久元 喜造ブログ

2019年4月1日
から 久元喜造

「令和」決定の日、神戸市役所の入庁式。


今日の午後、ポートアイランドの国際会議場で、神戸市の新規採用職員への辞令交付式が行われました。
開会に先立ち、神戸室内管弦楽団による歓迎演奏があり、モーツァルトのディヴェルティメント ニ長調KV.136より第1楽章、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」などが演奏されました。

国歌斉唱の後、私から、259名の職員の代表に辞令を交付し、代表職員による 宣誓が行われました。
私から歓迎の言葉を申し述べました。

「私たちは色々な意味で戦いをしています。
巨大地震、津波など災害のリスクとの戦い,サイバーテロや未知の病気など予見しがたいリスクとの戦い、貧困や格差といった社会的不公正との戦い、などです。
決して楽な仕事ではありませんが、苦楽を共にし,私たちに与えられた任務を全うしていきましょう」

「組織に属するということは、組織に迎合することではありません。
自分自身の音色を大切にし、異なる音色を奏でる周りの人々を尊重し、さまざまな音色が響き合う、素晴らしい組織をつくりあげていきましょう」

「震災などの苦難を乗り越え、市民のために尽くしてきた私たちの組織の歩みを大切にし、同時に、みなさんの新鮮な感覚を私たちの組織に吹き込み、よりよいものにしていく努力を、一緒に行って行きましょう」

きょうは、折しも、辞令交付式の直前、新しい元号「令和」の発表が行われました。
新元号に込められている、美しく、平和な社会を築いていこうという願いと決意を、神戸市民は共有したいと思います。
典拠として紹介されているように、咲き誇る梅の花々のごとく、新規採用職員のみなさんが、私たちとともに、人生の花を咲かせていただきたいと願っています。


2019年3月29日
から 久元喜造

谷上・三宮間、540円 から 280円に大幅引き下げ


 北神急行 は、神戸電鉄との結節点の谷上駅から、新幹線との乗換駅、新神戸までをおよそ8分、神戸の玄関、三宮までをわずか10分で結びます。
谷上駅から新神戸駅までは、北神急行が、新神戸駅から三宮を経て終点の西神中央までは、神戸市営地下鉄が運行しています。
抜群のアクセス性を持ちながら、運賃が高いこともあり、利用者数は伸び悩んできました。

高すぎる運賃を引き下げて、北神急行の利用者増を図るため、昨年暮れ、阪急電鉄との間で、神戸市交通局が北神急行の経営を引き継ぐ方向で交渉を開始しました。(2018年12月28日のブログ
交渉の結果、神戸市は、阪急電鉄・北神急行から、198億円 (税込では、217.8億円)で資産の譲渡を受けることで基本合意し、今日記者発表を行いました。

この金額は、資産の簿価を大きく下回るとともに、交通局が専門機関に依頼して行ったデューデリジェンスによる資産の評価額の範囲に収まっています。
この譲渡額を前提に、将来の利用客数を見込み、地下鉄事業が安定的に経営できるようにしていくことが求められます。

運賃をどの程度まで引き下げられるかについては、法に基づく手続きが必要であり、現時点で確定的なことは申し上げられませんが、神戸市としては、たとえば、谷上・三宮間 は、現在の 540 円 を、280円  に引き下げたい と考えています。
大幅な引き下げになります。
実施時期 は、2020年度中、遅くとも、2020年10月の実施 を目指します。
交通事業の一層の効率化を進めるとともに、兵庫県に引き続きご支援をお願いし、一般会計からの支援についても市会の理解を求めていきたいと存じます。


2019年3月26日
から 久元喜造

「パワポの使用が禁止」とは驚いた!?・・・


パワポの活用について、先日のブログ で、内部での議論には要らないのではないか、と記しました。
パワポ資料の作成にはかなりの手間がかかるはずで、「働き方改革」の面からも内部説明のための労力は減らすべきではないかと考えたからです。
私への説明を含め、内部事務に使う手間暇は、市民のために使われるべきです。

ところが、民間企業の方から、市役所職員の話として、奇妙なことを聞きました。
市役所でのパワポの使用が禁止になった、というのです。
その職員の話によれば、民間のみなさんも入る会議で、会議の議題について説明するためにパワポで資料をつくったところ、上司から「パワポで資料をつくらないようお達しが来た」と言われ、つくり直すよう指示された、というのです。

愕然としました。
市民のみなさんをはじめ、市役所の外部への説明はできるだけ分かり易く行うことが大事で、パワポはそのための有力な手段です。
どうしてこんなことになってしまうのでしょうか?

