久元 喜造ブログ

2019年3月17日
から 久元喜造

絵本『会下山物語』

 


神戸市立神港橘高校 では、絵本を制作・出版する取組みを続けておられます。
神戸の各地域に残る民話・伝説や史跡にスポットを当て、小学生や中学生による現地調査や聞き取りを経て制作するという、意義のある取組みです。
今回の絵本では、同校が 会下山小学校 との連携が10年になることを記念し、会下山 が取り上げられています。

会下山 は、兵庫区の市街地北部にある小高い丘です。
子どものころ、よく遊んだ懐かしい公園です。
5年生まで在校した旧川池小学校は、震災前年の1994年に旧中道小学校と統合され、会下山小学校 が創立されました。

本書によれば、もともと会下山は、奈良の法隆寺の土地だったそうです。
「会下」とは、お坊さんが集まって修行をする場所です。
法隆寺に残された文書に、会下山周辺の記述が残されていることが紹介されています。
改めて会下山の由緒に想いを馳せました。

震災では、会下山小学校校区も大きな被害を受けました。
いま、周辺を歩くと、せせらぎに鯉が泳いでいるなど、震災の痕跡は感じられませんが、それだけに地域と行政がさまざまな課題を乗り越えてきた歩みが感じられます。

旧川池小学校「川池こどもの歌」は、「明るく晴れた 会下山に」で始まりました。
かつて、会下山から眼下に眺めた神戸の街と港の光景は、今でも脳裏に焼き付いています。
神戸の港 見下ろして 世界に伸びる 明日の夢
うろ覚えですが、「川池こどもの歌」の一節です。

会下山小学校に学ぶ子供たちが、会下山の長い歴史を大切にしながら、かつて神戸市民がそうしたように、未知の世界にきらきらと目を輝かせ、新しい世界に挑戦していってほしいと願っています。


2019年3月14日
から 久元喜造

財政当局の残業時間が激減!


自治体でも「働き方改革」が求められる中にあって、ともすれば「聖域」扱いされてきたのが、財政当局の職場です。
とくに予算編成時期は、夜中までの残業、ときには徹夜も当たり前、といった雰囲気が続いてきたように思います。
私も、ほかの自治体の財政当局で働いていたとき、月200時間以上の残業は普通でしたし、財政当局の責任者を務めたときの勤務も過酷でした。

財政当局で仕事する職員も、人間です。
もうそんな非人間的な気風や風習は、過去のものにしなけければなりません。
そこで私は、去年の夏ごろ、局長会議で、次の予算編成では「財政当局の残業をゼロにする」よう求めました。

結果はどうだったでしょうか?

12月の時間外勤務時間数は、
平成28年度 3,176時間
平成30年度 757時間
68%減少

1月は、
平成28年度 3,188時間
平成30年度 1,246時間
44%減少

ゼロにはなりませんでしたが、予算編成が佳境を迎える、12月、1月の財務課の時間外勤務は、激減しました。
夏から秋にかけて、「予算編成型政策会議」を開催し、その場で、予算を計上するのかどうかを決めていたことも影響していると思います。
「新規要求」の「必要性、緊急性」の議論はすでに結論が出ているので、あとは個々の事業の計上額を決めればよいだけになっていたからです。
予算編成の場に突然出現する、思い付きのような要求も姿を消しました。
市長、副市長が出席する「予算編成型政策会議」-以前の「市長査定」も、平日は勤務時間内に終わり、土日に及ぶことはまったくありませんでした。
来年度は、今年度の状況を検証し、新たな視点を織り交ぜながら、財政当局の「残業ゼロ」を目指します。


2019年3月11日
から 久元喜造

東日本大震災被災地との交流


2011年3月11日に発生した東日本大震災から、8年の月日が流れました。
神戸市は、発災直後から、直ちに情報収集を行い、支援活動を開始しました。
同日、午後8時30分、緊急消防援助隊の先発隊、16隊(66名)が現地に向けて出発。
翌12日午前11時には、指揮支援、支援調整、上下水道の災害復旧調査、応急給水、援助物資の輸送などの任務を担うべく、第2陣が出発しました。
神戸市立中央病院からは、医師、看護師など7名が現地入りしました。
この後も、神戸市からは、医療、保健などを含め、続々と職員が現地に入り、活動を展開しました。

