久元 喜造ブログ

2014年5月14日
から 久元喜造

NHK「クローズアップ現代」のずさん報道

4月20日に放送された「クローズアップ現代」は、「平成の大合併」を特集しました。
この中でインタビュー出演された篠山市の酒井隆明市長から、「視聴者の誤解を招く」として、NHKに意見書が提出されたという記事が、きょうの神戸新聞朝刊に掲載されていました。

記事によれば、同特集は、合併に関わった自治体のひとつに篠山市を選び、同市については、財政難や市民サービスの低下などが取り上げられました。
市職員や住民の声など最近の取材画像とともに、酒井市長のインタビューがあり、「(行政が)何をしていたんだという思いはもたれると思う」などと発言されたようです。
ところが、この番組の制作にあたって酒井市長への取材はなく、このインタビューは、今から6年も前の2008年の取材分だったというのです。この点の説明は番組ではありませんでした。
酒井市長は、NHKに送った意見書の中で、「最近の市の取り組みについて触れられず、不誠実だ。過去の取材画像を時期を明示せずに使われ残念」とされています。

ひどすぎるのではないでしょうか。
私も、テレビからインタビューを受けることはありますが、それは、取材に関するそのときどきの状況やテーマがあり、それを前提として、聞き手の質問に答える形で行われます。
そのような取材もせず、過去の、しかも相当昔のインタビューを使って番組を制作するとは、番組のシナリオが初めからあり、それにふさわしい画像を探し出してきて、都合よく使ったとしか思えません。

しかも、記事によれば、NHK広報局は、「当時のインタビューを使用することは市の担当者に伝えていた。市長の理解を得ていなかった点は配慮すべきだった」とコメントしていますが、こんな大事なことを、担当者が市長に伝えないということがあるのか、大いに疑問です。
看板番組でこのようなずさんな制作、報道、そして、不誠実な対応がなされるようでは、国民のNHKに対する信頼が揺らいでいかないか心配です。

 


2014年5月12日
から 久元喜造

神戸の農業の強み

初夏の天候は変わりやすいですね。
朝、市役所のロビーで、西区伊川谷町の花々を眺めながら登庁したときは、よい天気でした。
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ところが、午後、市会本会議が始まった頃から、空がかき曇り、西区に到着したときは、本降りの雨になりました。
そんな中を、ワイン用ぶどう団地をご案内いただきました。
神戸のワイン醸造、ぶどう用ワインの生産が始まってから、もう30年近くにもなります。
神戸ワインは、すべて神戸のぶどうからつくられています。100%神戸産ぶどうです。
きょうは、シャルドネとメルローの畑を見せていただきました。
雨の中でしたが、手づくりで大切に育てられている様子が伝わってきます。
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ぶどう団地のあとは、少し離れた集落にお邪魔させていただきました。
さらに雨脚が強くなりましたが、田圃の畦や池のほとりを歩きながら、人に優しい農作物の生産と、良好な農村景観の維持、生態系の保全を大切にされている、地域のみなさんと対話をさせていただきました。
いろいろな課題があることも、ひしひしと伝わってきます。
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日本の農業が競争力をつけていくことは大事なことですが、それは、諸外国の後を追い、ひたすら生産性を究極まで高めることのみを追求することで得られるのではないということを、この美しい集落と里山の風景を眺めながら感じました。
大消費地に近い神戸の近郊農業は、米国やオーストラリアの超大規模農業とは異なるアプローチで、神戸の、日本の消費者に貢献していけるし、そうあるべきだということを確信します。

雨音をバックミュージックにしながら、それぞれのありようで、工夫を凝らしながら農業生産に取り組んでおられるみなさんと杯を酌み交わし、有意義で、楽しい時間を過ごさせていただきました。
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すばらしいひとときを与えていただき、本当にありがとうございました。


2014年5月11日
から 久元喜造

「極点社会」への対応

先週、5月8日の各紙は、「日本創成会議」人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也元総務大臣)が行った試算結果の内容を大きく報じました。
内容は、2040年(平成52)年には896の市区町村で、2010年と比較して若年女性が半分以下に減り、これらの自治体は「消滅」する可能性がある、というものです。
試算は、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口のデータを基に、都市間の人口移動の状況も勘案し、40年後の20~39歳の女性人口を推計しています。
「消滅可能性都市」の大半は、山間部や農山漁村、地方都市ですが、大阪市西成区、同大正区、東京都豊島区など大都市部にも存在しており、神戸市も須磨区(51.4%減)が入っています。

