久元 喜造ブログ

2015年4月14日
から 久元喜造

書肆スウィートヒアアフター

先週の夕暮れ時、海岸通4丁目の「書肆スウィートヒアアフター」を訪ねました。
昨年12月にできた新しい書店です。
レトロなビルの2階にあり、8坪ほどの小さなスペースです。
きっかけは、神戸新聞「ひょうご多士彩々」に掲載された店主の宮崎勝歓さんに関する記事でした。
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とてもユニークな書店です。
本棚は、青色の棚と黄色の棚に分けられ、青色の棚には新刊書が、黄色の棚には古書が入っています。
新刊書は、宮崎さんご自身が選んで仕入れておられるようです。
大型書店で平積みになっているような、いわゆるベストセラー本はほとんど見当たりません。
2014年4月5日のブログ でも書きましたが、元町の海文堂が閉店になったことはさびしい限りでした。
その後、宮崎さんのように本を愛する若い世代によって、新しいタイプの書店が生まれていることは、神戸の都市文化にとり、とてもありがたいことだと感じています。

本棚で目に止まったのは、84人の有名人の方々が「面白い2冊目」との出会い方を記した 『次の本へ』
さっそく購入しました。
発行所の『苦楽堂』も、最近、神戸で誕生した新しい出版社です。
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執筆者、出版社、書店、そして読者が共鳴し合って、神戸に新しい活字文化が根付いていってほしいと願っています。


2015年4月12日
から 久元喜造

今日は、統一地方選挙の投票日

神戸市内では、神戸市会議員選挙、兵庫県議会議員選挙が行われます。

2013年6月11日のブログ でも書きましたが、議会の役割は極めて重要です。
議会は、地方自治体の意思を決定する機関です。
議会を構成する議員は、住民の代表です。
直接住民から選挙された市長がいなくても民主主義は成り立ちますが、逆に、直接選挙された市長はいるけれども議会が存在しない自治体は、民主主義を体現しているとは言えません。

このように、住民の代表を選ぶ議会議員選挙はひじょうに重要な意味を持ちますが、残念ながらこれまでの投票率を見ると、市民の関心は高いとは言えません。
近年の動向をみると、平成11年(51.7%)、平成15年(46.83%)、平成19年(44.98%)、平成23年(42.04%)と、低下してきています。

我が国の選挙制度は、選挙運動に関する制約が大きく、候補者の政見がなかなか伝わりにくいという欠陥を抱えています。
候補者の名前を連呼するばかりの選挙は、変えていかなければなりません。
しかし、それでもほとんどの候補者は、ホームページを開設し、ご自身の政治姿勢やプロフィル、政策を掲載しておられますから、当選してからどのような政策を実現しようとしているのかの一端に触れることができます。

他人任せにしていては、住民の参画に基づく地方自治は成り立ちません。
議員としての責務をきちんと全うしようとする人物かどうかをしっかりと見極め、住民の権利を行使していただくようお願い申し上げます。


2015年4月9日
から 久元喜造

バスに乗り遅れまいと走らずにすむように。

先日の夜、三宮の会合の後、電車に乗り、最寄駅で降りてホームから階段を上っていたら、若い女性がものすごい勢いで階段を駆け上がってきて、私を追い抜いて行きました。
なぜこの女性は先を急いでいるのか ― 私は足を速めて彼女の後を追いかけ、改札口を出て、階段を下りました。
予想どおりでした。
彼女が階段を降り切ろうとした時、バス停に市バスが止まり、彼女は吸い込まれるように車内に消えていったのです。

結構大きな靴音が響いていましたから、たぶんハイヒールを履いていたのでしょう。
もしも階段で転びでもしたら、大けがをしかねないのに、あんなに急いだのは、彼女はバスの発車時刻を知っていて、このバスを逃したら、次のバスまで長く待たされるからに違いありません。
もう午後10時を回っていましたから、バスの本数もそんなに多くはなかったと想像できます。
もしもバスの発車時刻があと1分遅ければ、彼女はあんなに走らなくてもすんだことでしょう。

