久元 喜造ブログ

本多静六博士の講演(1939年)


本多静六博士の講演録のコピーをいただきました。
タイトルは、「治水の根本策と神戸市背山に就て」。
神戸市が1938年(昭和13年)10月27日に主催した講演会の記録で、翌年1月に経済部山地課によって刊行されました。

1938年7月の阪神大水害は、神戸市を含む阪神地域に甚大な被害をもたらしました。
当時の神戸市は、我が国を代表する森林学者の本多博士に大水害の背景や原因について調査を依頼し、その成果を職員や専門家の間で共有しようとしたと思われます。
前にも触れましたが、本多博士は、明治期、荒廃した六甲山の植林・再生に貢献しました。(2014年8月26日のブログ
この講演の中でも、当時73歳の博士は、坪野平太郎市長から治山治水の調査設計を委嘱され、「明治35年度より43年度の9年間に650町歩の造林を完成させた」と振り返ります。
もともとは応急手段として最も造林しやすい黒松林を仕立て、次いでその間に広葉樹を仕立て、漸次第1期の広葉樹林に導く方針であったのに、「一度黒松林が成立するや忽ち安心してその一部には早くも乱伐行われ、一部には開墾が許可され、その他六甲山の大部分には連年山火事が入って焼野となり、加えるに至るところに観光道路等が開鑿されて民衆の林内を踏み荒らすことが多くなったために・・・ついに今回の惨害を来したものであります」と指摘しています。
「何ら人工の加わらなかった松林内にはほとんど山津波らしきものは認めなかった」という指摘は、乱開発に対する警鐘と感じます。

すでに日中戦争が泥沼化していた戦時下の神戸市政は、災害から市民を守るために懸命に取り組んだことが、この講演録からも窺えます。