どういうわけか、たぶん違う書店で、本書を2冊購入してしまい、1冊を大学時代の同級生に送りました。
彼は1970年代初め、気鋭の若手社会学者として頭角を顕していた見田宗介助助教授の講義を聴き、何冊かの著作を読んでいたからです。
すぐに、「楽天的だなあ」という感想を送ってくれました。
確かに、著者の以下のような問題意識は、楽天的と言えるかもしれません。
「近代に至る文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会は、これ以上の物質的な「成長」を不要なものとして完了し、永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)として、近代の後の見晴らしを切り拓くこと」
その上で、こう述べるのです。
「経済競争の強迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子どもたちとの交歓と自然との交感の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、享受しつづけるだろう」
ひとり居酒屋のカウンターに佇むひとときを持つことができたとしたら、この美しい文章を反芻しながら、冷や酒をちびちび味わうことでしょう。
現実としての「永続する幸福な安定平衡の高原」は見えないかもしれないが、ある種の幸福感に浸ることはできるだろうと想像します。
著者は、日本の1970年代の若者(つまり、われわれの世代!)と、現代の若者の意識を調査し、とりわけ現代の若者に、生活満足度の増大と保守化の傾向が見られることを指摘します。
「未来に希望を託し今を犠牲にする」生き方から、「今を満足に生きること」への変化です。
そこからさらに進んで、「幸福感受性の再生」を果たすことができるかどうかが問われていると感じました。