久元 喜造ブログ

2015年4月30日
から 久元喜造

地方選挙の低投票率②

統一地方選挙後半の平均の投票率は、前回よりもさらに下がり、これまでで最低になりました。
なぜ、地方選挙が有権者の関心を集めないのか ― それは、身近なはずの地方選挙が、実は身近ではない からではないでしょうか。
その理由は多岐にわたると考えられ、その一つ一つを取り上げ、解決していくことが必要です。

それらの要因の一つに、規模の大きな自治体では、選挙区の単位が大きすぎて、有権者から見て候補者が身近な存在ではないことが挙げられると思います。
とくに、指定都市ではない大規模な市や東京の特別区で、全域を単位とした選挙区で選挙が行われていることは、大きな問題だと思います。
下は新宿区のポスター掲示場ですが、この中からたった1人を選ぶ選挙が果たして合理的なのでしょうか?
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千葉県船橋市は、人口が62万を超える大都市です。今回の市議会議員選挙の結果を見てみましょう。
船橋市議会の定数は50で、73人が立候補しました。
当選者の最低得票は、2109.410票(按分)で、この得票は、選挙区の投票者数18万2772人のわずか1%余り、有権者数49万1791人の約0.4%に過ぎません。
ごくわずかな得票率で当選でき、ほとんどの市民が知らない議員で議会が構成されることになります。

市議会議員は言うまでもなく市民の代表ですが、現行の大選挙区制度は、当選した議員がほんとうに住民の代表としての資格を備えているのかという疑問を投げかけています。
規模の大きな市や特別区については、法律で基準を定め、指定都市のように、複数の選挙区に分割することを義務づける必要がありそうです。


2015年4月27日
から 久元喜造

寺谷から木津へ新緑の山歩き。

昨日の日曜日は、西区の福谷で開催された「第16回れんげまつり」にお邪魔しました。
福谷では、約30アールのれんげ畑が広がっています。
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良い天気に恵まれ、たくさんのみなさんが会場を訪れ、穏やかな風景を楽しんでおられました。
櫨谷中学校をはじめ地元小中学校、消防団、自治会、里づくり協議会、婦人会、青少年育成協議会など地域のみなさんが連携して続けてこられたお祭りです。
ニュータウンのみなさんとの交流の場ともなっています。

この日の午後は、公務もなく、西区の山歩きを楽しむことにしました。
櫨谷町寺谷から山道に入り、林の中を進みます。
好天に恵まれ、気持ちの良い里山歩きです。
茂みの間をしばらく歩くと、眺望が開け、棚田が現れました。
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木々の間から、古くからあると思われるため池が見えてきました。
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残念ながら、池のすぐ下には耕作放棄地が広がっていました。
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耕作放棄地をどう再生させるかは大きな課題で、神戸市でも取り組んでいます。
地理的条件などによって、田畑としてよみがえらせるところと、山に戻すところとの仕分けが必要かもしれません。

さらに歩くと、視界が開け、遠くに、雄岡山と雌岡山を望むことができました。

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木見の里に出ました。
小鳥が鋭い声で鳴いています。
大歳神社、顕宗仁賢神社に参拝し、木津から帰路につきました。


2015年4月25日
から 久元喜造

トーテムポール 1962年

3月28日のブログ で、 トーテムポールについて書きましたところ、次のようなコメントをいただきました。

今から約50年以上も前に、当時山下汽船の山里丸の3等航海士で日本、北米間の定期航路にて勤務しておりました。
バンクーバー出港直前になって、急遽代理店の Nortonlily から、Seattle市から神戸市への寄贈のトーテムポールをぜひ船積してほしいとの依頼がありましたが、時間とスペースの問題があり、関係者検討の結果、船長の決断で、Vancouverを出た後、夜を徹してJuan de fuca Strait を走り、明け方西海岸の Aberdeen に臨時寄港、Grace Harbour 岸壁に着岸しました。
当時小雨の降る寒い中で、朝から3分割された大きな木箱を船橋後部の甲板上に積載、乗組員が協力してシート掛けや固縛作業も行い、急いで出航いたしました。
当直航海士の私も、大変印象のある仕事でした。

