久元 喜造ブログ

2018年11月11日
から 久元喜造

環境DNAによる生物分布探査


昨日の午前中、王子動物園ホールで「生物多様性シンポジウム」が開催されました。
環境保全活動を行っている団体、高校生などのみなさんに多数参加していただき、私から、これまでの活動に対し感謝を申し上げました。

シンポジウムでは、まず「環境DNA:水をくんで生物分布を知る新たな手法」と題された、神戸大学大学院人間発達環境学研究科 源利文 准教授の講演が行われました。
神戸市では、源准教授のご指導を得て、環境DNA調査に取り組んでいますが(2018年3月1日のブログ)、直接先生のご講演を聴くことができ、たいへん勉強になりました。

種特異的検出」と呼ばれる調査法では、ある特定の種の在・不在が明らかになります。
実際にこの手法により、神戸市北区とその周辺の82の池を調査したところ、7つの池で、カワバタモロコのDNAが検出され、実際に、6つの池でカワバタモロコが捕獲されたそうです。
また、希少種のオオサンショウウオと、外来種のチュウゴクオオサンショウウオは、外見での区別は困難ですが、この手法を使うと判別することができます。

メタバーコーディング」は、複数の種をまとめて検出する手法です。
兵庫県内の河川、225地点でこの手法により生物分布調査をしたところ、在来種 43種、外来種 15種のDNAが検出されました。
在来種のうち、16種は希少種です。

生物分布を正確に知ることは、希少種を含む生物を保護し、生息環境の保全のあり方を検討する上で大きな手掛かりとなります。
今後とも、環境DNA調査手法を有効に活用して、できる限り正確に生物分布を把握し、生物多様性の保全に役立てていきたいと考えています。


2018年11月8日
から 久元喜造

東遊園地の変貌


少し前のことになりますが、10月20日(土)に「灘の酒と食フェスティバル in 神戸」が、東遊園地 で開催されました。
ものすごい盛況でした。
たくさんのみなさんが、芝生の上で、灘五郷をはじめとした兵庫県の日本酒を楽しんでいました。

振り返れば、以前、東遊園地は、土がむき出しのグラウンドでした。

東遊園地が大きく変わったのは、2年前にスタートした芝生化の実験(2016年6月14日のブログ)からです。
公園部の総力を挙げた本格的な実験の結果、いったんは擦り切れた芝生も、春から夏にかけて一定期間の養生や部分的な補植を経て、回復させる目途がたちました(2017年5月7日のブログ)。

平成28年からは、アーバンピクニック も始まりました。
拠点施設のカフェとアウトドアライブラリーを設置し、芝生広場を活用した演奏会などさまざまなプログラムが開催されてきました。

土曜日には地産の農産物を扱うファーマーズマーケット2017年12月29日のブログ)が開催され、アーバンピクニックとの相乗効果でにぎわいを見せています。

夜にもさまざまな催しが行われています。

アーバンピクニックやファーマーズマーケットのような新しい公園の使い方には、木々の緑と芝生の緑がおりなす景観や雰囲気が欠かせません。

今、東遊園地では、ルミナリエの準備が始まっています
これから、東遊園地は、冬の季節を迎え、来年には、1.17のつどいが開催されます。
神戸にとり、とても大切な行事ですが、芝生には過酷な環境になります。
芝生がこれらの試練に耐え、また来春、元気に芽ぶき、たくさんの皆さんを迎えてほしいと願っています。


2018年11月5日
から 久元喜造

「健康的で文化的な最低限度の生活」


関テレで放映されていたドラマを録画していたのですが、ようやく見終わりました。
すでに9月中旬に放映が終了していますので、時期外れの内容になってしまい申し訳ありません。

安定志向で区役所に入った新人女性公務員が、生活保護の担当課に配属され、ケースワーカーとして奮闘する姿を描いたドラマです。
何か月か前に、福祉職のみなさんと意見交換をしたときに、このドラマのことを話題に出したところ、少なくとも多くの職員がそんなに違和感を感じていないようでした。
もちろん、現実の方がはるかに複雑で困難なケースが多いようですが、たんねんに取材してドラマが制作されたのではないかと思われます。

