久元 喜造ブログ

2015年5月30日
から 久元喜造

更生への希望 ― 薬丸岳『神の子 上・下』

上下巻、900ページを超える大作です。
godson

主人公の町田博史には、戸籍がありませんでした。
母親は覚せい剤中毒、父親が誰かもわからず、出生届が出されなかったからです。暴力とネグレクトの中で育ちました。
薬におぼれ、主人公を殴り続ける母親の愛人を刺して逃亡、詐欺グループの室井に拾われます。

しかし、町田には、直感像記憶の才能があり、IQ161というずば抜けた頭脳の持ち主でした。
そして、小澤稔という知的障害のある少年だけが、心を開くことができる存在でした。
町田は、稔の戸籍を盗み、室井から稔の殺害を命じられます。しかし稔が室井の手下を殺してしまい、その罪を被って少年院に入ります。

この後、物語は複雑に展開するのですが、外の世界に心を閉ざした主人公を見守り、更生させようとする人物が登場します。
少年院の法務教官、内藤信一は、社会復帰後の町田の受け入れ先を探し、彼を見守り続けます。
そして、すべてを承知で町田を受け入れたのが、苦境の町工場を経営する女社長、前原悦子でした。

一見、サスペンス風に物語は展開されますが、想像を絶する過酷な環境の中で生きてきた主人公の、更生と再生の物語であるように思えました。

罪を犯した人々の社会復帰が大きな課題となっている今、いろいろ考えさせられることが多かった長編小説でした。
少なくとも、出所した人々の地域社会への受け入れが、国の仕事だ、自治体の役割だと押しつけ合うような醜態は、やめるべきです。

5月22日の朝日新聞夕刊には、大阪における少年サポートセンターの活動が紹介されていました。
「触法少年」の立ち直りのためには、多角的な取り組みが求められることが理解できました。


2015年5月26日
から 久元喜造

教育に関する市長への意見募集

昨日の記者会見 で、教育に関する市長への意見募集について、発表しました。

4月1日のブログ でも書きましたが、平成27年度から教育に関する制度が変わり、教育行政について市長の権限強化が図られることになりました。
市長は、教育に関する大綱の策定を含む自らの責任を適切に果たしていくことが求められます。
私は、教育については、長く教育委員会が責任を持って対応してきた経緯もあり、市長が選挙で選ばれているからと言って、個人的な想いを振り回すことは避けたいと考えてきました。
市長が、これから総合教育会議の場で、教育委員の先生方と向き合い、自らの意見を開陳するとき、それらが、私の限られた個人的な経験や報道に基づくものであってはいけないと思います。

そこで、神戸市として、市民のみなさんに対し、 教育に関するアンケート を実施することにしました。
内容は、神戸市のこれからの教育について、「目指すべき方向性や大切にすべきこと」「特に力を入れるべきことや課題」など、神戸市の教育全体にかかわること(学力向上、情操教育、英語教育、いじめ、不登校、スポーツ、芸術など)です。
自由記述(100字以内)で、お書きいただくことにしています。
アンケートの回答フォーム (パソコンなど)

アンケートの回答フォーム (携帯用)

教育に関する意見については、このブログへのコメントではなく、上記の方法により出していただきますよう、よろしくお願いいたします。


2015年5月23日
から 久元喜造

成田一徹さん『神戸の残り香』

東京にいた時、何かの機会に、神戸市の東京事務所の方から 「神戸の残り香」 についてお聞きしたことがありました。
私が興味を示すと、さっそく、神戸新聞に連載されていたコピーを届けてくださいました。
成田一徹さん が切り絵を描かれた一枚一枚は、とても懐かしく、成田さんが添えられた文章も丹念に読みました。

私は、2012年11月に神戸に戻ってきましたが、残念ながら、成田一徹さんは10月に急逝されていて、お会いすることは叶いませんでした。
昨年の暮れ、私が「神戸の残り香」について話していたことを、成田さんの奥さまがお知りになり、この年の暮れに刊行された『NARITA ITTETSU to the BAR』をお届けくださいました。
narita2
神戸をはじめ、東京、大阪など全国のバーの風景が描かれています。
残念ながら閉店になっているお店もありますが、「Abuはち」「YANAGASE」「SAVOY北野坂」「Sunshine Bar」などが健在です。