コメントをいただいたのは、北区にお住いの桑嶋收平さんでした。
お礼のメールをお送りしたところ、桑嶋さんから返信がありました。
桑嶋さんは、1961年2月18日に横浜で乗船され、翌1962年3月8日に尼崎で下船されたとのことでした。
1年1月休みなしの乗船勤務の中、トーテムポールをアバディーンから神戸港に運んでいただいたのです。

私は、一言、桑嶋さんにお礼を申し上げたいと思い、先日、市役所でお会いすることができました。
当時の模様や、神戸港のことなど、興味深いお話をお伺いすることができました
そして、松田国際交流推進部長が桑嶋さんを森林植物園までご案内し、大地に還りつつあるトーテムポールと対面していただきました。

桑嶋さんのような方々のご尽力があって初めて、トーテムポールは、半世紀以上にわたり、神戸の街の移り変わりを見守り続けてくれたのだと、改めて感じました。
心より感謝申し上げます。


2015年4月20日
から 久元喜造

御影公会堂にて。

きょうは、春の雨の中、御影公会堂にお邪魔しました。
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2月27日のブログ で書きましたように、神戸には、日比谷公会堂に匹敵するような公会堂はつくられませんでしたが、今も異彩を放っている公会堂が、東灘区の御影公会堂です。
国道2号線が石屋川を跨ぐ東側にあります。

御影公会堂が竣工したのは、1933年(昭和8年)。
当時は、兵庫県武庫郡御影町でした。
『続・御影町誌』(御影地区まちづくり協議会発行)によれば、
「竣工当時は、阪神間には千人収容のホールは無く、その大きさと優美な大理石とガラスを多用した第一級の建築物として名を馳せ」たと言います。

きょうは、初めて地下の食堂にお邪魔しました。
とてもレトロな雰囲気です。
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食堂を経営しておられる鈴木利裕さんのお父様は、公会堂オープンと同時に食堂を任され、鈴木さんが後を継がれました。
高校の大先輩です。

きょうは、名物のオムライス・セットをいただきました。
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鈴木さんから少し公会堂のお話を伺いましたが、公会堂を設計されたのは、神戸市の初代営繕課長をつとめた清水栄二氏とのこと。
1945年(昭和20年)6月の空襲により全焼しましたが、1950年(昭和25年)、御影町が神戸市に合併して東灘区が誕生したのを契機に、神戸市が修復を行いました。
しかし、当時はたいへんな財政難で、かなり時間がかかったとのことです。
1995年(平成7年)の阪神大震災でも倒壊を免れ、約1年間、避難所としての役割を果たしました。

御影公会堂を訪れるたびに、風雪、そして戦災、震災に耐えてきた独特の雰囲気に感慨を覚えます。
地域のみなさんの手で大切に守られてきた御影公会堂。
末永く地域に愛されるよう、外観に配慮しながら、耐震改修を進めることにしています。


2015年4月17日
から 久元喜造

『ヴィッセル神戸』に対する神戸市の責任

楽天の三木谷浩史会長は、ご著書 『楽天流』 の中で、 ヴィッセル神戸 との関わりについても記しておられます。
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「2003年、僕は、生まれ故郷である神戸市の市長から電話を受けた。地元のプロサッカー・チーム、ヴィッセル神戸の運営について相談したいと言う。」

三木谷会長が書いておられるように、当時は、景気の低迷が続き、チームの主要スポンサーがヴィッセル神戸への支援を続けられなくなっていました。そして、神戸市も関与しようとしたのですが、とても財政的に耐えられるような状況ではなく、当時の矢田立郎市長が三木谷会長に支援をお願いされたのです。

三木谷会長は、チームを個人で購入され、財政上のバックアップを引き受けて下さいました。
その理由の一つとして、「神戸には個人的にとても強い愛着を抱いていた」ことを挙げておられます。
とてもありがたいことです。
同時に、三木谷会長は、「スポーツ、芸術、音楽などに関わる文化事業は、人々にとって欠かせない特別なものだと信じていた」とも記しておられます。

そして、チーム創設から20年が経った昨年12月、楽天株式会社が、株式会社クリムゾンフットボールクラブ(ヴィッセル神戸)の株式を取得され、ヴィッセル神戸への支援はさらに強化されました。
改めて、三木谷会長に感謝申し上げます。

