久元 喜造ブログ

2014年3月30日
から 久元喜造

養父市の特区指定を喜ぶ。

3月28日、政府から国家戦略特区の地域指定があり、神戸・ポートアイランドの医療産業都市を含む「関西圏」が指定されました。これまでご支援をいただきましたみなさまに感謝申し上げます。
また、兵庫県の養父市が農業特区に指定されました。
3月8日のブログ でも触れましたが、養父市の広瀬栄市長とは、ヴィッセル神戸の開幕戦でお会いし、いろいろ意見交換をさせていただきました。
広瀬市長をはじめ養父市のみなさまに、お慶びを申し上げたいと思います。

養父市が考えておられる特区指定の効果は、農業委員会から市長への権限移譲が柱になるようです。
規制緩和は、手段であって目的ではありませんが、養父市の特区指定が大きく報道され、全国から注目されていることから、養父市への新たな企業の参入など、大いに期待されるところです。
耕作放棄地の再生と農業生産の拡大に向けて、養父市が特区指定を契機として、大きな成果を出して行かれることをご期待申し上げたいと思います。

神戸は、北区や西区に広大な農地を擁する農業都市ですが、耕作放棄地が目立つようになっています。
新年度には、新たに、市民・職員協働プロジェクトチームの仕組みを設けることとしており、耕作放棄地対策を含む農業の活性化に取り組むチームも設置する予定です。
養父市の動きにも注目しながら、神戸市としても農業の活性化にしっかりと取り組んでいきたいと思います。


2014年3月28日
から 久元喜造

真昼のフクロウは教室を横切る。

もうすぐ4月です。生き物たちが動き出す季節になり、山田中学校 時代の想い出をひとつ。

木造校舎の2階の教室で、授業を受けていたときのことです。
窓際に座っていた私は、校舎近くのポプラの葉陰に、何かがいるのに気づきました。よく見ると、それは、枝に止まっているフクロウでした。
フクロウを見るのは初めてだったので、授業には身が入らず、フクロウの方ばかりを見ていました。
フクロウは、ときどき目をつぶったり、じっと前を見ているようでもあり、私の方を見ているようでもありました。
次の日も、そして、その次の日も、フクロウは、同じ枝にじっと止まっていました。
私は、フクロウが来てくれるのがとてもうれしく、このことは誰にも話しませんでした。

どうして、あんなことが起きたのかは、今でもよくわかりません。
誰かが、フクロウに気づいて、下から石でも投げたのか、それとも、フクロウと私の目が合った瞬間だったのか ― 突然、不思議が音がして、大きな物体が教室を横切り、反対の窓から消えていったのです。
一瞬の出来事でした。

もちろん教室はどよめきましたが、ほとんどの同級生は、何が起きたのか、わからなかったと思います。授業をしていた先生は、板書をしていて、「どないしたんや」と後ろを振り返っただけでした。
でも、私には、はっきりと見えたのです。
羽を大きく動かしながら、自分のすぐ目の前を飛んでいくフクロウの姿が。

私はあれ以来、野生のフクロウを見たことがありません。
古木が稀少になっている中、生きて行くのはたいへんかもしれませんが、丹生山系のどこかで、ひっそりと棲息していてほしいと願っています。


2014年3月26日
から 久元喜造

組織には多様な人材が必要。

組織ではどんな人物が好かれるでしょうか。
ノリがよく、軽やかに笑いを振りまき、周りとさわやかにコミュニケーションができるような人物。そして、当意即妙のやりとりができ、悪意に満ちた詰問にも、さりげなくお得意の笑顔でかわすことができれば、最高の評価を得ることができることでしょう。
そして、テキパキと、スピーディーに仕事が出来そうなタイプが好まれます。

自治体でも、そのような人物像を理想とし、そんなタイプの新人を採用しようとする傾向があります。それを頭から否定するものではありません。
しかし、採用に当たって、ある種の特定の人物タイプを対象とし、そのようなタイプ以外の人物を排除する傾向をはらむとするなら、それは問題があると思います。

