久元 喜造ブログ

2015年9月2日
から 久元喜造

神戸を舞台にしたミステリー

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8月30日の朝日新聞に、
神戸「ミステリー発祥の地?」
という見出しの記事が出ていました。

神戸文学館の中野景介館長によれば、日本でミステリーが広まり始めたのは昭和の戦前期。
神戸港に来る外国船に積まれたミステリーが古書店に出回り、親しまれていったのだそうです。
海野十三、山本禾太郎、戸田巽・・・といったミステリー作家が続々生まれたのだそうですが、知らない名前です。
さらに、若い頃よく読んだ横溝正史の出生地、現在の中央区東川崎町に、横溝正史の生誕記念碑があることも知りませんでした。
お恥ずかしい限りです。

神戸が舞台のミステリーも少なくありません。
旅情ミステリー作家、内田康夫さんには、その名もズバリ『神戸殺人事件』がありますが、最近読んだ 『遺譜 上・下』 にも、神戸がたくさん登場します。
ホテルオークラ、女性の死体が発見される埠頭、新神戸トンネル、北区の山中にある古い神社、元町の古風なレストラン、やはり元町にあるお好み焼き屋・・・・
内田康夫さんは、神戸をかなり丁寧に取材されたものと思われます。
そして、神戸を楽しまれたことでしょう。

昨年、家内は、篠山市で開催されている音楽祭「シューベルティアーデ」に出演しましたが、このとき、楽友に勧められて買ってきたのが『遺譜』でした。
物語は、「シューベルティアーデ」が重要な舞台となり、 浅見光彦は、神戸と篠山の間を頻繁に行き来します。
改めて、両市がとても近いことを認識しました。


2015年8月30日
から 久元喜造

『今夜もひとり居酒屋』

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ドイツ文学者の池内紀さんとは、家内が親しくさせていただいています。
とても酒を愛しておられ、お酒の席では、穏やかな中に鋭い批評眼を見せ、ユーモアの中に真実を語る方だそうです。

本書の中で池内さんが語られる居酒屋の世界は、何と奥行きが深いことでしょう。
本書は、ある意味で、良質の哲学書です。
居酒屋という一見、閉じられた空間の中に現出される光景から、人間の感情の襞や身の処し方、あるいは人生そのものが語られます。

池内さんは、「居酒屋人種」の生態を、注意深く観察します。
しかし、同じ観察者であっても、池内さんは、永井荷風とは違います。
永井荷風は、東京の路地を歩き回りましたが、冷徹な傍観者の立場に徹し、決して市井の人々と交わろうとはしませんでした。
池内さんは、居酒屋のカウンターにひとり座り、亭主や女将との、あるいは、相席の客との、さりげない会話を楽しみます。そんな中から、本書は生まれたのでしょう。

池内さんは、温かいまなざしを、居酒屋に、そして「居酒屋人種」に注ぎます。
そして「居酒屋人種」に、こうエールを送るのです。

「居酒屋人種はみな、しっかりした自分の考えを持っている。出来合の意見や、借り物の見方を口にしても、それはその場の必要に応じたまでであって、口ではどうあれ腹の底はお愛想にすら同意していない。・・・この世で暮らしていくにはたくさんの知恵がいるのだ。それは体験のつみかさねから生まれ、くり返し修正され、いつしか身についた知恵であって、だから大半が瞬間の勘として発揮され、よほど注意していないと見落としてしまうだろう」

自分も、いつの日にか、そんな「居酒屋人種」に仲間入りできれば、と願っています。


2015年8月27日
から 久元喜造

身近なクールスポット活用策の不発。

摩耶山は、市街地から気軽に行ける山として、親しまれています。
山上の気温は、市街地よりも、5度くらい低く、「天然のクールスポット」となっています。

このクールスポットに、たくさんのみなさんに足を運んでもらおうと、『まやビューライン』 (ケーブルとロープウェイ)の無料運行を考えました。
夏休みの最後の週、8月24日(月)から31日(月)までの8日間、一人往復、最大1540円をすべて無料にしようという試みでした。

