久元 喜造ブログ

議会こそが民主主義を体現する

我が国では、国においては議院内閣制が、地方自治体においてはすべて「大統領制」が採られています。そして、ともに我が国の社会に定着しています。しかしながら、主要国においてこのような組み合わせをとっている国は、我が国以外にはありません。

すべての地方自治体の首長が直接選挙で選ばれる国は、日本のほかに、韓国とイタリアがあります。

韓国では、国も大統領制です。イタリアでは、国は議院内閣制で、大統領は名誉職に近い存在ですし、イタリアの首長は議会議員とまったく独立して選ばれるわけではありません。

国、地方自治体を問わず、民主主義を標榜する国に必ず存在しなければならないもの ― それは、議会です。議会こそが、国民や住民の意思を決めるのです。これに対し、首長が直接選挙されることは、民主主義にとって必須の要件ではありません。

我が国の地方自治体でも、団体意志の決定機関は、議会です。ですから、首長の権限になっているものを除き、自治体の意思を決定するのは議会です。

ところが、首長の中には、選挙で選ばれた自分こそが何でも決められると勘違いをしている方がいます。東京におりましたとき、たくさんの知事さんや市町村長さんが来られましたが、「議会なんかいらない」などと、「ホンネ」をおっしゃって帰られる方も結構いらっしゃいました。

「議会が邪魔で仕方がないのですが・・・」「議会の権限を縮小してくれませんか?」

といった発言にもよく接しました。

ネット時代になり、ネットツールを使えば、さまざまな意見を直接集めることができ、ネット上で対話ができるから、ネット社会では、議会の役割は低下するとおっしゃる方もいらっしゃいました。ブログ、フェイスブック、ツィッターなどを使えば、簡単にさまざまな意見を吸い上げることができるので、自分はそのようにして、住民、国民の声を体現できているのだ、という見方です。

そうでしょうか?

議会がネットの言説空間と異なるのは、議場において議員が一堂に会し、議論をたたかわせることにあります。ネット上の議論では、ほとんどが絶え間のない、そして、終局点のない議論の連鎖が続きます。そして、あるテーマへのアクセスが下火になれば、そのテーマに何らの解決も見いだせないまま、次の人気のあるテーマに移り、その反復が永遠に続くように見えます。

議会は違います。生身の人間が五感を統合して互いに相まみえ、議論を交わします。相手の目を見ながら、視線をそらすことなく討論し、結論を導く場です。

このような議会の価値は、ネット時代の中で改めて再確認する必要があるのではないかと思います。そこは、現実の立ち会いのもとに行われる議論を踏まえて、結論を出さなければならない決断の場なのです。

ネット時代であるからこそ、改めて議会の価値をかみしめる必要があるのではないでしょうか。

議会を構成する議員の使命は重大です。犯罪行為を行って逮捕されるような議員がいることは、論外ですし、恥ずかしいことです。