その後、『神戸の残り香』は、2006年に神戸新聞総合出版センターから単行本として出版され、2013年に増刷されていたことを知りました。
narita1
頁を開くと、往時の神戸の香りが立ち上ってくるような気がします。
帯には、
「この街には、もっと大人のにおいが漂っていたんじゃないか。」
との、成田さんの言葉が記されています。神戸の街に対する成田さんの遺言のように感じられました。
時代とともに街が変わりゆくのは避けられませんし、変化が求められる面もありますが、街づくりにあたっては、神戸の街の「大人の匂い」を大切にしていきたいと思います。


2015年5月20日
から 久元喜造

山崎亮『コミュニティデザインの時代』

コミュニティデザイナーの山崎亮さんには、神戸市のデザイン都市創造会議に参画いただくなど、たいへんお世話になっています。
ご著書『コミュニティデザインの時代  自分たちで「まち」をつくる』(中公新書)を読みました。
community

随所に共感できるところが、たくさんありました。
たとえば、社会が「お客さん化」しているというご指摘です。
「すぐやる課」ではなく、つくるとすれば、「あなたと一緒にするやる課」だろう、と。
「主体的にまちへと関わる人たちの意識をとり戻さねばならない」と、山﨑さんはおっしゃいます。
そのとおりだと思います。

また、まちが寂しくなった理由のひとつとして、活動の「屋内化」を挙げておられるのも、慧眼だと思います。
人々が屋内で過ごす時間が長くなればなるほど、街のにぎわいが減るのは、当然の成り行きです。
地方から見ると、自分たちの街はにぎわいがなくなり、東京ばかりがにぎわっているように見えますが、東京でも人があふれているのは、スカイツリーなどごく一部の観光地で、シャッター通り商店街も都内にはたくさんあります。
街のにぎわいを取り戻すためには、我が国社会全体を覆う活動の「屋内化」への処方箋を、私たちは編み出していかなければなりません。

もちろん、コミュニティの再生は、単に街のにぎわいを超える大きな価値があります。
人と人とのつながりを回復させる活動の輪をどのように広げていくのか ― 本書を参考にしながら、行政の立場からも、試行錯誤を続けていきます。


2015年5月17日
から 久元喜造

歴史的建築物の保全・活用

きょうの神戸新聞朝刊の一面トップに、 「守れ 神戸の洋館、茅葺き民家」 「歴史的建築 1200件調査」 「市、カフェなど活用模索へ」「所有者と事業者結ぶ」という見出しの記事が、大きく掲載されています。(下の写真は、記事から引用)
hatakiito
神戸市は、今年度の事業として、北区、西区に残っている約900件の茅葺き民家、歴史的価値が高く、市の「景観形成重要建築物等」の指定候補に挙げられている建物など約260件を対象に、現状を調査することにしています。
今朝の記事では、この神戸市の取り組みが紹介されています。

私は、選挙前から、歴史的遺産を保全する必要性を訴えてきました(2013年10月2日のブログ など)。
神戸は、第2次大戦時の空襲、阪神・淡路大震災によって、多くの貴重な歴史遺産を失ってきました。近代以降に戦災や震災が少なかった京都などに比べ、残されている歴史遺産は少なく、それだけに今ある歴史遺産を残していく必要性は、神戸ではとくに高いのではないかと思います。

そのような問題意識に答えてくれたのが、住宅都市局まちのデザイン室(現在は課)のみなさんでした。
昨秋の政策会議で、今日の記事で紹介されている調査について、具体的な提案を出してくれました。
政策会議では、直ちに、調査に要する経費を平成27年度当初予算に計上する方針が決定されました。

まずは、現状をしっかりと調査し、所有者のご意向も確認しながら、それぞれの建築物が置かれている状況に応じ、保存、再生、活用への道を探りたいと思います。
簡単に方策が見つかる政策課題であるとは言えませんが、全体像を明らかにする作業から取り組みを進めます。


