久元 喜造ブログ

2021年2月14日
から 久元喜造

中村文則『R帝国』


テクノロジーが飛躍的に進化し続ける現代。
人間がテクノロジーを使いこなし、社会的不公正の是正や社会的課題の解決に活用していくことが求められます。
逆にテクノロジーが独自の進化を遂げ、人間を支配するようになれば・・・
あるいは、権力機構がそのようなテクノロジーを巧みに駆使し、人々を支配するようなことになれば・・・・
本書は、逞しい想像力の自在な飛翔により、独自のディストピアを読者に提示します。

物語は、R帝国が隣国のB国に宣戦布告したときから始まります。
主人公の矢崎は、国営放送のニュースをHP(エイチピー)の画面を操作して見ます。
HPは携帯電話ですが、高度な人工知能が搭載されていて、自らの意志を持ち、ときどき我儘にすらなります。
R帝国の権力を握る「党」は、HPを駆使して国民を監視し、情報を収集します。
HPの独自の意志を「党」は巧みに操っているようにすら見えます。
誰も抗えない高度な支配体制の中で、戦争に疑問を持つ会社員の矢崎、そして野党幹部秘書の栗原は密かに行動を始めるのですが・・・

帯で中村文則さんは、こう記しています。
「現実が物語の中で「小説」で表現されるという、ある意味わかりやすい手法を取ったのは、逆の発想として、今僕達が住むこの世界の続きが、この小説の行先の明暗を決める構図にしたかったからだった。つまりそういう風に、現実とリンクする小説にしたかった」

現実を想起させる人物、ガジェット、兵器、言説などが次々に登場します。
「この世界の続き」について考えさせられました。
中村文則さんの小説は、『教団X』(2019年1月26日のブログ)に続き2冊目ですが、今回も読みごたえがありました。


2021年1月26日
から 久元喜造

世紀の変わり目、神戸は不便な都市だった?


きょうの各紙には、空港の旅客数激減の記事が掲載されています。
コロナで人の移動が縮小されている昨今、不思議に思い出すことがあります。
世紀の変わり目の2000年頃、中央省庁の再編が行われることになり、廃止が予定されていた国土庁で店仕舞いの仕事をしたことがありました。
庁内研修があり、地域経済の専門家の先生がこんなことを仰ったのです。
東京から見て移動に時間がかかる最も不便な都市、それは神戸だ」。
とてもショックでした。
「神戸が不便?そんなわけないやろ」と、違和感、そしてこの先生に対する嫌悪感を感じたのも、神戸愛がなせる業だったのでしょう。
しかし言われてみれば、確かにそうでした。
すでに、羽田から北海道、九州をはじめ各地に空路が開設され、とても便利になっていました。
空港がない神戸に行くには、新幹線で当時3時間以上かかっていたのです。
それだけに、2006年(平成18年)2月の神戸空港の開港は待ち望まれていたことでした。
「東京から見て最も不便な都市」からの脱却でした。
神戸空港開港以前における神戸のハンディは大きなものがあったと痛感します。
今や神戸は、港、空港、新幹線、JR、私鉄、地下鉄、新交通システム、高速道路を備え、全国で最も交通手段が発達した都市のひとつかもしれません。
この集積を活かし、さらに便利な都市にするためには何が必要か。
昨年の北神急行の市営化による運賃大幅引き下げのように、既存のインフラを賢く使う手立てを考えること。
それと、空港を含め各交通結節点の間のアクセスを改善することが必要です。
6つの駅がある三宮では、乗り降り、乗り換えをよりスムーズにするための整備を急ぎます。


2021年1月23日
から 久元喜造

松原隆一郎『荘直温伝』


岡山県高梁市で900年続く荘家。
30代目の荘芳枝さんの代で、その歴史を閉じることになります。
頼介伝』の著者、松原隆一郎さんは、ふとしたきっかけで荘芳枝さんを知り、以降何度も高梁を訪れて本書を上梓されました。
物語は源平の合戦から始まるのですが、紙幅が割かれているのは、28代の荘直温(しょうなおはる)(1857 – 1928)です。

明治維新の後、我が国が近代国家として発展する上で重視されたのが地方自治でした。
頻繁に制度が改正され、市町村、府県の制度が整備されていくわけですが、本書からは、地域においてその実情がどのようなものであったのかが、荘直温の人生を通して理解することができました。

