久元 喜造ブログ

2022年8月11日
から 久元喜造

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』


劇作家・演出家、平田オリザさんの著書です。
まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている」という刺激的な一文で始まります。
違和感をつ持つ方もおられると思いますが、我が国が置かれている状況に幻想を抱くことなく、現実を真正面から見つめ、解決の糸口を見出そうとする真摯な姿勢が感じられます。

平田オリザさんの真骨頂は、ご自身の考え、姿勢を分かりやすく説くだけではなく、多くの人々を巻き込み、動きをつくり、実践して来られたことです。
本書では、瀬戸内・小豆島、但馬・豊岡、讃岐・善通寺、東北・女川などでの実践事例が紹介されます。
小豆島町の取り組みでは、世界的に知られる瀬戸内国際芸術祭と地域との関わりが紹介されます。
小豆島町ではIターンの移住者が増えているそうですが、その多くは、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに小豆島を訪れ、縁が出来たといいます。

豊岡で紹介されるのは、「コウノトリの郷」づくり。
豊岡市は、コウノトリの復活とともに、農家と交渉を続け、無農薬・減農薬の田んぼを広げていきました。
コンクリートで固められた用水路を土に戻し、小動物が行き来しやすい環境もつくりました。
このような田んぼでつくられたお米は、「コウノトリ育むお米」としてブランド化に成功します。
さらに豊岡での画期的な取り組みが、城崎国際アートセンター です。
千人規模のコンベンションセンターが兵庫県から豊岡市に払い下げられました。
お荷物だった施設は、当時の中貝宗治市長の方針の下、平田オリザさんが加わる形で、滞在型アートセンターとして生まれ変わります。
我が国では試みられることがなかったアートインレジデンスが、ここに誕生したのでした。


2022年8月6日
から 久元喜造

楠木新『定年後の居場所』


著者の楠木新さんは、これまでも『定年後』(2018年4月18日のブログ)などの著書を著され、定年後の人生の過ごし方について数多くの提言をされてきました。
今回の著書は「中高年以降に居場所を確保するにはどうすればよいのか」がテーマです。
細かなデータに基づく分析が提示されるわけではありませんし、決め手になるような処方箋が示されるわけでもありません。
さまざまな話題が登場し、その話題の登場舞台も全国各地に及びます。
そのような中にあって、繰り返し語られるのが、著者が生まれ育った神戸のことです。

著者は、1954年、神戸市兵庫区の新開地界隈で生まれ、この地で成長されました。
ペンネームの「楠木」は、卒業された楠木中学から、「新」は、新開地の「新」だそうです。
ご実家の薬局は、新開地本通りから三本ほど東の通りで、「当時は酒屋や鮨屋、喫茶店、八百屋、貸本屋などの小さい商店が立ち並んだ場所で、周囲には商売人、職人アウトローの人たち多くてサラリーマンや公務員はいなかった」と振り返られます。
私も同じ年に、すぐ近くで生まれ、小学校5年まで過ごしましたので、著者が語る想い出は興味深いものでした。
こうして著者は、生まれ育った兵庫区の街を歩き、人の話に耳を傾けます。
「奇跡の画家」石井一男さんとの出会いもこうして生まれました。
このように振り返りながら、「生まれ育った土地は定年後の居場所として十分ありうる」との思いを吐露されます。
居場所とは、単に時間を過ごすことができる空間的な場所ではなく、過去の自分のシーンを参照しながら、今の自分と重ね合わせることができる場所なのかもしれないと、本書を読んで感じました。


2022年7月30日
から 久元喜造

太田和彦『町を歩いて、縄のれん』


「居酒屋の達人」太田和彦さんのエッセイ集です。
2018年2月から12月まで「サンデー毎日」に連載された「浮草双紙」から編まれました。
だいぶ前から本棚にあり、改めて読み直しました。
居酒屋、旨いもの、旅、町、出会った人々、ジャズ、映画、建築など多彩な話題が登場します。
4年ほど前の情報と思われ、登場するお店の多くもコロナ禍で苦労されたと思いますが、これからも頑張っていただきたいと願いながら読み進めました。

神戸のお店もたくさん登場します。
「神戸三宮飲み歩き」でまず登場するのは、センタービル地下の居酒屋「まめだ」。
お昼に何回かお邪魔し、おでん定食をいただきましたが、夜はまだ行ったことがありません。
そして、向かいのカレー「SAVOY」。
「夜に足が向く」のは、三宮北の焼鳥「八栄亭」です。
「皆さん注文の<わさび和え>は、湯通しした鶏肉を山葵と和え、ちぎり海苔をまぶした簡単な品だが、うまいのなんの」。
バーで登場するのは、「ローハイド」でした。

