7月2日(火)に、久元きぞうが自民党本部からの推薦を決定いただいた件をメディアにも取り上げていただいておりますので、ご紹介いたします。
- 神戸新聞 「自民党本部が久元氏を推薦 神戸市長選」
- 朝日新聞 「神戸市長選で自民推薦」
- 毎日新聞 「久元氏の推薦を自民党本部決定 神戸市長選」
- 読売新聞 「自民、久元氏を推薦 神戸市長選」
- 産経新聞 「自民党本部が久元氏を推薦 神戸市長選」
2013年7月3日
から admin
7月2日(火)に、久元きぞうが自民党本部からの推薦を決定いただいた件をメディアにも取り上げていただいておりますので、ご紹介いたします。
きのうは、自民党の石破茂幹事長が来神され、三宮のそごう、元町の大丸前で、街頭演説が行われました。
ちょうどこの日、自民党本部は、秋の神戸市長選挙の候補者として、私を推薦する決定を行っていただきました。
石破幹事長は、このことにも触れられました。
今回の演説会は、もちろん、4日に公示される参議院議員選挙、兵庫県知事選挙への応援が目的ですが、神戸市長選挙についても触れていただき、たいへんありがたく、光栄に感じました。
生まれてはじめて、街宣車の上に乗り、マイクを握って、街頭演説をさせていただきました。
街を歩いておられる方は、自分のことをまったくご存じないでしょうから、名前と今の立場を申し上げた後、12年間の矢田市政の成果を簡単に紹介し、
矢田市政の受け継ぐべきところはしっかり受け継ぎ、変えるべきところは大胆に変えていきます、
人の動きと流れをつくり、神戸をもっと元気のある、もっとにぎわいのある街にしていきましょう、
三宮の歴史、雰囲気、香りを大切にしながら、待ったなしの三宮駅前再開発を進めていきます、
と訴えました。
この高さ、この位置から三宮駅前を眺めるのもはじめてでしたが、改めて、150万都市の玄関としては、こぢんまりした印象を受けました。
続いて、元町に移動し、大丸前でも街頭演説しました。
目の前は交差点でしたが、街宣車の上からも、意外とひとりひとりの顔がよく見えました。
知り合いが交差点を渡っていて、自分の方を見てくれているような気がしましたので、思わず、手を振りました。
街宣車のハシゴを降りるとき、体をどちら向きして降りたらよいのかすらわからず、ドギマギしました。
「きょうは、半夏生(はんげしょう)なんだよ」
時々お邪魔しているお好み焼き屋さんのマスターに教えていただきました。
そして、半夏生には、蛸を食するのだと。
恥ずかしながら、半夏生のことは、知りませんでした。
そして、 蛸との関わりについても。
非常識のそしりは免れがれず、 申し訳ありません。
半夏生とは、夏至の前の一定の期間、あるいは、期日のことのようです。
土地によって習慣は違うようですが、7月1日または2日、また、この日から一定の期間が半夏生とされているようです。
古くから、半夏生の時期までに、田植えを終えるのがよいとされてきました。
半夏は、烏柄杓(カラスビシャク)の別名で、毒草とされ、ちょうど半夏が生えるこの時期までに田植えを済ませるのがよいとされてきたようです。
ここのところ、西区方面にお邪魔することが多かったのですが、確かに、すでに田植えは終わっていました。
マスターがおっしゃるには、半夏生の日には蛸を食する習慣があり、半夏生にあたる7月2日は、「蛸の日」とされているそうです。
なぜ、蛸と半夏生が関係があるとかと言えば、蛸はいったん地面についたら、8本の足を踏ん張ってなかなか離れず、そんな蛸にあやかって、稲が地にしっかりと根付いてほしい、という願望が込められているとのことでした。
神戸の下町に育ち、物心つくと、明石の蛸に馴染んできた私ですが、「蛸の日」のことも、半夏生のことも知らず、赤面の至りでした。
焼きそばを注文していたのですが、豚肉を急遽、蛸に変更し、蛸がしばしば捕食するという海老を加えた豪華版に変身させて、白鶴と一緒にいただきました。
あまり綺麗な写真でなくて、申し訳ありませんが、おいしかったです。
ごちそうさまでした。
2013年7月1日
から 久元喜造
6月27日のブログ で、アッシジの聖フランチェスコの社会運動について記しました。
聖フランチェスコは、いろいろな小鳥たち ― 鳩、つぐみ、やつがしら、烏、白鳥などに巡り会い、どんなに主を誉めたたえることが必要かを説いた、という伝説で知られます。
聖人の死後、画家ジオットーは、アッシジの大寺院に、聖フランチェスコが小鳥たちに説教している光景を描きました。
時代はさらに下り、19世紀に活躍した大作曲家フランツ・リストは、この光景から題材を得て、「二つの伝説」の第1曲、「小鳥と語るアッシジの聖フランチェスコ」を作曲しました。
リストは、この曲のスコアに、伝えられてきた伝説に基づく長い序文を記しています。