電車とバスの乗継をスムーズにするため、発車時刻を調整することが望まれますが、これはかなりむずかしい課題です。
しかし、公共交通を使ってできるだけ便利に移動できるようにするためには、各鉄道、バス路線のダイヤ接続を改善していくことが不可欠だと思います。
交通事業者が持っている各路線のダイヤ、乗降客数などに関するできるだけ詳しいデータを持ち寄り、シミュレーションを繰り返しながら、最適のダイヤ編成を行うことは、現代のテクノロジーを活用すれば可能性はあるのではないでしょうか。
困難な課題であることを自覚しながらも、何とか道が開けないか、模索していきたいと思います。


2015年4月6日
から 久元喜造

都市の音風景

去る3月24日、神戸市会の 未来都市創造に関する特別委員会 (吉田謙治委員長)から、 「神戸の未来都市創造に向けた提言書」 の提出を受けました。
市で策定を進めている 神戸都心の未来姿(将来ビジョン) については、3月23日に基本的な考え方を公表し、現在、市民のみなさんからご意見をいただいているところです。
今回いただいた提言書には、私たちが行っている検討の内容や方向性と軌を同じくしていたり、より具体的な提案が行われている項目がある一方、私たちが気がつかなかった項目もありました。

その一つが、「心地よい音環境」についてです。
「公共空間の整備やまちづくりにおいて,音響的な配慮を最大限に施すことにより,心地よい音環境を形成すること」との提言をいただきました。
公共空間における「聴覚的な快適性」への配慮です。
「音環境を神戸のまちトータルにデザインすることを高めていくことが望まれる」というご指摘は、そのとおりだろうと思います。

音風景 ― サウンドスケープは、都市を構成する重要な要素だという考え方は、以前からありました。
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20年ほど前に、中川真『平安京 音の宇宙』を読みましたが、京都の音風景が歴史的な文脈の中で語られていて、その壮大さ、複雑さ、繊細さに眩惑される想いがしたのを覚えています。

3月7日のブログ でも触れましたが、映画『繕い裁つ人』の中でも、神戸らしい音を聴くことができます。
音という要素を、都心をはじめとした神戸のまちづくりにどのように取り入れていくのか、具体策はこれからですが、提言書を拝読し、まずはそのような視点を共有することが大切なのではないかと感じました。


2015年4月4日
から 久元喜造

『イーハトーブの風』 ― 私の好きな曲⑨

震災20年記念事業の一環として、東北のみなさんが参加されたコンサートが何回か開かれました。
そのようなコンサートで、この素敵な曲に出会いました。
作詞・作曲は、岩手県出身のシンガーソングライター、あんべ光俊さんです。

イーハトーブ」 とは、宮沢賢治の造語で、美しい自然が息づく理想郷のようですが、宮沢賢治は、詳しい記述を残していません。
あんべ光俊さんは、「金色に輝く峰や 魚たちのぼる川」と歌い出し、自らの言葉と音楽で、この理想郷を、私たちの前に示してくれます。
そして、この理想郷に暮らす人々は、美しい世界に囲まれ、美しいものを見ているから、澄んだ眼をしているのだ、と続けます。

イーハトーブの国の人は 美しいもの見ているから
イーハトーブの国の人は 澄んだ眼をしているのだろう

この理想の国では、光と水と森の精が生命を実らせ、大いなる時のゆりかごが自然のハーモニーを紡ぎます。
しかし、人々は永遠の生命を獲得しているわけではありません。この国の人々は、生命が有限であることを知っています。

イーハトーブの国の人は 生命のはかなさ知ってるから
イーハトーブの国の人は  やさしく微笑むのだろう

この歌は、私たちの手の届かない理想の姿を、はるか彼方の世界として歌い上げているのではないように思えます。

自分自身が、悠久の時間と美しい自然の中に生かされていることに気づくとき、理想の国は、私たちの心の中に現出し、そのような心を持った人々が集うとき、私たちの世界は、理想郷に近づくことができる、というメッセージなのではないでしょうか。


2015年4月1日
から 久元喜造

教育に関する市長の責任

今日から教育の組織・運営に関する制度が大きく変わります。
これまでは、教育委員会が教育行政に関する責任の大部分を担い、知事・市町村長の役割は、予算の編成・執行、議案の議会への提出などに限られていました。

