久元 喜造ブログ

2015年8月22日
から 久元喜造

天下泰平の時代

takano
ともすれば過去への関心は、源平の争乱、戦国時代、幕末など戦乱の時代に向かいがちですが、社会制度や慣習は、平時に整備され、形成され、今日まで受け継がれてきた側面が大きいことは確かです。
高埜利彦『天下泰平の時代』 (岩波新書)は、17世紀半ばから18世紀半ば過ぎまでの泰平の時代を扱い、現代との連続性を語ります。

通読して感じることは、この間の為政者が、かなり明確なビジョンを持って政(まつりごと)に当たっていたことです。
家光没後、家綱政権は、戦時から平時への体制転換を図ります。
平時においては、牢人を発生させないことが肝要であり、由比正雪事件を受けて大名改易を防ぐ手立てなどを講じました。

将軍綱吉による悪名高い「生類憐みの令」も、この文脈で理解できます。
戦場においては、敵兵を殺傷する行為に価値が置かれますが、これを改め、泰平の世にふさわしい価値観に転換させようとしたのだと、筆者は解釈します。
その結果、かぶき者による飼い犬の斬り殺し、武士による犬喰い、野犬の捨て子襲撃などが見られなくなりました。

この時代の歴代政権は、平時にふさわしい官僚機構、法令の整備を進めます。
吉宗政権による享保の改革により、ごみ処理、火消しなど都市行政の体制がつくられていきました。
従前、都市居住者は、多様な労働を課せられていましたが、改革により、専門に請け負う職業集団が現れたことで、金銭により労働力を購入する姿に変わっていきます。

価値観の変容を促しながら、合理的な政策が展開され、統治体制の整備が進んでいく様子に、とてもわくわくしました。


2015年8月19日
から 久元喜造

携帯電話の使い過ぎはいかがなものか。

携帯電話は、便利な反面、弊害もあります。
5月27日のブログ でも書きましたが、上司が時間外、携帯でしょっちゅう部下に連絡をとると、部下は実質的に仕事から解放されず、24時間ドレイ化します。

携帯電話をかけるときは、かける側が相手の都合や状況を気遣うべきなのですが、職場の上下関係や取引上の力関係で優位にある者は、そのような気遣いをしばしば忘れます。
この結果、弱い立場にある者は、理不尽な状況に置かれます。

そもそも、ささいなことで携帯で連絡し合うのは、いかがなものでしょうか?
予定の時刻に到着できるように移動しているのに、
「いま、どこにいますか?」
「三宮駅前を通過しています」
とか、
「あと10分くらいで到着予定です」
とかいった連絡がひんぱんに行われていますが、 時間の無駄としか思えません。

携帯電話は、相手の状況にお構いなく、相手の空間に侵入していきます。
かけられた相手が考えごとをしていれば、思考はそこで中断します。
思考の分断につながり、じっくり思索するという習慣を奪います。
思考能力の劣化を招くおそれがあります。
込み入った文章を読んでいるときに、呼び出し音が鳴れば、また最初から読み直さなければなりません。
作業能率の低下を招く恐れがあります。

各自の良識により、スマートに携帯を使いこなしたいものです。


2015年8月16日
から 久元喜造

原爆投下直後、電車は動いた。

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東日本大震災により、いくつかの自治体が壊滅的な被害を受け、もしかしたら、これまでの常識では対応できない事態が生じるのではないかという危惧にさいなまれたとき、頭を過ぎったのは、原爆投下の後、広島がいかにしてあの惨禍と向き合ったのか、ということでした。
さっそく、広島市の担当の方にお願いし、復興誌を取り寄せてお借りしました。
一刻を争う震災対応の作業の合間に、貪るように読みました。
2013年8月6日のブログ で記しましたが、広島の人々が、灰燼の中から都市の機能と自治を回復させるべく、想像を絶する困難と闘った跡をたどることができました。

広島に原爆が投下された、わずか3日後に、広島に市電が走ったことは、以前から知っていました。
このような奇跡がいかにして成し遂げられたのか ― 8月10日に放映されたNHKドラマ 『一番電車が走った』 で、その一端を初めて知ることができました。

