久元 喜造ブログ

阪神・淡路大震災から19年

昨日は、阪神・淡路大震災から19年が経ち、「1・17のつどい」に参列しました。
竹灯籠のろうそくに火が灯され、午前5時46分、時報の合図ととともに、参列者は、犠牲者の方々に哀悼の意を表し、静かに手を合わせました。
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当時、神戸市の幹部職員として奔走され、その後、3期12年にわたり神戸市長として震災復興とその後の財政再建に尽力された矢田立郎前市長のお姿もありました。

「慰霊と復興のモニュメント」前での式典では、歌手の森祐理さんが『しあわせ運べるように』を歌われ、遺族を代表して、お父様を亡くされた上西勇さんが追悼の言葉を述べられた後、私からも挨拶させていただきました。
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「つどい」の後、「希望の灯り」のテントを訪問し、登庁して、市役所内の危機管理センターで、災害対策本部本部員会議による訓練が行われました。
この訓練では、阪神・淡路大震災とほぼ同じ規模の地震が発生し、1時間余りが経った時点を想定していましたが、この時点で、すでに、多数の死者が発生していることが前提にして、死者への対応についても言及されたことには驚きました。
災害発生後しばらくは、生存者の救出に全力を挙げることとするのが通常ですが、早い段階で死者が多数発生しているという想定は、阪神・淡路大震災時における厳しい経験とその反省が下敷きになっているものと思われます。

訓練終了後、幹部職員のみなさんに挨拶をさせていただきました。
幹部のみなさんは、実際に、あのとき、想像を絶する苦労をされ、神戸の街の再生に献身的な貢献をされた方々がほとんどです。
歳月が経ち、月日が流れるのを止めることはできず、市役所でも世代が交代していくことは避けられません。みなさんのご苦労や思いを、私を含め、後に続く者に伝えていただくようお願いいたしました。

午前10時、中央体育館前で、「1・17ひょうごメモリアルウォーク」の出発式が行われました。

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HAT神戸までの約5キロを参加者のみなさんといっしょに歩き、HAT神戸のなぎさ公園で開催された「兵庫安全の日のつどい」に参列し、献花させていただきました。