久元 喜造ブログ

2013年8月12日
から 久元喜造

議院内閣制と大統領制

我が国の統治構造は、国においては議院内閣制が、地方自治体においてはすべて大統領制(二元代表制)が採られています。いわば、常識に属することがらかもしれませんが、主要国においてこのような組み合わせをとっている国は、我が国以外にはありません。

地方自治体において大統領制(二元代表制)が採られているのは、地方自治体の知事や市町村長が、住民の直接公選により選出されることが、憲法上の要請だからです。
憲法は、「地方公共団体の長、その議会の議員および法律で定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」(憲法93条2項)と定めます。

終戦直後の日本政府内部では、とくに都道府県知事については、間接選挙を支持する声が圧倒的でしたが、GHQの強い意向により、直接公選とされました。GHQは、我が国の民主化のためには、とりわけ都道府県知事の直接公選が不可避だと考えていました。

導入の経緯は、他律的でしたが、地方自治体における大統領制(二元代表制)は、当事者の感覚も含めて我が国において定着し、安定的に運用されているように見えます。
しかしながら、国地方の統治構造全体を見たときに、国が議院内閣制で、地方が大統領制という組み合わせが、中長期的に見たときに本当に安定的かどうかは、疑問が残ります。

議院内閣制は、国会の信任の下に存続し、与党が安定した勢力を保ち、内閣を支える立場に立つときは強い政治的リーダーシップを発揮することができます。
一方、地方自治体の長は、直接住民から選挙で選出された点において民主的正統性を得ており、民主的正統性の根拠は議会の信任にあるわけではありません。

まったく異なる代表制原理で成り立っている国と地方自治体が、今後、本当に安定した国地方関係を築いていけるのか、また、両者に意見の相違が生じたときにどう解決していくのか ― 現時点では、問題は顕在化していませんが、内政上、重要な論点であることは間違いありません。


「神戸の水だより~布引~」

2013年8月11日
から 久元喜造

「神戸の水だより~布引~」

きょうの神戸の最高気温は、37度。
冷たい水がありがたい一日でしたので、きょうは、水の話題です。

神戸の水道事業が始まったのは、1900年(明治33年)で、横浜、函館、長崎、大阪、東京、広島に次いで、7番目でした。
長い歴史を持つ神戸の水道ですが、自己水源には恵まれず、現在、約4分の3の水量を、阪神水道企業団から供給を受けています。
つまり、淀川の水です。

以前は、淀川の水を使った神戸の水道水は、とてもまずかったのを覚えています。
30年以上前、青森に赴任したとき、八甲田を水源とする青森の水道水は、ほんとうにおいしく感じました。

神戸の水道水も、現在では、高度処理により、昔と比べ、格段においしくなりました。ミネラルウォーターと比べても違いがわからないほどです。

全体の水量をとても賄えませんが、灘の酒を生み出した神戸ウォーターは、健在です。
神戸ウォーターを代表する布引の水を使って、神戸市水道局が販売しているのが、「神戸の水だより~布引~」。
神戸マラソンの給水コーナーでも配られました。

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我が国には、神戸のように、おいしい水が豊富にあり、各地で、いろいろな種類の水が生産されています。
それなのに、コンビニやスーパーで幅をきかせているのが、Evian や Volvic といったヨーロッパの水です。
はるばる遠い距離を、船で運ばれてきます。輸送コストやエネルギーも膨大でしょう。
世界中で、干ばつなどで水不足に苦しむ人々がたくさんいるというのに、おかしな話です。

総務省にいたとき、地域の活性化をテーマにした会議に出たら、Evian が出されたので、次の会議からは、日本の全国各地でつくられている水を使ってくれるよう、担当に指示したことがありました。
総理大臣官邸で開かれた、全国知事会議でも、席上に置かれていたのは、Evian か Volvic で、残念でした。

 


これでいいのか神戸市

2013年8月10日
から 久元喜造

再び『これでいいのか 神戸市』について

7月10日のブログ でに触れました 日本特別地域のナンバー47 『これでいいのか 神戸市』。
あちこちで、話題になっています。

経済界のみなさんとの昼食会で、まっさきに話題になりましたのが、この本でした。
また、自治会連合会のみなさんとの懇談会の時、幹部のみなさんがお座りになる机の上に置かれていたのは、この本でした。
後援会事務所に、「この本を読んでください」とのお手紙を添えて、送ってくださる方もいらっしゃいます。