続いて「ジャズの街、神戸」では、老舗のジャズバー「ヘンリー」、そして「ソネ」へと太田さんの足は向かいます。
「舞子の浜と孫文」では、「孫文記念館」(移情閣)、「旧武藤山治邸」が登場します。
「舞子公園に保存される明治・大正・昭和の建物は洋風、中国風、和風といずれも関西実業人の文化的余裕が見えた」との感想が記されています。
都心に戻り、東門街上の居酒屋「すぎなか」へ。
生ホタルイカの炙りをアテに、新潟「加茂錦」を楽しまれたようでした。

コロナが落ち着いたら、行ったことがないお店、ご無沙汰しているお店を覗き、至福のひとときを過ごすことができればと願っています。


2022年7月16日
から 久元喜造

筒井清忠編『大正史講義』


大正時代(1912年7月30日 – 1926年12月25日)は、僅か15年足らずですが、ロシア革命、第一次世界大戦など海外情勢が激変する中、日本の国力は増大し、国際的地位が向上していった時代でした。
軍縮を含めた積極的な外交が展開されるとともに、政党の活動は新たな段階を迎えます。
政党政治が軍部、元老、貴族院などとの緊張関係の下に展開され、1925年(大正14年)には普通選挙が実現しました。
一方、関東大震災の発生、スペイン風邪の席巻という制御不能な危機に政治・行政が翻弄され、混乱に立ち向かっていった時代でもありました。

本書は、激動の大正時代を、内閣の交代と政党の興亡、対米国、ソ連、中国、英国などとの外交、朝鮮統治、社会運動、皇室など多角的な視点から、20名を超える研究者により執筆された労作です。
以前読んだ、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2019年9月22日ブログ)で把握できた大きな時代の流れが、本書によってより立体的に理解できたように感じました。

多方面にわたる論考の中で、とりわけ興味深かったのは、「第19講 関東大震災後の政治と後藤新平」でした。
後藤新平については、越澤明『後藤新平ー大震災と帝都復興』2018年7月1日ブログ)などでその事績に触れ、スケールの大きな仕事ぶりに感銘を覚えていましたが、本書で筒井清忠は「関東大震災後の政治においては、後藤は最大の失敗を犯し」たと厳しく指摘します。
震災後の混乱の中で政友会、憲政会などの政治家たちによる政治ドラマが生々しく描かれます。
後藤の震災復興計画は、新党計画とともに挫折していったのでした。(文中敬称略)


2022年7月3日
から 久元喜造

西村友作『数字中国』


著者は、中国で経済金融系トップの国家重点大学・対外経済貿易大学の教授。
中国在住は、通算20年を超えます。
中国政府が国を挙げて進める「数字中国」(デジタル・チャイナ)の姿がリアルに語られます。

冒頭、コロナ対応の初期の段階からデジタル技術が広範に活用された事例が紹介されます。
例えば、AIがCT画像を読み取り、コロナに起因すると思われる肺炎の特徴を警告します。
配送業者の入場が制限された都市部のオフィスやマンションには、無人配送ロボットが入り、商品を部屋の前まで届けてくれます。
5Gを利用したオンライン診療は、武漢市の臨時病院で最初に使われ、広がっていきました。
著者ご自身が利用した体験も記されています。

以下、デジタル技術をベースとする最新の動きが紹介されます。
スマートフォンにインストールされた決済アプリをプラットフォームにして、新しいタイプのビジネスが次々に生まれ、それらが互いに結びついた巨大ビジネス・エコシステムが社会の隅々にまで広がっています。
これが「中国新経済」です。

「新経済」のプラットフォームであるアリペイは、日常生活に関することはほぼすべて何でもできる中国最大のスーパーアプリです。
そのアリババ傘下のフィンテック企業、アント・グループが計画していた新規株式公開(IPO)が延期されました。
背景には何があったのか。
アントは、10億人もの圧倒的なユーザー数を有する「デジタル決済」事業をベースに、多様なサービスでユーザーの囲い込みを行い、融資・投資・保険という三本柱から成る「デジタル金融」事業で稼いできました。
そこにある「光と影」。
中国政府とのせめぎあいも興味深いものでした。