神戸市には、阪神・淡路大震災の当時、中堅・若手職員として災害対応にあたった経験を有する幹部が数多く在職していました。
矢田立郎市長の指示で、災害対応の経験のある職員と、当時のことを知らない若手職員がチームを組み、被災地での支援活動に汗を流しました。

まもなく新年度が始まりますが、神戸市からは、東日本大震災の被災自治体に対して引き続き職員の派遣を行い、復興の支援を行います。
また、熊本地震、昨年の西日本豪雨で被害を受けた自治体に対しても職員を派遣し、復旧・復興業務に従事します。

神戸では、市民や企業レベルで、発災直後からさまざまな形で救援・支援活動が行われました。
そして、さまざまな分野で、中学・高校生、大学生を含む幅広い交流につながってきました。
この8年の間、震災の被災地としての経験や想いを共有する取り組みが行われてきたように感じます。
これからも、次の世代につなげていくことができるよう、さまざまな立場から、交流の深化を図っていくことができればと願っています。


2019年3月8日
から 久元喜造

女性候補者へのセクハラを許すな!


4月の統一地方選挙が近づいてきました。
地方議会議員、首長の選挙に挑戦する候補者におかれては、選挙の告示を控え、正念場を迎えておられることと存じます。
昨年は、「政治分野における男女共同参画推進法」が成立しました。
女性であれ、男性であれ、どの候補者に投票するかは、個々の有権者の判断ですが、全体として、女性の政治家が増えることが期待される選挙だと思います。

女性の政治進出を考える上で、避けて通れない課題が、女性候補者に対するセクハラだと思います。
想い起すのは、昨年の5月、クロスメディアイベント「078」の一環として開催されたシンポジウムにおける、野田聖子 総務大臣(当時)の発言です。
野田聖子大臣の発言は、かなり衝撃的でした。

野田先生は、32歳で衆議院議員に当選されましたが、その前の選挙では落選。
シンポジウムでは、当時のことを振り返られ、こうおっしゃいました。
29歳から32歳までの日々は、毎日がセクハラでした
その後の発言を文字にするには躊躇を覚えるほど、セクハラの実態はすさまじかったようです。

もちろん時代は変わっていますが、選挙の候補者が支持者との関係で弱い存在だという現実は同じです。
候補者は、少々のことは我慢しなければ選挙に勝ち抜いていくことはできません。
しかし、そのことを理由として、女性候補者がセクハラに耐え抜かなければならない現実があるとするなら、女性の政治進出は大きな制約を受けるはずです。
優越的な立場を利用して、女性に卑劣な行為をすることは、断じて許されるべきではありません。
セクハラは許されない―このことは、政治の世界においても変わるものではないと信じます。


2019年3月5日
から 久元喜造

「職員部」は廃止します。


先日の記者会見で、某市長の「暴言」に関連して、職員にどう接しているかについて訊かれました。
私は、職員を怒鳴ることはありませんが、市役所にお世話になるようになってから、そうなってしまったことが1回だけあります。
それは、人事当局の身勝手 に対してでした。

もう4年近く前のことです。
6月半ば、梅雨の蒸し暑い日が続いていました。
秘書から、明日は、背広、ワイシャツ、ネクタイを持ってきてください、と言われました。
職員証の写真撮影があるとのことでした。
言われるとおりにしましたが、さすがに切れました。(2015年6月23日のブログ
どうして夏に、冬の格好で写真を撮らせるのか。
背広を着ている季節に撮影すればよいだけのことです。
人事当局の身勝手な指示のために、私だけではなく、何千人という職員が、ラッシュ時に余計な荷物を持って来ることになるのです。

人事当局は、職員が気持ちよく、能率的に仕事ができる環境を用意していく使命を持っています。
職員のことなど眼中になく、無用の負担と苦痛を強いる人事当局・・・
これほど周りへの配慮を欠き、自分たちのことしか考えない人事当局は見たことがありませんでした。

その後、人事当局と私は、「市役所改革」のためにさまざまな議論を重ねました。
少しずつ前向きの議論ができるようになる一方、今から思えば、苦渋に満ちた表情で下を向く幹部もいたように思います。
何かに怯えていたのでしょう。

そして、ヤミ専従問題が発覚しました。
労使癒着の舞台となり、さまざまな弊害を生んできた「職員部」は、今月末をもって廃止します。
神戸市役所は新たな体制のもと、明るく、開かれた職場づくりに取り組んでいきます。