ありがたいことです。

これでいいのか神戸市

日本の特別地域「これでいいのか 神戸市」(マイクロマガジン社)。
表紙カバーには、「神戸の 素顔を 暴く!」の大きな字が躍ります。

改めて、この本を読んで、あまりにも、シニカル、それでいて、直裁な表現を前にし、
「何もそこまで言わなくてもいいだろう」
という想いを、率直に持たれる方もいらっしゃると思います。

その上で、これは、これで、それぞれ、異なる出自、美学、神戸への思いをお持ちの、3人のライターのみなさんが、神戸への愛情を表現されたのだろうという気もします。
そして、この想いは、この本を読み、何らかの行動に出ておられる、すべてのみなさんに共通している想いなのではないでしょうか。

「神戸は、こんなはずではない。もっと輝いていて、元気があり、賑わいがある、素晴らしい街なのだ」

と。

そうです。
そうなんです。

不都合な真実を含め、今、神戸が抱えている課題、現実から目を背けることなく、どうすれば、神戸がもっと元気になれるかについて、考えていきましょう。
私たちが生きている今は、バラマキを続けられる時代ではありません。

しっかりと、政策の選択と集中を行うことが必要です。
それでいて、無私の精神で地域と社会のために汗を流しておられるみなさんとともに、神戸ならではの「顔の見える地域社会」に向けて、取り組んでいきたいものです。


2013年8月9日
から 久元喜造

医療産業都市・次世代に向けた情報発信を

神戸市では、阪神大震災からの復興プロジェクトとして、医療産業都市づくりに取り組んできました。
ポートアイランドには、次世代スーパーコンピュータ「京」やiPS細胞などの研究機関、多くの医療関連企業が立地しています。

医療産業都市のプロジェクトに着手して15年が経過し、研究者の数や医療関連企業の数では、既に国内でナンバー1の集積を誇っています。
しかしながら、市民のみなさんの間では、医療産業都市について、それほど理解が進んでいるとはいえないように感じられます。直接、自分たちに関係しているという実感が薄いのではないでしょうか。

その理由としては、iPS細胞、ES細胞といった研究内容の難しさに加えて、実用化に時間がかかることが挙げられます。
iPS細胞にしても、ようやく世界で初めて、患者さんへの応用が神戸で行われることになりました。医薬品や医療機器も実際に販売出来るようになるまでには、何年も研究開発を続けなければなりません。
このため、製造や販売が遠い先のことになり、地元の中小企業にとっては「自分たちに仕事が来ない」プロジェクトとなってしまっています。

これを解決するには、政府の特区制度を活用して、迅速に厚生労働省の認可が得られるようにすることともに、介護機器や健康関連など、すぐに市場に出せる分野に、地元中小企業が参入できるような取り組みを強化する必要があると思います。
優れたモノづくり技術を有する神戸の中小企業にとって、これらの分野は、比較的、参入しやすい分野だと思われます。
行政は、産学官連携や販路拡大支援など、コーディネーターとしての役割を果たしていくことが求められています。

同時に、次代を担う子どもたちに、「君たちが大人になる頃には、ここ、医療産業都市で生まれた素晴らしい医療技術が、世界に普及しているだろう」というアプローチの情報発信があってもいいように感じます。
有名なSFドラマ「スタートレック」に出てくる最新機器の中には、実際に今日、実用化されているものが幾つかあるという話を聞いたことがあります。
「医療の未来」に挑戦している医療産業都市も、時代を先取りし、未知の医療技術に日々挑戦し続けている存在なのだということを、わかりやすく情報発信していきたいものです。


2013年8月8日
から 久元喜造

社協若手職員のみなさんと意見交換

きのうの夜は、社会福祉協議会の若手職員のみなさんと意見交換を行いました。

社会福祉協議会の組織や活動内容は、自治体によって少しずつ異なっています。神戸には、地域単位の組織はなく、各区の社協が、活動の拠点となっています。2時間近くの意見交換を通じ、社協のみなさんが、地域福祉と真正面から向き合い、ひとつひとつの問題の解決に取り組んでおられることがよくわかりました。

