久元 喜造ブログ

2016年3月7日
から 久元喜造

大原瞠『公務員試験のカラクリ』

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就活の記事があふれていますが、この本はあまりにも面白くて、あっという間に読んでしまいました。
著書の肩書きは、「公務員試験評論家」。
こんな職業があるのですね。

著者は、この分野のウォッチャーだけあって、地方公務員が「都道府県庁や市役所という地方自治体単位で採用され、特に事務職採用者の人事異動の範囲はその自治体が行うほとんどすべての行政に及ぶ」ことを正しく理解しておられます。
そして、幅広い範囲で異動させられることを指摘した上で、こう述べます。

「そもそも公務員の仕事のなかには、「ときにはやりがいがないかもしれないけれども、どこかで誰かが、まじめにやらないといけない仕事」が相当含まれている。そして、辞令一本で、やれと言われた仕事にはNOとは言えず、淡々とこなすしかない」

確かに、内容が異なるさまざまな部署に脈絡なく異動させるような人事をしていると、専門性は身につかず、優れた人材は育たないでしょう。
優れた人材を採用しようとするなら、採用する側に、人材育成に関する確固たる方針がなければなりません。
きれいなパンフレットや見栄えのよいウェブサイトをつくることは二の次です。

著者は、「やりがいのある仕事」と、そうでない仕事が初めから截然と分かれて存在していることを前提にされているようですが、そのような状況があるとするなら、改めなければなりません。
一見やりがいがないように見えるかもしれない仕事に、いかにやりがいを持って取り組めるようにするかについて、衆知を結集することが必要です。


2016年3月4日
から 久元喜造

さんちか50周年リニューアルオープン

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さんちか
(三宮地下街)が開業50周年を迎え、リニューアルが進められてきました。
きょうオープニングセレモニーが開催されました。

さんちかがオープンした時、私は小学生でしたが、三宮の地下に、きれいで賑やかな新しい街が出現したことに驚いたものでした。
今回のリニューアルでは、明るい白を基調としたデザインウォールと公共通路が設けられ、落ち着いた色彩のファサードが展開されています。
デザインコンセプトは、WAVE・・・波
公共通路の耐震性が向上しているほか、有馬温泉の案内所も設置されました。
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神戸の玄関、三宮の今後を考えるとき、商業・業務機能の高度化を図っていくことが大切です。
たくさんのみなさんに訪れていただき、ショッピング、グルメ、アートシーンを楽しんでいただきたいと願います。
駅に近接して高層タワーマンションが林立するような街を、神戸市民は願っていないと思います。
駅の近傍は、商業・業務機能を重視し、駅から一定程度離れた周辺エリアにおいて、都心居住へのニーズとの調和を図っていくことが必要です。

同時に、大阪をはじめ周辺都市に通勤・通学している神戸市民の利便性を高めていくことも重要です。
神戸を大阪のベッドタウンにしていくことは、神戸の衰退につながります。
商業・業務機能と居住機能とのバランスをどのようにとっていくのか、市民的議論の深まりを期待したいと思います。


2016年3月2日
から 久元喜造

外国語を話せる職員が頑張っています。

英語による政策討議(日本語禁止)を市役所内でときどき開催していますが、昨年9月7日の会議では、神戸に引っ越して来られた外国人市民に行政がどのように対応しているのかについて議論しました。
参加してくれた職員は、言いっぱなしに終わらず、15の具体的な提言にとりまとめてくれました。
それらの中には、多言語によるホームページの充実、医療通訳の活用など多少時間がかかるものもありますが、すでに動き出しているものもあります。

垂水区役所で始まった、多言語対応可能な職員によるサービスは、その一例です。
まず、区役所で対応可能な職員(通称:タープ)の名簿を作成します。
英語対応ができる職員10名、中国語対応可能職員3名、ハングル対応可能職員1名が登録されました。
「自分の業務おいては対応可」「日常会話程度」といった対応レベルも申告します。
タープは、来庁者がすぐにわかるように、専用の名札とバッジを着用します。
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また、タープの名簿は区役所内で共有され、外国人住民の方が窓口に来られた時は、担当職員が対応可能なタープに通訳などを依頼します。
通訳業務終了後は、タープは、簡単な報告書をつくって総務課に提出します。
すでにオーストラリア、中国、米国、ネパール、シリア、ウクライナなどの国籍の方にタープによる対応が行われています。

