久元 喜造ブログ

2016年7月12日
から 久元喜造

危険家屋撤去の代執行

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先週、須磨区妙法寺にある空家の共同住宅2棟について、行政代執行による解体撤去を実施しました。
写真にあるようにきわめて危険な状態にあり、もうこれ以上放置できないと判断したからです。

私は、空家等対策の推進に関する特別措置法(空家特措法)の成立を強力に働きかけ(2014年11月21日のブログ)、老朽空家対策を進めてきました。
今回のケースは、この法律の施行前から建築基準法に基づく指導や命令を行っていたことから、建築基準法に基づく代執行となりました。
老朽危険家屋に対しては、市長に就任してから、今回の2件を加え、計6件の代執行を実施したことになります。
代執行は、公権力により私有財産に強制的に変更を加える行為であり、行政としてとり得る最終手段です。
老朽空家の所有者に対しては、まず自主的な改善を指導し、それでも改善が見られないときは勧告、命令を行い、なお解決に至らない場合であって、市民の生命、身体に危険が差し迫っているときに代執行に踏み切ることになります。

平成25年の住宅・土地統計調査によれば、わが国の空家比率は13.5%で、神戸市もほぼ同水準の13.05%です。
引き続き、空家対策を強力に進める必要があり、6月市会では、「神戸市空家空地対策の推進に関する条例案」を提案し、成立しました。
今年度からは、区役所や関係課による全庁的な実施体制も整えました。
関係の職員のみなさんも頑張ってくれています。
財産権の制限に踏み込むことになる難題ですし、所有者が不明のケースも増えていますが、市民のみなさんの理解を得ながら立ち向って行くつもりです。


2016年7月10日
から 久元喜造

選挙投票日に、杉田敦『政治的思考』を読む。

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きょうは、参議院議員選挙の投票日です。
是非、みんなで投票にいきましょう!

そんな日でもあり、政治に関する新書について記したいと思います。
杉田敦『政治的思考』
書店で、以下の目次を見て購入することにしました。

第1章 決定  第2章 代表  第3章 討議  第4章 権力
第5章 自由  第6章 社会  第7章 限界   第8章 距離

古典的名著の引用はなく、一貫してご自身の言葉で平易に語られています。
読者が、目が覚めるような鋭い分析や強烈な主張を期待するとしたら、多少物足りないことでしょう。
たとえば、「第2章 代表」で、筆者は「政治は・・・価値の複数性や多元性を前提としながら、いくつもの「正しさ」の間で調整や妥協を図る営み」だと説かれます。
常識的な視点です。

その一方、代表制の必要として「演劇」の文字が目に入った途端、いわゆるパフォーマンスから距離を置いた「代表」でありたいと考えている私は、違和感を覚えました。
しかし、「政治的争点や対立軸がはじめから明確でない」ことは確かであり、「代表による政治劇を観ることで明らかになっていく」のは、そのとおりだと思います。
新鮮な指摘です。

読み進めていくにつれ、筆者の思考方法が次第に浮き彫りになっていきます。
その到達点は、「第8章 距離」
「政治的思考にとって大切なのは、他の人との距離の感覚」だと筆者は説きます。
「距離の感覚とは「間合い」のようなもので、極端に距離をとればいいのものでもなければ、距離のないべったりとした関係に入ってもいけない」
成熟した思考のありようを感じました。


2016年7月7日
から 久元喜造

「あんしんすこやかセンター」って何?

「地域包括支援センター」は、地域における介護相談の窓口となる大事な施設です。
神戸市では、「地域包括支援センター」が制度化される前から、在宅介護支援センターがあり、「あんしんすこやかセンター」という愛称が付けられていました。
このため、「地域包括支援センター」ではなく、「あんしんすこやかセンター」の名称が使われてきました。
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この名称は、市民に知られているのか?
神戸市のネットモニターのみなさんのうち40歳以上の方にアンケートを行い、1391名から、以下のような回答をいただきました。
「よく知っている」15.0%
「聞いたことがある」34.0%
「全く知らない」51.0%
でした。

