久元 喜造ブログ

池の水がいちばん澄んでいた。

1964年(昭和39年)、小学校5年のとき、新開地界隈から鈴蘭台に引っ越したましたが、しばらくは上沢の川池小学校に通っていました。

あるとき、担任の先生が、井戸の水、川の水、池の水を汲んできて持ってくる子どもを募りました。理科の授業で、水の濁りについて勉強することになり、どこの水が濁っていて、どこの水が澄んでいるのか、確かめることになったのです。

鈴蘭台にはまだ池がたくさんあり、よく鮒を釣りに行っていたので、
「ぼくは池の水を汲んできます」
と、先生に申し出ました。
そして、よく遊びに行っていた池の水を汲み、どんな容器に入れたのかは忘れましたが、いつものように神戸電鉄に乗って、学校まで運びました。

3種類の水を、それぞれフラスコに入れ、下に字が書かれた紙を敷いて濁り具合を確かめました。
理科の教科書には、一番澄んでいるのは川の水、次に澄んでいるのが井戸の水、そして、一番濁っているのが池の水、という説明が、写真とともに載っていました。
ところが、実際には、一番澄んでいるのは、私が汲んできた池の水だったのです。

先生が、教科書との違いをどのように説明したのかは、忘れてしまいました。
ただ、とても嬉しかったことを覚えています。
自分が汲んできた池の水が、いちばん澄んだ、きれいな水であったことが。

そしてとても誇らしかったのです。
あんな綺麗な池が家の近くにあり、そこで遊んでいられることが。
その池の水は澄んでいて、水底がよく見え、ドンコと呼ばれていた灰色の魚がじっとしていて、メダカの群れが泳ぎ、たまには大きな亀が私に驚いて水底に向かって逃げていく ― そんな光景に出会えることが。