すでに男たちは戦地に赴き、広島電鉄の路面電車を運転していたのは、初潮を迎えたか、まだ迎えていない年頃の少女たちでした。
その一人、当時16歳の雨田豊子さんは、運転中に原爆が炸裂し、自らも負傷しながら、8月9日、路面電車の運転席に立つのです。
被爆し、死期を悟る部下とともに、電気系統の復旧に当たったのは、軍需省から広島電鉄の電気課長に転身していた松浦明孝さんでした。

いま、雨田豊子さんは、孫やひ孫に囲まれ、お元気でお過ごしです。
当時の模様をユーモアを交えて語るそのお姿から、たくさんの元気と勇気を頂戴することができました。


2015年8月14日
から 久元喜造

テロの脅威とどう向き合うのか。

ikeuchi
東西冷戦の時代の方が、アラブ世界はまだ平和だったと思われます。
アフガニスタンには、穏やかな王制が敷かれていました。
イラクやシリアでは頻繁にクーデターが起きていましたが、統治機構は機能しており、人々はそれなりに平和に暮らしていたと考えられています。

今日の無法と混沌は、まさに目を覆わんばかりです。
その大きな要因である「イスラーム国」がどのようにして出現したのか、その内実はどのようなものか、どこに行こうとしているのか ―  池内恵『イスラーム国の衝撃』 (文春新書)は、わかりやすく説明してくれます。

とりわけ深刻なのは、欧米諸国との関わりです。
「イスラーム国」に欧米から多数の若者が参加し、戦闘や「高度で繊細な宣伝戦」に従事しています。
母国に帰国して、テロを引き起こす者もいます。
筆者は、「イラクやシリアで武装・経験を積んだジハード戦士たちが、もしネットワークを維持したまま帰国」すれば、欧米社会への一定の脅威になると指摘する一方、帰還兵すべてをテロリストととらえ、過剰な対応を行うことの危険性にも警告を発します。

筆者は、日本への脅威については、欧米諸国と異なり、「イスラーム教徒の大規模な移民コミュニティを抱えておらず、社会との摩擦が政治問題化していない」とし、「西欧諸国が抱えるイスラーム教徒の一部の過激化の問題を、日本は共有していない」とします。
絶対に起こりえないとは言えませんが、いたずらに恐怖心に駆られることなく、冷静に対応することが求められます。

テロ対策の主たる責任は、国にあります。
同時に、イスラム教徒を含め、外国人住民が孤立したり、疎外感を感じることがないような地域社会をつくりあげていくことが、長い目で見て、テロを生みにくい社会にしていく上で大切だと感じます。


2015年8月11日
から 久元喜造

民主政治はなぜ「大統領制化」するのか

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デュッセルドルフ大学トーマス・ポグントケ教授(比較政治学専攻)をはじめとする、18人の研究者の共同執筆です。
500頁を超す大著で、少しずつ読み進め、ようやく読了しました。

中央政府が議院内閣制、地方自治体がすべて大統領制をとっている国は、主要国では日本だけです。
この特異とも言える統治構造が、果たして持続可能であるのかどうかは、以前から、関心の対象であり続けてきました。
本書の答えは、おそらくイエスです。

本書は、主要な民主主義国家について、執政府、政党、選挙の三つの側面で分析を加え、大統領制化が進んでいることを活写します。
大統領制化の原因として挙げられるのは、伝統的な社会的亀裂政治の衰退、マスコミュニケーション構造の変化、政治的決定過程の国際化、国家の肥大化などです。
そのような背景の下に、議院内閣制、大統領制、半大統領制、首相が直接公選される議院内閣制(一時期のイスラエル)という政治形態の相異にもかかわらず、今日、大半の国で大統領制化が全面的に進行している、というのが本書の結論です。

各国における執政府内の資源配分、執政府と政党の力関係、政党間の関係におけるリーダーの役割、選挙における政党とリーダーの役割など、動態的な視点に立った分析は、静態的な制度間比較を超えた説得力を持ち、たいへん興味深かったです。