市長・副市長会議での結論は、各局の主管課長が出席する会議で示され、局内などに周知されます。
この会議で説明した福島国武秘書課長の話では、「パワポをなるべく使わないようにするのは、内部事務を減らし、職員の負担を軽減するためであって、外部への説明には引き続き使ってください、ということを繰り返し説明しました」とのことでした。
組織の中で伝言ゲームのようなことが起き、趣旨が伴わず、結論だけが伝わっていったのでしょうか。
大きな組織の中で意思疎通を図る難しさを改めて痛感させられました。
繰り返し、繰り返し、「働き方改革」の趣旨を説明し、疑問に答えていく以外、方策はなさそうです。


2019年3月23日
から 久元喜造

イチロー選手、ありがとうございます!!!


イチロー選手の引退の報道を受け、神戸の街では、イチロー選手に対する感謝の気持ちが広がっています。
震災の年、オリックスのリーグ優勝は、震災を経験し、街の復興に汗を流す神戸市民に限りなく大きな力と勇気を与えてくれました。
イチロー選手をはじめ選手のみなさんは、「がんばろうKOBE」の文字を肩に付け、試合を戦いました。
(写真は、神戸新聞NEXTからお借りしています。)

3月21日の記者会見で、イチロー選手は、「神戸は特別な街です、僕にとって」と仰っいました。
そして続けて、こう仰ったのだそうです。
恩返しは、選手として続けることでしかできないと思っていたので、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともある。税金を少しでも払えるように頑張ります

ありがたいことです。
もちろん、税金を払っていただければうれしいです(笑)。
しかし、そんなことは気にかけないでいただきたいと思います。
神戸の街は、そして神戸市民は、税金とか、お金とか、そんなものでは換算できない、たくさんの素晴らしいものを、イチロー選手からいただいてきたのですから。
そして、引退の会見のとき、神戸についてこのように仰っていただいたことに、心から感謝を申し上げたいと思います。
本当に長い間ありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。

神戸の街は、これからもイチロー選手とともにあり続けます。
改めてイチロー選手からいただいた力を想い起し、いろいろな課題に対して、前を向いて進んでいきたいと思います。


2019年3月19日
から 久元喜造

ストリートピアノが帰ってきます。


1月末から2月11日まで、デュオこうべ浜の手・デュオドームに、だれでも自由に弾ける ストリートピアノ を試験的に設置しました。
たくさんのみなさんがピアノを弾き、周りには自然と人が集まり、拍手が起こるなど、街の中に新しい形のコミュニケーションが生まれました。
ピアノを弾いた小学生から手紙をいただいたり、メッセージカード、メールや電話などさまざまな形で、ずっと置いておいてほしいという声をただきました。

実験は成功したと感じました。
そこで、ストリートピアノを、この場所に戻すことにしました。

3月21日(木曜・春分の日)15時、ストリートピアノが、デュオドームに帰ってきます。
試験設置のピアノと同じ、本山第三小学校で使われていたアップライトピアノです。

これにあわせて、設置を記念するイベントを行います。
試験設置したときにストリートピアノを演奏していただいた大学生、水野優衣さんにソロ演奏をしていただくほか、小学校から来たピアノであることにちなんで、小学生のみなさんによる合唱が行われます。

記念イベント終了後は、どなたでも自由にストリートピアノをお弾きいただけます。

翌日の3月22日には、メトロこうべの「星の広場」で、次のストリートピアノがお目見えします。

第3、第4のストリートピアノ設置のアイデアも出されています。
ピアノの周りに、次々にわくわく感が生まれ、広がっていってほしいです。
ぜひ、ストリートピアノを見に来てください。
そして、ピアノに触れ、楽しいひとときを過ごしていただければと思います。


2019年3月19日
から 久元喜造

職員の地域貢献が広がってほしい。


神戸市の職員が、公務員としてではなく、市民として、地域のために汗を流すことはとても意義があると思います。
職員として与えられた仕事をするのとは違う方法で、地域への貢献につながります。