(久元祐子ウェブサイト・プログラムノート)
伝えられてきた物語、絵画、音楽に登場する愛らしい小鳥たちは、神への帰依がいかに美しいものかを示す象徴であるように思えます。
ところが、実は、聖フランチェスコが語りかけた鳥たちは、伝えられるような愛らしい小鳥たちではなく、墓地で死体を啄む烏や鵲(かささぎ)、禿げ鷹の類だったという説があります。
この話は、まず、映画にもなったウンベルト・エーコの小説「薔薇の名前」(原著は1980年刊行)に出て来ます。
また、全く同じ話は、13世紀の中世ヨーロッパを舞台とした堀田善衛の小説「路上の人」(1985年)にも出て来ます。
聖人が説教した鳥たちが、愛らしい小鳥たちではなく、墓地で死体を啄む恐ろしい鳥たちであったという説は、いったい何を意味しているのでしょうか。
小説「薔薇の名前」の主人公でフランチェスコ会の修道士、バスカヴィルのウィリアムが弟子の見習修道士アドソに語るところによれば、聖フランチェスコが救済しようとしたのは、当時の教会から排除された者たちでした。
しかし彼らの救済をいくら民衆や行政官に語りかけても、一人として自分の言葉を理解する者がいないと知ったとき、聖フランチェスコは、町はずれの墓地に出かけ、死骸の腐肉をついばむ鳥たちに説教を始めたのだと言います。
恐ろしい鳥たちとは、当時、異端として教会の秩序から排除されてきた者たちを指し、聖フランチェスコの目的は、排除された者たちを神の民の内部に組み込もうとしたことにあるというのです。
ウィリアムによれば、聖フランチェスコが行った行為は、成功しませんでした。
排除された者たちを教会秩序の中に再統合するためには、教会の内部で行動しなければならず、ローマ教皇の公認を獲得する必要がありました。
聖フランチェスコは、それに成功し、そこから一つの修道会が生み出されましたが、それが公認によって生み出されるやいなや、円環のイメージが再構成され、その外縁に排除された者たちが生じてしまいます。
聖フランチェスコの社会運動は、永遠に未完のまま終わったのかも知れません。
昨日、箕谷で開催された、山田民俗文化保存会の懇親会に参加させていただきました。
北区の山田町は、豊かな自然に恵まれるとともに、歴史ある文化遺産の宝庫です。
半世紀前から、住宅開発が盛んに行われてきましたが、今なお、数々の文化遺産が、地域のみなさんの力によって、大切に守られています。
山田民俗文化文化保存会(藤本昇会長)は、山田町に伝えられてきた文化遺産の保存、研究のための活動を続けられてきました。
一時は、会員数が15名前後だったそうですが、きょうは、50名を超えるみなさんが、総会、講演会、懇親会に参加され、活動の輪が広がっているようで、ありがたく感じました。
母校の山田中学校の隣には、天彦根神社があり、境内には、下谷上農村舞台がありました。
農村舞台は、その後、改修も行われ、ときどき、農村歌舞伎も演じられています。
山田川のほとりには、このほか、丹生山山頂の丹生神社、無動寺、六条八幡宮、七社神社などの寺社があり、祭りなどの民俗芸能も盛んです。
山田中学校校歌の二番は、
史跡豊けき里ぬいて
流れも清き 山田川
で始まりますが、まさに、山田川のほとりに広がる里は、史跡の宝庫です。
懇親会では、民俗文化保存会の活動のほか、今の北区が抱えるさまざまな課題についても、お話を聞かせていただきました。
ニュータウンが造成されてから歳月が流れ、地域社会は大きく変わっています。
神戸電鉄の乗客数も減少が続き、バス路線も廃止されたり、便数が減っている地域もあり、住民の足の確保も大きな課題です。
これらの課題に対して、真正面から向き合っていきたいと思います。
2013年6月29日
から admin
6月28日(金)に、久元きぞうが民主党・兵庫県連からの推薦を決定いただいた件をメディアにも取り上げていただいておりますので、ご紹介いたします。
2013年6月29日
から 久元喜造
東京の練馬区で、また通り魔事件が起きました。
下校中の 小学1年生3人の男子児童が、刃物を持った男に切りつけられたのです。
このような通り魔事件の報道で歯がゆいのは、被害者のことは詳しく報道されるのに、犯人の人物像があまり紹介されないことです。
事件が起きたばかりのときは、あまり情報がないのかもしれませんが、日が経つと、次々に起きる出来事の陰に隠れて、事件は次第に報道されなくなり、結局、どんな人物が事件が起こしたのかは、うやむやになりがちです。
こどもを狙った通り魔事件が相次ぐと、登下校時のパトロールや学校の警備の強化が叫ばれます。
もちろん、このような対応も必要ですが、やはり、通り魔事件を引き起こす犯人像について明らかにしていくことは不可欠だろうと思います。
