久元 喜造ブログ

2014年1月25日
から 久元喜造

深紅の薔薇に呼び起こされる記憶②

1972年春、上京し、小田急線で新宿から2駅目の、参宮橋駅近くにある兵庫県育才会 尚志館 に入寮しました。
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東京での生活はスリリングでした。学園紛争は下火になっていましたが、まだ世の中は落ち着いていなくて、大学の授業はなかなか始まらず、新宿駅では争乱も起きていました。

神戸のことは、いつも思い出され、友だちや両親によく手紙を書きました。
確か、入寮した年の秋から、民放のテレビドラマ『日曜日にはバラを』が始まりました。神戸が舞台になっていたので、毎週、欠かさず観ました。

財閥・伊能家の一族をめぐる物語で、伊能家の邸宅は、おそらく、東灘区の岡本か御影のあたりでした。邸宅から臨む神戸の街と海のシーンが、よく映し出されました。
野望を抱く青年(近藤正臣)は、伊能家の当主と令嬢(宇津宮雅代)に取り入り、令嬢と結婚するのですが、青年は妖艶な人妻(鰐淵晴子)と関係を持つことになり、その過程で、伊能家は次第に零落していくことになります。
ラストは、夫である青年を令嬢が刺し殺して終わる、という悲劇的なストーリーで、古典劇のような雰囲気があったのを想い起こします。
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40年以上の前のドラマなのですが、いくつかのシーンが蘇ってきました。


2014年1月25日
から 久元喜造

深紅の薔薇に呼び起こされる記憶①

昨日の晩は、市役所を大いに盛り上げようと活動しているみなさんと懇談し、楽しいひとときでしたが、薔薇の花束をいただいたのには、驚きました。
しかも、60本もの深紅の薔薇。
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深紅の薔薇は、大好きな花です。
帰宅して、HIBIKI をなめながら、深夜、静かでしみじみとした時間を持ちました。
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深紅の薔薇の花束を眺めていると、すっかり忘れていたいくつかの光景が蘇ってきました。
深紅の薔薇には、不思議な力が宿っているのかも知れません。

もう遙か昔のことですが、楠公さん ― 湊川神社の近くの幼稚園に通っていました。 幼稚園の玄関と左右のフェンスには、薔薇が絡まり、美しい花を咲かせていました。
ピンクや白い色の薔薇の花々がフェンスに咲き誇っていた風景が蘇ってきます。
深紅の薔薇ではありませんでした。
華やかだけれど、清楚な薔薇の花々は、幼稚園の担任だった遠藤先生のイメージと重なっていたのかも知れません。

 

 


2014年1月21日
から 久元喜造

「立派な人はみな死んでしもた」

ベストセラー百田尚樹『永遠の0』を読むと、改めて、我が国は、戦争で立派な人物を数多く失ったことを思い知らされます。
亡くなった母は、私が子どもの頃、戦死した海軍士官のことをよく話していました。
その海軍士官は、潜水艦に乗り込んでいて、長い航海の合間にときどき神戸に寄港したとき、母と会話を交わす機会があったようです。礼儀正しく、使命感と責任感にあふれ、優しい人柄だった、と、母は述懐していました。
潜水艦の中の任務分担についてはよく知りませんが、母によると、その海軍士官は、潜水艦が浮上したときは、まっさきにハッチを開けて艦上に出、潜水するときは、最後にハッチを閉めて艦内に入る役割だったそうです。
「ハッチを閉めるときにしょっちゅう怪我をするのか、いつも指に包帯を巻いていた」
と、その海軍士官のことを、追想していました。

淡い恋心を抱いていたのかも知れません。私が小学校の高学年になった頃からは、海軍士官のことは、口にしなくなりました。
それでも、夕食時などには、その海軍士官を念頭に置いていたのかどうかは判りませんが、
「立派な人は、みな戦争で死んでしもた」
などと、しみじみと語り、父に向かって
「残ったんは、カスばっかりや」
などと口走ることもありました。

