久元 喜造ブログ

2014年3月21日
から 久元喜造

水害に備える。

きょうは、神戸市・垂水区総合防災訓練が行われました。
訓練に参加いただいた、垂水区の、ふれあいまちづくり協議会、防災福祉コミュニティ、消防団のほか市民のみなさん、警察、自衛隊、地方気象台、国土交通省六甲砂防事務所をはじめ関係機関、医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会のみなさん、舞子高校のみなさん、参加各企業のみなさんには、訓練に参加していただき、本当にありがとうございました。
また、危機管理室、消防局など関係職員のみなさんには、ご苦労さまでした。

きょうの訓練では、長く雨が降り続いて地盤がゆるんでいるところに、集中豪雨があり、土砂災害、河川の氾濫が起きたという想定で、救護訓練、避難所開設訓練、複数の救助隊による車からの救出訓練などが行われました。

閉会式の挨拶で、昭和13年の阪神大水害と昭和42年の大水害について触れました。
昭和42年の大水害のとき、私は山田中学校の2年生でしたが、家に帰ろうと、どしゃぶりの雨の中を神戸電鉄湊川駅まで行ったところ、当時、地上駅だった湊川駅は水浸しで、ホームには電車が水没していました。
神戸電鉄、有馬街道は長く不通で、鈴蘭台から市街地へ出るには、西宮の山口まで迂回しなければなりませんでした。
死者・行方不明92人を出した大災害でした。

神戸のように起伏の多い地形に住宅が建てられてきた都市では、ゲリラ豪雨への備えがたいへん重要です。
きょうの訓練結果を検証しながら、地域ぐるみでの防災力を高めていく努力を行っていきたいと思います。


2014年3月20日
から 久元喜造

「久元きぞうと語るつどい」御礼

お礼が遅くなりましたが、3月18日夜、ANAクラウンプラザホテル神戸で、「久元きぞうと語るつどい」を開催させていただきました。
年度末のお忙しい中、2000人を超えるみなさまに出席いただきました。本当にありがとうございました。

当日は、後援会の西河紀男会長のご挨拶に続き、大澤和士神戸市会議長、井戸敏三兵庫県知事からご祝辞をいただきました。
私からは、政策の進捗状況について簡単に報告させていただき、実現への決意を述べました。

大橋忠晴神戸商工会議所会頭に和やかな雰囲気で乾杯のご発声をいただいた後、懇談に入り、会場内を回らせていただきました。短時間でしたが、大勢のみなさまとお話ししたり、お話をお伺いすることが出来ました。
たくさんのお励ましやご忠告もいただき、ありがたいひとときでした。元気をいっぱい頂戴することができました。

私は自分で当日の模様を撮影することはできませんでしたが、フェイスブックには、当日の写真を何枚かアップしていただいているようです。
あわせまして、心より感謝申し上げます。

 


2014年3月18日
から 久元喜造

助役から副市長へ。

市のナンバー2である副市長は、以前は、助役と呼ばれていました。
助役の名称が副市長に代わったのは、2006年(平成18年)の地方自治改正によってです。
この改正は、第28次地方制度調査会答申 に基づくもので、私は、答申と法案作成の両方に関わりました。
名前が変わっただけではない、意味のある改正だったと思います。

この改正では、まず、都道府県の出納長と市町村の収入役が廃止されました。
収入役は、市制町村制(1888年制定)で設けられた由緒ある制度でしたが、完全に時代遅れになっていました。
副知事と副市町村長については、定数は条例で自由に定められるようになり、その職務として、政策と企画をつかさどることが加わりました。さらに、知事や市町村長の権限を副知事や副市町村長に委任し、自らの権限として行使できることが明記されました。
このように、この改正の目的は、個々の地方自治体が置かれている多様な状況に応じて、また、知事や市町村長の判断によって、もっともふさわしい方法でトップマネジメントの強化を図ることにありました。

