久元 喜造ブログ

広島市・原爆投下とその後

きょうは、広島の平和記念日です。
昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、当時の広島市長、粟屋仙吉は、市長公舎で即死しました。
灰燼に帰した広島の街で、広島の人々は、広島の再建に向けて立ち上がります。
8月20日には、焼けた市庁舎で市会が開かれました。多くの広島市会議員が亡くなり、また、被爆して負傷し、出席することができませんでした。

想像を絶する困難な事態の中で、急がなければならなかったのは、市長を決めることでした。
9月29日、広島市会が開かれ、当時、衆議院議員であった木原七郎を、内務大臣に推薦する市長候補者として決定しました。10月22日、木原は、広島市長に就任します。

翌昭和21年4月10日、戦後初の衆議院議員選挙が行われました。当時の詳しい状況には接していませんが、総務省に残されている資料によれば、広島でも、適法に選挙は執行されています。

翌昭和22年3月22日、木原は、GHQの指示により、公職追放となり、市長を辞任します。
4月5日に行われた第1回統一地方選挙では、候補者が乱立して法定得票数に達する者がなく、4月9日、候補者の辞退により、市長に当選したのは、第2助役を務めていた、浜井信三でした。

今年の3月、NHKで、浜井の苦闘を描いたドキュメンタリードラマ「ヒロシマ 復興を夢見た男たち」が放映され、私も見ました。

当時の広島の人々は、極めて困難な状況の中で、自分たちのリーダーを選ぶために、必死の努力を行ったことが伺えます。そして、そのような中で選ばれた、市長や市会議員の方々は、放射能の恐怖にさらされながら、広島の復興に邁進していったのでした。