久元 喜造ブログ

『風にそよぐ葦』の神話

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三宮のジュンク堂でふと目に止まったのが、 石川達三『風にそよぐ葦 上・下』 でした。
かつて映画にもなった有名な小説です。
まだ読んだことがないこの小説が気になったのは、だいぶ前に読んだ、 佐藤卓己『言論統制』 (中公新書)の強烈な印象があるからです。
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本書の序章には、「『風にそよぐ葦』の神話」という題が付けられています。
『風にそよぐ葦』は、中央公論社に対する軍部の言論弾圧がモデルになっていますが、この序章では、小説の内容が、いかに不正確で誇張に満ちているかが、詳細に明らかにされていきます。

小説の中で、軍部の情報将校、佐々木少佐は、こう言い放って恫喝します。

「一番大事なのは、・・・国家の立場だ。国家の立場を無視して自分の雑誌の立場ばかりを考えて居るからこそ、こういう自由主義の雑誌をつくるんだ。君のような雑誌社は片っぱしからぶっ潰(つぶ)すぞ」

この一節は、文庫本の帯にも記されています。(上の写真)
粗野で無教養な軍人が、良心的な文化人を罵倒し、恫喝するさまは、戦後、広く受け入れられてきた光景でした。
この小説は、そのような期待に応えたと思われます。

この佐々木少佐のモデルとなったのが、陸軍の情報将校、 鈴木庫三 でした。
『言論統制』では、鈴木庫三が、小説のイメージとは全く異なり、知的で学者のような人物であったことが描かれます。
そして、彼の言動を通じて、戦時下における言論統制の実態が、見事に再現されていきます。
それは、一方的な恫喝ではなく、陸軍、海軍、出版社、新聞社、大学、民間右翼、無産政党、文化人などさまざまな組織、人々の思惑、正義感、打算、懐柔、迎合が入り乱れる、複雑極まりない世界でした。(文中敬称略)