した都政の権限なるものがあるのか、まったく理解できません。
それに、23区は、地方自治法で「基礎的な地方公共団体」と明記されており、基礎自治体は東京都ではなく23区です。

この紙面では、砂原庸介神戸大学准教授、江川紹子氏が説得力のある議論を展開されていましたが、青山氏の主張には、首をかしげる点が多く、こんな意味不明の議論を展開されて一番迷惑しているのは、都庁職員のみなさんではないかと心配です。


2016年6月14日
から 久元喜造

東遊園地・芝生化へ

東遊園地は、都心の貴重なオープンスペースです。
しかし、中央にあるグラウンドは、行事やイベントの期間以外は、どちらかと言えば閑散としており、さらなる活用が求められていました。
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これまで、デザイン都市創造会議などで芝生化の提案がなされ、平成27年9月に策定された「神戸の都心の未来の姿・将来ビジョン」では、たとえば以下のイメージのような、にぎわい創出に向けたエリアと位置付けられました。
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これを受け、部分的に芝生化の実験を行ってきましたが、5月31日、いよいよ本格的な芝生化に向けた工事に着工しました。
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芝生化した後のエリアでは、追悼式典やルミナリエなどさまざまな行事が行われ、 芝生にも大きな負荷がかかることでしょう。
そこで、芝の種類や保護材、土壌改良材を組み合わせ、10パターン以上の方法を用意し、日常的な利用や大規模イベント時における芝生の損傷具合、その後の回復状況などを検証することにました。
一部の実験区ではビッグロール工法を採用し、工期や養生期間の短縮を目指します。

今回の取り組みがうまくいく保証はなく、あくまでも実験です。
リスクを承知で、さまざまな手法を編み出し、組み合わせながら取り組んでくれている、建設局公園部のみなさんのチャレンジ精神に敬意を表したいと思います。

たくさんの市民のみなさんに参画していただき、東遊園地が、緑あふれる、しっとりとした賑わいのあるエリアに進化していくことができればと念じます。
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2016年6月13日
から 久元喜造

ペルー大使公邸突入事件

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ペルーの大統領選挙は、ケイコ・フジモリ氏が僅差で敗れるという決着になったようです。
ケイコ氏は、ご尊父フジモリ大統領の功績と負の遺産の両方を背負いながら、選挙戦を戦わなければなりませんでした。

さまざな解説を含めた報道に接し、思い出されるのが、1997年(平成9年)に起きたペルー日本大使公邸突入事件です。
1996年12月17日、武装勢力が首都リマの日本大使公邸を襲撃。
当時、天皇誕生日祝賀パーティーを主催していた青木盛久大使ほか大使館員、ゲストなどを人質にとり、公邸を占拠しました。
事態は膠着状態に陥りますが、フジモリ大統領は、武装勢力と交渉する一方、救出を強行する作戦を立案。
密かに7本ものトンネルを掘って、慎重に準備を進めました。

1997年4月22日(現地時間)、特殊部隊は綿密に練られた作戦計画に基づき、大使公邸に突入。
人質の解放に成功しました。
特殊部隊の隊員二人が亡くなりました。

私は当時、内閣官房内政審議室内閣審議官で、内閣の危機管理チームに所属していました。
4月23日(水)の私の日記です。

「5時半、緊急参集の電話あり。ペルーの大使公邸に強行突入。タクシーで8分弱で到着。与謝野副長官ほかに電話。総理が青木大使に電話」

この作戦は、当時の困難な状況を考えれば、奇跡的な成功だったと評価されました。
強力なリーダーシップは、治安の回復には必要でしたが、軋轢も生み、フジモリ氏は今もいくつかの罪状で収監されています。
ケイコ氏の今後も含めペルーの政治は、広い視野でペルーの人々が判断されることですが、フジモリ大統領の卓越した判断により、多くの命が救われたことは、日本人として忘れるべきではないと、当時を思い起こしながら感じます。


2016年6月12日
から 久元喜造

トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻(上・下)

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トクヴィル(1805 – 1859)は、フランスの政治思想家、政治家人物です。
1830年代に米国各地を旅行した考察に基づき、名著『アメリカのデモクラシー』を著しました。
1835年に第1巻が、1840年には第2巻が書かれました。

トクヴィルのこの代表作を読むことにした動機は、もちろんコミュニティレベルにおける自治のあり方について、原典に立ち返って研究したいという点にありました。
トクヴィルは、ニューイングランドの地域共同体の制度と実態を詳しく調べ、こう結論付けます。
「ニューイングランドの住民がタウンに愛着を感じるのは、それが強力で独立の存在だからである。これに関心を抱くのは、住民がその経営に参画するからである」

