久元 喜造ブログ

2017年6月14日
から 久元喜造

「かかりつけ医」の役割


「かかりつけ医」とは、具合が悪くなったときにいつも診察してもらう、基本的には一人の医師の先生のことを指します。
あちこちの医師に診てもらうよりも、決まった「かかりつけ医」の方が、体質や持病などが頭に入っていますから、適切な治療を受けられる可能性が高くなります。
病気の早期発見につながる可能性も高いと言えます。

国は、国民ができるだけ「かかりつけ医」を持ち、その紹介状を持った患者さんが大きな病院で診察を受けられる方向を目指しています。
風邪などの軽い症状の患者がこぞって大病院を受診すると、重症の患者さんへの医療を担う大きな病院が適切な医療サービスを提供できにくくなってしまうからです。
こうした見地から、平成28年4月、国の制度が見直され、医師からの紹介状を持たずに、病床数500床以上などの大きな病院の診察を受けると、加算料金を支払うとされました。

「かかりつけ医」の紹介状があれば、たとえば、神戸市中央市民病院を受診する場合、初診時の加算料金(医科:5,000円、歯科3,000円)はありません。
また、これまでの治療経過や検査データがわかり、スムーズな診療ができますし、「かかりつけ医」からFAX予約をしてもらうと、来院時に専用受付で受付を済ませて、短い待ち時間で受診できます。

いざという時に、どこの病院のどの診療科にかかればよいか慌てないためにも、日頃から何でも相談できて、自分の身体の状態を把握してくれる「かかりつけ医」を見つけておかれることをお勧めします。


2017年6月11日
から 久元喜造

神戸大学交響楽団サマーコンサート


家内が灘区内のパティスリーでチラシをいただいたことから、神戸大学交響楽団サマーコンサートのことを知り、今夜、神戸文化ホール・大ホールにお邪魔しました。
プログラムは、ベートーベンの「エグモント序曲」、チャイコフスキーの交響曲第4番、シューマンの4番です。
指揮は、1曲目が小川拓人さん、2,3曲目が藏野雅彦さんでした。

客席に着いて目に入ったのが、少し変わった弦楽器の配置です。
多くの場合、向かって右側に、チェロとコントラバスが陣取るのですが、きょうは、第1ヴァイオリンの右隣にチェロ、その後ろにコントラバスが配置され、第2ヴァイオリンは、右側に配置されています。
休憩時間に、音楽通の方から「対向配置」と呼ばれるタイプなのだと教えていただきました。

初めてのオケなので、耳をそばだてて、最初の音を待ちました。
バランスのとれた響きで、「エグモント序曲」が始まりました。
シューマンの4番は、大好きな曲です。
少し個性的な響きで、序奏が始まりました。
曲が内在しているエネルギーを抑えようとせず、むしろ開放し、大きな表現力でシューマンの世界を示そうとしているように感じられ、そのようなアプローチは、とりわけ第3楽章、そして第4楽章の後半で成功しているように感じました。

チャイコフスキーの4番は、まさに圧巻でした。
音楽はダイナミックに、それでいて美しく流れ、豊かな響きとともに、特有の憂愁も聞こえてきました。
第1楽章が終わった後、緊張感に満ちた静寂が会場を包み、聴衆の反応を象徴しているように感じました。

アンコールは、ハチャトリアンの「仮面舞踏会」からワルツ。
神戸大学交響楽団がその大きな存在感を示した、素晴らしいコンサートでした。


2017年6月8日
から 久元喜造

松宮宏『まぼろしのパン屋』


神戸ゆかりの作家、松宮宏さんの作品です。
3編の短編小説が収められています。

『まぼろしのパン屋』の主人公、高橋は、勤続33年の電鉄マン。
東京郊外のつきみ野に住み、田園都市線で通っています。
出世コースとはほど遠いサラリーマン人生を歩んでいましたが、「茨城沼」の開発スキャンダルで財務部長が更迭され、その後任に抜擢されます。
そんなある日、電車の中で、見知らぬ高齢の女性から「しあわせパン」と店名が印刷された白い紙袋をもらいます。
不思議なことに、車両には、高橋と女性のほかは誰もおらず、貸し切り状態。
紙袋のパンにかぶりついた高橋は、その旨さに驚愕し、店を探し出し、そこから謎めいた展開が始まります。