だいぶ前のことになりますが、400人くらいの市民のみなさんが参加された会合で、ある幹部が、
「今のお話は、あんすこセンターにお問い合わせください」
と答えたところ、すぐさま会場から
「あんすこセンターって何ですか?」
という声がかかりました。
職員のみなさんは、「あんすこセンター」と略し、市民は当然知っていると思っているようですが、この結果が示すように、半分以上の方が全くご存知ないのです。

施設の名前はたいへん大事です。
長ったらしく、何をしているところなのか意味不明の名前ではなく、施設の内容を端的に理解できる命名をすべきです。

とはいえ、いまさら変更すると混乱しますから、いまの名称でいくしかないのですが、少なくとも「介護」に関する施設だという表示や広報の工夫が求められるのではないでしょうか。
そして、命名は、役所本位ではなく、市民本位の発想で行うべきです。


2016年7月3日
から 久元喜造

日本語歌詞による「ドイツ・レクイエム」

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昨日、神戸朝日ホールで、ブラームスのドイツ・レクイエムなどが演奏されたコンサートがあり、聴かせていただきました。
主催の「ドイツ・レクイエムを日本語で歌う会」は、聖歌隊メンバー、市職員、市民のみなさんなどで構成されるコーラスグループです。
会長の谷口惠一さんは、神戸市職員OBで、約13年の歳月を費やし、この大曲の日本語歌詞を完成されました。

コンサートの指揮は西牧潤さん、ソリストは、鬼一薫さん(ソプラノ)、萩原寛明さん(バリトン)などでした。
萩原さんは、市民オペラ『蝶々夫人』に出演されています。(2016年5月26日のブログ
オーケストラパートは、ウード・シュニーベルガーさん、三木野喜子さんの2台のピアノによって奏されました。

歌詞がすべて聞き取れたわけではありませんが、日本語歌詞によって各曲の内容と音楽の流れが理解できました。
次の予定があり、残念ながら第5曲「いまも悲しみがある」までしか聴くことができませんでしたが、演奏の完成度は高く、作品への帰依が感じられる素晴らしい演奏でした。

ドイツ・レクイエムに先立ち、第1部として、ブラームスの「2台のピアノのためのソナタ ヘ短調 Op.34b」が、シュニーベルガーさん、三木野さんによって演奏されました。
この曲は、ピアノ五重奏曲としては聞いたことがありましたが、2台ピアノによる作品があることは知らなかったので、興味深く拝聴しました。
4楽章形式の大曲で、演奏は力強く、第3楽章では神秘的な響きも聞こえてきました。
膨大な労力と大きな情熱が結集して実現した今回のプログラムが、ぜひ再演されることを期待したいと思います。


2016年7月2日
から 久元喜造

西宮市「政治家は投票した人の代表」

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複数の報道が伝えるところによれば、西宮市は広報紙で、
「政治家は『国民の代表』ではなく、『投票した人』の代表に過ぎない」
と説明しているそうです。
呆れ果ててしまいました。

私もときどき、前回の市長選挙でほかの候補を支援した方から、
「久元市長は、私たちの代表ではありません」
と言われることがあります。
このような考え方、あるいは受け止め方を否定することはできないと思います。

しかし、国や地方自治体がそんなことを言うのは論外です。
代表民主制の基本原理によって運営され、その決定は国民、住民を拘束するからです。

選挙によって選ばれた議員や首長は、国民や住民の代表です。
選挙で選ばれた政治家は、自分に投票してくれた人のみならず、ほかの候補者に投票した人、棄権した人を含めたすべての国民、住民の立場に立って行動することを要請されているのです。
だからこそ、代表によって決定された事項は、その代表に一票を投じなかった人、選挙に行かなかった人に影響を与え、ときに拘束し、その決定に従う義務を課すのです。

このことを否定していては、代表民主制は成り立ちません。
政治家が投票した人だけの代表だ、という立場をとるとすれば、投票に行かなかった人の意見は国や自治体の運営には反映されないことになり、深い政治不信と疎外感を生むことでしょう。
このような暴論を述べ立てることが投票率向上につながるとは思えません。
社会の間に分断と亀裂を生むだけです。