我が国の地方自治体は、大統領制をとっており、地方自治制度においても、選挙制度においても、政党は登場しませんが、実際には、議院内閣制的要素が制度と慣行の両面で存在しています。
いろいろな要因が絡み合い、我が国の統治構造は、奇妙な安定感を獲得できているかもしれない、というのが、本書の素朴な読後感でした。


2015年8月9日
から 久元喜造

「水をとどけろ 神戸市水道局の100日間」

7月の終わりのころでしょうか、パーティーでお会いした方から、
「水道局のテレビ見ました。すごいですね」
と、話しかけられました。
別のパーティーでも、ほかの会合の場でも、同じような話が繰り返されるのです。

市役所の担当に聞き、7月26日(日)に、タイトルの番組が放映されていたことを知りました。
新聞のテレビ番組欄は、あまり詳しく目を通すことがないので、見落としていたのです。
迂闊でした。

一昨日、東京に出張しましたが、ある駅の街頭で、見知らぬ方から、また、
「神戸の市長さんですか?神戸市水道局、素晴らしいです。神戸ってすごいですね」
と話しかけられましたが、 恥ずかしいながら、曖昧にお礼を申し上げるしかありませんでした。

よくやく日曜日の今日、DVDの録画で番組を見ました。
神戸市水道局の活動は、予想を超えていました。

震災の翌日には、隊を編成して神戸を出発。
とくに被害が大きかった岩手県大槌町で、給水車による給水活動を開始しました。
1週間ごとに次々に職員を送り込み、活動のレベルをどんどん上げていきます。
時間の経過の中で変化していく住民心理も先読みし、窮地を救いました。
水道復旧事業の国庫補助申請の書類作成にも関わります。
至るところに、20年前の震災時の経験が生きていました。

被災地に迷惑をかけまいと、持参した食料にこだわる水道局職員。
それでは体に悪いと、手づくりの料理を用意する「おせっかい婆さん」。
両者の手紙のやりとりも、感動的でした。

水道局のみなさんの素晴らしい働きを、テレビ番組を通じて、しかも、その存在も、市民のみなさんや見知らぬ街頭の方から教えられて知るところとなったことは、誠に情けなく、ただ恥じ入るばかりです。


2015年8月6日
から 久元喜造

「日本のいちばん長い日」

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8月1日の各紙朝刊は、昭和天皇の玉音放送をいっせいに報じていました。
放送の全文を通読し、改めて感銘を受けました。

半藤一利原作の映画「日本でいちばん長い日」は、昭和20年8月15日正午に玉音放送が流されるまでの緊迫した時間を描きます。

今から思えば、終戦の結論が遅すぎたことははっきりしていますが、それでも、昭和天皇(本木雅弘)のご聖断が実行に移されるには、さまざまな人々の献身的な働きがあったことが、改めてよくわかりました。

この映画の実質的な主人公は、鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣、阿南惟幾(役所広司)かもしれません。
後世からは、本土決戦を主張し、ポツダム宣言受諾に反対した軍人として知られますが、身を賭して、畑中健二陸軍少佐(松阪桃李)などの反乱軍から昭和天皇と玉音盤を守り抜いた人物として描かれます。
なお、昭和天皇実録 (6月21日のブログ) には、
「なお前夜、陸相阿南惟幾は陸軍省軍務局軍事課長荒尾興功ほか陸軍将校五名よりクーデター計画を聴取し、その決行につき具申を受ける」
との記述が見られます。

ロケ地としては、神戸のさまざまな場所が使われています。
旧乾邸(総理大臣官邸)、兵庫県公館(総理大臣官邸大会議室)、御影公会堂(陸軍参謀本部総長室)、神戸税関(東部軍司令部)などが登場しますので、神戸市民にとっては、このあたりも見どころです。

映画は、8月8日に公開予定です。(文中敬称略)


2015年8月3日
から 久元喜造

見事な式典運営

7月31日金曜日、市役所で、神戸市優良工事の表彰式を挙行しました。
この表彰は、昨年度に完成した780件の工事の中から、とくに優秀な工事について、その会社、技術者のみなさまを表彰するものです。
猛暑の中、出席いただきましたみなさまに感謝申し上げます。

