久元 喜造ブログ

追谷墓地

2013年6月26日
から 久元喜造

「水のいのち」 ― 私が好きな曲①

ようやく梅雨らしい日が続くようになりました。
きょうも、朝から雨が降っています。

雨が降り続く夜などに、ときどき聴く曲が、合唱組曲『水のいのち』です。
高野喜久雄:作詞、高田三郎:作曲。
演奏は、神戸市混声合唱団です。

5曲からなる合唱組曲の第1曲は、『雨』。

降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
立ちすくむものの上に
また 横たわるものの上に

降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
許しあうものの上に
また 許しあえぬものの上に

いがみ合ったり、憎み合ったり、傷つけ合っても、本当は、最終的に赦し合うことができたら、それがいちばんよいのでしょうが、ときには、赦し合うことができないことがあるのは、人の世の常です。
そんな赦しあえぬ人々の上にも、雨は降り続けます。

子どもの頃、残念ながら、いさかいの多い家庭でした。
両親と祖父母は、最終的に、お互いに赦し合うことができなかったように思われました。

いま、両親は、住吉霊園に、祖父母は、追谷墓地に眠ります。
東京にいたときを含め、両方の墓にお参りしてきましたが、墓参りする日は、不思議に雨の日が多かったことを思い出します。

追谷墓地は、物心ついたときからお参りしてきた古い墓地です。
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佇まいは、半世紀以上前からほとんど変わっていません。
雨の日の夕刻、ほかに墓参に訪れる人もなく、ただ雨が、祖父母の墓石の上に、五色の石の上に、水たまりができた墓道の上に、そして、墓地を囲む山々の上に、降り続いていました。

 

 


2013年6月25日
から admin

メディア掲載状況(2013年6月25日)

6月24日(月)に、久元きぞうが自民党・神戸市連からの推薦を決定いただいた件をメディアにも取り上げていただいておりますので、ご紹介いたします。


2013年6月25日
から 久元喜造

「特別自治市」について⑤(歴史に学ぶ)

「特別自治市」の実現のためには、何が必要でしょうか。
ここで想起されるべきは、1947年に制定された地方自治法で、「特別市」が制度化されたことだと思います。
地方自治法は、戦後の大都市制度として、東京向けには、戦時中につくられた「東京都制」を受け継ぐ「都区制度」を、そして、神戸などの五大市に対しては、 「特別市」の制度を用意しました。

「特別市」は、戦前において、東京市、大阪市、神戸市などの六大市が繰り広げた「特別市制」運動の成果でした。神戸市会も、自治を重視する大都市制度について議論を重ね、内務省に対して意見書を提出しています。
内務省地方局は、「特別市制」について真剣に検討した形跡がありますが、戦争の激化のため、地方制度論は逆の方向をたどることになり、東京市は、昭和18年、東京都制の制定によって解体されてしまいます。
しかし、戦前における長い運動は、戦後において「特別市」という形で結実することになりました。 残念ながら、制度化はなされたものの、府県側の抵抗により、実現されることはありませんでしたが。

神戸市は、このような歴史に学び、「特別自治市」運動を、ほかの心ある指定都市と連帯して進めていくべきだと思います。
そのような努力なくして、「特別自治市」の制度化はありえないことでしょう。
そして、そのような運動は、全国的規模で、地方自治制度改革の議論として行うべき事柄であり、兵庫県に対して行うものでもなければ、兵庫県と神戸市の間での論争の材料にすべきものではありません。
道州制への動きや次期地方制度調査会における地方自治制度改革の動きを冷静に注目しながら、全国を舞台に、戦略的に運動を展開していくことが求められます。

 


2013年6月24日
から 久元喜造

「特別自治市」について④(主張の合理性)

「特別自治市」の構想は、制度論として筋の通った、合理的な内容であると思います。
しかも、大阪都構想を実現するための「大都市地域における特別区の設置に関する法律」(大都市法)が施行されてからは、「特別自治市」の制度が地方自治制度の中に存在しないことは、バランスを欠いたものとなっています。

大都市法は、「指定都市解体法」とも呼びうる内容であり、一定の手続きを経て、指定都市を解体し、特別区を設置することができるようにする法律です。
そして、法律の対象は、大阪市に限られるものではなく、単独で200万人以上の人口を擁する横浜市、名古屋市および大阪市、そして、隣接市町村を含めれば200万以上となる札幌市、さいたま市、千葉市、川崎市、京都市、堺市、神戸市を含む市町村が対象となっています。

大都市法の法目的は、府県と指定都市の融合一体化です。 府県が指定都市の機能を併せ持つ、つまり、府県が指定都市を呑み込む形で融合一体化を図ろうとするものです。 国権の最高機関が、府県と大都市の融合一体化の必要性を認めたという点は重要です。

「大阪都構想」を具体化した大都市法は、大阪市には当てはまるとしても、人口規模や人口集中地区の状況などが異なる、ほかの都市に適用して、指定都市を解体する必要などまったくありません。
しかし、すでに大都市法は施行されているのですから、その存在を前提にして考えざるを得ません。そうであるなら、融合一体化のためのもうひとつの選択肢である「特別自治市」の制度化が図られるべきことは当然です。