自治体では、明るいノリで、さわやかに、テキパキと次々に物事を処理することができる職場ばかりではありません。
住民の皆さんの中には、自分が求めるものを、上手に説明できない方もたくさんおられます。辛抱強く、耳を傾ける能力が必要とされる場合も少なくはありません。
また、研究現場などにおいても、短期間に目に見える成果を出すことが求められる傾向が強まっていますが、じっくりと、粘り強く課題を研究し、解決していく能力も大切です。そのような能力を軽んじる傾向は、長い目でその組織を劣化させていくことでしょう。

神戸市のような規模の大きな自治体では、やはり、多様な人材が求められます。志が高く、公務員に求められる知識と問題処理能力を備えた多様な人材を、どのようにして採用していくのか、自治体の知恵と見識が問われるところです。


2014年3月24日
から 久元喜造

国営明石海峡公園・春の息吹

きょうは、うららかな初春の陽射しに誘われ、北区藍那の国営明石海峡公園にお邪魔しました。
藍那の里のかなりのエリアが、公園に含まれています。
人工的な公園ではなく、里山の再生が公園整備のコンセプトになっており、園内に入ると、懐かしい里山の風景が広がります。
この地域は、昭和40年代に耕作が放棄された田畑が多く、園内では、その再生に向けた取り組みが、丁寧に行われていました。
ご案内くださった、田畑正敏所長さんは、公園の整備のみならず、生態系、植生、農業、民間習俗にも深い造詣をお持ちの方でした。

園内には、たくさんのため池が残され、ひとつひとつ、保存の手立てが講じられています。
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コクチバス、ブルーギルなど外来有害魚の駆除も含め、生態系の維持にも努力が払われていました。

残念ながら、園内にも、イノシシ、アライグマなどの有害鳥獣が繁殖しており、被害が目立っているとのことでした。
兵庫県、神戸市との連携のもとに、駆除も進みつつあるようで、最近、見かけるようになったというニホンジカへの対応も含め、地道が努力が求められます。

昔、前をよく前を通った、相談ガ辻の茅葺き民家の1軒が、園内に移築されていました。
所有者の方のご理解のもとに、新たな生命が吹き込まれようとしています。
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公園のオープンは、平成28年6月とのこと。
さまざまなNPOのみなさんとの協力関係も進んでいるようで、 開園に向けた努力が進められている姿を、目の当たりにすることができました。
ありがとうございました。

 

 


2014年3月21日
から 久元喜造

水害に備える。

きょうは、神戸市・垂水区総合防災訓練が行われました。
訓練に参加いただいた、垂水区の、ふれあいまちづくり協議会、防災福祉コミュニティ、消防団のほか市民のみなさん、警察、自衛隊、地方気象台、国土交通省六甲砂防事務所をはじめ関係機関、医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会のみなさん、舞子高校のみなさん、参加各企業のみなさんには、訓練に参加していただき、本当にありがとうございました。
また、危機管理室、消防局など関係職員のみなさんには、ご苦労さまでした。

きょうの訓練では、長く雨が降り続いて地盤がゆるんでいるところに、集中豪雨があり、土砂災害、河川の氾濫が起きたという想定で、救護訓練、避難所開設訓練、複数の救助隊による車からの救出訓練などが行われました。

閉会式の挨拶で、昭和13年の阪神大水害と昭和42年の大水害について触れました。
昭和42年の大水害のとき、私は山田中学校の2年生でしたが、家に帰ろうと、どしゃぶりの雨の中を神戸電鉄湊川駅まで行ったところ、当時、地上駅だった湊川駅は水浸しで、ホームには電車が水没していました。
神戸電鉄、有馬街道は長く不通で、鈴蘭台から市街地へ出るには、西宮の山口まで迂回しなければなりませんでした。
死者・行方不明92人を出した大災害でした。

神戸のように起伏の多い地形に住宅が建てられてきた都市では、ゲリラ豪雨への備えがたいへん重要です。
きょうの訓練結果を検証しながら、地域ぐるみでの防災力を高めていく努力を行っていきたいと思います。