西宮市の見解は、明確な憲法違反であり、早急にこのようなふざけた見解を撤回すべきです。


2016年7月1日
から 久元喜造

「敬老祝い金」の廃止のお詫び

神戸市では、これまで、満88歳の方に1万円、満100歳の方に3万円の敬老祝い金をお渡ししてきました。
今年の4月5日現在、 満88歳の方は7,491人、満100歳の方は360人おられ、今年度の予定額は、約8500万円です。

私は、人口減少と高齢化が進み、介護などに要する費用の増加が見込まれる中、敬老祝い金の見直しは不可避ではないかと考え、平成28年度予算編成に先立ち、廃止の方向性を打ち出しました。
財政的な制約が強まる中で、目的に照らして効果が期待できる施策に財源を重点的に投入する必要があると考えたからです。

市会での審議においては、
「提案はあまりに唐突過ぎる」
「対象となる方に市長の気持ちを直接伝えることが必要」
「健康保持や生活支援など高齢者施策を充実させることが必要」
など具体的なご意見、ご提言をいただき、予算案は可決されました。

市会でのご提言を踏まえ、4月末から、支給対象のみなさんへ私の想いを記した手紙をお送りするとともに、パブリックコメントも実施し、6月議会に廃止条例案を提案しました。

市会の審議では、
私から、
「高齢者の市民のみなさまには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今年度は、在宅医療・介護連携支援センターの設置・運営や健診の充実、認知症対策の充実などに振り向け、高齢者施策を一層充実させていきます」
との決意を表明し、去る24日の本会議で条例案は可決されました。

市会議員各位におかれましても、苦渋のご判断だったことと拝察します。
賛成いただきました議員各位に感謝を申し上げます。
市民のみなさん、本当に申し訳ありません。


2016年6月27日
から 久元喜造

原宏一『握る男』

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後世から「バブル」と呼ばれる時代がありました。
1980年代後半から1991、92年くらいまでとされています。
この小説は、この時代を舞台に、寿司職人見習いからのし上がり、破滅していった男の物語です。
文句なく面白かったです。

バブルの片鱗がまだ見えない1981年冬、両国の「つかさ鮨」に、当時21歳の金森が入店します。
そして、ほどなく16歳の少年が後を追うように入ってきます。
あだ名はゲソで、背丈は子どもほど。
童顔というより幼顔の彼は、愛嬌があることから周りから可愛がられるようになり、店内で一目置かれるようになります。
「握り」の技術も抜群。
卑怯な仕掛けも駆使しながら、店内でのしあがり、横綱龍大海にも気に入られる一方、その弱みもしっかり「握る」のです。

ゲソの決まり文句は、相手の「キンタマを握る」こと。
握りさえすればあとはこっちの思うがまま、とうそぶくゲソは、常に策略をめぐらし、上を目指します。
ゲソと金森の上下関係は、ある日逆転、金森はゲソの側近として徹底的にこき使われることになります。

ゲソの欲望は肥大し続け、外食産業のみならず、生産者団体を支配するまでになります。
その一方で、事業の拡大と支配欲に毒され、金森をはじめ部下には無理難題を押し付け、狂気にさいなまれていくゲソに待っていた運命、そして、物語の最後で明らかになる意外な事実とは・・・

バブルの時代がよく描かれている小説です。
同時に、人間の欲望、抗いがたい運命、組織の成長、飛躍と破滅、人情の機微など、時代を超えた人間ドラマが展開されていました。
市役所の若手のみなさんにも読んでほしいと思います。


2016年6月26日
から 久元喜造

不発弾処理が無事、完了

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神戸市中央区中山手通のマンション建設現場で見つかった不発弾は、無事、処理が完了しました。
この不発弾は、戦時中の神戸空襲のときに投下された焼夷爆弾で、5月31日の発見以来、自衛隊、警察、消防、神戸市、関係事業者などが連携し、準備を進めてきました。
きょうは、午前7時30分、相楽園会館に現地対策本部を設置。
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午前9時、自衛隊中部後方支援隊による作業が現地で開始されました。
第103不発弾処理隊による作業の状況が刻々と報告され、緊張の時間が過ぎていきます。
最初に弾底の信管が除去され、続いて弾頭の信管の除去が成功した報告が入ると、本部に安堵の空気が広がりました。
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さっそく現地に赴き、午前11時40分、安全化宣言を行いました。
命の危険と隣り合わせの作業を完遂していただきました自衛隊の皆様に、心から感謝を申し上げました。
左が弾底の、右が弾頭の信管です。

