6月27日のブログ で、アッシジの聖フランチェスコの社会運動について記しました。
聖フランチェスコは、いろいろな小鳥たち ― 鳩、つぐみ、やつがしら、烏、白鳥などに巡り会い、どんなに主を誉めたたえることが必要かを説いた、という伝説で知られます。
聖人の死後、画家ジオットーは、アッシジの大寺院に、聖フランチェスコが小鳥たちに説教している光景を描きました。
時代はさらに下り、19世紀に活躍した大作曲家フランツ・リストは、この光景から題材を得て、「二つの伝説」の第1曲、「小鳥と語るアッシジの聖フランチェスコ」を作曲しました。
リストは、この曲のスコアに、伝えられてきた伝説に基づく長い序文を記しています。
(久元祐子ウェブサイト・プログラムノート)
伝えられてきた物語、絵画、音楽に登場する愛らしい小鳥たちは、神への帰依がいかに美しいものかを示す象徴であるように思えます。
ところが、実は、聖フランチェスコが語りかけた鳥たちは、伝えられるような愛らしい小鳥たちではなく、墓地で死体を啄む烏や鵲(かささぎ)、禿げ鷹の類だったという説があります。
この話は、まず、映画にもなったウンベルト・エーコの小説「薔薇の名前」(原著は1980年刊行)に出て来ます。
また、全く同じ話は、13世紀の中世ヨーロッパを舞台とした堀田善衛の小説「路上の人」(1985年)にも出て来ます。
聖人が説教した鳥たちが、愛らしい小鳥たちではなく、墓地で死体を啄む恐ろしい鳥たちであったという説は、いったい何を意味しているのでしょうか。
小説「薔薇の名前」の主人公でフランチェスコ会の修道士、バスカヴィルのウィリアムが弟子の見習修道士アドソに語るところによれば、聖フランチェスコが救済しようとしたのは、当時の教会から排除された者たちでした。
しかし彼らの救済をいくら民衆や行政官に語りかけても、一人として自分の言葉を理解する者がいないと知ったとき、聖フランチェスコは、町はずれの墓地に出かけ、死骸の腐肉をついばむ鳥たちに説教を始めたのだと言います。
恐ろしい鳥たちとは、当時、異端として教会の秩序から排除されてきた者たちを指し、聖フランチェスコの目的は、排除された者たちを神の民の内部に組み込もうとしたことにあるというのです。
ウィリアムによれば、聖フランチェスコが行った行為は、成功しませんでした。
排除された者たちを教会秩序の中に再統合するためには、教会の内部で行動しなければならず、ローマ教皇の公認を獲得する必要がありました。
聖フランチェスコは、それに成功し、そこから一つの修道会が生み出されましたが、それが公認によって生み出されるやいなや、円環のイメージが再構成され、その外縁に排除された者たちが生じてしまいます。
聖フランチェスコの社会運動は、永遠に未完のまま終わったのかも知れません。