増田氏は、若年女性を中心に人口減少が続き、多くの地方の市町村が消滅する一方、東京などの大都市がブラックホールのように人口を吸引し続け、大都市圏だけが存続する社会を「極点社会」と呼んでいます。
「消滅可能性都市」が自分たちの力だけで「消滅」を回避することは不可能であり、「極点社会」を回避するためには、国レベルでの大胆な政策展開が求められるのは確かです。
同時に、神戸市内では、北区、西区の山間部で、集落の消滅が懸念される一方、中央区、灘区、東灘区などの都心区の中の、しかも一部の地域に人口が集中する-つまり、市内において「極点社会」化が進行する可能性があることに留意する必要があります。
つまり、「極点社会」を回避するための対応は、神戸市政に突きつけられている課題であるということです。このことを真正面から受け止め、我々自身が対応を考えていかなければなりません。
難しい課題ですが、それだからこそ、政策集団としての力量が問われます。

 
 


2014年5月8日
から 久元喜造

『万霊節』ー私が好きな曲⑥

さわやかな5月の日々が過ぎていきます。
この季節に、ふと耳に聞こえてくる歌が、R.シュトラウスの『万霊節(Allerseelen)』です。

香り高い金木犀を テーブルに置き
最後の赤いアスターをもって こちらへおいで
そして再び愛について語ろう
かつて5月にそうしたように

花々が咲き誇る5月の、愛の歌のように聞こえます。追憶の気配を伴いながら。

手を出して そっとにぎらせておくれ
誰かに見られてもかまわないから
君のやさしい眼差しを わずかでも見せておくれ
かつて5月にそうしたように

そこで突然、場面は、「万霊節」の日に転換します。
ここで、恋人が亡くなり、その追憶の歌であることがわかります。
魂の高揚とあたりの静けさが、墓地を支配します。

すべての墓には花が咲き誇り 香りが漂っている
きょうは 一年に一日だけの 死者が解き放たれる日
おいで僕の胸に そしてまた抱かせておくれ
かつて5月にそうしたように


歳をとるということは、自分が生きているのに、その一方で、肉親や友人、大切な人を失っていく過程なのかもしれません。
それはとてもつらいことです。とりわけ、その人のことを深く愛し、その人が本当にかけがえのない存在であった方にとっては。
それでも、失った大切な人は、残された者の中に生き続けることができます。
高校生の時に読んだ、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』の中の一節
「死者は生者とともに生き、生者とともに死ぬ」
という一節を想い起こします。


2014年5月5日
から 久元喜造

佐藤優『甦るロシア帝国』

ロンドンから帰りの飛行機の中では、佐藤優『甦るロシア帝国』を読みました。
離陸前に、携行していた雑誌「プレジデント」(2014.5.5号)を開くと、佐藤優氏の解説『ウクライナの「分裂」は何を意味しているのか』が掲載されていました。
単なる偶然なのですが、本書に対する期待が高まります。
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『甦るロシア帝国』を読み進んでいくと、ウクライナの歴史に関する詳しい叙述がありました。ソ連科学アカデミー民族学研究所のチェシュコ副所長との対話の中で、ウクライナの複雑な民族問題、宗教間の軋轢、そして当時のゴルバチョフ書記長のウクライナへの対応などが語られていきます(同書241-265頁)。
「プレジデント」の解説は、本書中の上記記述と全く符合しています。「ウクライナへの軍事介入をロシアが行う可能性は極めて低い」という佐藤優氏の見通しどおりに動くことを願いたいところですが、それにしても、佐藤優氏が、その場限りのコメントを垂れ流す多くのコメンテーターや「専門家」とは異なり、深い見識に裏付けられた主張を展開されていることがよくわかります。

本書は、筆者がモスクワ大学宗教史宗教哲学科で教えた学生との交流を通じて、旧ソ連の崩壊過程の舞台裏がどのようなものであったのかを、生き生きと、同時に、生々しく描いています。
そして、学生や旧ソ連の知識人たちとの議論の中で、旧ソ連の民族問題、宗教哲学、共産党イデオロギー、マルクス主義などが縦横に結びつけられ、旧ソ連を構成していた国家と社会がどのような存在であったのかがわかりやすく語られます。
同時に、市場経済への移行に伴う過酷な社会状況の中を懸命に生きた旧ソ連の若者たちの生き様、そして筆者の彼ら、彼女らへのひたむきな関わりも、本書を読む者の胸を打ちます。