2014年3月20日
から 久元喜造

「久元きぞうと語るつどい」御礼

お礼が遅くなりましたが、3月18日夜、ANAクラウンプラザホテル神戸で、「久元きぞうと語るつどい」を開催させていただきました。
年度末のお忙しい中、2000人を超えるみなさまに出席いただきました。本当にありがとうございました。

当日は、後援会の西河紀男会長のご挨拶に続き、大澤和士神戸市会議長、井戸敏三兵庫県知事からご祝辞をいただきました。
私からは、政策の進捗状況について簡単に報告させていただき、実現への決意を述べました。

大橋忠晴神戸商工会議所会頭に和やかな雰囲気で乾杯のご発声をいただいた後、懇談に入り、会場内を回らせていただきました。短時間でしたが、大勢のみなさまとお話ししたり、お話をお伺いすることが出来ました。
たくさんのお励ましやご忠告もいただき、ありがたいひとときでした。元気をいっぱい頂戴することができました。

私は自分で当日の模様を撮影することはできませんでしたが、フェイスブックには、当日の写真を何枚かアップしていただいているようです。
あわせまして、心より感謝申し上げます。

 


2014年3月18日
から 久元喜造

助役から副市長へ。

市のナンバー2である副市長は、以前は、助役と呼ばれていました。
助役の名称が副市長に代わったのは、2006年(平成18年)の地方自治改正によってです。
この改正は、第28次地方制度調査会答申 に基づくもので、私は、答申と法案作成の両方に関わりました。
名前が変わっただけではない、意味のある改正だったと思います。

この改正では、まず、都道府県の出納長と市町村の収入役が廃止されました。
収入役は、市制町村制(1888年制定)で設けられた由緒ある制度でしたが、完全に時代遅れになっていました。
副知事と副市町村長については、定数は条例で自由に定められるようになり、その職務として、政策と企画をつかさどることが加わりました。さらに、知事や市町村長の権限を副知事や副市町村長に委任し、自らの権限として行使できることが明記されました。
このように、この改正の目的は、個々の地方自治体が置かれている多様な状況に応じて、また、知事や市町村長の判断によって、もっともふさわしい方法でトップマネジメントの強化を図ることにありました。

たとえば、市長の権限の相当部分を一人の副市長に委任し、いわゆるシティマネージャーのような役割を果たしてもらうことです。この場合には、日常的、実務的な事務は一人の副市長に大幅に委ねられることになり、長の役割は、より高次で政治的、対外的なものが中心になります。
もちろん、複数の副市長を置き、分担して事務を担当することも考えられます。我が国の大規模な自治体の状況を見れば、こちらの方が常識的ですし、実態に合っていると思われます。
複数の副市長を置く場合にあっては、タイプの異なる有為な人材を起用するとともに、市長を交えた会議を恒常的に開いて情報を常に共有し、チームとして一体的・戦略的に自治体経営にあたるという姿勢が大切だと思います。


2014年3月16日
から 久元喜造

神出町パートナーシップ協定記念式典

きょうは、西区神出町にお邪魔しました。
神出自然教育園に到着しますと、「餅つきをしているので、まず見てください」、とのこと。野外の会場に着くやいなや、「餅をついてください」と言われ、いきなり餅つきをさせていただきました。
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「腰が入ってへんわ」と冷やかされながらも、久しぶりに餅つきを楽しみました。

続いて、「神出町パートナーシップ協定記念式典」に出席しました。
まずは、神出楽団の演奏。
力強いファンファーレに続き、何曲かが演奏され、「神出讃歌」で閉じられました。
神出のみなさんが、いかにご自身の地域を愛しておられるかがよくわかる選曲と演奏で、感銘を覚えました。

私から、国道175号線バイパスの推進、耕作放棄地対策についての市民・職員協働の取り組み、市街地調整区域における建築規制の見直しなどについて、挨拶で触れさせていただきました。
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原風景の保全、にぎわいの創出、安全・安心の推進など、パートナーシップ協定が締結されてから3年の取り組みについて、各部会長さんから報告がありました。