また、垂水区役所では、英語ができる職員が講師になり、昼休みに簡単な英会話を指導する「イングリッシュ・カフェ」も行われています。
職員自身の発案によるこのような取り組みは貴重であり、ほかの区でも取り組んでほしいと期待しています。


2016年2月28日
から 久元喜造

待鳥聡志『代議制民主主義』(中公新書)

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本書の中で、対となって頻繁に登場する用語が、自由主義民主主義です。
自由主義とは、多様な考え方や利害関心を持つ人々の代表者が相互に競争し、過剰な権力行使を抑制しあうことを重視します。
これに対し、民主主義は、有権者の意思(民意)が政策決定に反映されることをまずもって追求しようとします。

自由主義のために存在していた議会が民主主義と結びつき、20世紀に入って代議制民主主義が成立しました。
しかし、両者が理想とする政策決定のあり方は大きく異なっており、原理的な緊張関係が存在していると、筆者は考えます。
この相克を出発点として、歴史的な考察、現代政治の課題の分析、制度的な考察を通じて、代議制民主主義の改革の方向性が語られます。

最近の論調では、代議制民主主義に限界を感じ、熟議型民主主義、国民投票や住民投票、ネットでの意思決定など代議制民主主義以外の方策により政治不信を乗り越えようとする方向性が目立ちますが、筆者は、代議制民主主義になお希望を託します。
代議制民主主義は、「しなやかかでしたたかである」からです。
つまり「偶然に合流したはずの自由主義的要素と民主主義的要素がせめぎ合い、それぞれが過剰に意味を持ちすぎることを防ぐ」からです。
この二つの要素をどのようにバランスさせるのかについての考察も、具体的になされており、結論に説得力を与えています。

しかしそれでもなお、米国の政治のゆきづまりはかなり深刻であることを、本書を読んで改めて感じました。
政治権力が分割されている統治構造の下で、極端な民意の「分極化」が進めば、政治は漂流する危険を孕みます。
代議制民主主義は、つねに試練にさらされ、その克服への葛藤を刻み続ける運命を課されていると感じました。


2016年2月25日
から 久元喜造

教員の多忙化対策にささやかな一歩か。

先日、あるパーティーで、市立小学校の校長先生からこう話しかけられました。
「市役所からの資料の配布がものすごく減り、助かっています。市役所内に徹底していただいたおかげです」

私は、小中学校の先生方の多忙化の原因のひとつに、学校現場に膨大な事務仕事を持ち込んでいることがあるのではないかと想像してきました。
ある校長先生から、こんな実態も聞かされました。
市役所のある課から資料を児童に配布するようメールが送られてきたのですが、そのメールには、資料のダウンロード元の url が記されてあり、ここからダウンロードして印刷するようにとの指示だったそうです。
しかしその url が不正確で、資料にたどり着くのに30分もかかったとのことでした。
そして資料をダウンロードし、印刷して、各学級ごとに分け、担任の先生に配布してもらったのだそうです。

市役所の各組織がこんな馬鹿げたことを競うようにやっていたのでは、学校現場はたまったものではありません。
そこで、昨年の10月9日付けで、学校園への配布物の送付を原則禁止する通知を出しました。
また、児童生徒本人に直接連絡する必要があるものなど、例外的に送付する資料についても、仕分けしやすいよう40部ごとに仕切紙等の目印を入れることにしました。

先ほどの校長先生のお話からは、この通知が効果を挙げているように感じました。
もちろん、現場の実態はさまざまですから決して安心はできませんが、まずは一歩前進のようです。

