ベストセラー百田尚樹『永遠の0』を読むと、改めて、我が国は、戦争で立派な人物を数多く失ったことを思い知らされます。
亡くなった母は、私が子どもの頃、戦死した海軍士官のことをよく話していました。
その海軍士官は、潜水艦に乗り込んでいて、長い航海の合間にときどき神戸に寄港したとき、母と会話を交わす機会があったようです。礼儀正しく、使命感と責任感にあふれ、優しい人柄だった、と、母は述懐していました。
潜水艦の中の任務分担についてはよく知りませんが、母によると、その海軍士官は、潜水艦が浮上したときは、まっさきにハッチを開けて艦上に出、潜水するときは、最後にハッチを閉めて艦内に入る役割だったそうです。
「ハッチを閉めるときにしょっちゅう怪我をするのか、いつも指に包帯を巻いていた」
と、その海軍士官のことを、追想していました。
淡い恋心を抱いていたのかも知れません。私が小学校の高学年になった頃からは、海軍士官のことは、口にしなくなりました。
それでも、夕食時などには、その海軍士官を念頭に置いていたのかどうかは判りませんが、
「立派な人は、みな戦争で死んでしもた」
などと、しみじみと語り、父に向かって
「残ったんは、カスばっかりや」
などと口走ることもありました。
父の耳に、母の棘のある言葉は届いていたはずですが、父は、手酌で熱燗をチビチビやりながら、プロレス中継や、あまり格調が高くはなかった時代劇『素浪人月影兵庫』などを見ていて、反論することも激高することもありませんでした。
潜水艦とともに国に殉じた海軍士官の方とは別のありようで、父は父なりに、立派だったのかも知れません。