父の耳に、母の棘のある言葉は届いていたはずですが、父は、手酌で熱燗をチビチビやりながら、プロレス中継や、あまり格調が高くはなかった時代劇『素浪人月影兵庫』などを見ていて、反論することも激高することもありませんでした。

両親と

潜水艦とともに国に殉じた海軍士官の方とは別のありようで、父は父なりに、立派だったのかも知れません。

 

 


2014年1月18日
から 久元喜造

阪神・淡路大震災から19年

昨日は、阪神・淡路大震災から19年が経ち、「1・17のつどい」に参列しました。
竹灯籠のろうそくに火が灯され、午前5時46分、時報の合図ととともに、参列者は、犠牲者の方々に哀悼の意を表し、静かに手を合わせました。
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当時、神戸市の幹部職員として奔走され、その後、3期12年にわたり神戸市長として震災復興とその後の財政再建に尽力された矢田立郎前市長のお姿もありました。

「慰霊と復興のモニュメント」前での式典では、歌手の森祐理さんが『しあわせ運べるように』を歌われ、遺族を代表して、お父様を亡くされた上西勇さんが追悼の言葉を述べられた後、私からも挨拶させていただきました。
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「つどい」の後、「希望の灯り」のテントを訪問し、登庁して、市役所内の危機管理センターで、災害対策本部本部員会議による訓練が行われました。
この訓練では、阪神・淡路大震災とほぼ同じ規模の地震が発生し、1時間余りが経った時点を想定していましたが、この時点で、すでに、多数の死者が発生していることが前提にして、死者への対応についても言及されたことには驚きました。
災害発生後しばらくは、生存者の救出に全力を挙げることとするのが通常ですが、早い段階で死者が多数発生しているという想定は、阪神・淡路大震災時における厳しい経験とその反省が下敷きになっているものと思われます。

訓練終了後、幹部職員のみなさんに挨拶をさせていただきました。
幹部のみなさんは、実際に、あのとき、想像を絶する苦労をされ、神戸の街の再生に献身的な貢献をされた方々がほとんどです。
歳月が経ち、月日が流れるのを止めることはできず、市役所でも世代が交代していくことは避けられません。みなさんのご苦労や思いを、私を含め、後に続く者に伝えていただくようお願いいたしました。

午前10時、中央体育館前で、「1・17ひょうごメモリアルウォーク」の出発式が行われました。

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HAT神戸までの約5キロを参加者のみなさんといっしょに歩き、HAT神戸のなぎさ公園で開催された「兵庫安全の日のつどい」に参列し、献花させていただきました。

 

 


2014年1月16日
から 久元喜造

スピード重視一辺倒の弊害

現代はスピードが求められる時代です。 世間はすべての経営者にスピード感を持った判断を求め、経営者は社員に仕事のスピードを求めます。
しかしスピードをどんどん加速させることは、人間を疲れさせ、ときには壊してしまうおそれがあることを忘れてはいけないと思います。
スピードを上げるほど、周囲に注意を払う必要性が増しますが、人間の注意力には限界があるからです。

神戸市役所のような大きな組織で、そのすべての構成員にひたすらスピードを求め、その総和として組織としての仕事のスピードを上げようとする方向性は、間違っていると思います。このようなやり方は、ひとりひとりの構成員にストレスを与えるだけです。
むしろ大事なことは、大きな組織のどこで情報やお金の流れが滞っているかを確認し、目詰まりをひとつひとつ取り除いていくことではないでしょうか。
そのような作業には少々時間がかかるかもしれませんが、結果として、情報やお金が組織全体の中でうまく循環することになれば、組織としての仕事は効率化され、スピード感のある仕事につながることでしょう。
また、組織の中での情報の共有も重要です。高度情報社会の中で、組織の構成員は、それぞれアンテナを高くし、情報に見落としがないかと注意払いますが、情報の共有はそのようなおそれを少なくし、注意力の負荷を減らしてくれることでしょう。