『ホルモンと薔薇』の舞台は、元町高架下のホルモン焼きのお店です。
花隈病院の大腸外科医、村岡久雄は、6件の開腹手術をこなし、こうつぶやき、ホルモンに舌鼓を打つのです。
「人間の腸ほど美しく、麗しい景色はない」
カウンターには、先客、神戸中央郵便局営業課長、武藤則夫がいました。
次々に、個性あふれる神戸人が登場し、ひったくり事件も発生して、最後は、千を越える真っ赤な薔薇があふれて、大団円を迎えます。
映画を見ているような、ダイナミックで、それでいて人情あふれる佳品でした。

『こころの帰る場所』は、姫路が舞台、そして今度は姫路おでんが登場します。
「シケた愚連隊(ヤンキー)」の物語です。
紆余曲折を経て、ヤンキーたちは、再生の道を歩み始めます。

もしも居酒屋のカウンターで、ホルモンやおでんをつつきながら本書を読んだら、さらに至福の時間を送れたことでしょう。


2017年6月3日
から 久元喜造

蘇った「淡河宿本陣跡」


淡河宿本陣跡」は、「道の駅淡河」のすぐ北、旧湯乃山街道に面した由緒あるお屋敷です。
主屋は明治時代、茶室などは江戸中期の建築という歴史的な建物です。
しかしながら、50年近く利用されず、老朽化が進んでいました。

この「淡河宿本陣跡」を再生させようと立ち上がったのが、地元淡河町のみなさんでした。
「一般財団法人淡河宿本陣跡保存会」が組織され、土地、建物を譲り受け、再生のための取り組みをスタートさせました。
神戸市も、規制緩和や改修費などへの補助などの支援を行いました。
試行錯誤やご苦労を経て、改修工事を行われ、5月28日にお披露目会が開催されました。

当日は、保存会の代表理事、村上隆行さんから、これまでの経過についてお話がありました。
いかに荒れ果てていたのか、そして、地元の中学生を含む地域のみなさんが参加され、地域外からの支援も得て、再生に至った過程を知ることができ、本当に感動しました。

続いて、淡河町の若手、片山美奈子さん、鶴巻耕介さん、武野辰雄さんから、日ごろの活動や農業、移住、地域に対する想いが披露され、私自身、元気を頂戴しました。

その後は、地元特産の山田錦で造られたお酒の鏡開きに始まり、地域の女性のみなさんが腕をふるわれたお惣菜やおにぎり、スイーツなどを堪能しました。

また、火入れをしたかまどで炊いた炊き立てのごはんといっしょにおこげもいただきました。
これも格別な味でした。

今後、この施設は、地域の交流施設として活用されます。
蘇った「淡河宿本陣跡」は、豊かな歴史を今に伝えるとともに、未来への希望を紡ぐ場所として、時を刻んでいくことでしょう。


2017年5月31日
から 久元喜造

進化する神戸国際フルートコンクール


5月25日から、第9回神戸国際フルートコンクール がスタートしています。
さまざまな意味で、これまでの過去8 回のコンクールとは違った形で展開されています。
小学生を含め本当に幅広い市民のみなさんが参加していただいていることです。
閉じられたコンクール会場のみならず、まちなかや駅なか、公園など、いつも行き来している場所が、非日常的なコンサート会場に早変わりし、フルートの音色に耳を傾けている姿が見られます。

さる5 月28日には、大丸神戸店と神戸市との共催により、大丸神戸店東側の明石筋をフリーウォークにして、「フルート300人アンサンブル」が開催されました。
フルートの音色に魅せられた、最年少8歳から最高齢84歳まで、310名のみなさんが参加されました。
NHK交響楽団首席フルート奏者、神田寛明先生の指揮により「ラデツキー行進曲」など3曲が、大勢の買い物客で賑わう旧居留地に響きわたりました。
これまでにない、まったく新しい試みで、このような素晴らしい企画を実行していただいたみなさんに心より感謝申し上げます。

さらに、今回のコンクールにおいては、コンクール出場者が小学校に赴いて演奏したり、まちなかでコンサートを実施するアウトリーチを開催しています。
世界を舞台に活躍するフルーティストによる生演奏体験は、未来ある子どもたちにとって、豊かな感性を育む貴重な機会になると信じます。
入賞者以外のコンクール出場者がコンクール開催都市で幅広く演奏の機会を持つことは、コンクールのありように一石を投じる試みです。