本書の考察の範囲は、連邦憲法に基づく統治機構、司法権、立法権、そして公務員制度などの制度のほか、政党、政治的結社、出版の自由などに及び、米国の民主政治のありようを浮き彫りにします。
また、連邦政府と州政府との関係は、米国政治・行政制度を考察するうえで不可欠ですが、この点についても、当時の政治状況を踏まえながら、詳しく論じています。
連邦政府がインディアンの権利に一定の理解を示す一方、州政府の力は強く、入植者の権益を背景に州がインディアンを放逐していく理不尽も鮮やかに描かれていました。

トクヴィルは、米国人とロシア人が「どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる」と記し、本書を結びます。
未来を透徹できる稀有な知性によって、本書が記されたことがよくわかりました。


2016年6月8日
から 久元喜造

居酒屋は街の賑わい

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6月5日、日曜日の日経新聞に「居酒屋の灯に時代が映る」という見出しを見つけました。
大島三緒論説副委員長による「中外時評」です。

昭和の頃、酒を飲むと大騒ぎするのが普通で、ひとり酒にはうら寂しい雰囲気がつきまとっていました。
「高倉健さんの代表作「駅STATION」では、健さんが倍賞千恵子さんの店でコップ酒をあおり、そこに「舟唄」が流れるのである」。

そういう飲み方は、すっかり変わりました。
「『ひとり』を楽しみつつ必要なときは集まり、またさっと離れる」と、大島さんは言います。
その背景には、「集団主義、横並び主義を旨としてきた近代日本社会の転換」があるとか。
最近は、「ひとりなら、自分のペースで、そのときの懐具合に合わせて酒を楽しめる」ようで、外食チェーンの「ちょい飲み」、仕事を適当に切り上げて一杯やる「4時飲み」などがあるそうです。
若いころから、ほとんど飲むスタイルを変えていない私にとっては、新鮮な情報でした。

飲み方がどのように変化するにせよ、この時評が最後に指摘しているように、
「居酒屋は人を街に滞留」させます。
神戸に限らず、日本の都市は、昭和の頃に比べ、人口は増えているのに、街の賑わいが減っているのはなぜか。
その大きな原因としては、人々が自分の部屋に閉じこもり、街に出てこなくなったことが挙げられます。
今年度、「いかにして賑わいを創り出すのか」をテーマにしたプロジェクトチームを立ち上げました。
居酒屋に関する議論も参考にしながら、まったく新しい視点で、斬新なアイデアを出してほしいと期待しています。


2016年6月4日
から 久元喜造

宮下奈都『羊と鋼の森』

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2016年の「本屋大賞」を受賞した小説です。
ピアノをやっている家内から借りて読みました。
NHKの朝のニュースでも紹介されていた話題作です。

主人公は、高校生の時に、学校の体育館でピアノを調律する場面に立ち会ったことから、インスピレーションを得て調律師になることを志します。
先輩からそれぞれのありようで指導を受けながら、自問自答を重ね、成長していく過程が綴られます。

青年が育ったのは、北海道の山あいにある集落。
森の中に響くさまざまな音たちとともに育った主人公には、もともと音に対する感性が備わっていたのでしょう。
試行錯誤を繰り返し、音に対する要求水準を高めながら、調律の技術を磨いていきます。

ピアノという楽器は、奏者が鍵盤に触れる場所と、弦が音を鳴らす場所が遠く離れており、その間に、たくさんの部品が介在しています。
精巧なメカニズムからできているピアノという楽器の良し悪しが、演奏家の技量とともに、演奏の完成度を左右しますから、調律師の役割は、重要です。
技術的な習熟とともに、豊かな感性が大事なお仕事であることが改めて理解できました。

物語は、ドラマティックな展開もなく、淡々と進んでいきます。
登場人物は、いずれも良心的で、ひたむきな人たちばかりです。
それぞれの想いが通じ合い、思索が深まり、幸福感が広がっていきます。

柔らかな文体で綴られた良質なメルヘンでした。


2016年5月31日
から 久元喜造

産経社説「大震法を直ちに撤廃せよ」

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5月30日の産経新聞社説は、
「東海地震だけを対象として防災対策を定めた大規模地震対策特別措置法(大震法)は直ちに撤廃すべきである」と主張しておられます。
まったく同感です。
この法律を廃止するか、東海・東南海・南海地震への対応を一体的に規定した新法を制定すべきだと思います。