2014年5月4日
から 久元喜造

インフィオラータこうべ北野坂

昨日の5月3日(憲法記念日)は、ロンドンから関空に帰国し、夕刻、「インフィオラータこうべ北野坂」に出かけました。
三宮駅で降りて北野坂を登っていくと、何人かの知人と出会い、立ち話をしたりしたので、携帯に催促の電話がかかってきます。
会場に到着すると、幸い天候にも恵まれ、たくさんの市民のみなさん、観光客のみなさんでいっぱいです。
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花の絨毯の隣の一角で、シンガーソングライターの 信政誠さん にお会いしました。これから、野外ライブをされるところでした。
信政誠さんとは、選挙中、路上で言葉を交わしたことがあり、あのとき以来の再会です。
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CD『コンセプトアルバム  ピアノとうた』を購入し、帰宅後、深夜に家で聞きましたが、やさしさがいっぱいつまった、素敵な曲ばかりでした。「北野坂」など神戸ゆかりの歌をつくられているのも、ありがたいです。
上の写真にあるように、歌による「神戸発信」に期待しています。

「北野・山本地区をまもり、そだてる会」の浅木隆子会長をはじめ、関係者のみなさんと懇談した後、北野坂を登り切ると、神戸から絵本を東北に送る活動をされているみなさんがおられ、活動の内容をお聞きしました。
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「えほんカー」の本棚に並べられている絵本は、名前などの書き込みのない、新品同様のきれいな本ばかりでした。 神戸市民の気持ちが、絵本を通じて、いまだ復興途上にある東北被災地の子供たちに届いてくれることでしょう。
北野坂を下り、オリーブ・アカデミーの取り組みをお聞きし、会場を後にしました。


2014年5月3日
から 久元喜造

再読・長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』

関空からロンドンまで、一人きりのまとまった時間が久しぶりにとれたので、 長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』 (ちくま新書)を読みました。10年ほど前に、長谷部東大教授からいただいたときに読んで以来の再読です。
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長谷部教授は、まず、「序章」で、代表民主制と立憲主義の要請との衝突について触れておられます。
この点については、総務省で選挙部長をしていたとき、菅義偉総務大臣(当時)の指示で知事や市町村長の多選制限の可否について研究会をつくって検討した際に、ずいぶん議論したものでした。
従来、旧自治省は、地方自治の本旨や職業選択の自由などとの関連で、多選禁止は違憲の可能性が排除しきれない、との立場でしたが、この研究会では、多選禁止は立憲主義の見地からも正当化されうるし、憲法上許されるとの立場をとりました。

さて、本書では、「なぜ民主主義か?」「なぜ立憲主義なのか?」という根源的な疑問について、思想的な系譜も含めて、わかりやすく議論が展開されていきます。
その上で、長谷部教授は、「立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念」だとされます。そして、憲法が教えるのは、「多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかだ」と指摘されます。
立憲主義は、単なる理念ではありません。それは現実を見るように要求します。
「世の中には、あなとは違う価値観を持ち、それをとても大切にして生きている人がたくさんいるのだということを要求する」という指摘は、まさにそのとおりだと思いました。
同時に、憲法に基づき法を執行する政府や自治体は、自分たちと同じ立場以外は許さないという勢力とも、立憲主義の要請に基づき、辛抱強く共存していかなければならないということも、改めて認識しました。


2014年4月28日
から 久元喜造

「たこ焼き」談義の総括

4月8日のブログ で、 「『たちばな』のたこ焼きは、明石焼きか?」 という疑問を記しましたところ、フェイスブックを含め、たくさんのみなさんからコメントをいただきました。ありがとうございました。
結論は、イエスのようです。

寄せていただいたコメントを総合しますと、明石には、『たちばな』の「たこ焼き」に近い、「玉子焼き」という料理があったようです。
明石観光協会に勤務されていた松村勉さんによれば、明石焼き(玉子焼き)の歴史は、江戸時代にまで遡ります。
江戸の鼈甲細工師、江戸屋岩吉が、明石に来ている時に、卵の白身が強力な糊の特性を持つことに気付き、「明石玉」と言うガラス玉作りを始めました。
その後、「明石玉」の生産に卵が大量に使われるようになり、余った卵の黄身の利用方法として、明石の蛸と組み合わせた料理-「明石焼き」が生まれたのだそうです。
「明石焼」の今のスタイルを作ったと言われている樽屋町の向井清太郎さんは、大正8年に屋台を始めたといいます。