いわゆる「ゴミ屋敷」の問題も取り上げられました。
市役所で聞いたときは、神戸には基本的に「ゴミ屋敷」は存在しない、とのことでしたが、東灘区だけでも32カ所の「ゴミ屋敷」があることが報告されました。
居住者から何の申し出もないのに立ち入るわけにはいかないので、同居していない居住者の家族や自治会の方といっしょに、粘り強く説得を行い、解決が図られたとのことでした。

人間関係の希薄化に伴い、独居の高齢者の方の安否確認、見守りは、ますます大きな問題となっているようです。
また、地域の中で孤立している母子家庭も増えているようで、相談体制の充実が望まれます。

神戸市には、児童館が130あり、児童館がない他市在住の職員の方からは、児童館の存在を高く評価する声がありました。学校における放課後の活動などとの関係が浮上しているようで、関係者の間でのさらなる意見の調整が求められているように感じました。

スーパーが閉店して、介護サービスの利用が増えた事例もあったそうです。そこで、スーパーの後に出来たコンビニの経営者とかけあい、高齢者が望む野菜などの商品を取りそろえてもらうようにしたとのことでした。
買い物難民の問題を、商工行政の中に押し込めるのではなく、トータルに地域で福祉の観点を入れながら解決していくことの必要性を痛感しました。

このほか、マンションにおける地域活動のあり方、障害者の工賃アップへの課題など、さまざまな意見をいただきました。

市役所の予算が、それぞれの目的や組織に応じ縦割りで、使いにくいという指摘もいただきました。
この辺は、実態を見た上で、改善の余地がありそうです。

 


2013年8月7日
から 久元喜造

移民国家の前にやるべきことが。

きのうは、三宮で、第1回の対話フォーラムを開催しました。
一方的にお話をするのではなく、市民のみなさんと対話を交わし、いただいたご意見をもとに、公約をさらに充実させていきたいという思いからです。

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今回は、市民のくらしについて考えてみました。
最初に、移民国家の是非について触れました。

日本が人口減少、高齢社会の道を歩んでいる中にあって、社会全体を支える働き手を増やしていくことが求められています。
働き手を増やしていく有力な対応策として従来から唱えられてきたのは、外国からの労働者の移入です。看護師、介護士など、我が国で不足している人材に門戸を広げる努力が行われてきました。
さらに進んで、単純労働者も含め、積極的に外国人を受け入れ、日本を移民国家にしていくべきだという主張が行われてきました。

こうした主張を頭から否定する必要はありませんが、日本を本格的な移民国家にしていくのがよいのかどうかを議論するに当たっては、ドイツなどそのような選択をした国がどのような問題に直面してきたのかについて、じっくり学ぶ必要があります。
また、看護師、介護士など専門的な職種は、それぞれの母国にとっても不可欠な人材であるはずで、せっかく養成した人材が自国の医療・福祉現場ではなく、異国に流出していくことをどう考えればよいのか、なかなか難しいところです。

やはり、まず、日本社会の中で、働き手を増やして行くことにもっと力が注がれなければなりません。とくに、女性にもっと社会の中で働いていただくことが大切です。
女性が働きやすい環境をつくっていくことは、女性がそれを求めるから、というより、もっと大局的見地に立った、社会的要請なのだと思います。

安心して子育てをできる環境を整えていくことは、神戸市においても、たいへん重要な課題であり、高い優先順位で取り組んでいく必要があります。

 


2013年8月6日
から 久元喜造

広島市・原爆投下とその後

きょうは、広島の平和記念日です。
昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、当時の広島市長、粟屋仙吉は、市長公舎で即死しました。
灰燼に帰した広島の街で、広島の人々は、広島の再建に向けて立ち上がります。
8月20日には、焼けた市庁舎で市会が開かれました。多くの広島市会議員が亡くなり、また、被爆して負傷し、出席することができませんでした。

想像を絶する困難な事態の中で、急がなければならなかったのは、市長を決めることでした。
9月29日、広島市会が開かれ、当時、衆議院議員であった木原七郎を、内務大臣に推薦する市長候補者として決定しました。10月22日、木原は、広島市長に就任します。

翌昭和21年4月10日、戦後初の衆議院議員選挙が行われました。当時の詳しい状況には接していませんが、総務省に残されている資料によれば、広島でも、適法に選挙は執行されています。

翌昭和22年3月22日、木原は、GHQの指示により、公職追放となり、市長を辞任します。
4月5日に行われた第1回統一地方選挙では、候補者が乱立して法定得票数に達する者がなく、4月9日、候補者の辞退により、市長に当選したのは、第2助役を務めていた、浜井信三でした。