式典運営は見事でした。
的確で無駄のない司会とアナウンスにより、式典はテンポ良く進行していきます。
読み上げのミスやマイクのアクシデントもなく、滞りなく終了しました。
式典が滞りなく終了するのは当たり前のことなのですが、マイク・トラブルなどにより、うまくいかないことも結構あるものです。
表彰者お一人お一人に対する案内や誘導は、さりげなく、タイミング良く行われ、エレガントですらありました。

市役所内の式典には珍しく、BGMが使われていました。
BGMは、お店などにかかっていると、うるさくて会話が聞こえないこともあり、ない方がよいと思うことも多いのですが、今回は、ひじょうに効果的でした。
ボリューム・レベルに、細心の注意が払われていたからかもしれません。
マニアックな曲はなく、いずれも有名な曲でしたが、選曲にはセンスの良さが感じられました。
会場には、厳粛でありながら和やかな雰囲気が漂っていました。

技術管理課をはじめ表彰式の企画・運営に当たっていただいた職員のみなさん、お疲れ様でした。


2015年7月31日
から 久元喜造

市民の協力による市有地管理

神戸市は、市内のあちこちに未利用の市有地を持っています。
これらの土地の中には、利用目的が当面ないもののほか、道路予定地など利用目的は決まっているけれども、事業化になお時間がかかるため、更地になっているものもあります。

暫定的に歩道にしたり、市民公園として活用している例もありますが、中には、管理が十分に行き届かず、雑草が生い茂っていたり、周囲の景観を損っていると言わざるを得ないものもあるように感じます。

市民のみなさんや企業の中には、せっかく身近なところに使われていない土地があるのであれば、小さな公園や緑地にしたりできないかと考える方もおられるようです。
また、自分たちの手で花を植えたり、植栽したりして、きれいにしたいというご意向のお持ちの方もおられると聞きます。

そのような市民のみなさんのお気持ちを、行政は大事にすべきではないでしょうか。
市民のみなさんの協力をいただき、未利用の市有地の管理水準が向上するのであれば、行政としてもありがたいことだと思います。

作物を植えて収穫をするような使い方は、個人の利益にもつながるので、適当ではないと思いますが、地域のコンセンサスを得ながら、環境や美観の向上につながるような管理の在り方を工夫する余地があるように感じます。

市有地の管理は、いくつかの局に分かれており、対応があまり異なることは適当ではないので、関係する組織が集まり、何か統一的なガイドラインができないか、検討を始めたところです。


2015年7月28日
から 久元喜造

神戸大空襲

神戸市広報紙 KOBEの毎号、下手糞な字で恥ずかしいのですが、自筆で、「神戸を想う」を書いています。
今月号の特集のテーマは、「戦災からの復興」。
空襲を実際に経験した母、そして中学校の先生から聞いた話を記しました。
母は、炸裂する焼夷弾の中を逃げ惑い、当時小学生だった中学校の先生は、会下山公園から空襲の光景を眺めていました。
神戸大空襲を知る方々が少なくなる中、間接的な記憶であっても、大空襲について、自分の言葉で記すことには意味があるのではないかと考えました。

平成6年に刊行された『神戸市史 歴史編Ⅳ』によれば、神戸大空襲の被害の状況は、次のようになっています。

罹災者総数 53万858人
死者 7491人
重軽傷者 1万7014人
被災戸数 14万1991戸

人口千人あたりの死傷者の割合は、47.4人で、東京の42.9人を上回り、六大都市で最大です。
神戸は、我が国の中で、実質的に最も大きな空襲被害を受けた都市だと言っても、過言ではありません。

神戸は、大空襲、そして、阪神・淡路大震災と、筆舌に尽くしがたい試練を乗り越えてきた街であることを、改めて痛感します。
今日の朝日新聞には、神戸大空襲で戦争孤児となり、苦難の戦後を生き抜いた山田清一郎さんの記事が掲載されていました。
戦後70年、神戸大空襲の記憶をしっかりととどめ、後世に引き継いでいなければなりません。