前にも書きましたが、生活保護行政は、自治体の仕事の中でもひじょうに難しい分野の一つです。(2014年9月24日のブログ
とくに区役所のケースワーカーのみなさんは、日々厳しい現実と格闘しています。
そのような職場に、社会経験がない新規採用職員を配属することが適切なのかどうかは難しい判断で、試行錯誤が続いています。
若手職員のみなさんと議論したときにも、両方の意見がありました。

以前人事当局からは、「職員のなり手が少ないので、新人を配属せざるを得ないのです」という説明を聞いたことがありますが、大いに違和感を感じました。
自分たちがやりたくないから、何もわからない新人にその仕事を押しつける、という発想は倒錯しています。
困難な職場であるからこそ、人事当局を含めた本庁の管理職が職場の実態をしっかりと把握し、少しでも職員のみなさんの苦労を和らげ、気持ちよく仕事ができる職場環境を整えていかなければなりません。


2018年11月3日
から 久元喜造

武庫郡山田村郷土史


北区山田町の旧家の方から、旧武庫郡山田村の郷土史をお借りし、目を通しました。
山田村役場が、大正9年(1920年)に発行した郷土史です。

村名起源、丹生山田庄の沿革に始まり、維新前各部落の行政、旧幕府時代の状況が説明されます。
そして、廃藩置県から町村制実施に至る経緯、町村制施行後の状況が記されています。
村会、村長、助役、収入役の役割とともに、歴代の村長、助役、収入役、村会議員、県会議員、郡会議員の名前も記されていました。
また、当時の道路、砂防工事や林業、林産物の状況、境界紛争に関する記述も興味深いものでした。
寺子屋から学校教育への移行、各小学校の沿革にも紙幅が割かれています。

行間から伝わってくるのは、この郷土史を編んだ人々の山田村への愛情、そして村行政に対する使命感です。
村民が力を合わせて、山田村を発展させていこうという強い決意が感じられます。

当時の盛本萬右衛門村長の巻頭言には、次のように記されていました。

「村治に於て着々穏健の進歩に向ひ、茲に三十年の星霜を経過せる一の記念として見るべく、将来五十年百年の後に於て、其の二篇三篇の続出せんこと期して俟つべきなり

旧武庫郡山田村は、1947年(昭和22年)に神戸市に編入合併され、山田村の村長、村会、村役場も廃止されました。
50年後、100年後に「山田村」郷土史の続編が編まれることもなくなりました。

当時の山田村の人々は、単独で自治体として存続するよりも、神戸市と合併する方が地域がよくなると信じ、合併という選択をされたのだと思います。
山田村に限らず、当時の旧村の人々の気持ちを想い起しながら、地域の振興発展を図っていきたいと思います。


2018年10月29日
から 久元喜造

認知症「神戸モデル」に向けて


超高齢社会のわが国で、認知症 への取り組みはたいへん重要で、今年の3月、「認知症の人にやさしいまちづくり条例」が制定されました。
条例で示された方向性に従い、政策を具体化するため、これまで有識者会議で検討を進められ、具体的な政策を「神戸モデル」としてとりまとめました。
「神戸モデル」の特徴は、政策を総合的なパッケージとして提示し、医学界など専門家の知見を得ながら、市民の幅広い参加を得て推進していくことです。

認知症は、加齢によって多くの人がなり得る病気で、早期発見、早期治療が大切です。
「神戸モデル」では、自己負担ゼロで、まず地域の医療機関で認知症の疑いがあるかどうかの認知機能検診を受けていただき、認知症の疑 いがある方については、専門の医療機関で精密検査を受診 していただく、2段階方式の診断制度を構築します。

認知症と診断され、事前登録された方については、市が賠償責任保険の保険料を負担し、事故があった場合に最高2億円を支給します。
事故救済制度には、事故の際に24時間365日対応できるコールセンターの設置、所在不明時にGPSを使った駆けつけサービスの提供、認知症の方が起こした事故に遭われた場合の見舞金の支給(最高3,000万円)なども盛り込まれます。

これら一連の認知症対策に係る経費については、個人住民税均等割の超過課税、具体的には、納税義務者あたり、年間400円のご負担をお願いできないかと考えています。
誰もが認知症になる可能性があり、そしてそのための費用は今後増大していくことから、市民が幅広くそのための費用の負担を分かち合うことにご理解をお願いいたします。