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焼夷爆弾は、自衛隊のトラックで運び出されていきます。
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自衛隊、警察、消防、NTT西日本、関係事業者をはじめ関係各位のご尽力に心より感謝申し上げます。
また、整然とした避難を行っていただきました周辺住民のみなさんのご協力にも御礼を申し上げます。

 


2016年6月23日
から 久元喜造

日経新聞「都知事の資質」

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きょうの日経新聞に、インタビューが掲載されました。
「あなたは首長としての資質があると自分で思っているのか?」という質問は括弧に入れてもらうことが条件でインタビューをお受けし、評論家としてお話しました。

思うに、二代続けて都知事が任期途中に辞めるというのは異常な事態であり、のびやかにリーダー論を語っていても答えにはなりません。
猪瀬氏も、舛添氏も、厳しい批判を受けて辞任に至った理由は、政治資金です。
両氏には、残念ながら政治資金について支えてくれる専門家がいなかったと推測されます。

三度このような事態に陥らないためには、次の都知事は、政治資金を含めたリスク管理についてサポートしてくれる人材を周囲に持つことが不可欠です。
東京都の仕事の範囲は広く、組織は巨大で、そのトップは首都の顔です。
都知事の存在の大きさを考えると、都庁官僚によるサポートだけでは限界があります。
一匹オオカミのような都知事が単身で都庁に乗り込むと、官僚に取り込まれ実質的に官僚が仕切る都政になるか、孤立して都政が停滞するかのどちらかでしょう。

1100万人の有権者がいる東京都のトップを選ぶ選挙では、高い知名度とタレント性が求められることは否定しません。
しかし、富士山のように遠くから仰ぎ見ていかによく見えるかだけで候補者を選び続けていたら、残念な結果をもたらします。
近くにいる人たちからも信頼される人物であって初めて、優れた人材を集めるリクルート能力を獲得できるのだと思います。
誤った判断をしたら「そんなことをしてはだめです」と助言してくれる、そんなブレーンを持つことができる人物が求められるではないでしょうか。


2016年6月22日
から 久元喜造

読売・品田教授「若者の意識変える機会に」

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参院選が公示になり、昨日の読売新聞「論点スペシャル」では、神戸大大学院法学研究科の品田裕教授が若者の選挙権行使について論じておられました。

若い世代が投票になかなか行かない理由の一つは、「投票に行っても何も変わらないし、行っても無駄だと思っている人がいるから」です。
つまり「選挙に行くかどうかは自由だ」という発想が前提になっています。
このような現実に対して、品田教授は「まず「選挙には行くものだ」という前提を持ってもらって、そのうえで行くか行かないか判断してほしい」と指摘されます。
私には、とても新鮮に感じられました。

というのは、低投票率の原因として、これまでは、政治不信、争点・対立軸の不在、候補者の魅力不足など、有権者との関連における外部要因が挙げられてきたように思われるからです。
このような主流の論調と比較すれば、若者を含む有権者の投票態度に対する真正面からの指摘は、ある意味で勇気ある発言と感じました。

品田教授は、「選挙で投票するという経験は、判断力を磨くよいトレーニングの機会だ」とおっしゃいます。
「1年に1回でも投票をしている人と、全く背を向けている人とでは、その差が出てくるはずだ」とも。
「選挙の前に誰に投票するかを考えることは、社会生活で判断を迫られたときに、短時間で効率的に判断する力も養う」ことは確かです。
投票権の行使は、政治にに対する参加という側面にとどまらず、自分自身との対話でもあるのです。
社会にとっても、個人にとっても、ニヒリズムから得られるものはとても貧しいということなのかもしれません。