たとえば、市長の権限の相当部分を一人の副市長に委任し、いわゆるシティマネージャーのような役割を果たしてもらうことです。この場合には、日常的、実務的な事務は一人の副市長に大幅に委ねられることになり、長の役割は、より高次で政治的、対外的なものが中心になります。
もちろん、複数の副市長を置き、分担して事務を担当することも考えられます。我が国の大規模な自治体の状況を見れば、こちらの方が常識的ですし、実態に合っていると思われます。
複数の副市長を置く場合にあっては、タイプの異なる有為な人材を起用するとともに、市長を交えた会議を恒常的に開いて情報を常に共有し、チームとして一体的・戦略的に自治体経営にあたるという姿勢が大切だと思います。


2014年3月16日
から 久元喜造

神出町パートナーシップ協定記念式典

きょうは、西区神出町にお邪魔しました。
神出自然教育園に到着しますと、「餅つきをしているので、まず見てください」、とのこと。野外の会場に着くやいなや、「餅をついてください」と言われ、いきなり餅つきをさせていただきました。
140316-2

「腰が入ってへんわ」と冷やかされながらも、久しぶりに餅つきを楽しみました。

続いて、「神出町パートナーシップ協定記念式典」に出席しました。
まずは、神出楽団の演奏。
力強いファンファーレに続き、何曲かが演奏され、「神出讃歌」で閉じられました。
神出のみなさんが、いかにご自身の地域を愛しておられるかがよくわかる選曲と演奏で、感銘を覚えました。

私から、国道175号線バイパスの推進、耕作放棄地対策についての市民・職員協働の取り組み、市街地調整区域における建築規制の見直しなどについて、挨拶で触れさせていただきました。
140316-1
原風景の保全、にぎわいの創出、安全・安心の推進など、パートナーシップ協定が締結されてから3年の取り組みについて、各部会長さんから報告がありました。

いろいろな課題があると思いますが、神出町のみなさんが、心を合わせて、よりよい地域づくりのために頑張っておられることがよく理解できました。
地域内の一斉清掃には、地域の住民の2割を超えるみなさんが参加されているとのこと。すごいことです。

記念式典終了後、地域のみなさん、神出中学校の生徒さんが心をこめてつくっていただいた、豚汁をごちそうになりました。とても上品な味付けで、思わず、お代わりをしてしまいました。
春らしい陽光が降り注ぐ中、すてきなひとときを過ごさせていただき、心より感謝申し上げます。

 


2014年3月14日
から 久元喜造

ペンケ駐日ラトビア大使と会談

きょうは、ラトビア共和国のペンケ駐日大使が神戸市役所を訪問され、会談させていただきました。
ラトビアの首都リガと神戸は、友好都市で、40年にわたる長い交流の歴史があります。
ペンケ大使との会談では、40周年を契機に、さらに友好親善の取り組みを強化することで、意見が一致しました。
140314

ペンケ大使とお会いするのは、初めてでしたが、家内は、ラトビア独立記念日祝賀会のときに、東京のラトビア大使館に招かれ、大使夫妻とお目にかかったことがあります。(2013年11月18日のブログ
家内から聞いていたとおり、ペンケ大使は、歴史、国際政治、言語、音楽、スポーツ、建築など、幅広い分野について深い見識のお持ちの、知的な方でした。
ワーグナーがリガに逗留していたことでも、話題が盛り上がりました。
「家賃が払えなかったから、ワーグナーは、リガに来たのですよ」
と、細かなことまで、よくご存じでした。

神戸に来られるのは今回が初めてとのことでしたが、6月に、リガから使節団が神戸に来られるときには、ペンケ大使も参加していただけるとお聞きし、たいへん、ありがたく感じました。
ペンケ大使のご来訪を契機に、リガとの友好をさらに深めていきたいと思います。

 


2014年3月10日
から 久元喜造

怒りをコントロールする。

先日の毎日新聞に、自らの怒りをコントロールする、「アンガーマネジメント」に関する記事が掲載されていました。
感情の爆発に身を任せるのではなく、怒りを適切にコントロールすることは、家庭生活や社会生活を送る上で、たいへん重要です。