今年の1月、「神戸みらい学習室」にお邪魔しました。(上の写真)
経済的理由などで塾に通うことのできない中学生に、無料の学習支援を提供している団体です。
団体を立ち上げたのは、代表の佐々木宏昌さんなど神戸市の職員有志でした。
間近で活動の一端を見せていただき、改めて感銘を受けました。

神戸市では、職員が職務以外において地域の課題解決に取組むことができるよう、「地域貢献応援制度」(2017年12月6日のブログ)を用意しています。
職員が勤務時間外に、社会性・公益性の高い地域貢献活動をする場合に、報酬を得て活動に従事できるようにする試みです。
神戸みらい学習室」に携わる神戸市職員は、地域貢献応援制度は使わず、「BE KOBE ミライPROJECT」などの支援を受け、活動を展開しています。
さまざまな団体とつながり、支援を得て、活動を広げていってほしいと願っています。

一方、さまざまなイベントで神戸を盛り上げているNPO法人「umidas耕作所」の理事長、須磨区役所保健福祉部長の衣笠収さんは、
地域貢献応援制度を使い、夜や休日に活動を行ってきました。
アートやデザインを取り入れた「楽しさ」や「共感」でつながる地域コミュニティづくりです。
衣笠さんが今年度で市役所を退職されるのは、たいへん残念ですが、長寿時代の人生は長く、これまでの経験を活かし、市役所時代とはまた違った形で、地域に貢献していただきたいと願っています。


2019年3月17日
から 久元喜造

絵本『会下山物語』

 


神戸市立神港橘高校 では、絵本を制作・出版する取組みを続けておられます。
神戸の各地域に残る民話・伝説や史跡にスポットを当て、小学生や中学生による現地調査や聞き取りを経て制作するという、意義のある取組みです。
今回の絵本では、同校が 会下山小学校 との連携が10年になることを記念し、会下山 が取り上げられています。

会下山 は、兵庫区の市街地北部にある小高い丘です。
子どものころ、よく遊んだ懐かしい公園です。
5年生まで在校した旧川池小学校は、震災前年の1994年に旧中道小学校と統合され、会下山小学校 が創立されました。

本書によれば、もともと会下山は、奈良の法隆寺の土地だったそうです。
「会下」とは、お坊さんが集まって修行をする場所です。
法隆寺に残された文書に、会下山周辺の記述が残されていることが紹介されています。
改めて会下山の由緒に想いを馳せました。

震災では、会下山小学校校区も大きな被害を受けました。
いま、周辺を歩くと、せせらぎに鯉が泳いでいるなど、震災の痕跡は感じられませんが、それだけに地域と行政がさまざまな課題を乗り越えてきた歩みが感じられます。

旧川池小学校「川池こどもの歌」は、「明るく晴れた 会下山に」で始まりました。
かつて、会下山から眼下に眺めた神戸の街と港の光景は、今でも脳裏に焼き付いています。
神戸の港 見下ろして 世界に伸びる 明日の夢
うろ覚えですが、「川池こどもの歌」の一節です。

会下山小学校に学ぶ子供たちが、会下山の長い歴史を大切にしながら、かつて神戸市民がそうしたように、未知の世界にきらきらと目を輝かせ、新しい世界に挑戦していってほしいと願っています。


2019年3月14日
から 久元喜造

財政当局の残業時間が激減!


自治体でも「働き方改革」が求められる中にあって、ともすれば「聖域」扱いされてきたのが、財政当局の職場です。
とくに予算編成時期は、夜中までの残業、ときには徹夜も当たり前、といった雰囲気が続いてきたように思います。
私も、ほかの自治体の財政当局で働いていたとき、月200時間以上の残業は普通でしたし、財政当局の責任者を務めたときの勤務も過酷でした。

財政当局で仕事する職員も、人間です。
もうそんな非人間的な気風や風習は、過去のものにしなけければなりません。
そこで私は、去年の夏ごろ、局長会議で、次の予算編成では「財政当局の残業をゼロにする」よう求めました。

結果はどうだったでしょうか?

