帯に「定説をくつがえす本格評伝」とあります。
東條英機に関する定説とは、すでに航空戦の時代になっていたのに飛行機を軽視し、非合理な精神論をふりかざして国民を無謀な戦争に引きずり込んでいったといった類のものでしょう。
著者は、本書の冒頭、東條が「航空戦と総力戦を相当に重視し、それを国民に語りかけていた」と記します。
そして「「総力戦」指導者としての東條の実像を、その発言や行動に基づき明らかにしようとします。
前半で描かれるのは、軍事官僚としてのキャリアです。
東條が陸軍大学校に入学したのは、結婚後の1912年(大正元年)のことでした。
ときに大正デモクラシーの時代、反軍的な雰囲気も濃く、東條をはじめとした陸軍若手将校が「民意」を意識しながら権益拡大に悪戦苦労する様子も描かれます。
日本陸軍は、第一次世界大戦開戦から戦後に至るまで、多数の若手将校を欧州に派遣しました。
東條もその一人で、巨大な総力戦の姿を学んだのでした。
東條は陸軍の出世街道を歩みますが、軍事官僚組織の中の派閥・人事抗争はすさまじいものでした。
かつての上司、「皇道派」頭目の真崎甚三郎と対立するなど、たびたび左遷の憂き目に遭いながらもそのたびに復権を遂げ、「統制派」の中心人物の地歩を固めていったのでした。
私にとって興味深かったのは、東條内閣退陣に至る帝国議会の動きです。
法案審議が紛糾する様子などが描かれ、帝国議会が倒閣に一定の役割を果たしたことが分かりました。
終章では戦争犯罪人となった東條の最後の日々が描かれます。
晩年、急速に仏道に帰依した東條は、1948年(昭和23年)12月23日未明、念仏を唱えながら処刑されたのでした。