猛暑の市街地を離れ、摩耶山上で涼をとっていただければ、 少しでも、エアコンの使用抑制につながり、電力の節減が図られます。
摩耶山の魅力を、改めて、たくさんのみなさんに知っていただくことにもつながります。
夏休みの最後の週、子供さんたちには、眼下に広がる神戸の景色を眺めながら、のびのびと過ごして欲しいという願いもありました。

住宅都市局交通担当のみなさんは、交通事業者間の調整に奔走し、何とか実現一歩手前まで行きました。
しかし、最後の最後で、一部の交通事業者から「民業圧迫だ」との強い意見が出て、断念せざるを得ませんでした。
交通事業者は、採算ラインぎりぎりの経営をされているところが多いのは事実ですが、わずか8日間の社会実験に理解が得られなかったのは、残念でした。

今回の反省を踏まえ、周到な準備を行って、来年の実現を期したいと思います。


2015年8月24日
から 久元喜造

マイナンバーを使った総合窓口

マイナンバー制度の導入によって是非実現したいと考えているのが、区役所における総合窓口の設置です。
現在、10月から始まる番号の通知に向けて、準備を急ぐ一方、総合窓口の具体化について、庁内で精力的に議論を行っています。

現状では、役所の窓口は、手続きの種類ごとに分かれているため、それぞれの窓口に出向かなければなりません。
たとえば、子供さんが生まれたとき、肉親が亡くなったときなど、たくさんの手続きをしなければなりませんが、担当は分かれていて、それぞれの窓口に足を運ぶ必要があります。

マイナンバー制度導入後は、総合窓口に行けば、複数の手続きを、出来る限り1回で終えることができるようにします。

現時点で、総合窓口にまとめる方向で検討している手続きは、次のとおりです。

・住民基本台帳・戸籍(住民異動、戸籍届出、印鑑登録、各種証明書発行など)
・国民健康保険・後期高齢者医療(資格の取得・喪失、出産一時金・葬祭費給付申請、保険証再交付など)
・国民年金(資格の取得・喪失など)
・介護保険(資格取得・喪失、負担額限度認定申請など)
・保健福祉(児童手当申請、予防接種費用助成申請など)
・その他(火葬場使用許可申請、犬登録申請など)

このようにして、定型的な手続きは、総合窓口で完結できるようにします。
そして、個別に事情がある相談などについては、それぞれの担当窓口で、今よりも丁寧に対応できるようにします。
マイナンバーを使った情報連携が始まる平成29年度には導入できるよう、準備をすすめていきます。


2015年8月22日
から 久元喜造

天下泰平の時代

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ともすれば過去への関心は、源平の争乱、戦国時代、幕末など戦乱の時代に向かいがちですが、社会制度や慣習は、平時に整備され、形成され、今日まで受け継がれてきた側面が大きいことは確かです。
高埜利彦『天下泰平の時代』 (岩波新書)は、17世紀半ばから18世紀半ば過ぎまでの泰平の時代を扱い、現代との連続性を語ります。

通読して感じることは、この間の為政者が、かなり明確なビジョンを持って政(まつりごと)に当たっていたことです。
家光没後、家綱政権は、戦時から平時への体制転換を図ります。
平時においては、牢人を発生させないことが肝要であり、由比正雪事件を受けて大名改易を防ぐ手立てなどを講じました。

将軍綱吉による悪名高い「生類憐みの令」も、この文脈で理解できます。
戦場においては、敵兵を殺傷する行為に価値が置かれますが、これを改め、泰平の世にふさわしい価値観に転換させようとしたのだと、筆者は解釈します。
その結果、かぶき者による飼い犬の斬り殺し、武士による犬喰い、野犬の捨て子襲撃などが見られなくなりました。

この時代の歴代政権は、平時にふさわしい官僚機構、法令の整備を進めます。
吉宗政権による享保の改革により、ごみ処理、火消しなど都市行政の体制がつくられていきました。
従前、都市居住者は、多様な労働を課せられていましたが、改革により、専門に請け負う職業集団が現れたことで、金銭により労働力を購入する姿に変わっていきます。

価値観の変容を促しながら、合理的な政策が展開され、統治体制の整備が進んでいく様子に、とてもわくわくしました。


2015年8月19日
から 久元喜造

携帯電話の使い過ぎはいかがなものか。

携帯電話は、便利な反面、弊害もあります。
5月27日のブログ でも書きましたが、上司が時間外、携帯でしょっちゅう部下に連絡をとると、部下は実質的に仕事から解放されず、24時間ドレイ化します。