これでは選挙で選ばれた知事・市町村長が住民から寄せられた意見を教育行政に反映することができないことから、教育委員会制度を廃止して知事・市町村長が教育行政を実施できるようにすべきだという議論がありました。
また、大津市のいじめ事件に見られるように、一部の教育委員会の対応が責任感と緊張感に欠けるとの指摘があり、教育委員会への批判が高まりました。

一方、知事や市町村長が一元的に教育行政を担うことについては、政治的中立性の観点からの危惧もあり、侃々諤々の議論が行われた結果、執行機関としての教育委員会は存続させることとし、知事・市町村長の役割が強化されました。

まず、教育長については、教育委員会で選ばれるのではなく、知事・市町村長が議会の同意を得て任命することとされました。
また、知事・市町村長も構成員とする総合教育会議が置かれることになり、知事・市町村長が総合教育会議と協議して、教育などの分野における大綱を策定することとされました。

私は、これまで教育委員会の権限を尊重する立場から、教育行政には慎重に対応してきましたが、新年度からは、大綱の策定を含む自らの責任を適切に果たしていく必要があります。
市長が選挙で選ばれているからと言って、個人的な想いを振り回すことは避けなければなりません。
神戸市の教育の現状やこれから進むべき方向について幅広く市民のみなさんのご意見をお伺いしながら、責任を全うしていきたいと考えています。


2015年3月28日
から 久元喜造

トーテムポール跡記念碑

神戸市がシアトル市と姉妹都市提携を行ったのは、1957年のことでした。
私も、旧川池小学校で、シアトルの小学生と文通をしたのを覚えています。
そして、シアトル市との友好のシンボルとして、1961年、市役所の隣、花時計の横にトーテムポールが建立されました。
当時は大きく報じられ、話題になりました。 私も、さっそく見学に行ったのを覚えています。

月日が流れ、トーテムポールも老朽化が進みました。
関係者のみなさんで議論し、米国におけるトーテムポールの習わしに従い、土に還すことにしました。
「シアトルの森」がある森林植物園に移し、時間をかけて大地に還ることになります。

トーテムポールの跡地には、その写真を嵌め込み、両市、両市民の友情と交流を示す記念碑を建てることにしました。
温かな早春の陽射しが注ぐ中、昨日、除幕式が行われました。
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グリーンバーグ米国総領事、八木神戸・シアトル姉妹都市協会会長、レオンハート神戸クラブ顧問、山田神戸市会副議長をはじめとする関係者が出席され、和やかな雰囲気で式が挙行されました。

シアトル市は、航空・宇宙分野、医療産業、IT産業の発展が著しく、ビジネス交流に期待が持たれます。
新年度からは、シアトル市の事務所は廃止し、兵庫県ワシントン州事務所内に「神戸シアトルビジネスオフィス」を開設します。
神戸とシアトルとの交流は、新しいステージに入ります。


2015年3月23日
から 久元喜造

神戸市は大きすぎるのだろうか?

神戸新聞連載の故 貝原俊民さん 「わが心の自叙伝」第35回(3月21日掲載)は、神戸市に関わるテーマでした。
「山手」と「浜手」 と題し、坂井、貝原両知事と宮崎、笹山両市長との関係について記されていて、興味深く拝読しました。

転じて、貝原さんは、大都市行政の課題について、
「私は、大震災のとき、大都市の制度的欠陥を感じた。それは、基礎自治体として、人口規模が大きすぎるということである」
と端的に指摘され、次のように記しておられます。

神戸市とほぼ同じ人口規模の阪神地域には、7市1町がある。大震災時には8人の首長が対応し、広域的なことは知事が所管した。それに対し、神戸市では、市長1人がほとんどの責任を持った。このことによる住民対応の密度に、大きな差があった。

第27次地方制度調査会で、大都市制度について議論が行われたとき、貝原委員が「大を小にする」必要性について発言されていたことを想い起こします。
貝原さんが、指定都市の分割・解体まで考えておられたのかは、判然としませんが、現行の指定都市制度について大きな疑問を持っておられたことは間違いありません。