怒りの話題で想い起こされるのは、霞ヶ関にいたとき、かなり長くお仕えした、某大臣のことです。
とにかく、怒鳴りまくる、怒り狂うのが有名で、総務省幹部の「大臣室に入るのがつらい」というコメントが新聞に掲載されたほどです。
私も、怒鳴られたのは、10回や20回ではすみません。部屋から追い出されたこともありました。(20分後にはまた入りましたが・・・・)

ある日、大臣レクのために大臣室の前で待っていると、部屋の中からものすごい怒鳴り声が聞こえてきました。
ドアは閉まっていましたが、外までガンガン聞こえてくる怒声は、ずいぶん長く続きました。大臣秘書官室の話では、電話の相手は、突飛な言動で知られる別の大臣とのことでした。
怒声が収まり、私がレクに入ることになりましたが、正直、気が進みませんでした。
長年の経験で、政治家に説明に入るときは、説明の内容、そして説明の仕方のほかに、説明に入るタイミングが成否を決することを知っていたからです。
ご機嫌が悪いときに、ましてや、怒り狂っておられるときに入っても、碌なことはありません。

不安な気持ちを抱きつつ大臣室に入り、説明を始めると、某大臣の様子は、予想とはまったく違いました。
完全に冷静だったのです。
つい1分前まで、あれほど怒り狂っていた雰囲気はまったくありませんでした。
大臣レクは、淡々と終わり、案件の了解をいただくのに、時間は要しませんでした。

少なくとも、大臣は、感情の赴くままに、怒りを爆発させていたのではなかったのです。
おそらくは、自らの怒りを、見事にコントロールされていたのはないかと、毎日新聞の記事を読んで、改めて想像しました。


2014年3月8日
から 久元喜造

ヴィッセル神戸・ホーム開幕戦

きょう、ノエビアスタジアム神戸 で、ヴィッセル神戸 のホーム開幕戦が行われました。
ヴィッセル神戸は、昨年、残念ながら、サッカーJリーグ2部(J2)に降格になりましたが、わずか1シーズンでJ1に復帰し、今シーズンは、タイトル獲得の期待が持たれているところです。

ノエビアスタジアム神戸 内で開かれた経営諮問会議に出席した後、「ヴィッセル神戸を応援する近隣首長の会」に出席しました。神戸市長は、会長を務めさせていただいています。
会合の後、記念撮影。
140308-5

会のパーティー会場では、国家戦略特区の農業の分野で意欲的な提案をされている、養父市の広瀬市長と、農政の現状と閉塞状況、今後の展望について、意見交換しました。
とてもパッションを感じるひとときでした。
140308-3

試合開始に先立ち、選手入場。その後、「一致団結し、ヴィッセル神戸を応援しましょう」と挨拶させていただきました。
140308-1

そして、光栄なことに、始球式まで務めさせていただきました。
140308-4

好試合でしたが、ヴィッセル神戸は、柏レイソルと1‐1で引き分けました。
新しく入ったブラジル出身のペドロジュニオールが、0‐1で迎えた後半17分、同点ゴールを決めました。
今シーズン、今後に十分な期待が出来る試合でした。


2014年3月4日
から 久元喜造

野生の恵みを味わう。

きょうの昼は、大丸近く、元町の「鹿鳴茶流 入舩」へお伺いしました。
140305-1
とてもお洒落な雰囲気。
すでに、テーブル席はほぼ満席で、やっと、残りの1席に座ることが出来ました。
140305-3

お目当ては、鹿肉料理のランチです。
ランチは3種類ありましたが、初めてですので、オーソドックスな日替わりランチを注文。
メインは、鹿肉の煮込み。
140305-2

あっさりとした味わいで、堪能しました。
スープを含め、上品な味付けです。
女性客が多いのも頷けます。

鹿についてお伺いしましたら、「兵庫県で獲れる鹿です」、と教えていただきました。
神戸でも、北区の住宅地すぐそばまで、鹿が出没するようになっています。
全国的に問題になっているように、生態系のバランスが崩れ、鹿が異常繁殖するようになると、あっという間に、植生の破壊など、いろいろな問題が起きてきます。