2017年5月29日
から 久元喜造

上田 早夕里『夢見る葦笛』


神戸ゆかりの作家、上田早夕里さんの作品を初めて読みました。
たいへん面白かったです。

10編の短編が収められています。
第1話「夢見る葦笛」は、老祥記の豚饅も出てきますが、街中にイソギンチャク人間-イソアが増殖していく不気味な物語です。
街中で美しい調べを奏でるイソアに魅了された人々は、やがてイソアに変わっていきます。
イソアが増え続け、親友までもがイソアへの変異に希望を託そうとするとき、主人公の亜紀は、イソアたちに対して壮絶な闘いを挑みます。
その先に破滅が待っていることを知りながら。

第2話以下でも、帯にあるように「誰も見たことがない、驚異に満ちた世界」が現出します。
片田舎を舞台にした呪術的異形の世界、人間の脳と人工身体の両方を持つシム、宇宙開発用人工知性など。

とてつもなく恐ろしい世界が描かれるのは、「滑車の地」。
地球上は冥海で覆いつくされ、そこには、泥棲生物、泥鰻、泥蠅、「人間の腕など簡単に切り落とす」泥鯱蟹、泥蛇など棲んでいます。
人間は、鋼柱の上の塔に追いやられ、滑車で移動します。
そして、次々に冥海に落下し、動物たちの餌食となるのです。

著者は、異形の世界のグロテスクを描きながら、その中で、もがき苦しみ、あるいは、未知の世界への希望を見出す人間の姿を描きます。
その心理は、驚くほど現代の私たちに近いものです。
途中までは、科学テクノロジーが行き着いた先にある「逆ユートピア」が描かれているように感じたのですが、そうとも決めつけられない複雑で不思議な世界が次々に現れ、興奮の連続でした。
想像力の無限の飛翔を感じることができた、豊かな時間でした。


2017年5月26日
から 久元喜造

認知症の人にやさしいまちづくり


認知症対策は、我が国が本腰を入れて取り組んでいかなければならない課題であり、地域社会、自治体が果たす役割は重要です。
そこで、神戸市として、各分野の方々から構成される「認知症の人にやさしいまちづくりに関する有識者会議」を設置し、5月14日に第1回会合を開催しました。
この会議に参画いただき、日曜日にも関わらず出席していただいたみなさまに対し、改めて感謝申し上げます。

神戸市の認知症高齢者数は、高齢者全体の1割強となる約4万7千人となっており(28年度末現在)、今後も高齢化の進展とともに更なる増加が見込まれます。
「誰もが認知症になりえる」という認識を持つことが求められています。
認知症対策には社会全体で取り組むことが求められますので、「認知症の人にやさしいまち」とはどのようなまちであるべきかという理念をしっかりと確立し、この理念を市民が広く共有することが大切です。
その上で、取り組みの方向性を明確にし、政策を体系化して事業展開していく必要があります。
政策の項目としては、現時点では、認知症の予防・介入、地域での治療・介護、サポートのあり方のほか、認知症高齢者の方が起こした事故に関する救済制度などが挙げられます。

14日の初会合では、さっそく、事故救済制度の対象となる事故の範囲、民間保険との関係など具体的な論点を指摘していただきました。
今後、有識者会議で議論を進め、「認知症の人にやさしいまちづくり」を推進する条例の制定を目指していきたいと考えています。


2017年5月21日
から 久元喜造

神戸国際フルートコンクール ガラ・コンサート


第9回神戸国際フルートコンクール」がいよいよ5月25日に開幕します。
世界18か国・1地域から神戸に集まった約50名のフルーティストが、世界の頂点を目指してその音色を競い合います。

昨日、5月20日の神戸新聞に、神戸国際フルートコンクールのガラ・コンサートと祝賀パーティーの全面広告が掲載されていました。
「神戸国際フルートコンクール応援実行委員会」(委員長:道満雅彦オリバーソース㈱代表取締役社長)による企画です。
コンクール最終日の6月4日(日)、神戸ポートピアホールで開催されます。