いろいろな課題があると思いますが、神出町のみなさんが、心を合わせて、よりよい地域づくりのために頑張っておられることがよく理解できました。
地域内の一斉清掃には、地域の住民の2割を超えるみなさんが参加されているとのこと。すごいことです。

記念式典終了後、地域のみなさん、神出中学校の生徒さんが心をこめてつくっていただいた、豚汁をごちそうになりました。とても上品な味付けで、思わず、お代わりをしてしまいました。
春らしい陽光が降り注ぐ中、すてきなひとときを過ごさせていただき、心より感謝申し上げます。

 


2014年3月14日
から 久元喜造

ペンケ駐日ラトビア大使と会談

きょうは、ラトビア共和国のペンケ駐日大使が神戸市役所を訪問され、会談させていただきました。
ラトビアの首都リガと神戸は、友好都市で、40年にわたる長い交流の歴史があります。
ペンケ大使との会談では、40周年を契機に、さらに友好親善の取り組みを強化することで、意見が一致しました。
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ペンケ大使とお会いするのは、初めてでしたが、家内は、ラトビア独立記念日祝賀会のときに、東京のラトビア大使館に招かれ、大使夫妻とお目にかかったことがあります。(2013年11月18日のブログ
家内から聞いていたとおり、ペンケ大使は、歴史、国際政治、言語、音楽、スポーツ、建築など、幅広い分野について深い見識のお持ちの、知的な方でした。
ワーグナーがリガに逗留していたことでも、話題が盛り上がりました。
「家賃が払えなかったから、ワーグナーは、リガに来たのですよ」
と、細かなことまで、よくご存じでした。

神戸に来られるのは今回が初めてとのことでしたが、6月に、リガから使節団が神戸に来られるときには、ペンケ大使も参加していただけるとお聞きし、たいへん、ありがたく感じました。
ペンケ大使のご来訪を契機に、リガとの友好をさらに深めていきたいと思います。

 


2014年3月10日
から 久元喜造

怒りをコントロールする。

先日の毎日新聞に、自らの怒りをコントロールする、「アンガーマネジメント」に関する記事が掲載されていました。
感情の爆発に身を任せるのではなく、怒りを適切にコントロールすることは、家庭生活や社会生活を送る上で、たいへん重要です。

怒りの話題で想い起こされるのは、霞ヶ関にいたとき、かなり長くお仕えした、某大臣のことです。
とにかく、怒鳴りまくる、怒り狂うのが有名で、総務省幹部の「大臣室に入るのがつらい」というコメントが新聞に掲載されたほどです。
私も、怒鳴られたのは、10回や20回ではすみません。部屋から追い出されたこともありました。(20分後にはまた入りましたが・・・・)

ある日、大臣レクのために大臣室の前で待っていると、部屋の中からものすごい怒鳴り声が聞こえてきました。
ドアは閉まっていましたが、外までガンガン聞こえてくる怒声は、ずいぶん長く続きました。大臣秘書官室の話では、電話の相手は、突飛な言動で知られる別の大臣とのことでした。
怒声が収まり、私がレクに入ることになりましたが、正直、気が進みませんでした。
長年の経験で、政治家に説明に入るときは、説明の内容、そして説明の仕方のほかに、説明に入るタイミングが成否を決することを知っていたからです。
ご機嫌が悪いときに、ましてや、怒り狂っておられるときに入っても、碌なことはありません。

不安な気持ちを抱きつつ大臣室に入り、説明を始めると、某大臣の様子は、予想とはまったく違いました。
完全に冷静だったのです。
つい1分前まで、あれほど怒り狂っていた雰囲気はまったくありませんでした。
大臣レクは、淡々と終わり、案件の了解をいただくのに、時間は要しませんでした。

少なくとも、大臣は、感情の赴くままに、怒りを爆発させていたのではなかったのです。
おそらくは、自らの怒りを、見事にコントロールされていたのはないかと、毎日新聞の記事を読んで、改めて想像しました。