2015年5月13日
から 久元喜造

廊下で仕事をしていた先輩のこと。

3月21日のブログ と同じようなシーンで恐縮ですが、20代の頃、こんなこともありました。
廊下を歩いていたら、先輩が机に向かって仕事をしているのです。
「どうしたんですか?」
と訊ねても返事がありません。

どうもその先輩は、別の課の先輩に頼まれてドイツ語の資料を翻訳していたのだそうですが、 それが上司に見つかり、その上司は、
「俺が指示した仕事を差し置いて、よその課の仕事をするとは何事!」
と激怒し、
「出て行け!部屋から出て行け!こいつを部屋から追い出すんだ!」
と、部下にその先輩の机を運び出させたというのです。

トイレに行くとき、必ず、その先輩の横を通るので、
「先輩、まだ許してもらえないんですか?」
とか、
「日比谷公園のカメでも見て遊んでたらどうですか?」
とか言って、からかっていたのですが、そのたびに、
「うるさい!」
と、そっぽを向かれるだけでした。
上司からは、「持ち場を離れたら、タダではすまぬ」と脅かされていたのでしょう。

高熱にうなされていた私は、それでも資料を仕上げて課長にタクシーで届け、この先輩は、廊下で仕事をさせられる姿を後輩に晒し、・・・どうしてあんな理不尽に耐えていたのか、今から振り返ると不思議です。
そんな時代だったのでしょう。

このような理不尽の責任は、国の省庁の場合は、部屋の主であり、組織の責任者である課長にあったことは、はっきりしています。
職場の雰囲気が、課長などの所属長によって左右されることは、今も昔も同じだと思います。
部下が少しでもやる気を出して仕事に取り組むことができるよう、所属長のリーダーシップに期待したいと思います。
同時に、組織全体の士気のありようについては、トップの責任が大きいことは言うまでもありません。


2015年5月10日
から 久元喜造

都市が舞台装置・小林多喜二『党生活者』

日経新聞に、小林多喜二(1903-33)の恋人、田口タキ(1908-2009)についての連載が掲載されていることもあり、小林多喜二について少し。

代表作『蟹工船』は、大学のときに一度読みました。そして10年ほど前、格差社会が議論され出したころにクローズアップされ、改めて文庫本を購入して再読しました。
正直、つまらなかったです。
舞台設定は閉ざされた船の中、登場人物は定型的で、人間像が浮き彫りになってきませんでした。
takiji

ところが、文庫本に収録されていた 『党生活者』 がとても面白かったのです。
ときどき想い出したように紐解くことがあります。

主人公の「私」は、共産党の「細胞」のひとり。
毒ガスのマスクやパラシュートなどを製造する軍需工場に勤めていましたが、仲間の逮捕に伴い、地下に潜って活動することになります。
官憲や密告者の目をかいくぐりながら、仲間と連絡を取り合い、ビラを撒いたり、工場内の抗議活動を扇動するなど、非合法活動を続けます。
女性との恋情や葛藤も綴られます。
肩身の狭い想いで暮らしている母親とひっそりと会い、理解してもらえていることに涙します。

このように、『党生活者』では、極限状況の中で反体制活動を続ける登場人物の微妙な心理が生き生きと描かれ、『蟹工船』とはかなり異なる世界をつくりあげています。

さらに、この小説を魅力的なものにしている背景の一つは、都市という舞台設定だと思います。
工場、下宿、お店、路地など、街のあちこちに、「私」は現れ、歩き、逃げ回り、潜行し、絶望して天を仰ぎます。
おそらくは灰色にくすんでいたであろう1930年代初頭の大都市の相貌が、陰影に富んだ世界を創り上げているように思えました。


2015年5月7日
から 久元喜造

文化行政は、地道な仕事も大切に。

先月、西区の里山を歩いたとき (4月27日のブログ)  、「太陽と緑の道」に、下の写真の看板が置かれていました。
あまりにも汚く、最初は不法投棄されたゴミかと思ったら、神戸市が設置した看板でした。