多忙化の背景にはさまざまな要因があり(2016年1月13日のブログ)、それらをひとつずつ取り除いていく努力が求められます。


2016年2月22日
から 久元喜造

文書管理改革には覚悟が要る。

文書管理は、行政の基本です。
2014年8月4日のブログ でも書きましたが、文書は、適正に作成され、保存年限に従って正しく保存され、情報公開条例に従って適正に公開される必要があります。

残念ながら、国や地方自治体の文書管理には問題がある場合が多いのが実情です。
その背景として、役所で作成される文書は多岐にわたり、膨大で、担当者が頻繁に異動するため、文書管理という地味な仕事はどうしても後回しになるという事情が挙げられます。
また、文書管理なんか担当に任せておけばよいという傾向は、国の府省や自治体の幹部職員の間に広く見られます。
しかしながら、ずさんな文書管理は、公務能率の低下を招き、またときには致命傷になりかねないことも、薬害エイズ事件など過去の事案が教えるところです。
こういう風潮の中では、文書管理改革には、相当の覚悟が要ります。

私はどのような行政組織に属しているときでも、文書管理に注意を払ってきました。
総務省に勤務していた時は、しばしば局内、部内の全職員に宛てて、 適正な文書管理を求めるメールを送り、書庫などにも出向いて改善状況を点検していました。
(たとえば、選挙部長在任中の  2007年7月23日付のメール

神戸市役所においても、 市長就任直後に行った職員アンケートでは、たくさんの職員から文書管理の問題点が指摘されていました。
正直、問題を指摘するだけで、自分たちで改善しようという動きが見られないのは残念です。
そこで、さらに思い切った文書管理の改善を実施することとし、市内に新たな文書庫の設置も行い、先日、搬入状況を副市長とともに見に行きました。
地味だけれども当たり前の仕事をなおざりにしてはなりません。


2016年2月18日
から 久元喜造

ウィーン放送交響楽団コンサート

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昨晩は、神戸文化ホールで開催されたウィーン放送交響楽団のコンサートにお越しくださいましたみなさま、本当にありがとうございました。
家内ともども心より御礼を申し上げます。

とにかく素晴らしいオーケストラでした。
『フィガロの結婚』序曲で始まり、久元祐子のソロで、モーツァルトのイ長調KV488のコンチェルト。
オーケストラとピアノは、ともに比較的ノンレガート気味のフレージングで、軽やかで伸びやかなモーツァルトを聴かせてくれました。
テンポや息も合っていましたが、音楽の基本的指向では、指揮者はより前進性を、ソリストはじっくりした響きを重視しているようで、異なる個性のコラボレーションがコンチェルトの面白さかもしれません。

後半のブラームスの交響曲第1番は、冒頭のティンパニの連打からマイスターさんのアプローチが窺えました。
この曲は、重厚な響きを重視し、じっくりと聴かせる演奏が多いのですが、軽快に進んでいきます。
響きは明るく、よく鳴っているのですが、深みのある上品さを湛え、名門オケの醍醐味をじっくりと味わうことができました。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートでは、コンサートミストレス、Maighread McCrannさんの美音に酔いしれました。
終楽章は、ホルンが高みから地上に舞い降りた後、有名なテーマが始まるのですが、かなり速いテンポで開始され、要所要所でアッチェレをかけていきます。
さわやかで軽やか、それでいて充実したブラームスでした。

アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、ビゼーのカルメンから前奏曲、そして、シュトラウス兄弟のピチカートポルカの3曲が演奏されました。


2016年2月16日
から 久元喜造

開港10年の神戸空港

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神戸空港は、きょう、2006年2月16日の開港から10年を迎えました。
もともと海と陸の交通の要衝として発展してきた神戸は、さらに空への玄関口を手にすることができたのでした。
昨日も、神戸空港から東京へ日帰り出張をしてきましたが、神戸空港はたいへん賑わっていました。
搭乗手続きをしていると、関西テレビの取材陣と遭遇し、突然のインタビューを受けたのが想定外でしたが。