由緒ある庄屋の家に生まれた直温は、1880年(明治13年)、上房郡役所に奉職したのを皮切りに、高梁町長を経て、隣接する松山村の村長に選出され、20年間務めました。
この間、学校の校舎建設、道路改修、農事改善、家畜市場の株式会社化、桜並木の整備などが事績として挙げられます。
松山村長を辞職した後は、上房郡会議員、高梁町有給助役を経て、1923年(大正12年)、高梁町長に選出されました。
この頃、山陽本線と山陰本線をつなぐ「陰陽連結」を実現するための伯備線の建設が大きな問題となっていました。
このルートが高梁を通るのかどうかで猛烈な陳情合戦が起き、直温は高梁ルート実現に貢献しました。
高梁ルート決定の直後、岡山県は、郡役所を通じ、高梁町と松山村の合併を提案、直温は合併実現に尽力しますが、体調の悪化などを理由に辞任し、直後に逝去しました。
地方自治に命を賭けたその生きざまから、いろいろなことを考えさせられました。


2021年1月17日
から 久元喜造

コロナ禍で迎えた1月17日


震災から26年の月日が流れ、1月17日の朝を迎えました。
東遊園地では、感染を予防するため、例年より規模を縮小して追悼行事が行われました。
「がんばろう 1.17」の形に並べられた竹と紙の灯籠に火が灯され、手を合わせ、ずっと灯籠に見入る人々の姿が見られました。
今年は、前日から会場が設営され、分散して会場を訪れていただくよう呼びかけが行われました。
これまでにないご苦労があったと思いますが、困難な状況の中で、今年も「1.17のつどい」を開催してくださいました実行委員会のみなさまに感謝申し上げたいと思います。

5時46分、「希望の灯り」の前で黙とう。
ご遺族代表の加賀翠さん、実行委員長の藤本真一さん、壬生潤市会議長とともに献花を行いました。
加賀さんは、当時6歳のお嬢様を地震で亡くされました。
お嬢様、そして震災後の復興に尽力され、2009年に亡くられたお父様の遺影とともに参列されました。

神戸は、震災以来、市民が力を合わせ、さまざまな意見の違いを乗り越え、街を復興させてきました。
この間、街づくりのあり方をめぐって、ときには激しい議論が行われたこともありましたが、それだけに関係者が一堂に会して話し合う機会も多かったと思います。
これに対し、今回はコロナウイルスという見えない敵と闘いであり、身体的距離をとることが求められます。
新たな試みを取り入れながら、どのようにしてコミュニケーションを確保し、コロナのもたらす災厄を最小限にしながら、日常の生活を守り、街づくりを進化させていくかが問われます。
神戸は、これまで培ってきた市民力によって、震災以来の危機をきっと克服していくことができると信じます。


2021年1月10日
から 久元喜造

小熊英二『社会を変えるために』

本書を読んだきっかけは、2016年に起きた軽井沢スキーバス転落事故でした。
報道によれば、この事故で亡くなった学生の遺品から本書が見つかったとのことでした。
帯には、「広く、深く、「デモをする社会」の可能性を探った本」とあります。
デモばかりを奨励するしているのではなく、一人ひとりの行動をどのようにして運動のうねりに結び付けていくのかがさまざまな観点から語られます。
本書でまず論じられるのは戦後の社会運動で、とくに占領下からの労働運動、安保反対運動、全共闘、ベトナム反戦運動の特徴や背景が詳しく論じられます。
連合赤軍事件などを思い起こしながら、興味深く読み進めました。
続いて、ギリシャ哲学から始まる西欧思想についてわかりやすく語られ、我が国における社会運動と関連付けて論じられているのが本書の特徴です。
古代ギリシャ哲学、デカルト、ニュートン、ルソー、アダム・スミス、ベンサムなどの思想が本書の文脈と関連付けながら、一連の流れとして分かり易く説明されます。
近代自由民主主義とその限界についても語られます。

その上で著者は、参加と運動を推奨するのですが、「運動のやり方に、決まったかたちはありません」と断った上で「政治家や官僚の人とも、話をするのはいいことだ」とも指摘されます。
「政治家や官僚は悪魔ではありませんが、神様でありません」-確かにそのとおりです。
最後に「運動のおもしろさは、自分たちで「作っていく」ことにあり」、「楽しいこと、盛り上がることも、結構重要です」と締めくくられます。
確かに、社会を変えていく上で、それが「楽しい」ものであることは、我が国の社会風土との関連においても重要だと感じます。