2018年10月27日
から 久元喜造

亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』


ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-75)。
ロシア革命、革命の後の混乱、スターリンによる「大テロル」、第2次大戦、スターリン失脚後の旧ソ連の時代を生き、旧ソ連が誇る大作曲家として名声に包まれた生涯を送った芸術家です。
日本人からは想像もできない抑圧的な体制の中を、そして陰謀と権謀術数が蠢く時代を、芸術家として生き抜いた大作曲家の実像はどのようなものであったのか・・・

正直、たいへん難解でしたが、スリリングでした。
抑圧的体制下にあって、ショスタコーヴィチは、驚くほど大胆に権力と対峙し、破滅のふちに追いやられると思いきや、するりと身を交わし、ときにはスターリンすら翻弄するのです。
同時に、その苦悩と葛藤も延々とつづられていきます。
こうして、ショスタコーヴィチの極めて複雑な性格が形成されていったありようが浮き彫りにされます
そして、自ら自覚しているのかどうかはわからないほど、その作品も複雑で謎めいた雰囲気を湛えています。
ほかの作曲家の作品からの頻繁な引用も異様です。

本書には、「二枚舌」という言葉が無数に出てきます。
体制維持の手段として音楽芸術を重視したスターリン体制下では、本音を明かした途端、破滅が待っていました。
うわべの体制賛美から見える、作曲者の本音は何なのか。
著者は、個々の作品をひたすら聴き、分析し、作曲者の本音を探ろうとします。

欲を言えば、ショスタコーヴィチの前に立ちはだかり、彼がおそらくは表面的に体現しようとした「社会主義リアリズム」とは何であったのか、権力側からの資料も提示していただきながら、両者間の相克が描かれていれば、最高に興味深かったと感じます。


2018年10月23日
から 久元喜造

NHKニュース「渋谷1分天気」は悲しい。


朝7時のNHKニュース「おはよう日本」は、ほとんど毎日見ています。
有益な情報が多く、仕事をする上でも参考になります。

その中で、見ていて悲しいのが、毎回放映される「渋谷1分天気」です。
女性アナウンサーが登場し、NHK放送センターがある渋谷の空が映し出され、全国の天気予報が説明されます。
どうして、毎朝、毎朝、渋谷の光景と空模様の説明を受けなければならないのでしょうか。
視聴者は、自分がいる地域の天気を知りたいのです。
毎日、渋谷の空を見る必要はありません。
全国の天気なら、スタジオから報じてもらえれば十分です。

「渋谷1分天気」で見え隠れするのは、過度な東京中心の発想です。
自分たちがニュースを発信している東京・渋谷は、日本の中心であり、その空模様は全国民も関心があるはずだ、という発想があるとしたら、とても残念です。

東京一極集中の背景に、メディアの一極集中があることはかねてより指摘されてきました。
NHKが地方も大事だと考えるなら、東京発の報道は、国政や外交、グローバル経済などを中心とし、東京以外の地方の風景や取り組みもできる限り報道してほしいと願います。

神戸でもそうですが、NHKの各地方放送局のみなさんは、それぞれの地域で生起している出来事をたんねんに取材し、地域に密着した報道をしていただいています。
それだけに、東京からの「渋谷1分天気」のような番組制作の手法はとても残念です。
マスメディアの報道について何を言っても意味がないことは重々理解しているのですが、毎日のことですので、単なる愚痴で申し訳ないと感じながら、率直な感想を記すことにしました。


2018年10月21日
から 久元喜造

橋下徹『政権奪取論』


タイトルにあるように、政党が政権を取るためには何が必要なのかについて、自民党がいかに手ごわいか、その強力な相手から政権を奪い取るには野党は何をしなければいけないかなど「ぎれいごと無用」の戦略論が展開されます。
興味深い内容でしたが、私にとり示唆に富んでいたのは、橋下徹さんご自身が、大阪府知事、大阪市長時代、どのように「政権」運営をされたのかについてでした。