2022年6月19日
から 久元喜造

テット『ANTHRO VISION』


総務省自治行政局で課長をしている友人から教えてもらって読み始めたところ、たいへん面白く、すぐに読了しました。
著者のジリアン・テットは、『フィナンシャル・タイムズ』(FT)の米国版編集委員会委員長を務めるジャーナリストですが、人類学者でもあり、冒頭、ケンブリッジ大学で社会人類学の博士号を取得するため、旧ソ連タジキスタンに滞在した経験が語られます。

本書で紹介されるのが、人類学者による「参与観察」と呼ばれる手法です。
人類学者が企業の中に「アウトサイダー兼インサイダー」として入り込み、先入観を持つことなく日常を観察します。
例えば、インテルがオーストラリア出身の人類学者、ジェネビーブ・ベルを採用したのは、「女性を含む非西洋」という新たなユーザーを理解する必要性を感じていたからでした。
ベルは対象国に滞在し、家族の仕事、生活、宗教、社交の様子、そこでテクノロジーがどう使われているかを観察します。
ベルのチームは驚くような観察結果を次々に提示し続け、社内で尊敬を勝ち取っていきました。

「参与観察」は、企業のマーケティングや製品開発に使われ、効果を発揮しますが、企業内部のマネジメントや生産現場・オフィスの生産性向上の分野でも有効です。
ゼロックスは、オフィスのコピー機を修理する現場の状況を知るために人類学者による「参与観察」を行います。
修理を担う専門職社員の行動は、経営陣の想像を超えるものでした。

会社、そして自治体で生起している事象を人類学的思考で視ると、まったく新しい発見があること、そして「参与観察」を活用することにより、これまでにない対処法が浮上してくる可能性があることがよく分かりました。


2022年6月4日
から 久元喜造

川本三郎『「細雪」とその時代』


谷崎潤一郎の『細雪』は、高校のとき、多分、元町の海文堂で購入し、読み始めたのですが、つまらなくて挫折してしまいました。
20代のとき、市川崑監督による映画が封切られ、見に行きました。
吉永小百合、佐久間良子、古手川祐子など豪華なキャストでしたが、やはり退屈で何の印象も残りませんでした。
美しい女性たちが演じる絢爛たる世界は、どうも自分には合わなかったようです。

にもかかわらず、川本三郎さんの本書はとても面白く、二日で読み終えました。
帯にも書かれているように、芦屋、神戸、船場・・・昭和十年代の風景が蘇って来るようでした。
特に神戸については「阪神間の文化と神戸」「モダン都市神戸と谷崎の夢」「神戸で映画を楽しむ蒔岡姉妹」と三つの章が割かれており、ほかの章にも神戸が随所に登場します。
新開地の風景も描かれます。
次女の幸子は、大ヒットした名作『望郷』を聚楽館の映画館に一人で見に行きます。
神戸には外国人がたくさん住んでいて、亡命ロシア人とその老婆は、元町のユーハイムで偶然、四女の妙子に会い、聚楽館へスケートに誘います。

昭和13年(1938年)の阪神大水害がこの小説の重要な場面になっていることも、改めて知りました。
このとき谷崎は住吉川西岸の倚松庵に住んでいて、一家には被害はありませんでしたが、すぐ近くの甲南小学校では、生徒4人を含む犠牲者が出ました。
谷崎は、追悼のために出版された『甲南小学校水害記念誌』を参考にして執筆した、と著者は指摘します。
谷崎が1936年から1943年まで住んだ倚松庵は、神戸市が寄贈を受けて現在の場所に移築されました。
関係者の協力をいただきながら、大切に保存されています。


2022年5月21日
から 久元喜造

藤田孝典『下流老人』


著者は、生活困窮者支援を行うNPO法人の活動に携わって来られた方です。
長年の実体験をもとに本書を執筆されました。
2015年に刊行され、当時大きな反響を呼んだと承知しています。
本書では「下流老人」を「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義し、「下流老人は、いまや至るところに存在する」と指摘します。
「日に一度しか食事をとれず、スーパーで見切り品の総菜だけを持ってレジに並ぶ老人。生活の苦しさから万引きを犯し、店員や警察官に叱責される老人。医療費が払えないため、病気を治療できずに自宅で市販薬を飲んで痛みをごまかす老人。そして、誰にも看取られることなく、独り静かに死を迎える老人・・・」
さまざまな実態が紹介されます。
そして「下流老人」に陥る可能性は誰にでもあると、強く警告を発します。
予期せぬ病気や事故、離職、そして熟年離婚などに遭遇したとき、困難が待ち受けます。
高齢者介護施設に入居しようと思っても、低額で入ることができる特別養護老人ホームは、とくに大都市部ではなかなか空きがありません。
これらの実態を前に、日本の各種社会保障や社会システムはどうなのか。
年金、医療・介護、生活保護の現状について、批判的に検証されます。
実態を踏まえた指摘の中には、示唆に富むものも含まれていました。

