ドイツ文学者の池内紀さんとは、家内が親しくさせていただいています。
とても酒を愛しておられ、お酒の席では、穏やかな中に鋭い批評眼を見せ、ユーモアの中に真実を語る方だそうです。
本書の中で池内さんが語られる居酒屋の世界は、何と奥行きが深いことでしょう。
本書は、ある意味で、良質の哲学書です。
居酒屋という一見、閉じられた空間の中に現出される光景から、人間の感情の襞や身の処し方、あるいは人生そのものが語られます。
池内さんは、「居酒屋人種」の生態を、注意深く観察します。
しかし、同じ観察者であっても、池内さんは、永井荷風とは違います。
永井荷風は、東京の路地を歩き回りましたが、冷徹な傍観者の立場に徹し、決して市井の人々と交わろうとはしませんでした。
池内さんは、居酒屋のカウンターにひとり座り、亭主や女将との、あるいは、相席の客との、さりげない会話を楽しみます。そんな中から、本書は生まれたのでしょう。
池内さんは、温かいまなざしを、居酒屋に、そして「居酒屋人種」に注ぎます。
そして「居酒屋人種」に、こうエールを送るのです。
「居酒屋人種はみな、しっかりした自分の考えを持っている。出来合の意見や、借り物の見方を口にしても、それはその場の必要に応じたまでであって、口ではどうあれ腹の底はお愛想にすら同意していない。・・・この世で暮らしていくにはたくさんの知恵がいるのだ。それは体験のつみかさねから生まれ、くり返し修正され、いつしか身についた知恵であって、だから大半が瞬間の勘として発揮され、よほど注意していないと見落としてしまうだろう」
自分も、いつの日にか、そんな「居酒屋人種」に仲間入りできれば、と願っています。