2019年3月3日
から 久元喜造

村上しほり『神戸 闇市からの復興』

空襲で焼け野が原になった神戸の街が、戦後、闇市から復興してきたことは知られています。
著者は、その闇市の「発生から衰退を辿り、さらに闇市が姿を変えて新たな商業空間として根付くまでの変容過程を描」きます。

素晴らしい研究書です。
GHQ記録の文書をたどり、対象時期の神戸新聞の全紙面(!)を通覧し、神戸市職員を含め当時を知る人々へのインタビューを実施し、複雑な当時の状況を丹念に蘇らせます。
三宮国際マーケット、ジャンジャン市場などを舞台に、民衆、GHQ、地方行政・警察をはじめ、きわめて多様な人々が登場します。
1987年生まれの著者が、まるで当時のカオスの真っただ中に身を置いていたかのような臨場感に圧倒されます。

街づくりは、今後の社会経済の変化を見据えるとともに、「都市の記憶」を踏まえながら構想し、進めていかなければなりません。
その意味で、本書が、神戸市の多くの職員に読まれることを期待したいと思います。

また、新開地近辺で生まれ、子供時代を過ごした私にとり、「湊川新開地」、「湊川公園商店街」に関する記述はまことに興味深く、喧騒と混沌の坩堝であった当時のことを懐かしく想い起しました。
あの頃、すで長く廃墟となっていた神戸タワーが、まだ湊川公園に聳えていました。
神戸タワーの撤去がなぜ1960年代に入るまで行われなかったのか、複雑な事情を初めて知ることができました。
1968年9月に撮影された写真には、取り壊される最中の神戸タワー、そして5年前に竣工したポートタワーの両方が写っています。
神戸の街は、闇市の面影を払拭し、急速に姿を変えていったのでした。(慶応義塾大学出版会:2018年12月刊)


2019年2月28日
から 久元喜造

感度良好!ストリート・ピアノ・ポスター。


デュオこうべに一時設置していたストリート・ピアノは、3月20日頃に本格的に設置することにしており、いま準備を進めています。(2019年1月19日のブログ
それにしても、このときの画像を見ると、ピアノの傍に置かれていたポスターがとても良くできている、と感心しました。

ご自由に お弾きください!」のメッセージが大きく書かれ、英語でも表記されています。
たくさんのみなさんが行き交う場所でピアノを弾くのは、少しためらうところがあるかもしれませんが、そんなこと全然気にしないで自由に弾いてください、という作成者の意図が、優しく伝わってきます。
このピアノの歴史や経緯に関する説明も、ほんわりとした温もりのある文体です。
いろいろな方向を向いた音符記号が配置され、ピアノの音が周囲に届いていくイメージにぴったりのデザインとなっています。
フォント、色彩、文字と音符記号のバランス、余白の取り方も絶妙です。
ハッシュタグがつけられているのも、役所のポスターとしては新鮮です。
貼られている掲示板のワインカラーの色彩もセンスが良く、上品に目を惹きます。

このポスターの原案は、住宅都市局市街地整備部のみなさんがつくり、クリエイティブ・ディレクターのアドバイスを受けながら、完成させたと聞いています。
市役所プロパーの職員と外部人材とがコラボし、良い仕事をしてくれていることをありがたく感じています。

この前のブログ でも書きましたが、内部の説明資料作成にかけている膨大な労力を減らし、市民のみなさんの目に触れるポスターや文書をもっと良いものにしていきたいものです。
その意味で、このポスターは、良いモデルになります。


2019年2月25日
から 久元喜造

内部の説明にパワポは要らない。


市長・副市長会議で、庁内の説明にパワポを使わないことにしてはどうか と提案しました。
きっかけは、高岡浩三ネスレ社長に講演をしていただいたことでした。
とてもわくわくする講演で、聴きどころはいっぱいあり、全体の中では周辺部分でしたが、報告は原則として口頭、資料は原則、A4、1枚、いうお話がありました。

我が意を得たり、という思いでした。
とにかく、市役所の説明は長いのです。
政策会議などでも、パワポを使った説明が延々と続きます。
しかも、パワポの資料はスクリーンに映されるだけではなく、何十枚も紙で印刷して配布されることもあるのです。
膨大な資源の無駄遣いです。
このことは、4年以上も前に問題提起をしたのですが、あまり改善されていません。(2014年11月4日ブログ