繰り返し申しますが、神戸などの指定都市が解体される制度がすでに存在していることを前提にして、主張すべきは主張すべしということなのです。

 


2013年6月23日
から 久元喜造

奥須磨にトンボを育てる会

「奥須磨にトンボを育てる会」設立20周年パーティーが、昨日、須磨区の北須磨団地自治会館であり、出席させていただきました。

河合信彦会長から、20年にわたる活動の紹介がありました。
トンボが生息できる環境の保護のほか、カワバタモロコの生息状況の調査、ホタルの調査と保護、アメリカザリガニの駆除活動など幅広い活動に取り組んでこられました。

懇親会では、じっさいに環境保護活動に携わっておられるみなさんから、いろいろとお話を聞かせていただきました。

もうだいぶ前から、アメリカ原産のアカミミガメが増え続け、日本の池や川でふつうに見られるカメと言えば、アカミミガメになってしまいました。
カメの生態に詳しい方から、アメリカのアカミミガメの生息環境では、ワニが頂点にいて、ワニなどの大型肉食動物がいる中で生き抜いてきたアカミミガメには、たくましい生命力が宿っているというお話をお聞きし、納得しました。
そんな過酷な環境の中で生き抜いてきた動物が、まったく環境が異なるやさしい日本の里山に入ってきたら、在来の固有種のカメが駆逐されていくのは当然のことです。
在来種のクサガメの保護活動についても紹介がありましたが、クサガメのほか、神戸市内でも絶滅が危惧されているイシガメの保護も、何とか進めていきたいものです。
6月20日のブログ でも触れましたが、私の少年時代、神戸の里山にはイシガメがふつうに暮らしていました。

さまざまな生物が暮らしていける環境は、多様で豊かな世界です。
外来種が固有種を駆逐し、外来種だけしか見られない環境は、ひといろの貧しい世界です。
多様な生物が息づく環境の価値をあらためてかみしめ、市民と行政が手を携えながら、前を向いて進んでいきたいと念じながら、会場をあとにしました。


2013年6月22日
から 久元喜造

「特別自治市」について③(域内分権)

きのう、6月21日のブログ では、指定都市における域内分権の必要性と、その一方策としての区長の権限強化について記しました。

「特別自治市」においては、都道府県と同じ広域自治体としての地位を併せ持つことになりますから、住民の意思を的確に反映させるための制度設計は重要で、「域内分権」の必要性はさらに大きくなります。

「特別自治市」と類似の仕組みは、一度、制度化されたことがあります。1947年に制定され、憲法と同じ日に施行された地方自治法では、「特別市」の制度がありました。
都道府県の権限を併せ持ち、都道府県の外に置かれる点で、「特別市」は、「特別自治市」と基本的に同じ制度でした。
当時の「特別市」の規定を見ると、「特別市」に置かれる区の区長は、住民が直接選挙することとされていました。これは、住民の身近なところで民主的正統性を有する機関が必要と考えられたからです。

しかしながら、人口集中地区が広がり、一体的な行政運営が求められる大都市において、内部にそれぞれ直接公選の区長が存在することは、特別市の市長や議会と意見が衝突することにもなりかねず、デメリットの方が大きいと思います。
域内分権を考える上で重要なことは、むしろ、「特別市」議会の内部に、区単位の区議会を置くことだと思います。「特別市」議会に区単位の常任委員会を設置し、事実上の区議会とすることも考えられるでしょう。
この場合、区長は、区議会、あるいは「特別市」議会の同意を得た上で、市長が選任することが考えられます。

いずれにしても、「特別市」においては、現行の指定都市以上に、区で完結するような仕事は、できるだけ、区長や区議会で決定していくようにしていくことが大切です。
同時に、そのような「域内分権」とのバランスを取りながら、「特別自治市」全体としての一体的な都市経営が可能となるような設計を目指すべきだと思います。


本山村役場跡の碑

2013年6月21日
から 久元喜造

区長の権限強化

きのうの午後、どしゃぶりの雨の中を、甲南大学 にお邪魔しました。
雨のキャンパスは、ちょうど、授業が終わったばかりだったようで、たくさんの学生さんが歩いていました。
その後、東灘区の本山、岡本地区を歩きました。

地域で活動されているみなさんと意見交換をさせていただき、ありがたかったです。東灘区の由来や、ほかの区とは異なる特徴などについても知らないお話をお伺いできました。
東灘区の成り立ちとしては、昭和25年4月に、まず、御影、住吉、魚崎の3町村が神戸市に合併し、続いて、10月に、本山、本庄の2村が合併して、今の東灘区になりました。
本山地域福祉センターには、ここに、旧本山村役場があったことを示す碑が建っています。

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きょうは、当時を知る方から、芦屋市に合併する話、また、甲南市という独立した市を設置するという考えもあったというお話をお聞きし、とても興味深かったです。