私は、2014年10月3日のブログ でも記しましたように、大震法には大きな疑問を持ってきました。
公務員になって3年目、消防庁防災課に配属されたとき、この法律ができたばかりでしたが、そもそも地震の予知などできるのか、確信を持つことができず、そのような疑問をもちながら、静岡県などに防災対策を「指導」する仕事に関わったものでした。

国は、国民に対して「次に起こる大規模地震は東海地震だ」というメッセージを発し続けたのですが、現実に起きた大地震は、東海地震ではなく、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災でした。
そして、今回の熊本の地震についても、国は予知どころか、何の事前メッセージも発することはできなかったのです。

もちろん、今後、東海地震の発生を否定することもできませんが、すでに神戸市を含め、南海トラフの活動によって起きる大規模地震を想定した対策が講じられつつある中、「東海の震源域だけが動く」ことを想定した国の制度は、国民の意識とも、国や自治体が執ってきた対策ともズレが生じています。

産経の社説が主張するとおり、「邪魔な法律」をこれ以上、存続させてはならないと考えます。


2016年5月29日
から 久元喜造

真山仁『当確師』

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神戸在住の作家、真山仁さんの作品です。(2015年12月中央公論新社刊)
主人公は、選挙コンサルタント、聖(ひじり)達磨。
高額の報酬で候補者選びから選挙を裏で仕切り、圧倒的な当選確率を誇ることから「当確師」の異名を取ります。
選挙の舞台は、日本を代表する政令指定都市・高天(たかあま)市の市長選挙というのですから、興味津々、読み始めました。

顧客からの依頼を受け、彼が打倒を目指す敵は、 3期目を狙う現職、鏑木(かぶらぎ)次郎。
検事出身で、最初の選挙で現職を僅差で破り、市行政の刷新に乗り出した後は、国際交流や企業誘致に力を入れ、日本屈指の成功した自治体の首長として全国的に名前が知られています。
聖は、意外な対立候補を選定して、盤石の現職に戦いを挑んでいきます。
そしてその結末は・・・・

表紙には、
「目を背けるな、これが日本の現実だ」
の文字が踊っています。
「裏切り、二重スパイ、金権、盗聴、恫喝、お涙ちょうだいなんでもあり。選挙という壮大な人間喜劇には、欲望の全てが詰まっている」
とも。

2年半前の自分の選挙について言えば、聖のような選挙コンサルタントはいませんでした。
もっとも、私が知らないところでそのような人物が存在した可能性は排除できませんが、聖のように、勝てる候補者選びまで任された選挙コンサルがいたとしたら、私を選ばなかったことだけは確かでしょう(笑)。

小説では、市長や市役所の日常も登場しますが、自分のそれとはあまりにも大きな落差がありました。
家に執事がいるわけがありません。
また、鏑木は好き放題、自由に時間を使っていますが、土日も含め、時間のかなりの部分は拘束されるのが現実です。


2016年5月26日
から 久元喜造

オペラde神戸 『蝶々夫人』記事

去る3月12日、13日、神戸文化ホールで、「オペラde神戸」事業、歌劇『蝶々夫人』が上演されました。
主催は、神戸市、神戸市民文化振興財団、神戸市演奏協会。
プロデュースは、井上和世さんです。

月刊「音楽現代」5月号では、グラビアでこの上演について紹介されていました。
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蝶々夫人を演じた並河寿美さん、ピンカートン役の藤田卓也さん、シャープレス役の萩原寛明さん、スズキ役の名島嘉津栄さんに、それぞれ賛辞が贈られるとともに、「地元の合唱団が見事だったし、子どもの健気な演技も光っていた」と評されています。
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演出については、次のように記されています。
「井原広樹の演出は、いつ見てもよく練られた舞台を創り出している。今回も全幕を通して中央に据えられている素通しの家屋を回転させていろいろな場面に対応させ、簡素な舞台を動きのあるものにしていたのが印象に残る。秀逸な発想であるし、照明も生きてくる。美しい舞台だった」

同感です。
私はどういうわけか、第1幕はステージ上にいましたので、第2幕から鑑賞しましたが、本当に素晴らしい舞台でした。
神戸市民もたくさん参加し、一流の出演者のみなさんと一体となって、完成度の高いステージが現出していました。
記事を読み、改めて当日の熱気と感動を思い起こしました。