著者はその上でいくつかの「自己防衛策」も提案します。
その一つが、「地域のNPO活動や市民活動への参加」です。
孤立・孤独を避ける上で「居場所」の確保は大切です。
地域活動にあらかじめコミットし、「さまざまな相談ができるような人間関係を構築しておいてほしい」という指摘は、そのとおりだと感じました。


2022年5月8日
から 久元喜造

コロナと戦い抜くために。


2020年初め、コロナとの戦いが始まったとき、二つの態度が必要ではないかと感じていました。
一つは、この未知の敵と戦うにあたって、徹底的に想像力を働かせ、思考を巡らすこと。
もう一つは、歴史に学ぶということです。
直接参考になる歴史的事実が「スペイン風邪」だと思われました。
今でいうインフルエンザです。
我が国では1918年8月頃から1921年7月頃にかけて流行し、海外領土を除く日本国内で38万人を超える死者が出ました。
当時の状況、対応と課題を克明にまとめた記録が、内務省衛生局編『流行性感冒』です。
平凡社のご厚意で復刻され、ネットでも公開されました。
参考になることが沢山ありました。(2020年4月29日ブログ

そのとき感じたことは、「スペイン風邪」の経験に照らせば、コロナとの戦いはすぐに終わらないのではないかということでした。
ウイルスの種類が異なるコロナウィルスが類似の経過をたどるかどうかはわかりませんが、やはりそれくらいの期間が要るのではないかと感じました。
3年余り続いたということを、念頭に置きました。
それくらいの期間を戦わなければならないと、自分自身に密かに言い聞かせてました。
このことを口に出すことはありませんでしたが、ある種の覚悟が出来ました。
ジタバタしてもどうにもならないと。

今、すでにコロナとの戦いは2年数か月に及び、まだ終息の時期を見通すことはできていません。
この間、私たちの間には、この厄介なウイルスとどう向き合えばよいのかについての知恵、経験そして教訓が蓄積されています。
決して焦ることなく、冷静に、そして緊張感を持って戦いに臨んでいくという姿勢を堅持していきます。


2022年4月30日
から 久元喜造

大原瞠『住みたいまち ランキングの罠』


各方面からさまざまな都市や自治体のランキングが発表されます。
自分のところがどの辺に位置しているか、自治体関係者としては気になるところです。
上位に位置していれば、市民や内外に広報したくもなるのが人情です。

著者は、このようなランキングがもてはやされるのは、日本の人口が減り始めた現在、どの市区町村も人口減少による衰退を避けるため、新たな住民獲得と既存住民の流出抑止のためにさまざまな分野で住民サービス競争を続けていることが背景にある、と指摘します。
旗を振っているのは、市区町村長です。
選挙では「近隣市区町村に負ける負けるなで、背伸びした住民サービスを謳うマニフェストを掲げて」当選。
そして、財政を悪化させても、自分が2~3期のうちはなんとかなるが、自分がいなくなった後は知らない。
「まさに食い逃げ状態」だと。
そんな現状に「心を痛めているのが、各市区町村の心ある行政職員たち」です。

本書では、そのような”不都合な真実”に光が当てられます。
子育て、安全・安心、文化ホールやスポーツ施設、図書館、鉄道の利便性、迷惑施設、公営競技(ギャンブル)、都市イメージなどさまざまな視点からランキングの信ぴょう性について議論が進められていきます。
子どもの医療費も取り上げられます。
著者によれば、「小学校高学年から子どもが扶養家族を外れるまでの10年ほどが、一般的に一番医療費がかからない時期」。
どこに住まいを決めるのかについてはさまざまな要因があり、「医療費助成に目を眩ませることなく、住むまちを選んだほうが賢いといえないでしょうか」と。
議論のあるところでしょうが、こういう見方もあるのか、と新鮮に感じました。