地方自治体が管理している空港の中で、旅客数は神戸空港がトップです。
国や民間管理空港を含めた国内97の空港の中でも15番目です。
紆余曲折はありましたが、延べ2500万人を超える方々に利用していただいてきました。

神戸ポートアイランド第2期で進めている神戸医療産業都市への医療関連企業の進出は、開港した2006年2月時点の84社から313社と大きく伸びており、空港がすぐ近くにある立地条件が大きなアピールポイントとなっています。

就航先の地域とは新たな結びつきも生まれています。
例えば、旧制神戸二中(現兵庫高)出身で沖縄県最後の官選知事、島田叡氏の顕彰碑除幕式が昨年6月、那覇市内で行われましたが、兵庫県代表団も参加し、沖縄でも大きく報道されるなど沖縄と神戸の交流が深まっています。

神戸空港がこれから進む道は、今後見込まれる関西全体の航空需要の増加に貢献していくことです。
そのためには、関西国際空港、大阪国際空港(伊丹)、神戸空港の三空港を一体運用することが求められます。
関係方面のご理解をいただく努力を丁寧に行い、法令の規定に基づく適正な手続きを経て、実現を目指します。


2016年2月13日
から 久元喜造

對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』(中公新書)

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映画『杉原千畝』に触発されて読みました。
ナチスドイツ支配下でヒトラーに抵抗した人々の闘い、そして人々がたどった運命について綴られます。

映画『ワルキューレ』でとり上げられたヒトラー暗殺計画の実行者、シュタウフェンベルク大佐。
映画『白バラは死なず』で描かれた《白バラ》のグループ。
ベルリンを中心に ユダヤ人たちを匿った《ローテ・カペレ》、《エミールおじさん》などのグループ。
たった独りでヒトラーを暗殺寸前まで追い込んだゲオルク・エルザー。
モルトケなど軍部の幹部、行政官などが加わった《クライザウ・サークル》・・・

通読して感じたのは、これらの人々が、底知れない孤独感を味わいながら救国の信念を貫き通した姿です。
ヒトラーには大多数の国民の支持が集まり、敬愛の対象とされていました。
多くの国民は、ユダヤ人に何が行われているかついてうすうす感じていました。
ユダヤ人からナチスが略奪した金品に殺到する国民の写真は、この時期のドイツ人の一面をとらえています。
ヒトラーに抵抗した人々は、客観的にも、心理的にも、決定的に孤立した状況の中で、自らの信念に殉じたのでした。

残された家族を待ち受けていた過酷な措置、そして戦後たどった道筋も描かれます。
遺族たちはひっそりと世を避けるように身を寄せ、長く固い結束を保ちました。
事件に身を投じた軍幹部の未亡人の多くは、亡夫を誇りにし、再婚することなく、長寿を全うしました。
ヒトラーに抵抗した人々の行動に光が当てられるのに、かなりの歳月を要したことも、本書で初めて知りました。


2016年2月9日
から 久元喜造

杉原千畝氏は国の方針に反したのか?

杉原千畝氏が「日本政府の指示に反し日本通過ビザを発給し続け」た、と書いたところ(2月5日のブログ)、フェイスブックに、日本はユダヤ人対策要綱を定めていて、杉原氏は日本政府の方針に従ってユダヤ人を助けたのであり、政府の指示に反して助けたわけではない、という趣旨のコメントをいただきました。

この点について、わかる範囲での情報を追加したいと思います。

政府は、昭和13年2月6日、「猶太人対策要綱」を定めました。
この要綱では、「独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキ」としたうえで、「之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナル」という事情にかんがみ、来日するユダヤ人に対しては、「一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス」という方針を決定しています。

こうした当時の方針を踏まえ、外務省は、質問主意書(平成18年3月24日)において、「杉原副領事に対しては、「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」との外務本省からの指示があった」としたうえで、「杉原副領事は、この指示に係る要件を満たしていない者に対しても通過査証を発給したと承知している」と回答しています。

この主意書を前提にすると、杉原氏は、本国の指示に反してビザを発給したと考えて差し支えないように思われます。