そして、もし、通り魔事件を引き起こす犯人像に共通点を見いだすことができるのであれば、私たちの社会に何らかの原因が潜んでいるのかどうかについて、思索を巡らしていくことが必要ではないかと思います。
軽々な断定は避けなればなりませんが、秋葉原での通り魔事件などいくつかの事件の犯人像に見え隠れしているのは、犯人の自暴自棄、そして、孤独と社会からの疎外であるような気がします。
孤独と疎外が自暴自棄の背後に潜んでいるような気がしてなりません。
見も知らぬ多数の人々を殺傷しようとする通り魔事件は、銃社会のアメリカでは、さらに悲惨な結果を招きます。
爆弾による無差別大量殺人も起きていますが、通り魔事件の延長線上にあると言えましょう。
今年の4月15日、ボストンマラソンのゴールで爆弾事件を起こした容疑者のひとりは、
「私はアメリカの友人が一人もいない。彼らが理解できない」
と語っていたと伝えられます。
社会における孤独と疎外の広がりは、社会の荒廃と治安の悪化を招きます。
私たちは、地域社会における孤独と疎外から目を背けてはならないような気がします。
2013年6月28日
から admin
6月27日(木)に、久元きぞうが自民党・兵庫県連からの推薦を決定いただいた件をメディアにも取り上げていただいておりますので、ご紹介いたします。
昨日は、神戸市自治会連絡協議会総会が開かれ、総会終了後にあいさつをさせていただきました。
地域のために献身的に活動されているみなさまを前に、感謝の言葉を述べさせていただきました。
自治会は、幅広い活動を行っています。
ごみステーションの清掃、ごみ出しマナーの徹底、防災、防犯など、さまざまな分野で重要な役割を担ってきました。
高齢者の見守り、お祭りなどの親睦行事などを積極的に行っている自治体もあります。
地域社会は、地域のことを考え、行動するみなさんの活動によって支えられています。テーマによってさまざまな意見があるでしょうから、住民のみなさんの意見をとりまとめるのは大変です。
また、地域活動に関心を持たない、あるいは、忙しくて関心を持つことができない方も多いことでしょう。
このような状況の中では、自治会の会長さんなど地域のリーダーに大きな負担がかかることになります。負担が大きくなると、なり手が少なくなり、なり手が少なくなると、さらに負担が増す、という悪循環に陥る可能性もあります。
そのような悪循環に陥らないようにするためには、行政の側において、それぞれの活動の担い手に対して、果たしていただく役割を明確に伝え、その範囲を超えることについては、行政の側において責任を持って対応するようにすることが大切だと思います。
「無縁社会」などと呼ばれ、現在の地域社会はむずかしい状況にありますが、そのような中で地域活動を支えておられるみなさんに感謝の気持ちを忘れず、行政との間でさらによりよい関係を構築し、「顔の見える地域社会」をつくっていくことが求められています。
2013年6月27日
から 久元喜造
今年、新しいローマ教皇にに選ばれたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、「フランシスコ(1世)」を名乗りました。
この名前は、13世紀にイタリアで活躍したアッシジの聖フランチェスコにあやかったものとされています。
なぜこれほど高名な聖人の名が、これまでローマ教皇の名前に使われなかったのか。
私の勝手な想像ですが、それは、もしかしたら、アッシジの聖フランチェスコが持っていた、急進的な社会運動的性格、あるいは、正統的な権威に対する反体制的な性格にあったのかもしれません。
聖フランチェスコは、1182年、アッシジの富裕な商人の家に生まれました。恵まれた青春を送ったようですが、二十代半ばにして、持てるものすべてを投げ捨て、信仰の道に入ります。
ボロをまとい、町から村へと托鉢に歩き、病に苦しむ者を癒し、十字架にかけられたキリストと同じ聖痕を身に受けたりしたとも伝えられます。この時代、教会の腐敗が目に余るものとなり、さまざまな異端の集団が都市や教会を襲うなど教会を取り巻く混乱状態が高まっていました。
ローマ教皇側も、改革の必要を認めざるを得なかったのでしょう。彼の革新的な行いは、やがてローマ教皇から修道会として認められるところとなりました。
聖フランチェスコの革新運動はまたたく間にイタリア中に広がり、彼がその波乱に満ちた生涯を終える頃には、聖フランチェスコの運動は、一大勢力に成長していました。
アッシジの聖フランシスのこのような事績を思い起こしますと、母国アルゼンチンでスラムでの活動に力を注いだ、新ローマ教皇との共通点があるように感じられます。
この二人の聖職者は、900年の時空を超えて、ともに宗教者の立場から、 社会統合のありようを考え、実践したと言えるのかもしれません。