これで、『たちばな』の「たこ焼き」のルーツが明石の「玉子焼き」にあったことは、ほぼ間違いないと思われます。
4月8日のブログ の頓珍漢な腹立ちは、反省をこめて撤回させていただきます。

また、4月17日ブログ で、東京の『多幸兵衛』のことを書きましたが、フェイスブック友だちのお一人が、震災前の『多幸兵衛』の名刺を送ってくださいました。
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この名刺には、何と、「明石 たこ焼き」とあります。
後年、「明石焼き」という名前が広がったので、東京のお店では、「明石焼き」とされたのでしょう。
明石の食文化を守り、担ってこられたみなさん、そして、これを神戸で受け継ぎ、広めて来られたみなさんのご努力に敬意を表し、「たこ焼き」談義の総括とさせていただきます。
おつきあいくださった、たくさんのみなさんに改めて御礼を申し上げます。


2014年4月26日
から 久元喜造

夜の雑木林の鬼女

鈴蘭台に住んでいた中学、高校時代、蛾の採集をするのが好きでした。
夜に活動する蛾には、蝶にはない神秘的な魅力があるように感じられたのです。

夜遅く、ときどき蛾を捕りに行くのは、樹液が出て、カブトムシやクワガタなどが集まる木の幹でした。
家の近くの大歳神社の境内を通り抜け、雑木林に入ります。懐中電灯で足元を照らしながら進むのですが、懐中電灯めがけて、小さな蛾や羽虫、樹液の場所に近づくと、スズメバチが驚いて突進してくることもありました。

ある晩、いつものように、樹液が出る木の幹を照らすと、そこには、体長が15センチは優にある、大きなムカデがいました。
何匹かの蛾が近くに留まっていたり、あたりを飛んでいたのですが、大きなムカデがやはり恐ろしく、昆虫網が当たったりして刺激すると、襲撃されそうな気がして、あきらめて引き返すことにしました。

家に帰って母にその模様を話すと、母は、
「ムカデ1匹におじけづいて帰ってきたんか!それでも男か!」
と、いきなり私を怒鳴りつけました。そして、部屋を出ていくと、
「ついてくるんや!」と、私を従わせ、神社の方向に歩き出したのです。
夜の雑木林を、左手の懐中電灯で獣道を照らしだし、右手に注射器を持って、針を前方に突き出しながら進んでいく母の姿は、鬼女以外の何物ではありませんでした。

さっきの場所に到着すると、鬼女におそれをなしたのか、ムカデの姿はなく、私は、母の助けを借りながら、フクラスズメなど、何種類かの蛾を採集することができました。

それにしても、夜の雑木林は、さまざまな虫の声や、どんなものが発しているのかわからない不思議な声たちで満ちあふれ、それは幻想的だったことを想い起こします。

 


2014年4月22日
から 久元喜造

同じ事業は、同じ名前で。

市役所の中のことは、なるべく、私のブログでは書かないことにしてきました。
「意見があるなら、ブログではなく、直接、言ってください」
「職員の悪口をブログで言うべきではありません」
という諫言をいただいてきたからです。それは、もっともだと思います。
しかし、何度か申し上げても、やはり、変わらないことはあり、特定の組織のことを批判することがないように気をつけながら、市役所の職員のみなさんの目に触れることを覚悟しつつ、申し上げたいことを記させていただきたいと思います。
念のために申し上げますが、これは、特定の部局の説明のことを取り上げているのではなく、全体的な市役所の傾向についての、単なる感想ですので、どこのことの話なのかという詮索なしに、お読みいただければ幸いです。

お願いのひとつは、同じ事業には、同じ名前を使ってほしいということです。
予算のときもそうでしたが、同じ事業や施策に、局などの組織の違いによって、また、担当者の違いによって、それぞれ、違う名前がつけられていて、戸惑うことが結構ありました。
違う名前でも同じことを意味するのだということは、市役所のみなさんは全員わかっておられ、わからないのは、私だけで、質問すると、同じ事業や施策であることがわかったのですが、そのことが確認できた時点では、市役所のみなさんの説明や会話は、もう、とっくに先の方まで行っていて、何が何だか、わからなくなることが結構ありました。

もうひとつ、逆に、違う事業や施策に、似たような名前がたくさんつけられ、いったい、これは、同じものなのか、違うものなのか、わからず、子細に資料を見ると、違うことがようやくわかったということもありました。

できるなら、外の人間にも、わかりやすい事業・施策の名前をつけていただきますよう、お願い申し上げます。