150426-6

複合産業団地の造成を始めた平成5年に、迂回の案内をした看板のようです。
この表示の必要がなくなった平成17年4月から、もう10年も放置されていたと思われます。

直ちに、撤去するようにしました。

「太陽と緑の道」は、神戸市が設けたハイキングコースで、今年度も管理のために約265万円が計上されています。
本来、コースを汚すことがないよう市民のみなさんに呼びかけるべき立場の市が、このような看板を10年にもわたって放置してきたことは、たいへん遺憾です。
10年の間に、この前を通った市職員もいたと思いますが、誰一人通報する人がいなかったことは、寂しい限りです。

この看板は、当時の「市民局文化振興課」が設置したようで、「太陽と緑の道」は、現在も文化行政担当部が所管しています。
文化行政は、ともすれば、大規模芸術イベントなど華やかな分野にばかり目を向けがちですが、地道な仕事をきちんとしていくことも大切です。
私も、気を引き締めて取り組んでいきたいと思います。


2015年5月5日
から 久元喜造

祝・デカンショ節 日本遺産認定

きょう報道されている産業革命遺産の世界文化遺産登録に比べれば、地味な話題なのですが、去る4月24日、文化庁は、 丹波篠山デカンショ節 を日本遺産に認定したと発表しました。
酒井隆明篠山市長をはじめ関係者のみなさまに、お慶びを申し上げます。

デカンショ節は、学生時代、 尚志館 でよく歌ったものです。
尚志館は、もともとは篠山藩主直系、青山家の私塾に由来し、社団法人「兵庫県育才会」が運営しています。
小田急線の参宮橋から坂道を上った、代々木の閑静な住宅街の中にあります。

私は、1972年(昭和47年)4月、大学入学と同時に尚志館に入寮しました。
寮生は、全員、篠山鳳鳴高校など兵庫県内の高校の卒業生でした。
今では行われていないと思いますが、入寮したての頃、夜、屋上に新寮生全員が正座させられ、上級生からの訓辞を聞いたものです。
出身高校も大学も違う寮生がともに暮らした2年間は、本当に楽しい日々でした。

下の写真は、3年前の2012年4月8日、代々木公園で花見をし、尚志館が懐かしくなって、酔っぱらいながら前を通ったときに撮った写真です。

120408-4120408-2120408-5

尚志館では、篠山鳳鳴出身の友人がデカンショ節をよく歌っていたのですぐ覚えました。

デカンショ デカンショで 半年暮らす   あとの半年 寝て暮らす

この後に続く定番の歌詞はあるのですが、何人かで、順番に替え歌を即興でつくって歌い継いでいったものです。

青春の想い出がいっぱい詰まった尚志館も、建物が老朽化し、建て替えられることになりました。
敷地の約半分を売却して建築資金をつくり、新しい寮が建設されます。
建物が二代目になっても、後輩のみなさんが尚志館でデカンショ節を歌い継いでいってくれれば、うれしいですね。


2015年5月3日
から 久元喜造

明るい神戸へ。

神戸をいろいろな意味で明るくしていきたいものです。
市民の暮らし向きや子供たちの表情、街の佇まいを、少しでも明るくしていくことは、神戸市政の任務だと思います。

そういう観点からはささやかな試みですが、神戸市の関係施設の照明を明るくしたいと考えています。
もちろん、電力消費量との兼ね合いは大切で、省エネに逆行するようなことがあってはなりません。

まず、地下鉄の駅構内の照明を明るくする努力を続けています。
西神山手線各駅ホームの照明について、平成26年度より、環境省の補助金を受けて、従来の蛍光灯をLED灯に取り替えています。
この結果、照度は、平均して概ね3割上がっています。逆に、電気使用量は、約5割減ります。
この結果、従来一部しか点灯させていなかった改札口付近の照明についても、点灯させることができるようになりました。

sannomiya1

先日、三宮駅を見に行きましたが、ホームを含め駅構内がかなり明るくなったことを実感できました。
平成28年度までに、西神山手線全駅のLED化、あるいは、高効率型蛍光灯(HF)化を完了します。

また、市役所についても、エレベーターホールや廊下の照明を、電力消費量に与える影響を慎重に勘案しながら、明るくすることにしました。

電力消費量がピークを迎える夏期については、照明を落とすこともあると思いますが、基本的には、少しでも明るい屋内空間にしていきたいと考えています。