神戸市が大きすぎるから解体すべきだという議論は、少なくとも私が市長になってから市会で行われたことはありませんし、そう考える市民のみなさんは少ないと思います。
神戸市の存在を前提として、「住民対応の密度」を上げて行くことが必要で、そのためには、区役所の権限・役割強化が不可欠です。
将来ビジョン、行革ビジョンを作成していく中で、来年度中には、具体策をまとめます。


2015年3月21日
から 久元喜造

理不尽の再生産は止めよう。

霞が関で働いていた20代の頃、こんなことがありました。

39度を超える高熱を出し、独身寮でうんうん唸っていたら、夕方、管理人さんが部屋に来て、役所から電話だとおっしゃるのです。
下に降りて電話口に出たら、上司からでした。
課長から今日中に資料をつくれと言われているが、君にしかわからないので、今晩中につくって課長の官舎にとどけろ、と言うのです。
私は、朦朧となりながらも指示された資料をつくり、夜遅くタクシーで課長の官舎に届けました。悪いことにエレベーターのない官舎の上の階に住んでおられたので、ふらふらになりながら階段を上りました。
チャイムを鳴らすと、奥さんが出てこられ、
「主人はまだ帰っていません」
と、おっしゃるので、課長に渡していただくよう頼みました。
どうせ、どこかで飲んでいたのでしょう。
次の日、熱が38度くらいに下がったので、なんとか出勤しましたが、上司も、課長も、私に声すらかけてくれませんでした。

これは、私が経験した理不尽な仕打ちの、ほんの一つにしか過ぎません。
もちろん、心から尊敬できる上司や先輩はたくさんいましたが、職場の慣行や仕事の仕方は、理不尽だらけでした。

私は、霞が関で、長く「上司」として仕事をする中で、自分が受けた理不尽は行わず、同時に、組織から根絶することに努めました。
しかし、全体としてはうまくいきませんでした。
私の力不足もありますが、管理職の中に、自分が若いころに受けた教育をそのまま部下に施すことが、その部下のためにも、組織のためにもよいことなのだと信じ、忠実に実践する人が結構多かったからです。

組織の中に、少しはそんな人がいてもいいのかもしれません。
しかし、この種のタイプが組織の主流を占めてしまうと、組織の改革は進みませんし、職場環境の改善も望めません。
理不尽の再生産は止めるべきです。


2015年3月17日
から 久元喜造

小田切徳美『農山村は消滅しない』

三宮のジュンク堂で、小田切教授の『農山村は消滅しない』 (岩波新書)を購入した次の日、総務省のエレベーター前で、小田切先生にばったりお会いしました。
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明治大学農学部教授の 小田切徳美 先生には、定住自立圏の懇談会や、地方制度調査会などでご指導をいただいてきました。
豊富なフィールドワークを重ねながら、我が国の農山漁村の現状やその構造的要因について、緻密な分析を続けてこられました。

本書は、増田寛也さんの 『地方消滅』 (2014年11月1日のブログ) に対する批判から始まり、中国地方を中心に、我が国の農山村が、過疎化、高齢化の波にさらされながら、したたかに生き抜いてきた歩みが語られていきます。
そして、困難な状況にあって、地域社会の維持に工夫をこらし、前を向いて進んできた、たくさんの事例が紹介されています。
これらの事例が例外的な成功談ではないことは、近年、若い世代の間で、農山漁村での暮らし方への関心が急速に高まっている社会現象からも窺えるところです。

3月1日の読売新聞文化面は、「増田レポート 反論と補完」と題し、濱田武士氏が本書を取り上げていました。
濱田氏は、対立軸に触れながら、本書に「『地方消滅』の見落としを補完する役割」を見いだしておられます。
濱田氏は、「『地方消滅』の読了後には是非読んでほしい」と結んでおられますが、両方を読んだ私にも、対立軸ではなく補完を見出す方が有益であるように感じられました。
農山村の役割について、改めて考えさせられるとともに、前に向かって進んでいくエネルギーをいただきました。
とりわけ「定住・移住の推進」に関わっておられるみなさんに、お勧めしたいと思います。