現代は、情報が頻繁に更新され、考えさせてくれる時間を与えてはくれません。情報更新のスピードが極限まで達したことにより、結果として、人間はひたすら情報をただ消費しているだけのような感があります。何とむなしいことでしょう。

少し前のことになりますが、10月18日の朝日新聞に、メディア論の石田英敬東大教授の対談が掲載されていましたが、そのタイトルは、「時間の遅れが判断力を養う」でした。
スピードを煽り立てる記事ばかりが目立つ中で興味を覚え、じっくり読みました。
石田英敬教授は、「人間の注意力が有限」とした上で、次のように述べます。

「新聞が最大の情報源だった時代は、翌日の朝刊がくるまでは『現在』が固定されるので、注意力を傾け、思考を深めることができた。ところが、テレビ、さらにはインターネット、SNSの時代になると『現在』が頻繁に更新されるため、注意力が分散されて深く思考できません。その上、新しい情報を入れるために、古井記憶はどんどん消去されていく。いまやメディアは、出来事を人々に認識させる伝達装置であると同時に、片っ端から忘れさせていく忘却装置になっているのです」

深く思考するには、一定の時間が必要です。
スピード重視一辺倒の行動様式からは、こぼれ落ちるものがあまりにも多いと思います。


2014年1月13日
から 久元喜造

神戸市「成人お祝いの会」

きょうは、午後1時から、ノエビアスタジアム神戸 で、神戸市の成人式「平成26年成人お祝いの会」が開催されました。

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今年の対象者は、平成5年4月2日から翌平成6年4月1日までの間に生まれた、14,498人で、昨年に比べ、361人少なくなっています。
例年、この「成人お祝いの会」には、6割を超える新成人のみなさんに参加いただいています。
今年の会は、公募によって選ばれた代表スタッフの5人 ― 齋賀裕輝君、竹内禎典君、徳山福太郎君、西村一樹君、花田奈津実さんが、毎週のように準備のための会合を重ね、企画してくれました。

会の冒頭、阪神・淡路大震災、東日本大震災で犠牲になられた方々への黙祷があり、その後、私から挨拶をさせていただきました。続いて、ご来賓の大澤和士神戸市会議長からお祝いの言葉を頂戴しました。

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5人の成人スタッフのみなさんへの花束贈呈、新成人への映像メッセージの後、コウベリーズ(KOBerrieS)と神戸ゆかりの、ゆるキャラによるステージがありました。

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最後に、まち美化エンジェルのみなさんの活動紹介があり、閉会となりました。

会の終了後、大澤和士神戸市会議長(左端)とともに、5人の成人スタッフのみなさんと記念撮影。

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厳粛な中にも、華やかな雰囲気にあふれた、佳い成人式となりました。

 


2014年1月12日
から 久元喜造

市役所のみなさん、具体的に語ってください。

先週、1月10日まで、来年度予算編成の各局のヒアリングが行われました。
将来を見据えた、新しい施策が盛り込まれていたものが多かったことはありがたかったです。
また、これまでにない試みとして、今年から、交通政策、情報システムなど、共通する政策課題について、各局が合同して説明していただく機会を与えていただいたことも、よかったと感じています。

幅広い政策課題の中から、市長に説明してくださるテーマは何か、限られた時間の中で、それぞれどれくらいの説明時間にするのかなど、ご苦労がおありだったと拝察します。それだけに、説明は、簡潔で要を得たものであることが求められますし、説明される局長をはじめ幹部のみなさんも、工夫をして臨まれたことと想像します。

ただ、聴いている側から見ますと、もっと具体的に語っていただきたかったという思いは、禁じ得ないところです。
ほとんどの説明は、その事業の必要性についてかなりの時間が割かれていました。事業の必要性を説明することはわかりますが、必要性の説明に時間の多くが割かれ、肝心の事業の中身について尻切れトンボに終わってしまうことが多かったように感じました。