12月の時間外勤務時間数は、
平成28年度 3,176時間
平成30年度 757時間
68%減少

1月は、
平成28年度 3,188時間
平成30年度 1,246時間
44%減少

ゼロにはなりませんでしたが、予算編成が佳境を迎える、12月、1月の財務課の時間外勤務は、激減しました。
夏から秋にかけて、「予算編成型政策会議」を開催し、その場で、予算を計上するのかどうかを決めていたことも影響していると思います。
「新規要求」の「必要性、緊急性」の議論はすでに結論が出ているので、あとは個々の事業の計上額を決めればよいだけになっていたからです。
予算編成の場に突然出現する、思い付きのような要求も姿を消しました。
市長、副市長が出席する「予算編成型政策会議」-以前の「市長査定」も、平日は勤務時間内に終わり、土日に及ぶことはまったくありませんでした。
来年度は、今年度の状況を検証し、新たな視点を織り交ぜながら、財政当局の「残業ゼロ」を目指します。


2019年3月11日
から 久元喜造

東日本大震災被災地との交流


2011年3月11日に発生した東日本大震災から、8年の月日が流れました。
神戸市は、発災直後から、直ちに情報収集を行い、支援活動を開始しました。
同日、午後8時30分、緊急消防援助隊の先発隊、16隊(66名)が現地に向けて出発。
翌12日午前11時には、指揮支援、支援調整、上下水道の災害復旧調査、応急給水、援助物資の輸送などの任務を担うべく、第2陣が出発しました。
神戸市立中央病院からは、医師、看護師など7名が現地入りしました。
この後も、神戸市からは、医療、保健などを含め、続々と職員が現地に入り、活動を展開しました。

神戸市には、阪神・淡路大震災の当時、中堅・若手職員として災害対応にあたった経験を有する幹部が数多く在職していました。
矢田立郎市長の指示で、災害対応の経験のある職員と、当時のことを知らない若手職員がチームを組み、被災地での支援活動に汗を流しました。

まもなく新年度が始まりますが、神戸市からは、東日本大震災の被災自治体に対して引き続き職員の派遣を行い、復興の支援を行います。
また、熊本地震、昨年の西日本豪雨で被害を受けた自治体に対しても職員を派遣し、復旧・復興業務に従事します。

神戸では、市民や企業レベルで、発災直後からさまざまな形で救援・支援活動が行われました。
そして、さまざまな分野で、中学・高校生、大学生を含む幅広い交流につながってきました。
この8年の間、震災の被災地としての経験や想いを共有する取り組みが行われてきたように感じます。
これからも、次の世代につなげていくことができるよう、さまざまな立場から、交流の深化を図っていくことができればと願っています。


2019年3月8日
から 久元喜造

女性候補者へのセクハラを許すな!


4月の統一地方選挙が近づいてきました。
地方議会議員、首長の選挙に挑戦する候補者におかれては、選挙の告示を控え、正念場を迎えておられることと存じます。
昨年は、「政治分野における男女共同参画推進法」が成立しました。
女性であれ、男性であれ、どの候補者に投票するかは、個々の有権者の判断ですが、全体として、女性の政治家が増えることが期待される選挙だと思います。

女性の政治進出を考える上で、避けて通れない課題が、女性候補者に対するセクハラだと思います。
想い起すのは、昨年の5月、クロスメディアイベント「078」の一環として開催されたシンポジウムにおける、野田聖子 総務大臣(当時)の発言です。
野田聖子大臣の発言は、かなり衝撃的でした。

野田先生は、32歳で衆議院議員に当選されましたが、その前の選挙では落選。
シンポジウムでは、当時のことを振り返られ、こうおっしゃいました。
29歳から32歳までの日々は、毎日がセクハラでした
その後の発言を文字にするには躊躇を覚えるほど、セクハラの実態はすさまじかったようです。

もちろん時代は変わっていますが、選挙の候補者が支持者との関係で弱い存在だという現実は同じです。
候補者は、少々のことは我慢しなければ選挙に勝ち抜いていくことはできません。
しかし、そのことを理由として、女性候補者がセクハラに耐え抜かなければならない現実があるとするなら、女性の政治進出は大きな制約を受けるはずです。
優越的な立場を利用して、女性に卑劣な行為をすることは、断じて許されるべきではありません。
セクハラは許されない―このことは、政治の世界においても変わるものではないと信じます。