2021年1月2日
から 久元喜造

コロナとの闘いが続きます。


昨年5月下旬、市内のコロナ感染者ゼロの日が続くようになり、緊急事態宣言の対象地域から兵庫県が除外された頃、庁内の対策本部会議を開き、基本的に次のような認識を共有しました。

・コロナの感染はこれで収束したわけではなく、感染が収束している時期、そして再び感染が拡大する時期が交互に訪れ、最終的に収束する時期が訪れるだろう。
・この「ポストコロナの時代」がいつ到来するかは誰にもわからないから、それまで我々は、コロナウイルスが存在していることを前提とした「with コロナの時代」を生き抜いていかなければならない。
・そこで、再度の感染拡大に備え、これまでの対応を検証して報告書を作成し、これを踏まえて対策を実施する。

検証作業を行うため、当時の寺崎秀俊副市長を中心とした検証チームが設けられました。
作業は急ピッチで進めれられ、7月7日に公表されました。(検証結果報告書
この報告書は、感染と対応の状況を時系列に記録し、各分野における対応と課題をとりまとめるとともに、「次なる波への備え」にも踏み込んだ詳細なものです。
神戸市のその後の対応は、この報告書に基づき、状況の変化を踏まえながら行われてきました。

昨年を振り返ると、その後の状況は、5月に想定したとおりの経過をたどったように思います。
神戸市内の新規感染者は、昨日の元日が32件、大晦日が41件で、感染が続いています。
状況に応じて機敏に対応するとともに、今年も、with コロナの時代が続くことを前提に、腰を据えて対応していくことが求められます。
全国の感染状況にも注意を払いながら、今年も緊張感を持ってコロナウイルスとの闘いを続けていきます。


2020年12月14日
から 久元喜造

都染直也『ことばのとびら』


甲南大学文学部日本語日本文学科・都染直也教授のご著書です。
都染先生が主宰される甲南大学方言研究会は、このほど令和2年度神戸市文化活動功労賞を受賞されました。
本書の内容は、映画『砂の器』で重要な意味を持つ東北弁に関する検証など多岐にわたりますが、興味深かったのは、神戸をはじめとする関西圏における方言の研究です。
大阪弁と神戸弁の境界は、東灘区本山町と御影町の間にあるそうです。
また、関西弁地域は神戸をはじめとする摂津地域であり、同じ兵庫県内でも姫路などの播州では関西弁とは異なる播州弁が使われ、その違いは敬語表現にあると説明されます。
「べっちょない」は、播州弁を代表する言葉であることは私も知っていましたが、淡路、丹波でも使われているそうです。
神戸市内でも、西区などでは「べっちょない」と話す方にときどき出会います。
神戸市内でも、地域によってかなり異なる言葉が使われていたのでしょう。

フィールドワークも活発に行われ、その成果が紹介されています。
たとえば、JR山陽本線、播但線、神戸線の各駅毎に「ハラガタツ」「ハラタツ」「ゴーガワク」「ゴガワク」「クソッパラガタツ」などがどこで使われているのか調査されました。
年代によっても言葉遣いがかなり異なることがわかります。

本書は、神戸新聞夕刊の連載をもとにまとめられ、2006年(平成18年)に出版されました。
「はじめに」で著者は、「ことばは生き物で、常に変化をつづけています」と記しておられます。
本書が刊行されてからそんなには経ちませんが、関西の言葉も既に刊行時とは少し違ったものになっていると思います。
そしてこれからも変化していくことでしょう。


2020年11月26日
から 久元喜造

不祥事に研修一辺倒は正しい選択か。


市役所で私に対する説明のかなりの部分を占めるのが、残念ながら、懲戒処分事案など職員の不祥事、情報漏洩、誤った会計処理など不適切な事務処理です。
担当幹部も手慣れたもので、説明は淡々と進められます。
私が激高することがないのを見透かしたかのように。
もちろんこれら事案が続発するのは最終的には市長の責任です。
このような事案が起きないようにしていかなければなりません。

不祥事案の防止対策として決まって出されるのが、 研修の強化 です。
さまざまな研修が入れ替わり行われています。
しかし、研修の強化は最善の対策でしょうか。
少し前に、宝塚市立の中学校で体罰という名の暴力行為がありましたが、この教諭は以前に体罰で3回も処分を受けていたそうです。
報道によれば、この教諭は今回の事件のすぐ前に市教委の研修を受けていたといいます。
少なくとも、この事件においては研修は効果がなかったと言えます。