「第3章 「マーケッティング」で有権者をつかむ」では、橋下さんが府知事になられてすぐ、職員数名で政策マーケッティングチームを作り、政策効果をかなり精緻に分析・検証していたことが紹介されていました。
さらに「第5章 政策より「組織」が大事だ!」では、政治と官僚の役割分担の実践が語られます。
橋下さんが府庁や市役所の職員と白熱した議論を展開されたことは知られていますが、最初に手掛けたのは、「言葉の変換装置の設置」であったと言います。
特別チームをつくり、橋下さんの「思考や言葉を、役所で言うところの思考や言葉に変換し」、「役所の思考や言葉を僕が言うところの思考や言葉に変換してもらう」という作業を担ってもらったのだそうです。
チームとのやり取りの中で、ご自身の思考法を改めたり、指示の出し方を工夫していったりしたことが明かされます。
こうしたやりとりを経て、知事・市長の役割と行政の役割の境界線に徹底的にこだわりながら、仕事を進めていったと言います。

政官が互いの役割を理解した上でコミュニケーションのキャッチボールをしながら進めていく というのが、政治家が行政組織を動かすための基本である」。
まったくそのとおりだと感じます。


2018年10月18日
から 久元喜造

ヤミ専従はいつから始まったのか。


10月1日のブログ にも書きましたが、いわゆる「ヤミ専従」が神戸市において存在してきたという事実は、 誠に遺憾です。
ヤミ専従は、かつては存在していたものの、どの自治体においても根絶されたと考えられてきました。
それだけに、自分がトップを務める神戸市において、ヤミ専従が行われてきたという事実に、大きな衝撃を受けています。

10月12日の市会本会議でも申し上げましたように、私に責任があることはを明らかですが、まずはその実態を明らかにし、このような違法行為がまかり通ってきた背景についても、できる限り客観的に解明していくことが、今の自分に課せられた責任と考えています。
このことは、市役所が閉鎖的な体質から脱却し、おかしいことはおかしいと言える、明るい職場に改革していく上で避けて通ることができない道筋です。

市役所の内部調査では、1997年(平成9年)5月に、法律で認められた在籍専従期間を超える期間についても退職手当の対象期間とすることを、当局と組合との間で確認したメモが見つかりました。
このメモの内容からは、1997年以前においても、このような違法な対応がなされていたことが窺えます。

組合役員に対する退職手当の違法支給については、内部調査に基づき、今日、元役員12名に対して違法に支給された金額など具体的内容を公表しました。
総額で、約5,366万円になります。
相手方に対し、必要な返還請求も行いました。

そもそもヤミ専従が、いつ頃から、どのように行われてきたのか、なぜ放置されてきたのかについては、職員のみなさんが第三者委員会に対し、できる限り包み隠さず話してくれることを期待しています。


2018年10月14日
から 久元喜造

増田俊也『北海タイムス物語』


かつて北海道に「北海タイムス」という新聞がありました。
部数では北海道新聞(道新)に遠く及ばないものの、札幌市議会の委員会の質疑を丹念に報道するなど地域に密着した新聞でした。

私が札幌市役所に勤務した1990年代前半、すでに経営は相当厳しいと言われていましたが、社員の士気は高いようでした。
女性記者のみなさんは、薄いタオル1枚で道内各地の露天風呂に入り、自らの入浴写真入りの紀行文を書きました。
「女性記者が行く 道内温泉紀行」のようなタイトルで出版され、札幌市財政局も30部購入しました。

この小説は、 大手新聞社の入社試験にことごとく失敗した主人公、野々村が北海タイムスに入社し、怒涛のような日々を送る中で成長していく物語です。
作者の増田俊也さんご自身の体験が反映されているようです。

記者希望の野々村が配属されたのは、整理部。
仕事は過酷、職場環境は最悪、しかも、給料は管理職を含め、道新や全国紙の何分の一という信じられない薄給でした。
先輩、上司はとにかく癖のある人たちで、未明になると、居酒屋の「金不二」「玉乃屋」(漢字が違いますが、懐かしいですね。〇〇横丁と呼ばれていました)に繰り出しては、つかみ合い寸前の喧嘩を繰り返すのでした。
そのような境遇の中で、彼らのすさまじい仕事ぶりを支えたのは、新聞を読者に届けることへの使命感、そして、北海タイムスに対する限りない愛情でした。

たまたまですが、9月6日の毎日新聞に、「北海タイムス廃刊」の記事が出ていました。
記事によれば、北海タイムスは、1998年9月2日の1面に「きょうで休刊します」の見出しを掲げ、読者に別れを告げたのでした。