1980年代、郡部での投票率は、たいへん高い水準でした。(4月25日のブログ)
同じ頃に出版された、京極純一『日本の政治』(1983年 東京大学出版会)には、日本人の伝統的な秩序構造に関する興味深い記述があります。
故京極先生は、日本人が生きてきた伝統的な社会制度の中での人間交際の世界は、自分を中心において四重の同心円で表現できると考えました。
一番中心にある円は「身内」の世界。
母子一体の世界(ウチ)、自分と一体化した家族(マイ・ホーム)、親子、血族の世界です。
その外側には「仲間」の世界があります。
他人の中で「狭い世間」に属する人々がこの仲間に該当します。
「ムラ集合体、町場、市街地の近所合壁や同じ町内など地縁の上で「近い」人々、第二は勤め先集合体、とくに自分と同じ部課の仲間、第三は自営業主、経営者などにとって同業者、業界、あるいは、取引先や企業系列の組織などの人々」です。
ここでは、他人ながら個人識別があり、評判や噂などが伝わります。
外側にある三番目の同心円は「赤の他人」の「広い世間」。
クニ、天下、日本全体です。
そして、さらにその外に海外、外国、世界を示す「広い世界」があります。
近代化は、このような同心円構造を希薄化しましたが、1980年代の政治を考える際、このモデルはまだ有効でした。
この時期の町村は、「仲間」そのものではなかったけれど、少なくとも「赤の他人」の三番目の同心円ではなく、「身内」に近いところにある、顔見知りに近い世間ではなかったかと考えられます。
この時期における、今から考えれば異常に高い投票率は、選挙が身近な世間で起きる重大なできごとだったからだと思われます。