本州の鹿は、美味で、食材として魅力的です。
身近な本州鹿の、捕獲、解体、流通、販売、消費のサイクルを確立し、このおいしい鹿肉の味を広く知っていただきたいと思います。

北海道の蝦夷鹿は、少し種類が違いますが、札幌におりましたとき、獲れたての蝦夷鹿肉をいただき、ステーキでいただいたときの味わいは忘れられません。

本州鹿の、また違った味を、さまざまな料理法で提供していただきたいと期待しています。


2014年3月2日
から 久元喜造

区役所サービスの強化のために

夕刻、久しぶりに、湊川から神戸電鉄に乗り、鈴蘭台に行ってきました。
鈴蘭台駅前では、再開発に向けた事業が急ピッチで進められています。事業予定地の建物は撤去され、更地が広がっています。
今の北区役所は駅前に移転し、再開発ビルの中に入ります。
140302-1

下の写真は、小学校から高校までお世話になった、駅前の文具店、「スター商会」です。
140302-2

幅広い北区民のみなさんのご意見をいただきながら、できるだけ早期に事業を完了させ、区役所の移転を実現させたいと思います。

次は、兵庫区役所です。
今の位置から少しずれますが、現地で建て替える計画を進めます。すでにプランを公表していますので、できるだけ早く事業に着手いたします。

その次は、西区役所の分庁舎です。
現在の区役所は、西神山手線から離れており、地下鉄沿線などにお住まいの住民のみなさん向け行政サービスを充実させるためには、西神中央駅近くに分庁舎を建設することが必要です。
平成26年度予算に調査費を計上していますので、出来るだけ早く、分庁舎で提供するサービスの内容、分庁舎の場所、規模、事業費などを明らかにいたします。

このように、順次、区役所、分庁舎を整備していきますが、単に建物を新しくするだけでは十分ではありません。
社会保障・税番号を有効に活用して、情報を関係部局で共有し、ネット上でサービスを完結できるようにしたり、コンビニなどで住民票などを交付できるようにしていきます。
また、区役所などに来ていただく際にも、出来る限り、複数の窓口を回らなくてすむよう、窓口サービスの改革にも取り組んでいきたいと思います。

 


2014年2月28日
から 久元喜造

本当の作曲者の立場~佐村河内守問題③~

ニセ作曲家、佐村河内守氏のゴーストライターは、桐朋学園大学非常勤講師の新垣隆氏でした。
自分の作品が、佐村河内守氏の作品と偽って公表されることを承知で、作品を供給し続けていたのでした。
ニセ作曲家が華々しいスポットライトを浴びる一方で、本当の作曲者は長年知られることはなく、受けた利益は、わずかなものでした。

新垣隆氏がどんな気持ちでこのような行為を長年続けてこられたのかは、本人にお尋ねするしかありませんが、おそらくは、複雑な思いであったことでしょう。
あえて想像を巡らせれば、曲をつくる人間が沢山いる中で、自作が公演されることはたいへんむずかしく、マスメディアが喜びそうなストーリーに乗れば、自分の作品が日の目を見るかも知れない ― その有力な方法が、佐村河内守氏の作品として、自作を世に出すことだとお考えになったのかも知れません。
歪んだ楽壇やメディアの姿が厳然としてある以上、その現実を受け入れた上で、自作をたくさんの人々に聞いてもらうために、合理的な方法を選択されたのかも知れません。

そうであれば、新垣隆氏の選択は、形式的には咎められる要因があったにせよ、徹底的に糾弾されるべきことがらではないように思えます。
新垣隆氏の行為に対して、雇い主である桐朋学園大学は「厳正に対処」する方針を打ち出しましたが、学生からは反対の署名運動が起こり、2万人近い署名が寄せられたと言います。
周囲から尊敬される人物だったのでしょう。

もう、第二の新垣隆氏が出現してほしくありません。
音楽作品が、人為的なストーリーに振り回されるのではなく、ありのままの音楽として楽しむことができるような芸術環境を、私たちの社会は獲得したいものです。