久元 喜造ブログ

カナダが向き合う過去について

子どものときの出来事とか、学んだこととかは、意外とよく覚えているものです。
読んだ本の中で、印象の残った一節の中には、ずっと記憶に残っているものがあります。

そのような中に、カナダについて書かれたことがありました。
多分、小学校4年生のときに読んだ本でした。
その本の中に、カナダについてこう書かれていたのです。
「まだ、人やものを入れる場所があるような国です」と。
小学生の私には、意味がわからなかったのです。
いったいこのことは何を意味するのだろうと。
このことは、ずっと大人になってからも疑問に思っていました。

最近、カナダで寄宿学校跡地から未成年215人の遺体が発見されたという報道が世界を駆け巡っています。
カナダでは19世紀から20世紀にかけて、キリスト教会が寄宿学校を運営し、先住民の子どもたちを両親など家族から隔離して収容し、同化政策を行っていたと報じられています。

子どものときに読んだ本と、今回の報道との関係については何の確証もありませんが、もしかしたら、私が読んだ児童書の著者は、もごすごく曖昧な表現で、カナダで行われてたいた先住民隔離政策について触れたのかもしれないと感じました。
ただ、「人やものをいれる場所」の意味は不明です。
「人」はともかく「もの」とは何だったのか。

私は、最近の報道に接し、60年近く抱いていた疑問が少し解けたかもしれないと感じ、言い知れぬ感慨を覚えました。
まったく的外れかもしれないし、何の根拠もないのですが、何か胸のつかえがおりたように感じたのです。
カナダの人々が、過去に起きた出来事とこれからどのように向き合おうとするのか、注目していきたいと思います。