しかも、事業の必要性や中身についての説明も、抽象的な話が多く、いきいきとした光景が浮かんでくるようなシーンが少なかったのは残念でした。
思いあまって、
「ですから、何をするのですか?」
と尋ねたことも多かったのですが、そうお尋ねしても、
「連携を図ります」「支援します」「周知徹底を図ります」
といった答えしか返った来ず、さらに
「何をするのか、中身がわからないのです。ですから、何をするのですか?」
と、再質問したりすることもあって、申し訳なく思っています。

予算編成では、個々の事業で、何をするのかが、基本となるはずです。
「誰が、どこで、何を、どのようにするのか」
について、簡潔でもいいですから、具体的に語っていだだければと希望します。
予算要求書の様式も、わざわざ抽象的な説明をいざなうような項目が並んでいて、改善の必要がありそうです。


2014年1月11日
から 久元喜造

「市電復活」の夢

今年、1月3日の神戸新聞朝刊一面トップに「神戸の路面電車復活調査 次世代型 全市域対象に」という見出しで、次世代型路面電車「LRT(ライト・レール・トランジット)」に関する記事が掲載されました。

私は、選挙のときの 政策 で、LRTの導入の検討を掲げていますので、なるべく早く、必要な調査を行いたいと考えています。
同時に、この記事の中でも触れていますように、都心の道路はかなり混雑していますし、LRTは、神戸にたくさんある坂道にはあまり適しません。一定以上の道路幅が必要です。
また、路面電車導入に賛成する声は多いと思いますが、いざ導入しようとすると、候補となる道路の沿道でお店をされているみなさんなどからは、荷物の積み下ろしへの影響を懸念する声が上がって来るのは確実です。
もちろん、費用対効果などから消極的な意見もあることでしょう。

新年のパーティーでは、この記事を読まれたさまざまな方から、「是非、実現してください」「いつ頃になるのですか」という声をよくいただくのですが、導入に向けての課題についてもお話しさせていただいています。

そのような中、ある方から、やはりこの記事についてのお話があり、同じように課題についてのお話をさせていただいたのですが、その方の反応は、少し違っていました。
「いいんですよ。実現しなくてもいいんです」
と、おっしゃるのです。
「・・・・・」
その方は、こう続けられました。
「市電を復活するという記事を読んだのは、ずいぶん久しぶりです。しかも、あの記事には、昔の市電の写真も載っていた。市電のことを思い出しました。懐かしかったなあ」
「娘もあの記事を読んで、昔の市電に興味を持ち、どんな電車だったの、とか、いろいろ訊くので、教えてやりました。興味深そうに聴いていましたよ。あの記事のおかげで、正月からよい家族団らんができた。ありがとうございました」
「むずかしいことが沢山あることは、よくわかっています。ですから、すぐに実現できなくてもかまわない。でも、いつか市電の復活を実現しようという夢だけは、ずっと持っていたいですね」

私は、とても慰められたような、そして、温かい気持ちになりました。
同時に、こんなに優しくおっしゃってくださる方の夢がかなえられるよう、具体的な検討作業を急ぎたいという気持ちを新たにしたのでした。


2014年1月8日
から 久元喜造

行革時代に、仕事を前に進めるために。

少し時間が経ってしまいましたが、1月6日の御用始めの日に、神戸市役所で、幹部職員のみなさんに挨拶をさせていただきました。
お話ししたことどおりではありませんが、申し上げたかったことは、以下のようなことです。

行政組織では、どんなに立派なアイデアや政策が浮かんでも、それを具体化し、実現していくためには、どこかの組織がその仕事を担当する必要がある。

自分の経験では、役所の組織が新しい仕事を引き受けることは、年々、難しくなっている。
かつては、各省の部局、課室は、仕事の奪い合い、つまり、積極的権限争いをしていた。
しかし、もうかれこれ20年近く前から、反対の現象 ― 消極的権限争いをするようになってきている。
いわば、仕事の押しつけ合いだ。