神戸市としても、ヴィッセル神戸に対する責任を果たしていかなければなりません。
本拠地の自治体として、ヴィッセル神戸が市民球団としてますます市民に愛されるよう努力していくことはもちろんですが、大事なことは、良好な試合環境を提供することだと思います。
ノエビアスタジアム について、芝の管理を含め、社長、監督、選手のみなさんのご意見をよくお伺いしながら、しっかりと対応していきたいと考えています。


2015年4月14日
から 久元喜造

書肆スウィートヒアアフター

先週の夕暮れ時、海岸通4丁目の「書肆スウィートヒアアフター」を訪ねました。
昨年12月にできた新しい書店です。
レトロなビルの2階にあり、8坪ほどの小さなスペースです。
きっかけは、神戸新聞「ひょうご多士彩々」に掲載された店主の宮崎勝歓さんに関する記事でした。
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とてもユニークな書店です。
本棚は、青色の棚と黄色の棚に分けられ、青色の棚には新刊書が、黄色の棚には古書が入っています。
新刊書は、宮崎さんご自身が選んで仕入れておられるようです。
大型書店で平積みになっているような、いわゆるベストセラー本はほとんど見当たりません。
2014年4月5日のブログ でも書きましたが、元町の海文堂が閉店になったことはさびしい限りでした。
その後、宮崎さんのように本を愛する若い世代によって、新しいタイプの書店が生まれていることは、神戸の都市文化にとり、とてもありがたいことだと感じています。

本棚で目に止まったのは、84人の有名人の方々が「面白い2冊目」との出会い方を記した 『次の本へ』
さっそく購入しました。
発行所の『苦楽堂』も、最近、神戸で誕生した新しい出版社です。
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執筆者、出版社、書店、そして読者が共鳴し合って、神戸に新しい活字文化が根付いていってほしいと願っています。


2015年4月12日
から 久元喜造

今日は、統一地方選挙の投票日

神戸市内では、神戸市会議員選挙、兵庫県議会議員選挙が行われます。

2013年6月11日のブログ でも書きましたが、議会の役割は極めて重要です。
議会は、地方自治体の意思を決定する機関です。
議会を構成する議員は、住民の代表です。
直接住民から選挙された市長がいなくても民主主義は成り立ちますが、逆に、直接選挙された市長はいるけれども議会が存在しない自治体は、民主主義を体現しているとは言えません。

このように、住民の代表を選ぶ議会議員選挙はひじょうに重要な意味を持ちますが、残念ながらこれまでの投票率を見ると、市民の関心は高いとは言えません。
近年の動向をみると、平成11年(51.7%)、平成15年(46.83%)、平成19年(44.98%)、平成23年(42.04%)と、低下してきています。

我が国の選挙制度は、選挙運動に関する制約が大きく、候補者の政見がなかなか伝わりにくいという欠陥を抱えています。
候補者の名前を連呼するばかりの選挙は、変えていかなければなりません。
しかし、それでもほとんどの候補者は、ホームページを開設し、ご自身の政治姿勢やプロフィル、政策を掲載しておられますから、当選してからどのような政策を実現しようとしているのかの一端に触れることができます。

他人任せにしていては、住民の参画に基づく地方自治は成り立ちません。
議員としての責務をきちんと全うしようとする人物かどうかをしっかりと見極め、住民の権利を行使していただくようお願い申し上げます。


2015年4月9日
から 久元喜造

バスに乗り遅れまいと走らずにすむように。

先日の夜、三宮の会合の後、電車に乗り、最寄駅で降りてホームから階段を上っていたら、若い女性がものすごい勢いで階段を駆け上がってきて、私を追い抜いて行きました。
なぜこの女性は先を急いでいるのか ― 私は足を速めて彼女の後を追いかけ、改札口を出て、階段を下りました。
予想どおりでした。
彼女が階段を降り切ろうとした時、バス停に市バスが止まり、彼女は吸い込まれるように車内に消えていったのです。

結構大きな靴音が響いていましたから、たぶんハイヒールを履いていたのでしょう。
もしも階段で転びでもしたら、大けがをしかねないのに、あんなに急いだのは、彼女はバスの発車時刻を知っていて、このバスを逃したら、次のバスまで長く待たされるからに違いありません。
もう午後10時を回っていましたから、バスの本数もそんなに多くはなかったと想像できます。
もしもバスの発車時刻があと1分遅ければ、彼女はあんなに走らなくてもすんだことでしょう。