携帯電話をかけるときは、かける側が相手の都合や状況を気遣うべきなのですが、職場の上下関係や取引上の力関係で優位にある者は、そのような気遣いをしばしば忘れます。
この結果、弱い立場にある者は、理不尽な状況に置かれます。

そもそも、ささいなことで携帯で連絡し合うのは、いかがなものでしょうか?
予定の時刻に到着できるように移動しているのに、
「いま、どこにいますか?」
「三宮駅前を通過しています」
とか、
「あと10分くらいで到着予定です」
とかいった連絡がひんぱんに行われていますが、 時間の無駄としか思えません。

携帯電話は、相手の状況にお構いなく、相手の空間に侵入していきます。
かけられた相手が考えごとをしていれば、思考はそこで中断します。
思考の分断につながり、じっくり思索するという習慣を奪います。
思考能力の劣化を招くおそれがあります。
込み入った文章を読んでいるときに、呼び出し音が鳴れば、また最初から読み直さなければなりません。
作業能率の低下を招く恐れがあります。

各自の良識により、スマートに携帯を使いこなしたいものです。


2015年8月16日
から 久元喜造

原爆投下直後、電車は動いた。

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東日本大震災により、いくつかの自治体が壊滅的な被害を受け、もしかしたら、これまでの常識では対応できない事態が生じるのではないかという危惧にさいなまれたとき、頭を過ぎったのは、原爆投下の後、広島がいかにしてあの惨禍と向き合ったのか、ということでした。
さっそく、広島市の担当の方にお願いし、復興誌を取り寄せてお借りしました。
一刻を争う震災対応の作業の合間に、貪るように読みました。
2013年8月6日のブログ で記しましたが、広島の人々が、灰燼の中から都市の機能と自治を回復させるべく、想像を絶する困難と闘った跡をたどることができました。

広島に原爆が投下された、わずか3日後に、広島に市電が走ったことは、以前から知っていました。
このような奇跡がいかにして成し遂げられたのか ― 8月10日に放映されたNHKドラマ 『一番電車が走った』 で、その一端を初めて知ることができました。

すでに男たちは戦地に赴き、広島電鉄の路面電車を運転していたのは、初潮を迎えたか、まだ迎えていない年頃の少女たちでした。
その一人、当時16歳の雨田豊子さんは、運転中に原爆が炸裂し、自らも負傷しながら、8月9日、路面電車の運転席に立つのです。
被爆し、死期を悟る部下とともに、電気系統の復旧に当たったのは、軍需省から広島電鉄の電気課長に転身していた松浦明孝さんでした。

いま、雨田豊子さんは、孫やひ孫に囲まれ、お元気でお過ごしです。
当時の模様をユーモアを交えて語るそのお姿から、たくさんの元気と勇気を頂戴することができました。


2015年8月14日
から 久元喜造

テロの脅威とどう向き合うのか。

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東西冷戦の時代の方が、アラブ世界はまだ平和だったと思われます。
アフガニスタンには、穏やかな王制が敷かれていました。
イラクやシリアでは頻繁にクーデターが起きていましたが、統治機構は機能しており、人々はそれなりに平和に暮らしていたと考えられています。

今日の無法と混沌は、まさに目を覆わんばかりです。
その大きな要因である「イスラーム国」がどのようにして出現したのか、その内実はどのようなものか、どこに行こうとしているのか ―  池内恵『イスラーム国の衝撃』 (文春新書)は、わかりやすく説明してくれます。

とりわけ深刻なのは、欧米諸国との関わりです。
「イスラーム国」に欧米から多数の若者が参加し、戦闘や「高度で繊細な宣伝戦」に従事しています。
母国に帰国して、テロを引き起こす者もいます。
筆者は、「イラクやシリアで武装・経験を積んだジハード戦士たちが、もしネットワークを維持したまま帰国」すれば、欧米社会への一定の脅威になると指摘する一方、帰還兵すべてをテロリストととらえ、過剰な対応を行うことの危険性にも警告を発します。