国民、住民にとって必要な仕事が、役人の間で押し付け合いされ、ときとして宙に浮いてしまうということは、実に情けないことだ。
この情けない話を、個々の役人のやる気や気概に還元することは可能だが、そうとも言い切れない。
役人間の仕事の押し付け合いには、もっと構造的な背景があるからだ。

根本的な背景は、どんなに大きな、そして、大事な仕事でも、霞ヶ関をはじめ、規模が大きな行政組織では、仕事の単位は、基本的には、課あるいは室であり、どんなな仕事でも、課あるいは室に下ろされるという慣行にある。

一方、もう30年近く、国も地方自治体も、行政改革に取り組んできた。
仕事は増える一方だが、組織や人員は減らされてきた。それも、画一的な方法で。

このような状況で長く仕事をしてきた役人、とくに、仕事の中核を担う課長や室長の行動は、どのようになるか ― 新しい仕事は、どんな手段を講じても引き受けない、という行動様式が合理的だ。
なぜなら、新しい仕事を引き受けても、人員が増えることはまず、ないし、予算が増えることも、まず、ない。
増えたとしても、翌年以降になる。
また、果敢に、新しい、そして、困難な仕事を引き受けても、人事評価に反映されることも、まず、ない。
給料が増えるわけでもないし、何らかの待遇の改善があるわけでもない。

私の経験は以上だが、神戸市の行政組織は、どのようにして、新しい仕事にとりくんできたのか、どのようにして、このような組織上の課題に向き合い、解決してきたのか ― 是非、教えてほしい、課題があるなら、いっしょに考えていきましょう、と申し上げたのでした。


2014年1月5日
から 久元喜造

「神戸付近の川に住むお魚たち」

正月早々、友人が、こんな情報を提供してくれました。

「今日の夕方、家内と近くのショッピングセンターである アグロガーデン星陵台店 に買い物に行ったのですが、そこでは、神戸の魚を展示するコーナーがあり、感激し、しばし見入ってしまいました。写真を添付致します」

写真を拝見しますと、神戸付近の川に住む魚たちが水槽で展示され、それぞれの魚の写真とともに、詳しい説明が書かれてありました。
たとえば、鮒については、
「水槽内には、マブナとヘラブナが入っています。判るかな!」
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カワバタモロコなどの貴重な在来種の魚も展示されていました。
シロヒレタビラ、ムギツク、カマツカという絶滅危惧種の魚は、私もこれまでその存在を知りませんでした。
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このような教育的な内容の展示を行っていただいていることは、ありがたいことです。
身近な河川にいる魚を飼育することは、生き物を慈しみ、自然環境保護を考える絶好の機会だと思います。
同時に、身近なの河川の淡水魚を採集したり、飼育するに当たっては、自然環境保護のルールを守ることが必要でしょう。

その一方で、と、友人は続けます。
「現在の須磨水族園や王子動物園には、神戸やその周辺で生息する生き物を飼育、紹介するコーナーが常設されていません。特に、須磨水族園は、公設民営で、集客施設としての特色が強調されすぎているように思われます」。

水族園にようやくお邪魔できたのは、昨年12月ことで、それも、昼休みの15分だけでしたので、ゆっくり見学することはできず、友人の指摘が正しいのかどうかについては、正直、よくわかりません。
ただ、感じるのは、水族園の職員のみなさんは、入館者を増やすよう促される一方、水生生物の研究者、展示に携わる立場としての使命感をお持ちでしょうから、さまざまな意見や要請の狭間にあって、いろいろなことを考えながら仕事をされているだろうということです。

神戸市役所では、近年、行政評価の取り組みが盛んに行われていますが、行政評価では数値目標が設定され、その到達度が絶えず問われます。
公の施設については、数値目標としては、入館者などが指標として使われるのでしょうが、入館者を上げるだけなのであれば、たとえば、図書館ではベストセラーばかりを並べることになりかねず、弊害も生むことでしょう。

「公共性とは何か」についての基本を忘れずに、費用対効果を上げていく取り組みが求められます。