内部での議論に、視覚的効果を狙い、意匠を凝らした説明資料は要らない のではないでしょうか?
パワポ資料の作成には、かなりの手間がかかるはずです。
「働き方改革」の面からも、内部説明のための労力は減らすべきです。
もちろん、数字やデータ、法令の規定に基づいた議論が必要な場合もあります。
そのようなときは、必要な既存の資料をタブレットに入れればよいし、タブレットの配布が完了するまでは、紙の資料で議論することは仕方がないでしょう。

これは私の趣味ですが、数字が必要なときは、数字さえあればよく、グラフにする必要は感じません。
グラフだけあって、数字が入っていない資料にたまにお目にかかりますが、それは困ります。
要は、みかけではなく、中身の濃い政策議論をしっかりとする、ということだと思います。
内部のために使う手間暇は、市民のために使われるべきです。


2019年2月23日
から 久元喜造

オクチュリエ『社会主義リアリズム』


昨年秋に読んだ『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』(2017年10月27日のブログ)は、ずっしりとした重い内容を含んだ著作でした。
そのときにも書いたのですが、ショスタコーヴィチの前に立ちはだかり、彼がおそらくは表面的に体現しようとした「社会主義リアリズム」とは何であったのか、この観点からの共産党権力との相克はどのようなものであったのかは、課題として残りました。
そこで、新聞の書評でぴったりのタイトルの本書を見つけ、読むことにしました。

著者は、本書の冒頭、1934年に制定されたソヴィエト作家同盟の憲章第1項を紹介します。
社会主義リアリズムとは、ソヴィエトの芸術的文学と文学批評の基本的な方法として、芸術家に、革命的発展における現実を、忠実に、そして歴史的かつ具体的に描写することを要求する

そしてロシア革命前後からの芸術文化における論争の経過が詳しく記述されます。
膨大な人物、文書が登場しますが、その大半は政治家、そして文学、芸術の理論家とも言える人々で、音楽はもとより、文学、演劇、建築、絵画などの個々の作品が語られることはほとんどありません。
各芸術分野における代表的な芸術家とその作品を題材とした考察を期待していたのですが・・・

メイエルホリドはなぜ処刑されなければならなかったのか?
そして、ショスタコーヴィチは、なぜしばしば断罪されなければならなかったのか?
検閲当局との神経戦はどのようなもので、それは作品にどのような影響を与えたのか?
これらの問いに対する答えは残念ながら本書からは見つかりませんでした。
ただ、旧ソ連史を芸術文化の観点から眺めることができたことは収穫でした。


2019年2月18日
から 久元喜造

お願いです。疑問点は直接聞いてください。


先日の夜、職員のみなさんと、外部人材も交えて、自由な意見交換を行いました。
さまざまな意見が出され、私からも率直に感じていることをお話しし、とても有益なひとときでした。
しかし、驚いたこともいくつかありました。
その一つが、「市長からの指示がどういう意味なのか、どんな意図なのかわからず、幹部が議論を重ねている」という指摘でした。
多くのみなさんが、そうだ、そうだ、という感じでウンウンと頷いていました。

正直、愕然としました。
そんなことは、直接聞いてくれればよいだけの話です。
だいぶ前にもブログで、総務省での体験について書いたことがありました。(2014年8月19日のブログ
大臣の発言について、説明のときの反応、秘書官に発した言葉、果ては酒席での戯れ言までが幹部の間で話題になり、「大臣の考えはこうだ」「いや、大臣の真意は別のところにある」といった、大臣の意図を探る会話があちこちで延々と交わされていたのです。
私は、そのような会話にはほとんど加わりませんでした。
時間が無駄だったからです。
そんなヒマがあったら、大臣に直接聞けばいいのに、と思っていましたし、実際そのようにしていました。

何と、同じようなことが、市役所で行われているというのです。
ショックです。
私の日程は過密ですが、職員のみなさんが部屋に来るのを断ることはありません。
私の意図を計り兼ねるときは、いつでも部屋に来てもらって聞いてもらえばよいだけのことです。
さっそく、山村昭市長室長から庁内に私の気持ちを伝えてもらうことにしました。

お願いです。
疑問があれば、直接部屋に来て、私に聞いてください!!!