「ガラ・コンサート」には、ソプラノ歌手の幸田浩子さんやスーパーキッズ・オーケストラが出演され、お祝いにふさわしい華やかな音楽が繰り広げられます。
引き続き、神戸らしい華やかな演出でコンクール入賞者を祝福し、世界的な音楽家と交流のひとときを過ごしていただくため、「祝賀記念パーティー」が開催されます。
パーティーには、前回のコンクールで第1位に輝いたセバスチャン・ジャコー氏の演奏やジャズの演奏など、神戸らしさを生かしたお洒落な内容が企画されていると伺っています。

実行委員会のこうした取り組みは、4年後の神戸国際フルートコンクールの開催を目指し、ガラ・コンサートや祝賀記念パーティーの開催を通じて得られる収益を、全額、神戸市に寄附することを目的としておられると承知しています。
心より、感謝申し上げます。
これまで8回のコンクールではなかった試みであり、たいへんありがたく感じております。


2017年5月17日
から 久元喜造

NYタイムズのコラム「ネット中毒」


少し前のことになりますが、4月3日の朝日新聞に、ニューヨークタイムズのコラムが転載されていました。
タイトルは、「スマホ規制 あなたを取り戻す」
著者は、ロス・ドゥザット氏。

あなたは、インターネットのしもべだ。・・・若い人ならもちろん、年配の人でもますます、メールやツイッター、フェイスブック、インスタグラムを頻繁にチェックしたい衝動に支配されている」

「衝動が無害であることはめったにない。・・・小さな画面にたえず集中することを強いる。配偶者や友人、子ども、自然、食事、芸術といった昔ながらの恵みを、常に気が散っている状態で感じざるを得なくなる」

「分別ある使い方をすれば、ネットは新たな恵みをもたらしてくれる。だが、私たちは機器を使うのではなく、使われている」

「・・・こうした機器は中毒になるように作られている。私たちを狂わせ、気を散らし、刺激し、そして欺くのだ」

ドゥザット氏は、ネットが、「自己愛を増長させ、疎外感や鬱を生み、想像力や熟考に利するより害する方が大きい と考えるに足るだけの根拠もある」とし、デジタル規制、「特定の製品を適切に機能させようとする自制の文化」を主張します。
全体的に、ネット社会に厳しすぎるという気もしますが、「児童には、研究でインターネットが必要になるまで本で学習させよう。仮想空間に取り込まれるまでは現実世界で遊ばせよう」という主張には一理あると感じます。

ネット社会の中で、子供たちがどのように健全に育っていくことができるのか、しっかりとした議論が必要です。


2017年5月13日
から 久元喜造

「松の根は岩を砕いて生きていく」


歌手のペギー葉山さんが逝去されました。
「学生時代」「雲よ風よ空よ」などとともに懐かしく思い出される曲が、NHKの連続テレビドラマ「次郎物語」の主題歌です。
小学生だった、昭和30年代後半に放映されていたように思います。
いろいろな困難や、今風に言えば、周囲からのいじめにもめげず、逞しく成長していく少年を描いたドラマでした。

メロディーは覚えていますが、歌詞はほとんど忘れてしまいました。
その中で、次の一節が、なぜか記憶に残っています。

次郎 次郎 みてごらん
松の根は岩をくだいて生きて行く

そして、こんな一節もあったように思います。

ひとりぼっちの次郎はころぶ
つんつんつんつん凍った堤

もう10年以上前のことになりますが、親しくしていた後輩が、苦労の多いことで知られる、ある自治体に赴任するとき、酒を注ぎながら、
「いろいろなことが原因で、転ぶこともあるかもしれないが、何度でも転んだらいい。転んでも転んでもまた立ち上がって前に進んでいく姿を何度でも何度でも見せれば、周りは変なことをしなくなるかもしれないよ」
と、アドバイスをしましたが、そのとき、この一節を想い起していたように思います。

ときどき、全体の歌詞は忘れてしまったので、「ひとりぼっちの次郎はころぶ」、「次郎 次郎 みてごらん」、「松の根は岩をくだいて生きて行く」の一節を口ずさむます。

先日、2年ぶりに丹生山に登る途中で、松ではありませんが、歌詞の一節を思い起こさせる木の根を見つけました。
澄んだ空気を深く吸い込み、大きな元気をもらいました。
それにしても、松の木は、ずいぶん少なくなってしまいました。