久元 喜造ブログ

スピード重視一辺倒の弊害

現代はスピードが求められる時代です。 世間はすべての経営者にスピード感を持った判断を求め、経営者は社員に仕事のスピードを求めます。
しかしスピードをどんどん加速させることは、人間を疲れさせ、ときには壊してしまうおそれがあることを忘れてはいけないと思います。
スピードを上げるほど、周囲に注意を払う必要性が増しますが、人間の注意力には限界があるからです。

神戸市役所のような大きな組織で、そのすべての構成員にひたすらスピードを求め、その総和として組織としての仕事のスピードを上げようとする方向性は、間違っていると思います。このようなやり方は、ひとりひとりの構成員にストレスを与えるだけです。
むしろ大事なことは、大きな組織のどこで情報やお金の流れが滞っているかを確認し、目詰まりをひとつひとつ取り除いていくことではないでしょうか。
そのような作業には少々時間がかかるかもしれませんが、結果として、情報やお金が組織全体の中でうまく循環することになれば、組織としての仕事は効率化され、スピード感のある仕事につながることでしょう。
また、組織の中での情報の共有も重要です。高度情報社会の中で、組織の構成員は、それぞれアンテナを高くし、情報に見落としがないかと注意払いますが、情報の共有はそのようなおそれを少なくし、注意力の負荷を減らしてくれることでしょう。

現代は、情報が頻繁に更新され、考えさせてくれる時間を与えてはくれません。情報更新のスピードが極限まで達したことにより、結果として、人間はひたすら情報をただ消費しているだけのような感があります。何とむなしいことでしょう。

少し前のことになりますが、10月18日の朝日新聞に、メディア論の石田英敬東大教授の対談が掲載されていましたが、そのタイトルは、「時間の遅れが判断力を養う」でした。
スピードを煽り立てる記事ばかりが目立つ中で興味を覚え、じっくり読みました。
石田英敬教授は、「人間の注意力が有限」とした上で、次のように述べます。

「新聞が最大の情報源だった時代は、翌日の朝刊がくるまでは『現在』が固定されるので、注意力を傾け、思考を深めることができた。ところが、テレビ、さらにはインターネット、SNSの時代になると『現在』が頻繁に更新されるため、注意力が分散されて深く思考できません。その上、新しい情報を入れるために、古井記憶はどんどん消去されていく。いまやメディアは、出来事を人々に認識させる伝達装置であると同時に、片っ端から忘れさせていく忘却装置になっているのです」

深く思考するには、一定の時間が必要です。
スピード重視一辺倒の行動様式からは、こぼれ落ちるものがあまりにも多いと思います。