東灘区長の権限を強化し、地域の問題をいちいち市役所の相談しなくても、区長の判断でできるようにしてほしい、というご意見もいただきました。このご意見は東灘区の合併時の経緯を踏まえてのお考えであるように感じられました。
区長の権限を強化・拡大し、ひとつの区の中で完結している仕事について、区長の判断でできるようにすることは、東灘区に限らず、ありうることだと思います

身近な問題はできるだけ住民に近い行政レベルで解決できるようにしていくことは大切な課題であり、区長の権限強化は、そのための有力な方法です。
予算要求のありかた、市役所から区役所に移す具体的な事務の種類、組織体制のあり方などについて、具体的な検討が必要になりますが、全市共通の課題として、是非、実現させる方向で考えていくことが求められると思います。


2013年6月20日
から 久元喜造

池の水がいちばん澄んでいた。

1964年(昭和39年)、小学校5年のとき、新開地界隈から鈴蘭台に引っ越したましたが、しばらくは上沢の川池小学校に通っていました。

あるとき、担任の先生が、井戸の水、川の水、池の水を汲んできて持ってくる子どもを募りました。理科の授業で、水の濁りについて勉強することになり、どこの水が濁っていて、どこの水が澄んでいるのか、確かめることになったのです。

鈴蘭台にはまだ池がたくさんあり、よく鮒を釣りに行っていたので、
「ぼくは池の水を汲んできます」
と、先生に申し出ました。
そして、よく遊びに行っていた池の水を汲み、どんな容器に入れたのかは忘れましたが、いつものように神戸電鉄に乗って、学校まで運びました。

3種類の水を、それぞれフラスコに入れ、下に字が書かれた紙を敷いて濁り具合を確かめました。
理科の教科書には、一番澄んでいるのは川の水、次に澄んでいるのが井戸の水、そして、一番濁っているのが池の水、という説明が、写真とともに載っていました。
ところが、実際には、一番澄んでいるのは、私が汲んできた池の水だったのです。

先生が、教科書との違いをどのように説明したのかは、忘れてしまいました。
ただ、とても嬉しかったことを覚えています。
自分が汲んできた池の水が、いちばん澄んだ、きれいな水であったことが。

そしてとても誇らしかったのです。
あんな綺麗な池が家の近くにあり、そこで遊んでいられることが。
その池の水は澄んでいて、水底がよく見え、ドンコと呼ばれていた灰色の魚がじっとしていて、メダカの群れが泳ぎ、たまには大きな亀が私に驚いて水底に向かって逃げていく ― そんな光景に出会えることが。


2013年6月19日
から 久元喜造

「特別自治市」について②(府県との関係)

6月17日のブログ に続き、「特別自治市」について記します。
知事会などが問題にしている府県との関係です。

「特別自治市」が創設されれば、都道府県財政はマイナスの影響を受けるのではないかという指摘があります。
この点については、事務の移管に伴って「特別自治市」において増加する経費と、移管される道府県税の額を算出し、シミュレーションを行って判断していくことが求められます。

その上で、一般論として言えば、現行の指定都市は、都道府県の事務を広範に処理しているにも関わらず、これに必要な税制上の手当はほとんど行われていません。
このため、平成24年度においても、すべての指定都市が地方交付税の配分を受けていて、不交付団体はないのです。
したがって、「特別自治市」に事務権限を移譲するのに対応してすべての道府県税を移管しても、「特別自治市」の側に大きな財源余剰が生じるとは考えにくいと思います。
仮に「特別自治市」の財源が、事務との関係から見て今より増えるようなことになれば、地方交付税によって財源調整がなされますし、それでもなお都道府県に財源不足が生じるようなことがあれば、「特別自治市」と都道府県との間において、個別の財政調整が考えられてもよいでしょう。

いずれにしても、「特別自治市」創設に伴う財政問題は、冷静にテーブルについて議論すれば解決できる課題だと考えます。


雲雀丘小学校の上から丸山地区を望む

2013年6月18日
から 久元喜造

長田区・丸山地区を歩く

きのうの昼前、長田区の大日丘町、西丸山町などの丸山地区を歩きました。

山の麓、入り組んだ坂の上に開かれた街です。
街がつくられたのはだいぶ以前のことですが、ここ丸山地区は、私が子供のころから、コミュニティ活動が盛んな地区として、全国的にも知られていました。
少しずつ、高齢化が進み、地区に住んでおられる住民は、お年寄りが増えているようです。婦人会のみなさんを中心に、ふれあい給食、ふれあい喫茶などの活動が活発に行われているのはありがたいことです。住民のみなさんと行政が手を携えながら、いきいきとした活動がさらに盛んになっていってほしいと思います。

坂道が入り組み、高低差が大きい場所ですから、高齢者が増えるにつれ、移動手段をどう確保するかも大きな課題です。
今のところは、路線バスがそれなりの本数、出ているようですが、さらにきめ細かな対応が求められているように感じました。

また、空き家や空き地も目立つようになっており、これは全市的な課題ですが、防犯上、衛生上、景観上の問題があり、対策を強化する必要があります。

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坂道を登り切り、雲雀丘小学校の上から丸山地区を眺めました。