筆者は、日本への脅威については、欧米諸国と異なり、「イスラーム教徒の大規模な移民コミュニティを抱えておらず、社会との摩擦が政治問題化していない」とし、「西欧諸国が抱えるイスラーム教徒の一部の過激化の問題を、日本は共有していない」とします。
絶対に起こりえないとは言えませんが、いたずらに恐怖心に駆られることなく、冷静に対応することが求められます。

テロ対策の主たる責任は、国にあります。
同時に、イスラム教徒を含め、外国人住民が孤立したり、疎外感を感じることがないような地域社会をつくりあげていくことが、長い目で見て、テロを生みにくい社会にしていく上で大切だと感じます。


2015年8月11日
から 久元喜造

民主政治はなぜ「大統領制化」するのか

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デュッセルドルフ大学トーマス・ポグントケ教授(比較政治学専攻)をはじめとする、18人の研究者の共同執筆です。
500頁を超す大著で、少しずつ読み進め、ようやく読了しました。

中央政府が議院内閣制、地方自治体がすべて大統領制をとっている国は、主要国では日本だけです。
この特異とも言える統治構造が、果たして持続可能であるのかどうかは、以前から、関心の対象であり続けてきました。
本書の答えは、おそらくイエスです。

本書は、主要な民主主義国家について、執政府、政党、選挙の三つの側面で分析を加え、大統領制化が進んでいることを活写します。
大統領制化の原因として挙げられるのは、伝統的な社会的亀裂政治の衰退、マスコミュニケーション構造の変化、政治的決定過程の国際化、国家の肥大化などです。
そのような背景の下に、議院内閣制、大統領制、半大統領制、首相が直接公選される議院内閣制(一時期のイスラエル)という政治形態の相異にもかかわらず、今日、大半の国で大統領制化が全面的に進行している、というのが本書の結論です。

各国における執政府内の資源配分、執政府と政党の力関係、政党間の関係におけるリーダーの役割、選挙における政党とリーダーの役割など、動態的な視点に立った分析は、静態的な制度間比較を超えた説得力を持ち、たいへん興味深かったです。

我が国の地方自治体は、大統領制をとっており、地方自治制度においても、選挙制度においても、政党は登場しませんが、実際には、議院内閣制的要素が制度と慣行の両面で存在しています。
いろいろな要因が絡み合い、我が国の統治構造は、奇妙な安定感を獲得できているかもしれない、というのが、本書の素朴な読後感でした。


2015年8月9日
から 久元喜造

「水をとどけろ 神戸市水道局の100日間」

7月の終わりのころでしょうか、パーティーでお会いした方から、
「水道局のテレビ見ました。すごいですね」
と、話しかけられました。
別のパーティーでも、ほかの会合の場でも、同じような話が繰り返されるのです。

市役所の担当に聞き、7月26日(日)に、タイトルの番組が放映されていたことを知りました。
新聞のテレビ番組欄は、あまり詳しく目を通すことがないので、見落としていたのです。
迂闊でした。

一昨日、東京に出張しましたが、ある駅の街頭で、見知らぬ方から、また、
「神戸の市長さんですか?神戸市水道局、素晴らしいです。神戸ってすごいですね」
と話しかけられましたが、 恥ずかしいながら、曖昧にお礼を申し上げるしかありませんでした。

よくやく日曜日の今日、DVDの録画で番組を見ました。
神戸市水道局の活動は、予想を超えていました。

震災の翌日には、隊を編成して神戸を出発。
とくに被害が大きかった岩手県大槌町で、給水車による給水活動を開始しました。
1週間ごとに次々に職員を送り込み、活動のレベルをどんどん上げていきます。
時間の経過の中で変化していく住民心理も先読みし、窮地を救いました。
水道復旧事業の国庫補助申請の書類作成にも関わります。
至るところに、20年前の震災時の経験が生きていました。

被災地に迷惑をかけまいと、持参した食料にこだわる水道局職員。
それでは体に悪いと、手づくりの料理を用意する「おせっかい婆さん」。
両者の手紙のやりとりも、感動的でした。

水道局のみなさんの素晴らしい働きを、テレビ番組を通じて、しかも、その存在も、市民のみなさんや見知らぬ街頭の方から教えられて知るところとなったことは、誠に情けなく、ただ恥じ入るばかりです。