電車とバスの乗継をスムーズにするため、発車時刻を調整することが望まれますが、これはかなりむずかしい課題です。
しかし、公共交通を使ってできるだけ便利に移動できるようにするためには、各鉄道、バス路線のダイヤ接続を改善していくことが不可欠だと思います。
交通事業者が持っている各路線のダイヤ、乗降客数などに関するできるだけ詳しいデータを持ち寄り、シミュレーションを繰り返しながら、最適のダイヤ編成を行うことは、現代のテクノロジーを活用すれば可能性はあるのではないでしょうか。
困難な課題であることを自覚しながらも、何とか道が開けないか、模索していきたいと思います。


2015年4月6日
から 久元喜造

都市の音風景

去る3月24日、神戸市会の 未来都市創造に関する特別委員会 (吉田謙治委員長)から、 「神戸の未来都市創造に向けた提言書」 の提出を受けました。
市で策定を進めている 神戸都心の未来姿(将来ビジョン) については、3月23日に基本的な考え方を公表し、現在、市民のみなさんからご意見をいただいているところです。
今回いただいた提言書には、私たちが行っている検討の内容や方向性と軌を同じくしていたり、より具体的な提案が行われている項目がある一方、私たちが気がつかなかった項目もありました。

その一つが、「心地よい音環境」についてです。
「公共空間の整備やまちづくりにおいて,音響的な配慮を最大限に施すことにより,心地よい音環境を形成すること」との提言をいただきました。
公共空間における「聴覚的な快適性」への配慮です。
「音環境を神戸のまちトータルにデザインすることを高めていくことが望まれる」というご指摘は、そのとおりだろうと思います。

音風景 ― サウンドスケープは、都市を構成する重要な要素だという考え方は、以前からありました。
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20年ほど前に、中川真『平安京 音の宇宙』を読みましたが、京都の音風景が歴史的な文脈の中で語られていて、その壮大さ、複雑さ、繊細さに眩惑される想いがしたのを覚えています。

3月7日のブログ でも触れましたが、映画『繕い裁つ人』の中でも、神戸らしい音を聴くことができます。
音という要素を、都心をはじめとした神戸のまちづくりにどのように取り入れていくのか、具体策はこれからですが、提言書を拝読し、まずはそのような視点を共有することが大切なのではないかと感じました。


2015年4月4日
から 久元喜造

『イーハトーブの風』 ― 私の好きな曲⑨

震災20年記念事業の一環として、東北のみなさんが参加されたコンサートが何回か開かれました。
そのようなコンサートで、この素敵な曲に出会いました。
作詞・作曲は、岩手県出身のシンガーソングライター、あんべ光俊さんです。

イーハトーブ」 とは、宮沢賢治の造語で、美しい自然が息づく理想郷のようですが、宮沢賢治は、詳しい記述を残していません。
あんべ光俊さんは、「金色に輝く峰や 魚たちのぼる川」と歌い出し、自らの言葉と音楽で、この理想郷を、私たちの前に示してくれます。
そして、この理想郷に暮らす人々は、美しい世界に囲まれ、美しいものを見ているから、澄んだ眼をしているのだ、と続けます。

イーハトーブの国の人は 美しいもの見ているから
イーハトーブの国の人は 澄んだ眼をしているのだろう

この理想の国では、光と水と森の精が生命を実らせ、大いなる時のゆりかごが自然のハーモニーを紡ぎます。
しかし、人々は永遠の生命を獲得しているわけではありません。この国の人々は、生命が有限であることを知っています。

イーハトーブの国の人は 生命のはかなさ知ってるから
イーハトーブの国の人は  やさしく微笑むのだろう

この歌は、私たちの手の届かない理想の姿を、はるか彼方の世界として歌い上げているのではないように思えます。

自分自身が、悠久の時間と美しい自然の中に生かされていることに気づくとき、理想の国は、私たちの心の中に現出し、そのような心を持った人々が集うとき、私たちの世界は、理想郷に近づくことができる、というメッセージなのではないでしょうか。