今年の3月、NHKで、浜井の苦闘を描いたドキュメンタリードラマ「ヒロシマ 復興を夢見た男たち」が放映され、私も見ました。

当時の広島の人々は、極めて困難な状況の中で、自分たちのリーダーを選ぶために、必死の努力を行ったことが伺えます。そして、そのような中で選ばれた、市長や市会議員の方々は、放射能の恐怖にさらされながら、広島の復興に邁進していったのでした。


2013年8月5日
から 久元喜造

久元喜造『ネット時代の地方自治』講談社

拙著「ネット時代の地方自治」が、 講談社 から出版されることになりました。

イギリスの外交官であった、ジェームズ・ブライスは、 「地方自治は、民主主義の最良の学校」という有名な言葉を残しています。
この言葉は、いまだマスメディアが十分発達しない時代の、いわば、小規模な地域社会における自治を念頭に置いていました。
地方自治の原型は、このような小規模な地域社会における自治の姿であったということができます。

こうした原点に立ち戻るとき、日本の地方自治は、ブライスが 「地方自治は、民主主義の最良の学校」と称揚した社会と、何とかけ離れたところにきてしまったことでしょう。
それでもなお、我が国において地方自治は価値を持ち続けることはできるのでしょうか。

地方自治が、 顔見知りの世界で有効に機能してきた社会の仕組みであったがゆえにその意義が認められてきたのであれば、その前提が失われたのなら、地方自治の意義にも疑問が生じてくる可能性があります。

前提が崩れているのであれば、改めて、地方自治とは何なのか、何のために存在するのかについて、突き詰めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

本書では、このような問題意識に立ち、ネット時代の自治体の役割は何か、「顔の見える地域社会」への道筋はありうるのか、そして、大都市のありようなどについて、考えてみることにしました。

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<目次>

はじめに
序章 ジェームズ・ブライスが見た「地方自治」
第1章 「住民」とは何か、自治体はどう向き合うのか
第2章 住民情報の把握と共有
第3章 ネット時代のコミュニケーションと地域社会
第4章 「顔の見える地域社会」を内包する自治体へ
第5章 「平成の大合併」後の基礎自治体像
第6章 大都市制度論の本質
第7章 ネット時代の議会と首長
あとがき

 


2013年8月4日
から 久元喜造

北区八多町で懇談会

昨日は、午後7時過ぎから、北区の八多町のみなさんと、地域の課題や市政のありかたについて、意見交換を行いました。

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私は、昭和26年、八多村が神戸市に合併したとき、当時の八多村のみなさんは、神戸市と合併することに、八多の将来を託したいという願いを込められたのでしょうから、神戸市政に携わる者は、時代が変わっても、このことをずっと大切にしていくことが求められており、自分もそういう思いで、これからの仕事にあたりたい、と申し上げました。

ただ、住民のみなさんからは、市役所は、どうも六甲山の南の方にばかり顔を向けがちではないか、もっと、北区の現場をよくみて、北区の課題に真剣にとりくんでほしい、という意見が相次ぎました。
私は、副市長の時に、八多を含む北区の課題について、予算編成のときなどに、真剣に議論がされ、予算に結びついていることを見てきましたが、八多町の住民のみなさんが、市政から取り残されているのではないか、と不安に感じおられるのであれば、そのようなお気持ちを汲み取りながら、課題に向き合っていく必要があると感じました。

意見交換の中では、若い世代が八多に住み続けることができるような農業のあり方、住民の足の確保についての取り組み、幹線道路における危険な車両の運行や騒音問題、婦人会への加入、有馬街道の問題などについて、意見が出されました。

私は、これら出された問題について、自分なりにどのようにすべきかを考え、公約の中に盛り込んでいきたいと思います。


2013年8月3日
から 久元喜造

安倍総理とのツーショット

自民党広報本部が、7月30日に党本部で行われた、推薦書交付式の写真を送ってくださいました。

安部晋三総裁とのツーショットです。

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次に、推薦書の交付式です。

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記念撮影です。

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右から、河村建夫選挙対策委員長、溝手顕正参議院幹事長、中曽根康文参議院議員会長、石破茂幹事長、高村正彦副総裁、安部総裁、私、末松信介参議院議員、盛山正仁衆議院議員、藤井比早之衆議院議員、平野昌司神戸市会議員です。