国でも、自治体でも、問題を起こす職員・社員はごく一部です。
そして世間をにぎわすような不祥事件が起きると、幅広い職員を対象に研修が行われます。
以前、知り合いの幹部が指定職に昇進したので立ち寄ったところ、最初の仕事は、セクハラ防止研修の受講だったと言っていました。
某省事務次官がセクハラで辞職した後、指定職に昇進した幹部はまずセクハラ防止研修を受けることになったとのだそうです。
研修が不要とは申しませんが、これで元気が出るのだろうかと複雑な思いに駆られました。
ものが言い易い職場環境づくり、上司と部下との風通しのよい関係の構築、そして問題を起こした職員の厳正な処分など研修以外にやるべきことはまだまだあるように感じます。


2020年11月23日
から 久元喜造

井上岳一『日本列島回復論』


著者の井上岳一さんは、農林水産省出身で、現在㈱日本総研ご勤務。
先日、東遊園地で開催された “FARM to FORK”で、対談させていただきました。
本書で井上さんは、「山水郷」という言葉を使われます。
「日本国・日本人のアイデンティティを語る上で、山水郷を抜きにはできない」と。
里山に代表される「山水郷」がそれぞれの地域の財産であるという次元を超えて、グローバル社会の中でも大きな価値を持つことが説得力を持って語られます。

残念ながらその「山水郷」の荒廃が進んでいます。
里山は「野生の王国」になりました。
本書が刊行されたのは昨年の10月ですが、クマの被害に関する記述は、今年相次いでいるクマの異常な出没と人的被害を予言していたかのようです。(11月12日のブログ
次は八王子、厚木、秦野のような都市がクマの出没地になる可能性が高い、という専門家の見解も示されます。
もはや人間が野生生物のコントロールをすることができず、予測不能な事態に陥っているという現実は衝撃的です。
このような「山水郷」の荒廃は、日本の魅力の衰退につながる、と著者は指摘します。
コロナ禍が始まる前、インバウンド観光客の多くが日本らしい風景に魅力を感じていたことを想起すれば、著者の指摘は決して大げさではありません。

どうすればよいのか。
各地で進むさまざまな再生への取り組みが紹介されます。
山水郷の復権に向けた試みです。
もちろん本書では触れられていませんが、「山水郷」での暮らしの価値は、with コロナの時代に適合する形で高まり、ポスト・コロナの時代には確固たるものになるのではないかという予感のようなものを感じました。


2020年11月12日
から 久元喜造

クマの襲撃は他人ごとではない。


全国でツキノワグマの被害が相次いでいます。
11月3日の毎日新聞に興味深い記事が出ていました。
人間を恐れない「新世代クマ」が出現しているというのです。
これまでの定説では、ツキノワグマは用心深い性質で、鈴などを鳴らし人がいることを知らせると、人との遭遇を避けるとされてきました。
記事によれば、最近のクマは車などの人間社会の音にすっかり慣れていて人を恐れないといいます。
人を恐れず、襲うようになっているのです。
その原因は、もともと人が暮らしていた里山から人が離れて荒廃し、ここが「若いクマの生息域になり、人の生活圏に暮らすようになった」からだそうです。

神戸にはツキノワグマはいませんが、神戸でも里山が荒廃し、動物たちの生息域が変わってきていることは確かです。
神戸近辺では見かけなかったニホンジカが県北部から南下し、市内でも確認情報が相次いでいます。
ニホンジカは、植生に被害を与え、ヤマビルなどを運ぶ有害な動物で、市内侵入を食い止める必要があります。
近年は、定点観測を行い、警戒態勢を強化しています。
ニホンジカに続いて、ツキノワグマが南下し、市内で被害が出るような事態は食い止めなければなりません。
有馬の温泉街にツキノワグマが現れ、パニックになるような事態は悪夢です。
ニホンジカ、ツキノワグマといった有害鳥獣が広がる背景の一因は里山の荒廃にあります。
里山の再生は、生態系の維持からも重要な課題です。
里山は、白神山地のような原生林とは異なり、人の手が入ることで創り上げられてきました。
里山は神戸の貴重な財産です。
たくさんのみなさんの参画をいただき、神戸の豊かな里山の再生を図っていきましょう。